生駒 忍

記事一覧

ネット依存の有病率とひまな時間の有害性

きょう、Medエッジに、ネット中毒、世界で最も高い地域は? 国際的に「リア充」と「ネット中毒」が逆相関という記事が出ました。

「香港大学心理学部の研究グループが、電子通信に関わる心理学や行動学を扱う国際誌、サイバーサイコロジー・ビヘイビアー・アンド・ソーシャルネットワーキング誌で2014年12月17日に報告している。」ということで、Cyberpsychol. Behav. Soc. Netw.17巻のInternet Addiction Prevalence and Quality of (Real) Life: A Meta-Analysis of 31 Nations Across Seven World Regionsの紹介です。ここで、研究者の所属部署は、心理学科と訳すべきだったと思います。社會科學學院の中の心理學系で、英語でDepartment of Psychologyです。

「世界的な有病率の推定値は6%」、これは高いと見るべきでしょうか、低いと見るべきでしょうか。また、この書き方には、やや難があります。信頼区間を書かないのは、行橋京都児童発達相談センター開設の記事で触れたような、一般向けにはむずかしいという事情で理解できますが、小数部のけたは意識してほしかったと思います。「最高値は中東の10.9%、最低は北欧と西欧の2.6%だった。」とあるところと、そろえて書くと自然でしょう。なお、ここを節タイトルでは、「中東が約10%、北欧や西欧は3%弱」としていて、端数処理の感覚が、この筆者は独特です。

「国際間の偏りを説明するのに、有病率はインターネットの普及率および経済力と正の相関にあるという「アクセサビリティ仮説」という考え方がある。一方で、有病率は生活や環境の質と逆相関の関係になると「実生活の質仮説」の2つの提唱されている。」、そして「調査結果によって後者の仮説が実証された」とします。ここで気をつけたいのは、2説はMECEどころか、かたい相互排他的関係ともいえないことです。結果が後者、Quality of (real) life hypothesisですので「(実)生活の質仮説」と訳したいところですが、これと整合する方向だったこと自体は、アクセサビリティ仮説の直接の反証ではありません。記事には書かれていませんが、インターネット普及率やGDPとの、メタ回帰分析での負の関連が、アクセサビリティ仮説に否定的な知見となっています。

「リアルな生活が充実しているほど、ネット中毒は減っていく。」、やや拡大解釈ですが、直観的にはもっともなところです。ネットにはまろうにも、そんな時間がリアルに残っていないくらいに充実した毎日であれば、はまるひまがありません。日本のことわざに、小人閑居して不善をなすとあるのは、ひまがろくなことを生まないことを指すようになっていますが、心理学的にも、ひまがあると悪いものが入りやすいとわかっています。非行の原因 家庭・学校・社会へのつながりを求めて(T. ハーシ著、文化書房博文社)の絆理論は、巻き込み、つまり学業、部活動、家の手伝いなど、日々健全な活動に従事させることが、悪事に誘惑されるすきをうめて、非行への道を閉ざすとします。おとなもそうでしょう。週刊東洋経済 8月9・16日号(東洋経済新報社)では、「ミスター牛丼」安部修仁が、「みんなに不安を抱かせないようにする一つのテクニックは、忙しくすることです。」と明かしました。格付けしあう女たち(白河桃子著、ポプラ社)によれば、「ヒマがある集団」、「成果主義ではない集団、ある意味ぬるい集団」には、不毛な女子カーストが生じやすいそうです。あるいは、やや観点が異なるのは、普門軒の禅寺日記の記事、divertissmentです。フランス語のdivertissmentの語源をひもといて、「私たちは「ゆとり教育」という言葉に代表されるように、娯楽や余暇を持つことを是としているが、その余暇(ゆとり)には、同時に(重要な問題から)関心をそらせることという意味があることも覚えておきたい。」とします。なお、「ちなみに近代以前の日本には、いわゆる日曜日のような安息日というものはなかった。」とあるように、ここ百数十年が特殊であって、庶民が仕事を休むのは、盆と正月くらいだったのです。

