生駒 忍

記事一覧

感謝をしないほうがよい例と福岡の連続殺人犯

きょう、ライフハッカー日本版に、他人に感謝しないほうがいい5つの場面:研究結果という記事が出ました。「研究結果」とありますが、特定の研究成果の紹介ではなく、研究知見を整理してわかりやすく紹介した発表の内容紹介です。

「感謝は、日々起こり得るほぼすべてのできごとを解決できる便利な手段です。」、これはさすがに、言いすぎだと思います。ポジティブ心理学とはいっても、ポジティブすぎるでしょう。

「感謝を示すことで期待に反する結果がもたらされるいくつかの状況」の、最初に挙げられたのは、「感謝が過剰になりそうな時」です。PHP 2014年11月号(PHP研究所)で、コウメイという人が、お礼は3回言うというお話を書いていましたが、そのくらいならまだ、感謝しすぎにはならないでしょうか。また、「感謝すべきことを20個挙げられますか?」「では、数を3つにしてみましょう。」、これは利用可能性ヒューリスティックの利用と関連します。

3番目には、「感謝する相手を誤った時」とあり、「相手によっては、まったく感謝する必要がない場合もあります。暴力的な夫は明らかにこれにあたりますが、そこまでいかずともあてはまる場合があります。」とされます。わが国では、だまされての感謝のうちに、殺人グループに取りこまれた例もあります。福岡四人組保険金連続殺人事件です。黒い看護婦 福岡四人組保険金連続殺人(森功著、新潮社)に、客観的に見ると荒唐無稽な言いがかりから、お金だけでなく、感謝も、そしてたましいまでも吸いあげてしまう、主犯格の大胆なやり方がえがき出されています。また、産経ニュースにきょう出た記事、女性20人に140回暴行 暴力団員かたり、強盗強姦の男に無期判決 大阪地裁の事件でも、「組織から復讐(ふくしゅう)を依頼されている。金を払えば助ける」とだます手口ですので、被害者の中には、不適切な感謝の気持ちを持ってしまった人も、いるかもしれません。

娘の「痛恨の一言」と市場に誘引される女性

きょう、gooランキングに、父親として立ち直れない「娘からの痛恨の一言」ランキングという記事が出ました。娘から言われて立ちなおれなかったひとことではなく、「もしも娘から言われたら立ち直れない一言」の、ウェブ調査の話題です。

直接に載っているランキングは3位までで、ほかに「4位は《パパのと一緒に洗濯しないで》でした。」とあります。5位以下や、それぞれの得票率は、同じくgooランキングにきょう出た記事、父親として立ち直れないと思う「娘からの痛恨の一言」ランキング のほうから見ることができます。距離感が分からない親への助言の記事で触れたような態度をとりたくても、こういったことばの前には、たじろいでしまいそうです。

「1位は、《パパ臭い~》でした。」、ここだけほかと異なり、うしろをのばして発音するように書かれています。においがゆらりとただよってくる感じを連想させるようでもあります。

「2位は《パパキモい》。「キモい」と言われて傷つかない人はいませんよね。」、Kの新婚生活の「語り」の記事では、自ら「キモいサイトウ」と名のった人物を出しましたが、例外でしょう。においに比べて、どう対処したら改善できるかが見えにくく、無力感におそわれやすそうです。『お父さんがキモい理由を説明するね』の記事で取りあげたもののように、そこを直球で聞いていくのは、なかなかできないものです。

「3位には《親子だって思われるの恥ずかしいな》が選ばれています。」、こちらはIメッセージのかたちです。新版 女性が元気になる心理学(和田秀樹著、PHP研究所)には、「これまで自己愛が満たされてこなかった人ほど、恥に敏感」とありますが、だからといって、自己愛を満たしてあげなかった父親の自業自得だと決めつけるのも、無理があります。思春期の親子関係を取り戻す 子どもの心を引き寄せる「愛着脳」(G. ニューフェルド・G. マテ著、福村出版)が指摘する、今日の社会にひろがる「仲間指向性の子どもの「偽りの自立」」は、自然なはずの親子の愛着を、「仲間によって歪められた反抗心」によって、恥と思わせる要因になっているでしょう。買いたがる脳 なぜ、「それ」を選んでしまうのか?(D. ルイス著、日本実業出版社)には、「思春期になると、市場で「クール」とされていることを追うのに、常にプレッシャーを感じているといわれる。多くの若者にとって思春期は、自信が持てず不安な時期であり、中でも女性はその傾向が強い。」とあります。仲間から、市場からの誘引に、父親ひとりで抗するのであれば、相当に不利なはずです。

