きょう、マイナビウーマンに、え、また一緒!? 他人の生理がうつったと感じたエピソード3選という記事が出ました。
「病気ではないのでうつるということはないかもしれませんが」とありますが、科学的には、長期的にみた同期は生じます。匂いコミュニケーション(市川眞澄・守屋敬子著、共立出版)などをご覧ください。「実際にはうつったというよりも生理になった人が側にいることで「そろそろ生理になるかも」という精神状態になるために、生理になるのかも」とある、間の心理的変数のところを無視すれば、科学的知見と整合しそうです。
「今回は女性たちに「他人の生理がうつったと感じた経験」について聞いてみました。」というものですので、聞き方が影響したのか、ぴったりの同期ではないものは、自分が先よりも、自分が後になるパターンのほうが、多くみられます。前後どちらも収集して比較ができると、うつること自体ではなく、「うつったと感じた」ことの検討として、さらに興味深いでしょう。ここで、自分が先では、カラーバス効果が入ると言いたい人もいると思いますが、その用語がどこから入ってきたのか、英語のようですが海外の論文が初出なのかも、調べてみてください。やさしくわかる高次脳機能障害(和田義明著、秀和システム)が、「カクテルパーティーとラッキーカラーとゴリラ」というコラムで取りあげた際には、タイトルにある3本の話題のうち、カラーバス効果にだけは、研究者名を登場させませんでした。
こんなものは、誰かから誰かへうつる証拠にはならないと言いたい人も出てきそうですが、あくまでも「うつったと感じた」ことを見るものだと考えましょう。教頭ノート2015(北岡隆行著、小学館)に、「「○○のせいにする」ほうが納得しやすく、気分が楽だから」とあるように、人間は因果なもので、実際以上に因果関係を見たがってしまうものです。80年代しりとりコラム(泉麻人著、ファミマ・ドット・コム)に登場する、松田聖子を批判する聖子カットの女性たちや、こちらはフィクションですが、可愛い世の中(山崎ナオコーラ作、講談社)で遥が、「私はママのお人形さんじゃねえんだ」と出ていって、「秋葉原のメイド喫茶」「よりお人形っぽい服装を選んだ」といった皮肉なパターンにさえ、感じるものがあります。マンガで分かる心療内科♥心から感謝です!のきょうのツイート、【自分は人生で成功している】という人ほどのように、原因など出てこないほうが、むしろ健康でいられるというのも、皮肉なものです。
あるいは、この調査のような漫然と事例をひろったものに、エビデンスとしての価値はほぼないと言いたい人もいるでしょう。心理学検定 一問一答問題集[A領域編](日本心理学諸学会連合心理学検定局編、実務教育出版)での図解では、ケースシリーズは、エビデンスの水準としては下から2番目、単なる専門家の意見よりはさすがにましという程度です。ですので、子どもは「この場所」で襲われる(小宮信夫著、小学館)が、「はじめに」の中で、1地点の前後比較にワンクッションを入れて解釈して、犯罪機会論の予測力の「証明」だとしたことに、無理を感じた人も多いでしょう。一方で、特異な事例が得られて道がひらかれるような研究テーマもあり、そのために強いられた無理もあります。TOCANAにきのう出た記事、電気ショックは当たり前! 本当にあった「10の邪悪な社会実験」5位~1位の1位などがそうで、造膣手術が完了したように書くなど、誤解をまねくところが少なくないので、くわしくはAmazon.co.jpでとても評価の高いブレンダと呼ばれた少年(J. コラピント著、扶桑社)で読んでほしい事件ですが、「1965年~2004年」というとらえ方にこめられた批判は、意識しなければいけません。