東京駅Suica騒動でのルールと限定品商法

きょう、女子SPA!に、「東京駅記念Suica」で考える…買い物で失敗する「3つの要注意ワード」という記事が出ました。

「東京駅が開業100周年を迎えたということでJR東日本が限定の記念Suicaを販売」したときの騒動のお話から書き出されます。「ルールを守らず徹夜した人が購入できたなどの問題点もあったため、悔しい思いをされた方もいらっしゃるかもしれません。」としますが、徹夜禁止などというルールは、鉄道ファンの間の自主ルールにはあったのかもしれませんが、JR側からは、ポスター上での「前日からお並びいただくことは出来ません。」という小さな記載くらいしか告知されなかったはずです。管理上、前の日に駅構内や公道に列をつくることを公式に容認するかどうかというレベルで、そこに入った人には買わせないとも、始発からカウントするとも書いていないのに、正しく読まずにJR側を非難する人が、一部ですが出たのは、残念でした。それとも、日本語が読めない人があばれている、あるいはあばれていると思わせたい人がいると読むべきだったのでしょうか。

「「限定(焼きたて)、今だけ、格安」などの言葉で、特に気に留めていなかったはずの商品を購入してしまった経験がある方もいるのではないでしょうか。」、タイトルにある「3つの要注意ワード」とは、これのようです。3本は、団塊ジュニア世代の定義と特徴の記事で触れた鼎立どころか、別個の3本柱でもなく、本質的にはつながっています。ですが、人は「そとづら」が9割(三枝理枝子著、アスコム)の、「人間の三大渇望」ほどのかぶり方ではなく、「今だけ」が左右の両側につながるかたちです。今だけ何なのかが書かれていないので、今しか手に入らない限定品とも、今しかこの値段では買えない格安価格とも読めます。

「買わずに後悔するくらいなら買って後悔する方が良い。」、これは心理学的には、正しいところがあります。捨てないことのデメリットの記事で触れたようなことが、実証研究で確認されています。

「しかし、何かを購入しようとしたそのきっかけが「限定、今だけ、格安」というフレーズだった場合は、いつも以上に慎重に判断することがおススメです。」、そのとおりだと思います。「空気」でお客様を動かす(横山信弘著、フォレスト出版)でいう、認知バイアスにかからない「不燃客」になって、あわてず急がず、お財布を守りましょう。

それで思い出したのが、日経電子版にきょう出た記事、「生活の党と山本太郎となかまたち」に党名変更 山本氏が合流 生活、政党要件満たすです。年末までに急いで、政党助成金をとると言われていましたが、まにあったようです。人心も妻もはなれ、お財布も苦しくなったといわれ、週刊新潮 1月1・8日号(新潮社)では「自分の生活が第一」といじられましたが、助成金4億円はのがしませんでした。かわりに党の名前を売って、協力者の名前を売るネーミングライツのような荒技に、豪腕のなごりを感じます。読みやすい名前を入れて、党名としては読みにくくなってしまいましたが、減税日本・反TPP・脱原発を実現する党のように、再編をしかけて結果的にすぐ消える読みなのでしょうか。

読みにくいで思い出しましたが、orangestarの雑記にきょう出た記事、C87参加、はてな村奇譚持っていきますによると、コミックマーケット87で頒布される「はてな村奇譚」は、写植を使ったものになるそうです。自身で、「写植って読みやすいね!!」とよろこんでいます。3か月前に出たはてな村奇譚31で唯一、活字をうって強力な効果を出した場面がうすれてしまいそうですが、全体が読みやすくなるのなら、よいことだと思います。ほしい人は、始発で行きましょう。

テレビをつまらなくする若手とネットの依存性

きょう、BLOGOSに、【寄稿】2014年バラエティは指針を失い流れてゆく。ニコ動の開票特番でビートたけしが見せた民放では見せられないおもしろさの本質 - 吉川圭三という記事が出ました。

「ある知的情報バラエティ」が、「最先端の科学的知識を笑いに包んで見せる番組」だったのが「一部グルメ番組に変身していた」ことから書き出されます。「渋谷系」復活の記事で触れたように、文化系女子向けのファッション誌も食に浸食されてしまうわけで、メディアでの食べものの力は相当なものです。地びき網が人気コーナーに化けるのです。それでもなお大すべりしたアイアンシェフも、相当だったといえそうです。

そして、いまのテレビ局のスタッフが「怪しくて・変な人」ではなくなってきたことに、問題の本質を見いだします。「テコ入れ企画としてラーメンやダイエットの特集」、「人気者「ふなっしー」の起用」、「芸能人の悲惨だった過去の話は数字を持っている。」「グルメ・ダイエット・人気アイドル・お笑い芸人・面白実話・どっきり・ランキング・ひな壇・YOU TUBE映像。」、どれも見なれていて、無難で、くだらない素材の山に、これではまるで、いまのテレビのようではないかとあきれましたが、いまのテレビの話題なのでした。