刑務所に入るための人質強要と発想の貧困

きょう、毎日新聞のウェブサイトに、九州道バスジャック:冒頭陳述「刑務所に入りたい」が動機という記事が出ました。

「検察側は冒頭陳述で、事件前に入所先のグループホーム職員から無駄遣いを注意されて所持金を預けたことなどから自暴自棄になり「刑務所に入りたい」と思い、事件を起こしたと指摘。」したそうで、いろいろと気になりました。きょうはちょうど、平成25年度 都道府県・市区町村における障害者虐待事例への対応状況等(調査結果)が発表され、広く報道されましたので、所持金あずかりは経済的虐待だ、施設は悪、などと感じた人もいるかもしれません。そう信じるのでしたら、きちんと調べて、障害者虐待防止法16条の出番を考えてください。ですが、一般に、身体障害ではない障害をかかえた人にとって、お金の管理は、外から思うよりもずっとむずかしいものです。最貧困女子(鈴木大介著、幻冬舎)が、入るお金よりも、その使い方、くらし方、金銭感覚で、「プア充」にも「最貧困」にもなることを明かしたことも、参考になるでしょう。その「最貧困」は、知的障害と関連づけられていました。また、努力不要論(中野信子著、フォレスト出版)は、「だから、格差社会だ、ワーキングプアだと騒いでいる人たち、あるいは当人は、実際に貧困だというよりも、発想力が貧困なのではないでしょうか。」と指摘しています。

「「刑務所に入りたい」と思い」とありますが、ホームレスが屋根のあるくらしを求めてではなく、グループホームがあるのに、人質を取る凶悪犯罪へ走ったのでした。入居型の福祉施設を、刑務所のようだと表現する利用者のお話は、私も聞いたことがありますが、刑務所はきびしい規律がある刑罰の場ですので、乗りかえてしまおうというのは、発想の貧困のように思います。それでも、口だけではなかったところは、評価すべきでしょうか。Chosun Onlineにきょう出た記事、【記者手帳】韓国の従北主義者はなぜ北で暮らさないのかを連想しました。

犯行動機はそういうことで、「自暴自棄」と書けばそうなった本人に問題が帰属されますが、何の関係もない何十人もの人質に恐怖を与えておきながら、元はといえば自分も被害者だと言いたげな印象も受けます。PRESIDENT Onlineにきのう出た記事、なぜ、ごく普通の人が過激な書き込みをするのかで取りあげられた、スマイリーキクチのネット中傷被害事件に似たところを感じました。足立区で四半世紀前に起きた極悪非道な凶悪犯罪を、「地域も年齢もさまざまな人びとが」無関係なお笑い芸人に結びつけ、中傷をくり広げた事件です。19人もが次々に摘発されましたが、「『仕事のストレス』、『人間関係の悩み』、『離婚をして辛かった』、『私生活がうまくいかず、ムシャクシャしてやった』と被害者意識にすり変わって」いたそうです。まるで、いじわるばあさん 4(長谷川町子作、朝日新聞出版)の66ページのように、ものだけでなく感情でも、自分が不快になった穴うめは、無関係な他人を不快にさせて、相対的に「快」をうばうことで、満たせるでしょうか。ふと、氷の仮面(塩田武士作、新潮社)の6章冒頭の、オリンピックのクレーム電話を思い出しました。

将来性のない「口だけ」男と無意識的な体重増

きょう、ハウコレに、ダメンズはダメよ~ダメダメ!行動心理で見抜く「将来性のないオトコ」の特徴という記事が出ました。「法律にも精通する認定心理士。」が書いたもので、Peachyには、将来性のない男性がやちがちな行動 行動心理から見抜くというタイトルがつけられて、転載されています。

4類型が登場しますが、まずは、「言葉だけで行動が伴わない「口だけ」男子」です。「有限実行でも不言実行でも、とにかく体を動かしてチャレンジしないと何事も始まりません。」、精神保健福祉士になりたい中学生の記事で紹介した出岡美咲のことばを出すまでもなく、そのとおりです。「「お前が一番だよ」と言ったそのすぐ後に、他の女性とデートしているという軽い男もNG。」、こんな男は論外です。ふと、よかいちのテレビCMでの、榊莫山の「おにへいもあるで」を思い出しました。

次は、「感謝の気持ちが薄い、「貰って当然」男子」です。「「ありがとう」「ごめんなさい」など基本的な挨拶は、相手を思いやる気持ちから発せられる言葉です。」とあります。すなおに感謝のことばを出しましょう。そういえば、宣伝会議 2014年4月号(宣伝会議)で、田中素直子という人が、「私にとって、言葉で評価を頂けたのはこの上ない幸せです。」と言っていました。

3番目は、「後ろ向きな発言が多い「ウジウジ」男子」です。「世の成功者の共通点を見ると大抵は「ポジティブ思考」であることが第一条件として挙げられています。」、消費者問題の苦しみの記事で触れた、高城れにや岡本杏理の例を思い出しました。ですが、「人生一度きり」の裏の記事でも触れたように、ポジティブシンキングそれ自体はポジティブではありませんし、先ほどの第1類型からもわかるように、行動に移さなければ無意味です。金持ちトーク貧乏トーク 無限の富を生み出す話し方、ドンドン貧乏になる話し方(野口敏著、経済界)が言うように、求められるのはポジティブアクションなのです。

