生駒 忍

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石坂浩二の最後のあいさつと人物重視の番組

きょう、アサ芸プラスに、石坂浩二、今度の敵は福澤朗!?「新・鑑定団」の所信表明で“脱石坂色”を宣言という記事が出ました。

「スタッフのパワハラ騒動が話題となったが、石坂の最後の挨拶は何ともサバサバしたものであった。」とあります。それでよいと思います。報道ステーションを降りる古舘伊知郎の、8分間にわたる最後の語りは、賛否がわかれたところです。リテラにきょう出た記事、古舘伊知郎が最後の放送で「直接の圧力はなかった」と…でも『報ステ』は明らかに安倍政権から圧力を受けていた!は、そこで明かされた「真相」、「古舘氏は「政権からの直接的な圧力はなかった」と言った」ことを認めつつも、前からとなえてきた圧力説を最後までくり返して、さばさばとはできていない印象でした。

「騒動以後の放送回も、石坂が映る回数が若干増えたような気がするくらいで、大きな変更はありませんでした。」、これは、「撮り方を変えたらパワハラを認めることになってしまいます」ので、想定の範囲内でしょう。しない生活 煩悩を静める108のお稽古(小池龍之介著、幻冬舎)の68や70で説かれたように、軌道修正はむずかしいのです。

「「福澤が『依頼人の方の物よりも、その人の素の部分を掘り下げていきたい』と言ったのです。」、これに対して、「視聴者が求めているのは真偽の定まらぬ鑑定品で、持ち主の素性ではないはずです」、どうでしょうか。ものそのものへの見る目や関心の高い視聴者もいるとは思いますが、いまの時代、テレビをつけている人のどのくらいが、それについていけるでしょうか。ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ(円堂都司昭著、青土社)が、「ロキノン」的自分語りを、楽器のわからない多くの人には音楽を論じられてもわかりにくいのだからと、消極的ながらフォローしたことが、同じようにあてはまりそうに思います。産経ニュースの記事、割烹着とベートーベン 問われた「物語」重視報道の是非も、谷本の指摘についてはTogetterの記事、めいろま氏と古田大輔氏(朝日新聞記者)のやりとりも見てほしいのですが、主題のお話ではなく、それが属する人物の物語が求められてしまう問題を論じました。このパターンはさまざまな場で見られ、NEWSポストセブンの記事、五輪TV中継 日本の選手全員がメダル候補と煽りに煽る茶番劇は、ソチ冬季五輪中継への、「視聴者に、競技よりも人物本位で見ることを強いるわけです。これでは競技そのものの魅力や面白みが視聴者に伝わってこない。」という批判を取りあげましたし、みんなのミシマガジンの記事、あのー、ご趣味はの筆者の態度も、批判をうけました。心理分析があなたにもできる本 イラスト図解版(心の謎を探る会編、河出書房新社)の、「「相手を微に細に知りたがる人」の性質とは」が指摘したような特性の人ばかりではないはずですが、正面から教養を要するものは、広くは好まれないのでしょう。あるいは、テレビをつまらなくする若手の記事で取りあげたように、つくる側も無教養になってきたことで、何でも「人物重視」でつくるのが楽なのかもしれません。