生駒 忍

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評判の演奏会のための照明と有村架純の怒り

きょう、どうしんウェブに、巨大油絵、LEDで演出 新冠・ディマシオ美術館、色彩40パターン幻想的にという記事が出ました。

「世界最大とされる油彩画(縦9メートル、横27メートル)」、北海道新聞もあくまで、「される」と書いて、距離をおいた評価としました。美術館側の主張は、「高さ(たて)9メートル、横幅27メートルに及ぶこの超大作は、ひとりの作家によってキャンバスに描かれた油絵としては世界最大と言われています。」と、自分が主張しているわけではなさそうな書き方で、Template:誰2を使いたい気持ちにもなります。Ma'an News Agencyに1年半前に出た記事、World's largest oil painting displayed in Bethlehemには、面積では明らかに、ディマシオを超える絵が紹介されました。それどころか、「The previous record was held by a Dutch artist for a 210-square-meter oil painting.」とまであり、そもそもディマシオ作品は、世界には相手にされていないようにも思えます。ちなみに、「ひとりの作家によって」という条件をはずせば、画題が興味を引かないこともあり、日本ではあまり知られていないようですが、Atlanta Cycloramaがあります。

「通常はこれまで通り、自然光での鑑賞だが、今月から開館日の午前11時に、絵に描かれた人物などを青や赤などさまざまな色の照明で照らす7分間のショーを行う。」とありますが、この美術館のブログにきょう出た記事、北海道新聞日高版に掲載されました!は、「ショーは午前1回午後2回の予定で、約7分程の演出になっております。」としています。すでに今月なのに、「行っている」ではないのは、今月はまだ、開館していないためでしょう。当初は週6日の開館だったようですが、いまは週2日です。

「同美術館では、巨大画の前で開くコンサートが評判を呼んでいる。今後は音楽や楽器の雰囲気に合わせた照明に工夫を凝らす。」そうです。このあたりは、ディマシオも納得しているのでしょうか。どんなコンサートで、どれほどの評判なのかはわかりませんが、「白や赤、青、黄色など約40パターンの色彩」で照らす、本来のあり方とは大きく異なる見せ方にされた上に、「音楽や楽器の雰囲気に合わせた照明」ということは、コンサートのほうが中心なのです。買った人の勝手だといえばそれまでかもしれませんが、コンサートの足し、だしに使われる位置にされては、内心は腹をたてているかもしれません。

それで思い出したのが、J-CASTにきょう出た記事、カンニング竹山のツイートが「捏造」され反原発に利用された まとめサイトに非難が殺到し竹山も「迷惑だ」と激怒です。Xenobladepというアカウントが、「竹山さんの11月30日付けツイートの写真や文章を使って、あたかも竹山さんがそう考えているかのように装い独自の主張をしてみせた」事件を取りあげました。よりによって、復興に理解のある芸人に反対の主張をのせるという手口に、とても残念なものを感じます。また、よりによって、激怒する芸で名を売った人を「激怒」させるという組みあわせです。一般に、怒りの感情は、かくしたりごまかしたりして、表に見せないのがマナーですし、表で見られるお仕事をする人なら、なおさらです。そういえば、週刊アスキー 5月13日・20日号(KADOKAWA)で、有村架純は、自分のドラマ出演時について、「なんか、ずっと怒ってて(笑)。」「結構、怒ってましたね(笑)。」としていました。

「ぼくは、どこからきたの?」とSTAP細胞

きょう、マイナビウーマンに、女子に聞いた! あなたが「本当は存在する」と思っているものって?という記事が出ました。

「働く女子のみなさんが「本当は存在する」と思っているもの」のアンケート結果です。ほんとうは、存在するということ自体が、いわゆる「第一の問い」へつながり、大変な難問です。けさの神奈川新聞では、谷井茂久という人が触れていました。ちなみに、その記事には、「インターネットで「ぼくは、どこからきたの?」と検索すると、この問いの扱いに困っている人が多いことがわかる。」とありましたので、きょうはその検索が、多少は増えているでしょう。