そして最後、4番目は、「堅過ぎて遊びがない「クソ真面目」男子」です。「若い頃から遊びほうけていた人」のほうがよいようで、「就職活動の面接でもこの差は顕著です。いかにも真面目そうな男子より、どこかハジけている男子の方が、人間的に魅力があるように映ります。」とします。週刊現代 2月8日号(講談社)の、就活の集団討論であえて空気を読まずに、暴走することで自分をアピールした帰国子女のお話を思い出しました。

「おわりに」では、「自分のためにも彼のためにも、ダメな関係からは即離れるべきなのです。」と結論して締めます。それでも、男女ともあることですが、また同じような相手を選んで、また同じようにという展開も、めずらしくありません。切ることだけでなく、つい選んでしまうところにも、より注意が必要です。

それで思い出したのが、マイナビウーマンにきょう出た記事、年間5kg太るか5kg痩せるかは、あなたの「無意識」が左右している―米研究です。「なぜか知らないうちに太る原因は、「無意識な選択」」なのだそうです。ちょうど、けさの読売新聞朝刊のまんが「コボちゃん」も、これを思わせるお話でした。

人間の言語情報処理の能力と保守化する若者

きょう、琉球新報のウェブサイトに、『音とことばの実験室』 言語や音楽のしくみに迫るという記事が出ました。

自社で出した、音とことばの実験室(高良富夫著、琉球新報社)を紹介するものです。ことばの実験室 心理言語学へのアプローチ(川﨑惠里子編、ブレーン出版)とは異なり、こちらは全24話からなる「ショートコラム集」です。

第1部は、「機械が捉える物理的な音と、人間が聞く心理的な音との違いの不思議について述べている。」そうです。最近ですと、Journal of Sonic Studies第6巻のThe Harley effect: Internal and external factors facilitating positive experiences with product soundsのような例もありますし、古くて新しいテーマです。

第2部は琉球方言をあつかい、「日本語の母音が「あいうえお」であるのに対して、琉球語は「あいう」の三つである」とあるそうです。「琉球音階が7音階ではなく、5音階であることも考えると興味深い話である。」という評価は、間をつなぐ論理が落ちているようで、よく理解できませんでした。一般に、日本の伝統音階なら、田舎節も都節も、5音音階として理解されます。

第3部には、「人間と動物の違いは言語とその処理能力にあることを示す話題」があるそうです。PROJECT NIM(J. Marsh監督)で取りあげられた「ニム・チンプスキー」も登場するでしょうか。なお、「人間のクイズ王に勝利したIBM社の言語情報処理システム「ワトソン」」も登場するとのことですが、あの名前には、心理学の感覚からは、チョムスキーが行動主義の限界を突いた言語の情報処理の分野で、行動主義をひらいた人物と同じ名前という皮肉が気になってしまいます。

「また、若い方々や中高生が音声や言語だけでなく、琉球ことばや琉球音楽など、日本各地に残るお国ことばや地方の音楽にも関心を寄せる一助となってほしい。」、これは同感です。「日本各地に残るお国ことばや地方の音楽」の例がかたよっているのは、掲載紙を意識したリップサービスでしょう。若者殺しの時代(堀井憲一郎著、講談社)は、これからの時代は日本の伝統へ向かうように、若者に提案しましたが、欲しがらない若者たち(山岡拓著、日本経済新聞出版社)は、すでに若者には伝統回帰のうごきがあることをまとめました。また、ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体(原田曜平著、幻冬舎)や、ヤンキー化する日本(斎藤環著、KADOKAWA)といったヤンキー論は、保守的で日本らしいものごとを好む地方の若者の存在を、表舞台に出しました。そして、この風向きは、地方だけではありません。東洋経済ONLINEの記事、なぜ今人々は都心に住居を求めたがるのか?は、「今、東京の東側の街のブランドイメージは、昔と比べて西側との格差がなくなってきています。今度、千代田区で猿楽町を神田猿楽町、三崎町を神田三崎町にと、「神田」の名前を復活させる案が出ているように、むしろ「下町っぽさ」が日本的な伝統であったり、江戸文化に近いというブランドイメージをつくれる時代です。」と指摘します。では、音楽はどうなるでしょうか。思春期の親子関係を取り戻す 子どもの心を引き寄せる「愛着脳」(G. ニューフェルド・G. マテ著、福村出版)も指摘するように、世代の異なる家族の間で同じ音楽を楽しめないという分断は、若者はいつの時代も親世代が顔をしかめるような音楽を好むためではなく、最近につくられたものにすぎないのですが、伝統回帰はこの分断に、終止符を打つでしょうか。