生駒 忍

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児童養護施設内部の性暴力と恋愛商品化の時代

きょう、Daily News Onlineに、【日清食品のCM中止】矢口真里をなぜ起用?過敏対応の舞台ウラという記事が出ました。「日清食品株式会社が7日、3月30日から展開していた新CMの放送を中止した。」ことの騒動を取りあげたものです。

「同CMは、ビートたけしや小林幸子、ムツゴロウなど各界の大御所が登場した大がかりな作り」、これだけ見ると、大手らしいテレビCMです。ですが、矢口真里と新垣隆は、よくない方向性で有名にはなっても、ここに混ぜると小物なのに、かえって目だってメインより前に出てしまい、そのおもしろさのねらい方が裏目に出て、いらだたせてしまったのでしょう。単独では地味で丸いものが、よいところに加わると変に特徴を出すのは、どこでも起こりうることです。食べものでも、週刊朝日 4月8日号(朝日新聞出版)で東海林さだおが、豆大福について、「ぼくは納得できませんね、大福餅になぜ豆(赤えんどう)が混入しているのか。どういう発想でああいうことになったのか。」とし、dancyu 2016年3月号(プレジデント社)では佐藤孝夫という人が、ラーメンに入れる玉子を「見映えにも味にも邪魔だ!!」と非難したように、ネガティブな反応を刺激します。ですが、いちいち腹をたててしまっては疲れますので、PHPのびのび子育て 2015年5月号(PHP研究所)にある乙武洋匡の提案、「感情的になったら、やかんの絵でも描いて×印」などはいかがでしょうか。

「日清は、CM放送問題に直面した過去がある。」とあり、「CM放送問題」とは耳なれないことばなので、どんなものかと思ったら、「2014年1月のドラマ「明日がいない」(日本テレビ系)では養護施設関係者への人権侵害が取り沙汰され、他社とともにスポンサーを自粛した。」ときます。ドラマ名がおかしいのは、ままならない問題、あるいはおまんま抜きという意味をこめたのかもしれませんが、入所児童も関係があるので「養護施設関係者」であるとはいっても、所沢産野菜ダイオキシン事件の記事で取りあげた「葉っぱもの」のように、誤解のおそれがあるとわかるはずの表現がとられたことは、気になります。一方、そういう「養護施設関係者」側から見ると、実際よりもよい側面に、うそくささが感じられていたようです。THE PAGEの記事、虐待受けた子どもたちを取材した著者が語る「明日ママ」――「誕生日を知らない女の子」黒川祥子さんには、「施設出身者の子たちに、「このドラマについてどう思う?」と聞いたら、「フィクションだと思った」と言っていました。その理由を聞いたら、「子どもたちの関係がフラットだから」と。」とあります。現実の関係は、その誕生日を知らない女の子(黒川祥子著、集英社)を見てください。また、イザ!の記事、性暴力で年少者を支配する施設の子供たち…虐待、DV、性刺激の末にも、参考になるでしょう。

「CM擁護派が呆れた様子を示し、クレームに迎合する形で放送中止を決めた日清に「失望しました」と意見」、これもめんどうなことです。この手のパターンは、クレームが匿名であるために、クレームをつけた人に対して、批判的な人が直接に意見することができず、両側がたたかうのではなく、両側からたたかれるかたちになりがちです。

「「このCMでカップヌードル食べたくなるのか疑問」とCMの出来自体を否定する指摘」、これはMore Access! More Fun!の記事、カップヌードルの新CMって、自分にはジュラ紀のそれにしか見えない件で、すでにあったことです。ジュラ紀とは極端ですが、世界的に評価された「Hungry?」シリーズよりも古いという批判をこめたのでしょう。音楽誌が書かないJポップ批評61 DREAMS COME TRUE 恋愛歌マジック!(宝島社)で速水健朗は、ちょうどあのころの、イメージCMがあふれ、「“普通の恋愛”が商品化され」、ドリカムが若者の支持を集めていた、そんな時代の空気と、その3者が並行してかたむいていったことを論じました。時代は待ってはくれないのです。