「第1位は37.0%で「神さま」でした。」、この割合は納得できるものでしょうか。また、「神様」ではなく、「神さま」という表記なのが、やや気になりました。ドラゴンボールに登場するキャラクターを指すと、3位との関係がややややこしくなるので、こうしたのでしょうか。なお、その「神様」が、海外展開の際に、各国語訳でどうあつかわれたのかも、興味深いのです。

「第2位は28.4%で「幽霊」。」、7位も含めて、きのうの記事に関連する対象でもあります。「死んだ人の魂がどうなるのかは、誰にもわかりませんからね。」とありますが、丹波哲郎はわかっていたようです。丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる(石田照監督)に自ら出ましたが、もう本人が、霊界へ出てしまいました。

「第3位は21.6%で「宇宙人」でした。」ということです。神や霊ほどには、心理学とはかかわらない存在ではあります。それでも、ことし出た本ではたとえば、「金縛り」の謎を解く 夢魔・幽体離脱・宇宙人による誘拐(福田一彦著、PHP研究所)が、大学で教える心理学者によるものです。

最後には、「存在する」ことから、「いる」ことへと、お話がすりかわっています。4位以外は、「いる」でも問題はないでしょう。4位は無生物ですので、「いる」よりも、「ある」がことばとして適切です。そういえば、きょう発表された、ことしのユーキャン新語流行語大賞に、「STAP細胞はあります」は、ありませんでした。

女子高生の集団ヒステリーとフレデリック

きょう、DMMニュースに、女子高生14人が超常現象で病院に緊急搬送されるという記事が出ました。科学では説明のつかない力が女子高生を運んでいったのではなく、超常現象で失神し、結果的に緊急搬送となった事件を取りあげたものです。

「一人の女子生徒が“小さな子供”の幽霊を目撃」、「ほかの生徒達も“子供”を目撃」したそうです。「小さいおじさん」目撃者の記事で触れたような「おじさん」ではなく、子どもで、「おじさん」とは異なり、目にするなり卒倒するほどに衝撃的なものだったのでしょう。そういえば、宮古毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、早期発見が命つなぐ/児童虐待防止推進講演には、「その上で身体的虐待を受けた子供の写真を示した。参加者は重傷を負った子供たちの姿に目をそらし、虐待の怖さを再確認していた。」とありました。ちなみに、日刊SPA!にきょう出た記事、授業で中絶写真を…過激な「中国の性教育」に賛否両論には、「中絶器具に挟まれた状態の胎児を含む生々しい写真の数々のほか、愛人に関する記述もあり、児童らが心に深刻な傷を負ったとして保護者が抗議しているというのだ。」とありました。

「事を重く見た学校側は、午後3時頃には生徒らを悪魔払いを得意とする地元の聖職者、フレデリック・クリエケンビークのもとに搬送。」、ここで引っかかりました。タイトルには、「病院に緊急搬送」とありましたので、病院にいる聖職者ということでしょうか。それとも、「僧院」の誤字だったのでしょうか。

現地の広報官は、「ただちに神父のもとに被害者を送ることが重要」、「悪魔祓いの経験豊富なフレデリック氏のもとに少女たちを送ったことは賢明な判断」とします。Miss PILOT STORY BOOK(フジテレビ原作)には、他機接近のアラートでパニックになり、「小田、フェイルだ」となる展開がありましたが、いざというときすぐに、最良の行動をとれることは重要です。ふと、アリスムカイデの半月前のツイート、「バトルロワイヤルに出てきそうだよね」と言われたのでを思い出しました。また、フレデリックといえば、oddloop(フレデリック)では1曲目の「オドループ」は、PVにそのアリスムカイデを登場させましたが、2番は「思ってるだけで行動」と歌いだされます。1番の冒頭は「踊ってるだけで退場」で、悪魔がとりついて異様な踊りを起こす尼僧ヨアンナ(J. カヴァレロヴィチ監督)を連想しました。始めと終わりとで、おのがループする作品です。

さて、広報官はさらに、「本やビデオの影響がある領域に達すると、子どもたちがそれを真似て妙な儀式などを行う場合があります。」と続けます。デイリースポーツonlineにきょう出た記事、和田アキ子紅白内定時の儀式明かすを見て、まねる歌手が出てきたら、「ある領域」に達してしまったのかもしれません。