「他の人気テレビ番組のいいとこ取り」、「こうした“若手”たちが全てのテレビ局で『テレビ番組を基にして新しくない新番組を作る』状態」、「似たような番組が乱立する状態」、結局「「数字を見込める」アイテム」を組みあわせれば、大失敗はしにくいでしょう。試行錯誤の中で、だめなものは絶えて、よいものが残り、組みあわさっていくのは、遺伝的アルゴリズムのようです。すると、「創造力のない若者」が増えて突然変異が減ったために、おかしな初期収束でループしているようにも思えます。Glittyにきょう出た記事、心理学から見る「出世しない男性」の休日の過ごしかたによれば、同じことを日々くり返す男性は出世しないようですが、本人が上向かないだけでなく、会社や業界全体がかたむいてしまいそうです。「実は新しい「テレビを創造する」デットリミットはすでに来ているのである。」とあるように、環境変化に適応する大進化ができないまま、メディアの恐竜は、恐竜の運命をたどるのでしょうか。なお、「デットリミット」という、[d]の発音のところが[t]のようにカタカナ化される、日本語らしい変化がついています。その逆は、なかなか起こりませんが、最近ではるるぶFREE ロマンスカー箱根・小田原Vol.39が、Lunch caféそううんに関して、「オリジナルハーブソルトで焼きあげたローストビーフをたっぷりはさんだ香ばしいバゲッドサンドがおすすめ。」と書きました。

さて、そうなったことを学歴と関連づけて、「ある超一流大学を卒業した若者が私の班に入って来たときであった。」というお話が紹介されます。「そして1時間後、宴会場はなんと「下ネタ」の嵐になっていた。彼を中心として。」「下ネタにも芸やセンスがあれば面白いのだが、ただエゲツナイだけ。」だったそうです。大学名は明かされていませんが、オックスブリッジから日本のテレビ局とは人生の失敗だろうに、自分が中心になれる場があって救われたろうと、同情的な想像をする人もいそうです。

ですが、「勉強ばかりして一流大学に入った彼の中にはもともとサブカルチャー・メインカルチャーに関する引出しはない。」、こういう人では困ったものです。メインカルチャーとサブカルチャーとの大きな対立構造は失われたとはいっても、メインもサブも、両方ともない人が、カルチャーを発信するテレビの仕事につくのは、奇妙に思えます。それとも、勉強ひとすじの人には、勉強の世界が、メインに見えているのでしょうか。こういう人から、「最先端の科学的知識を笑いに包んで見せる番組」が提案され、視聴率がふるわずに「一部グルメ番組に変身」する失態につながるのかもしれません。

「先日も同年代の出版関係者と会ったとき、メディア業界における「基礎教養」の話になった。彼は『キャロル・リード監督の「第三の男」ぐらい知らないと・・・』と言っていた。」そうです。女性セブン 1月8・15日号(小学館)で、1500万円もの慰謝料を、よりによって南里康晴から求められていると書かれた安藤美姫の、なおかくされている娘の父親の記事で触れた名画が登場します。もちろん、この作品が唯一絶対ではなく、「なにか無茶苦茶、内外のミステリー小説を読んでいるとかコンピューター・ゲームについて鋭く分析できるでも」、いろいろな方向性が考えられるでしょう。それでも、東野圭吾はあれほど読まれても、海外のミステリー小説も読む人ははるかに少なそうです。読まない人に、東野にあって海外ミステリーに期待できないもの、海外ミステリーのいやなところを聞いてみたい気もします。また、こども電話相談室の変化の記事で取りあげたように、教養自体が、もう目を向けられなくなっていることもあるでしょう。

「チャップリンの名前も知らない一流大学卒の男が試験を通過し「お笑い」をやりたいと言ってたまたま現場へ配属される。」、配属させたほうが悪いと言えばそれまでかもしれませんが、筆者はそうは書きません。「実は私は2014年の9月から古巣の日本テレビからドワンゴに完全出向したのだが、出社一日目、川上量生会長から「ドワンゴでは吉川さんが今までやった事が無いこと、つまり報道とドラマをやって下さい。」と言われた。」ことと重なる部分があるからでしょうか。

「テレビ以外の小説や映画や個人体験を基にした番組があっても良いのに。」、小説からであれば、近年の日本映画界ではおなじみで、テレビでもめずらしくないやり方です。まんが作品にもとづくものも含めて、「原作もの」と呼ばれます。