それで思い出したのが、netgeekにきょう出た記事、國學院大學のパンフレットに致命的なミスがあって声だして笑ったです。本題はもちろん失笑ものなのですが、大学パンフレットで、学長紹介のすぐ右に、革マル派への警戒の呼びかけがあるのも異色です。ここは時代が止まっているのか、時代に取りのこされたのかといった見方は、大学側と革命家側との、どちらに向けるべきでしょうか。

石坂浩二の最後のあいさつと人物重視の番組

きょう、アサ芸プラスに、石坂浩二、今度の敵は福澤朗!?「新・鑑定団」の所信表明で“脱石坂色”を宣言という記事が出ました。

「スタッフのパワハラ騒動が話題となったが、石坂の最後の挨拶は何ともサバサバしたものであった。」とあります。それでよいと思います。報道ステーションを降りる古舘伊知郎の、8分間にわたる最後の語りは、賛否がわかれたところです。リテラにきょう出た記事、古舘伊知郎が最後の放送で「直接の圧力はなかった」と…でも『報ステ』は明らかに安倍政権から圧力を受けていた!は、そこで明かされた「真相」、「古舘氏は「政権からの直接的な圧力はなかった」と言った」ことを認めつつも、前からとなえてきた圧力説を最後までくり返して、さばさばとはできていない印象でした。

「騒動以後の放送回も、石坂が映る回数が若干増えたような気がするくらいで、大きな変更はありませんでした。」、これは、「撮り方を変えたらパワハラを認めることになってしまいます」ので、想定の範囲内でしょう。しない生活 煩悩を静める108のお稽古(小池龍之介著、幻冬舎)の68や70で説かれたように、軌道修正はむずかしいのです。

「「福澤が『依頼人の方の物よりも、その人の素の部分を掘り下げていきたい』と言ったのです。」、これに対して、「視聴者が求めているのは真偽の定まらぬ鑑定品で、持ち主の素性ではないはずです」、どうでしょうか。ものそのものへの見る目や関心の高い視聴者もいるとは思いますが、いまの時代、テレビをつけている人のどのくらいが、それについていけるでしょうか。ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ(円堂都司昭著、青土社)が、「ロキノン」的自分語りを、楽器のわからない多くの人には音楽を論じられてもわかりにくいのだからと、消極的ながらフォローしたことが、同じようにあてはまりそうに思います。産経ニュースの記事、割烹着とベートーベン 問われた「物語」重視報道の是非も、谷本の指摘についてはTogetterの記事、めいろま氏と古田大輔氏(朝日新聞記者)のやりとりも見てほしいのですが、主題のお話ではなく、それが属する人物の物語が求められてしまう問題を論じました。このパターンはさまざまな場で見られ、NEWSポストセブンの記事、五輪TV中継 日本の選手全員がメダル候補と煽りに煽る茶番劇は、ソチ冬季五輪中継への、「視聴者に、競技よりも人物本位で見ることを強いるわけです。これでは競技そのものの魅力や面白みが視聴者に伝わってこない。」という批判を取りあげましたし、みんなのミシマガジンの記事、あのー、ご趣味はの筆者の態度も、批判をうけました。心理分析があなたにもできる本 イラスト図解版(心の謎を探る会編、河出書房新社)の、「「相手を微に細に知りたがる人」の性質とは」が指摘したような特性の人ばかりではないはずですが、正面から教養を要するものは、広くは好まれないのでしょう。あるいは、テレビをつまらなくする若手の記事で取りあげたように、つくる側も無教養になってきたことで、何でも「人物重視」でつくるのが楽なのかもしれません。