もちろん、「事件後には現場を訪れたセブ市災害管理局の担当官は事件を悪魔によるものではなく、集団ヒステリーであると推測している。」、これが科学的、心理学的には妥当な解釈でしょう。「映画エクソシストを例にあげるまでもなく、欧米においても悪魔憑きの被害者は「少女」が多いことから、思春期の不安定な情動を「超常現象」の科学的原因と見る専門家少なくない。」ともあります。思春期は男女ともにありますが、女性のほうがより不安定という前提なのでしょう。思春期病棟の少女たち(S. ケイセン著、草思社)のような世界もあります。

「兵庫県立上郡高等学校で1人の“霊感が強い”女子生徒がパニックを起こし、女子生徒18人以上が倒れるという事件を覚えてる人」は、どのくらいいますでしょうか。1年半近く前のことで、速報ではないのに、「18人以上」として、人数をはっきり書かないのは、いまも書けない何かがあるようにも見えます。「もうやんカレー」社長の記事で書いた、松戸のラーメン屋に関する数のなぞも、少なくとも私は、いまも真相を知らないままです。

作文コンクール最優秀者と臨時生徒総会の写真

きょう、YOMIURI ONLINEに、作文コンクール 高田さん全国で最優秀という記事が出ました。自社主催の第64回全国小・中学校作文コンクールの、文部科学大臣賞の受賞者を取材したものです。

まずは、おめでとうございます。「小学3年生から作文コンクールに応募している常連で、5年生からは2年連続で全国審査の読売新聞社賞を受賞してきた。」、並ではありません。FLASHスペシャル 2014年新年号(光文社)でなぎら健壱は、タモリを「あの人はいじくられて大きくなった人だから。」と評していましたが、世に出たときにはすでに大きくなっている人もいるのです。

「本人は「自信がなかったので信じられない」と、驚きを隠さない。プロローグの部分が「あまりうまく書けなかった」と感じていたからだとか。」、やりたいことを見つける方法の記事で取りあげた、鎌田あゆみという人を思い出しました。また、週刊プレイボーイ 11月25日号(集英社)で宮脇咲良は、「やりきった「つもり」じゃだめなんです。」としましたが、こちらは逆に、まだ完全でなかったつもりだというのに、トップに上りつめました。もちろん、第12回柴田南雄音楽評論賞で、審査では課題に十分にはこたえられていないと評されたもので奨励賞をとった高野裕子のようなこともありますが、本人がそう理解していて応募したのかはわかりませんし、本賞はもらえず、あくまでも奨励賞でした。

「修学旅行でオーストラリアに行き、帰国直前の機内で持病の腸閉塞を発症。シドニーの病院で緊急手術を受けた。」、こんな劇的な体験が、王座への道をひらきました。「「感謝の気持ちを全部、作文にして残したい」。そんな気持ちで、1か月ほど書き続けた。」そうです。すごいタイミングをとらえたもので、やはり大物というべきでしょうか。けさの福井新聞に載った、近者孝一という人の句を思い出しました。一方で、けさの北國新聞朝刊では、田中大暉という人が、「部活が終わり、夏休み中に自主練をしようと思っても、タイミングを逃し、2学期になり、土日の夕方、グラウンドへ行こうと思ってもいつの間にか暗くなり、一瞬を逃すといったように必ず後悔します。」と書いていました。

「担任の谷口哲教諭(38)からも「出された宿題をこなすだけでなく、自発的に学べる子」と、努力家ぶりを認められる。」、そして、「「勉強でもライバルたちに勝ちたい」。この意欲的な姿勢が、執筆の原動力にもなっているのだろう。」ときます。その姿勢に、頭が下がるばかりです。

姿勢で思い出したのが、マイナビスチューデントにきょう出た記事、面接の印象が良くなる「正しい座り方です。吉村ひかるという人に教わったことが紹介されていて、最初にあるのは、「背もたれから拳一つ分ほど前に出て、背筋を伸ばして座りましょう。」です。あたりまえのことかもしれませんが、面接にかぎらず、座る姿勢で印象を落とさないための基本です。