「サブカルチャー発信地としてのテレビがネット・アニメ・マンガ・ゲーム・スマホ等の通信機器にその座を奪われていると近年感じる。」、覚猷か定智かというところまでさかのぼらなくても、明らかなオールドメディアのまんがにまで押されているのでは、先が思いやられます。一方で、現代的な機器にかなわないのは、ある程度しかたがないでしょう。あちらの依存性は強力で、抜けられません。毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、特集ワイド:「IT断食」一度はいかが 読書、景色…「ちょっぴり豊かな」生活 宿泊プランもにある「断食」体験のようなのどかな展開ではなく、コントロールのきかない、おそろしい離脱症状が起こることもあります。インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで(岡田尊司著、文藝春秋)には、やめたら幻覚や妄想におそわれ、クエチアピンが奏効するところまで統合失調症にそっくりの症状を起こした症例があります。脳がおかされる「デジタル・ヘロイン」なのです。また、毎日の記事には、「「私がケータイを持たない理由」の著者でジャーナリストの斎藤貴男さん(56)は「携帯やスマホを持つと、利便性を得る代わりに魂を売り渡してしまう気がするんです」と語る。」とあります。教育 2014年11月号(かもがわ出版)では、糸岡清一という人が、スマートフォンを「逆に外から自分をコントロールされるリモコン」と表現しました。

ボディクロック研究会の発足と「時計遺伝子」

きょう、ネムジムに、ボディクロック研究会が発足~体内時計の改善による睡眠衛生を促進~という記事が出ました。

こういう名前の研究会で、「「ボディクロック」(=体内時計)は、人間の体に備わっている、生体リズムを調整する機能です。」とします。体内時計ということばで、すでに日本語として、一般にもある程度なじんでいると思いますので、カタカナにせずに、「体内時計研究会」でよかったようにも思います。学術的には、body clockも見かけますが、biological clockのほうが一般的です。寿命をつくるはたらきとは区別したかったのでしょうか。かっこよくカタカナで名のろうにも、「ツァイトゲーバー研究会」ではしきいが高そうですので、やさしい英語にしたのでしょうか。また、「人間の体に」という限定条件にも、気をつけたいところです。

限定ということでは、「睡眠衛生を促進し、日本全体の活力向上に」、「日本の将来を担う「子どもの睡眠」に重点」、「子どもの体力向上を支援し、東京オリンピックでのメダル獲得に貢献」、「子どもの学力世界1位の達成を支援」と、ターゲットは人類の健康、世界のしあわせとせず、わが国にしぼるところも特徴的です。研究費集めのターゲットが国内だという意味で理解したい人も出そうです。

「記者発表会では同会構成メンバー中の4人(理事長・内村直尚氏 研究会員・明石 真氏、岡 靖哲氏、松本悠貴氏、三橋美穂氏)が、それぞれの研究・活動内容をベースにした講演を実施。」とあります。かっこの中が、何度数えても5人です。理事長はメンバーではないという可能性も、次の段落からは否定されます。

「ウェブサイト等による情報公開や市民講座等のイベントを通じて、ボディクロックに関する正しい知識や改善方法を広く社会に発信」したいようです。すでに、公式ウェブサイトの公開は始まっています。のぞいてみると、「Body Clockリセットで、日本のパフォーマンス向上を目指します」、「日本全体の活力やパフォーマンスを向上させることを目的に、睡眠に関連した専門家が集まり発足した研究会」、「子どもの睡眠を守り、日本の将来の成長につなげたい」、やはり日本がターゲットです。理事長もやはり、メンバーです。「人間の体に備わっており、カラダのさまざまな生体リズムを調節しているのがボディクロック(体内時計)です。ボディクロックは、「時計遺伝子」と呼ばれる細胞で構成された細胞群です。」、やはり人間の話題というあつかいですが、細胞の呼称に遺伝子という表現は、この会ではそういう定義をとりますと言われたとしても、好ましくないと思います。「ボディクロックは、24時間周期に近いとされています。」、概日リズムは25時間だという誤解を正してもらえるのなら、ありがたいです。最後の著作権表記が、「bodyclock」というところに権利があるような書き方で、気になります。なお、公式のURLとして出されたbodyclock.jpは、ここへの単なるリダイレクトで、WHOISで見ると、登録者は株式会社コスモピーアール、つまりこの記事を掲載したネムジムの運営主体です。