「婚活授業」プレゼンの写真と問題化した演出

きょう、NEWSポストセブンに、今井舞氏「フジ局員は本当の意味で危機感など持っていない」という記事が出ました。「番組がスタートして以降、歴代ワースト3となる大惨敗」となった、「27時間テレビ」の惨状を取りあげたものです。

「悪ノリが過ぎて、問題となった演出もあった。」「シャレで済まなかったものもあった。」と指摘します。バラエティ番組なら何でもゆるされると思うな、ふざけるなと言いたい人もいたでしょう。週刊アスキー 5月12日・19日号(KADOKAWA)で小野ほりでいが、「しかし、「ふざけろ」と言われて度を越さず適度にふざけるのはとてもむつかしい。」と指摘したのを思い出しました。

「笑えなかったのが、番組内で明石家さんまが低迷するフジの視聴率を心配した発言をした際、ケラケラとフジ社員が哄笑。」、これを今井舞は、「局員らは本当の意味で危機感など持ち合わせていない」とみたようです。「その他大勢のダメ社員」にならないために20代で知っておきたい100の言葉(千田琢哉著、PHP研究所)には、「人の話に笑うことができる人は、謙虚に学ぶ姿勢のある人である。」とありますが、今度こそ危機感をもって、しっかり学べるとよいと思います。それとも、前からの視聴率低迷を、六角精児の失敗論の記事で取りあげたNE-YOのような感性で表現したのが、今井に「“ピンチをチャンスに変える”“本気になれなきゃテレビじゃない”といった番組キャッチコピーも内輪ネタのひとつ。」と批判されたものだったのでしょうか。「“視聴者置いてけぼり企画”のオンパレード」、左うちわが続いたころに内輪に向いてしまって、スポンサーが中か外かはともかくとしても、外に広く見せるお仕事であることを忘れてしまったのかもしれません。

それで思い出したのが、高知新聞のウェブサイトにきょう出た記事、「いい出会いつくれる?」 高知大学の婚活授業が最終回にです。「“婚活授業”は、心理学や対人関係が専門の増田匡裕准教授が本年度初めて開講した。」とあり、その紹介はありがたいことなのですが、写真に読者に伝えようとする意識が感じられず、出席者へのインタビューがひとつもない中では、暑い中をきちんと取材に出ましたという、社内向きのアリバイのようにも見えてしまいます。キャプションがないと、何の場面かさっぱりわかりませんし、これ自体で注意をひく絵でもありませんし、本文の理解を深めるとも思えませんし、具体的なキャプションを読んでも、そういう実感を読者一般に与えるための絵にはなっていません。SST講話の記事で取りあげた写真のような、キャプションに反する印象はなく、授業の場で考えなしに移動しては、ランダムにシャッターを切れば、こういう写真がたくさん撮れます。そこから、もっとプレゼンに注意が集まっている雰囲気の絵を選ぶくらいでも、ずっとよくなったはずと思いますが、これ以上はありえない授業だったのでしょうか。

偶然に生じた有意差の悪用とロングスリーパー

きょう、日経ビジネスONLINEに、【睡眠論争に決着?】 「ロングスリーパー=駄目人間」ではない!という記事が出ました。

日経ビジネス副編集長が、「本当にロングスリーパーは駄目人間で、長生きすることは出来ないのか、睡眠研究の第一人者に話を聞いてきた。」企画です。LAMSと「増田」の記事でも、このようなことをたずねましたが、「睡眠研究の第一人者」と言われて、皆さんがイメージするのは誰でしょうか。

「あるテレビ局」のお話に、「私は「そんなことをしても企画は成功しませんよ」って」、それでも「テレビ局のスタッフは「ならば、採点項目を寝心地とか寝つきの良さとか100項目ぐらい作ればどうか」と提案」、ねばられたようです。「ボランティアを集め、数十人ずつ2つのチームに分け、それぞれA社とB社の自信作の枕を使って数週間寝てもらう。」というほどの予算がついて、引きにくかったのかもしれません。