それで残念だったのが、けさの福井新聞の、若狭町立三方中学校の臨時生徒総会の記事です。先ほど触れた句と、同じ面にあります。「ネットルール 生徒作成」といっても、パソコンではなくスマートフォン等が中心で、「午後9時以降だめ、LINE悪口禁止…」とあります。ですが、写真が、発表者の姿勢がよくないことで、態度が悪く見えるもので、残念でした。若者の歩き方の論考の記事で取りあげた記事も、スマートフォンによる姿勢の問題に触れていましたが、そのスマホの問題に立ちあがったところで、姿勢が悪いというのは、皮肉に見えてしまいます。すぐれた構図というわけでもありませんし、何のためにこの写真を世に出したのか、私にはよくわかりませんでした。

死なない渋谷系と常見洋平のきらいな理由

きょう、messyに、「渋谷系」が蘇る、というけれど…そもそも死んでるんでしたっけ?という記事が出ました。ここのところの渋谷系への注目や「リヴァイヴァル」を論じたものです。

「正直な感想を言うと、渋谷系再評価/90年代リヴァイヴァルの流れは「21世紀に入って、もう何度目だよ」という気がして、ちょっと辟易気味です。」、同感です。単なる復活というよりは、ネオ渋谷系、アキシブ系などとして、古いエッセンスのある新しいうごきに、何度も持ち出されてきました。族の系譜学 ユース・サブカルチャーズの戦後史(難波功士著、青弓社)にあるように、「系」という感覚は90年代からのものですが、渋谷系自体も、音楽的には70年代の先端の再評価のような面がありますし、ヴィジュアル面ではもっと、あえてレトロなものを取りいれたうごきだったと思います。

「90年代を代表するファッション誌『Olive』(マガジンハウス)が残した種子は様々な女性ファッション誌に受け継がれ、特に昨年に創刊された『ROLa』(新潮社)は強烈に『Olive』フォロワー色の濃い「文化系女子」推し」とあります。実は、ROLa(新潮社)はまだ一度も見ていないので、そこはわからないのですが、Oliveの力は、先日出たオリーブの罠(酒井順子著、講談社)で、90年代というよりは80年代の感覚でしたが、同時代的な視点からえがき出されたところです。「しかし同誌の現時点での最新号(9月号)メイン特集は「恋よりおいしい肉がある!」。ああ、普通のライフスタイル誌に成り下がってしまっているのだなあと思ってしまいます。」、現時点がやや古いのはともかくとしても、そういうものかもしれません。夜中にチョコレートを食べる女性たち(幕内秀夫著、講談社)には、「現代社会は「食欲」以外で欲望を満たすことが難しくなっている」とあります。また、Oliveの種からといっても、成長を目的と考えない考え方の記事で取りあげたように、種と同じかたちの実がなると考えてはいけないのです。ふと、昨年10月2日付の朝日新聞朝刊の、太田君代という人の、「苗には黒いスイカの絵札がついていたのに」と腹をたてたお話を思い出しました。

常見洋平を登場させて、「常見が渋谷系を嫌う理由として挙げているのは、「妙なお洒落風な感覚、ちょっと敷居の高い感じ、さらには、その人たちのウンチク語りたがりな雰囲気」「自分は渋谷系を知ってると悦に浸り、相手を見下すという面倒くさい存在」。」とします。音楽の世界の「見下し現象」の記事で取りあげたまんがの世界にも近いでしょう。

「結局、90年代文化が“わざわざ”掘り出されて“大袈裟に”再評価されるほど、過去のものになっていない」、「西暦こそ2014年になった今現在でも、90年代の文化は下火にならず、新しい文化と並走しているのではないか」、同感です。特に音楽に関しては、J-POPカテゴリの成立が大きいでしょう。さまざまな「系」が、この傘の下でゆるく混じりあい、外来のヒップホップも、近年ではEDMも、日本では何でもJ-POPに吸収されてしまうようになりました。いったんJ-POP化してしまうと、靖国神社に批判的な人がいう意味での「分祀」のようなことはありえず、渋谷系もまた、J-POPが生きている限りは死なないのです。