サラダ油が脳を殺す(山嶋哲盛著、河出書房新社)には、「現代社会では、五人に一人が眠りに関する何らかの悩みを抱えていると言われます。」とあります。わが国の大学では、関西福祉大の「朝活」の記事で取りあげたような、生活リズムを意識した朝食提供サービスが現れています。新たな研究会が、日本のためになってくれるのはありがたいことですし、よい知見はいずれ、世界のためにもなります。活躍を期待したいと思います。

おかずの提供を求める社協と「第二の災害」

きょう、岩手日報WebNewsに、困窮者に食糧支援呼び掛け 北上市社会福祉協議会という記事が出ました。

このタイトルでは、呼びかける向きが逆にも見えてしまいます。非困窮者にと書けば、つじつまはあいますが奇妙ですので、困窮者への、とするか、報道らしい表現で、「「困窮者に食糧支援を」呼び掛け」のようにしてあればよかったでしょう。

タイトルには「食糧支援」とありますが、本文中ではすべて、食糧ではなく、食料という表記です。ここは、「現在の在庫は米など主食が中心で栄養の偏りが懸念され、粉ミルクなども底をついた状態。」としたことと関連しそうです。食糧と書くと、主食や穀物のイメージが強くなってしまいます。それでも、食料と食糧との使いわけは、明確なものではありません。食の終焉(P. ロバーツ著、ダイヤモンド社)には、foodは「本書の翻訳においては、原則「食料」を用い、文脈上明らかに「食糧」の意味合いが強いと判断される、または慣用的に使用されることの多い場合のみ、「食糧」」という方針をとったとあり、どういう意味内容で分けたかは、はっきりは書かれませんでした。原題は「The end of food」ですので、どちらでもない訳も使っています。学術書でも、たとえば現代資本主義と食糧・農業 下(井野隆一・重富健一・暉峻衆三・宮村光重編、大月書店)には、「用語表現についても、「食糧」「食料」の異同を考え、整理しておくべきだが、本稿では、「食糧」を基本としつつ「食料」をも併用する。」とありました。なお、その第3編者の、聖学院大学総合研究所紀要第45巻での紹介は、この本を「現代資本主義と食料・農業」と書きました。あるいは、栄養バランスからの連想で、アリーヤの伝記映画の記事で取りあげたようなバランスを考えたのでしょうか。

「しかし、米や乾麺などの主食やしょうゆなどの調味料、せんべいなどの菓子類は多くの寄付が寄せられた一方、缶詰やレトルト食品などのおかずはほとんど在庫がない状態だ。」、想像がつきます。日常食であれば、あまって寄付するほど買いこむことは考えにくいので、米は篤志で持ちこまれていそうですが、それ以外は贈答品の割合が高いでしょう。めん類やせんべい、醤油は贈答品で入って、ふだんのペースでは食べきれなかったり、くらしや好みにあわなかったりして、困ってしまうことがあります。一方で、「缶詰やレトルト食品など」も、贈答品で入ることはありますが、日もちがずっとよいですし、いかにもな高級品、高額品のことが多いでしょうから、手ばなして困窮者にというのは、いろいろ抵抗がありそうです。かに缶や有名和牛のレトルトカレーではなく、スーパーで広告の品になるような缶詰やレトルトカレーを贈ることは、あまりされませんが、乾麺や醤油は、広告の品になるレベルのものも、箱づめして贈答品にできるのは、ふしぎなことではあります。

この呼びかけは、よい効果をあげるでしょうか。「クリスマスの恐怖」の記事で触れたように、寄付の気持ちがうごきやすい時期です。大そうじで、食べずに捨てるくらいならと、寄付品が出てくることも多そうです。ですが、自分にニーズがない所有物なのに、相手にもニーズがない可能性は考えられない人が、ごみ同然のものを送りつけてくる心配もあります。いわゆる「被災地を襲う第二の災害」のような問題もありますし、だからといって、ほしいもの、いらないものの条件を明示すれば、ただでめぐんでもらって何様だとたたきたい人にねらわれます。「第三の災害」とでもいうべきでしょうか。研究にかかわる身としては、1年1か月前に起きた、立命館大学ゲーム研究センターの炎上騒動が思い出されます。さまざまな見方があると思いますが、ねとらぼの記事、立命館大がネット乞食はじめたぞードドドド 「炎上狙い」でアクセス稼ぐまとめサイトと、まんまとそれに踊らされる人たちが、現実をとらえています。