それでも、「大量に項目を作れば、何個かは偶然でも「統計的に有意」と言える差が出る項目が出るかもしれない。」、ここを使うのはもちろん、不適切です。何とか差を出さないとというプレッシャーが、あるある大辞典Ⅱに不正を生み、番組は死んだのですが、「偶然でも「統計的に有意」と言える差」の悪用は、あれとは異なる、なぜならでっち上げではなく事実だから、と思っていそうです。あるいは、笑われてもたたかれても、いつか出るはずという信念をあきらめず、ありとあらゆる試行錯誤を積む中から大発見に出会うような、偉人伝的なかたよった科学観とも関連しているようにも思います。そういえば、FRIDAY 6月12日号(講談社)には、ドローン少年について、「女子をいきなり大きな定規で叩いたりするので、とにかく嫌われていました。それなのに、私が知っている限りでも、小学校時代で60人くらいの女子に告白していました。」という、同級生の証言がありました。

そして、スポンサーのからみなどの話題もからませつつ、長く引っぱった後に、ようやく本題が登場します。ロングスリーパー・ショートスリーパーは、よくも悪くも個性なのだからというくらいの結論で、たとえば内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力(S. ケイン著、講談社)のように、ロングスリーパーには実はこんなすばらしい面が、といったタイプの、不利だとされてきた人が元気づけられる主張ではなかったことに、がっかりした人もいるかもしれません。それでも、本題が題どおりにありますので、「バイスティック」の7原則の応用の記事で触れた一部バラエティ番組のやり方よりは、ずっとましでしょう。

テレビドラマのわくの減少と「愚民化装置」

きょう、スポニチアネックスに、ドラマは二極化へ?夏は各局苦戦の様相 深みないと視聴者そっぽという記事が出ました。

「フジテレビ「恋仲」(月曜後9・00)は同局の看板ドラマ枠“月9”史上初の1桁発進(9・8%)となった。」そうです。フジテレビのドラマの苦戦の記事で取りあげた予測のとおり、あるいはそれをさらに突きぬけるほどに、あのわくとは思えない、あわれな数字です。

「テレビ離れや視聴スタイルの変化が叫ばれて久しく、ドラマ枠が減少。」「ドラマ枠は今年4月クールからTBSの月曜8時枠、フジテレビの火曜9時枠が消滅。」とあります。ただし、ドラマのわくが減るのは、いまに始まったことではありません。20世紀末の本、テレビドラマのメッセージ 社会心理学的分析(岩男壽美子著、勁草書房)にも、「番組数、トータルの放送時間ともに減少傾向」であったことが指摘されています。

「ドラマ制作の舵取りが難しく中、ある民放関係者は視聴される作品と、されない作品の差が大きくなりつつある「二極化」の現象を指摘する。」として、「ある種、二極化が進んでいるような気がします」という声を紹介します。ここ数年、ドラマの視聴率というと、今回のようなさえない話題が多い中で、家政婦のミタ半沢直樹の、異常なほどの数字もあったのです。

同じ関係者による、「インターネットとは違い、積極視聴ではないといわれるテレビに、不特定多数の人をどう呼び込むか。」という問題提起があります。ドラマにかぎっては「積極視聴ではない」はずはないと考える人もいるかもしれませんが、テレビに観音びらきのとびらがついていた時代ではありませんし、いまの若者むけのドラマだったら中身がないから、などと早合点するのもよくありません。Amazon.co.jpでとても評価の高い、文は一行目から書かなくていい 検索、コピペ時代の文章術(藤原智美著、プレジデント社)によれば、橋田壽賀子脚本のあの長ぜりふが、集中しては見ていない視聴者層に適していたのです。もちろん、テレビ全体が、積極視聴から相対的に遠ざかっていることは明らかです。週刊アスキー 7月29日号(KADOKAWA)で、4スクリーン時代の最強の「愚民化装置」がテレビとされたのは、まさにここでした。

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