生駒 忍

記事一覧

コピペ物量作戦の就職活動とカメレオンの誤解

きょう、アゴラに、知らなければいけない「就活の原則」という記事が出ました。

「多くの就活本には、内定を取得する手段として「エントリーする企業数を絞る」ことが書かれています。」、これを正面から否定し、「エントリーは片っ端からおこなうべし」と呼びかけます。古くからあるへたな鉄砲のことわざや、最近は減ったとされますが、ひたすら声をかけ続けるナンパのような世界です。

そんなことをしたら、エントリーシートを書ききれるのかと思いそうなところですが、「エントリーシートの内容が素晴らしくても内定に及ぼす影響度は稀少」、「そんなことに時間をかけるのはムダというものです。」と断言します。「業界別に数パターンのエントリーシートを準備して」、あとはコピペです。「内容も時間をかけて差別化しようなどとは考えないことです。自分が思うほど、差別化したエントリーシートなどはできないからです。」とのことで、たいていの人にとって、変幻自在の差別化などまずできないという点では、同感です。そういえば、動物モビールのつくり方 ゆらゆら動き出す、かわいいカタチ(イワミ*カイ著、誠文堂新光社)には、カメレオンについて、「まわりの色に合わせて身体の色を自由に変えられる…という話は、誤解。」とありました。

練馬大根の地産地消と不適切な人生の基準

きょう、練馬経済新聞に、練馬大根を使った期間限定メニュー、区役所内レストランなどで提供という記事が出ました。

「地産地消の促進を目的に、練馬大根を使った料理を手軽に食べてもらいたいと区が各レストランに依頼して実現した同メニュー。」として、3店舗でのメニューが紹介されます。その3店舗は、それぞれ区役所本庁舎、同西庁舎、勤労福祉会館の中の食堂です。区の産品を区の職員が食べる、区が職員に出した給料を区の建物の中で消費させる、区の地域振興の予算を区の建物の中の業者に使う、といった意味での「地産地消」にも見えます。まずはおひざ元でためして、それから区内各地にひろげたいという考えでしょうか。ですが、「練馬大根は、全国的にも知られる伝統農産物だが、生産量はわずかで市場に出回ることはほとんどなく、入手できるのはこの時期だけ。」というものでは、区役所などで食べた区民が手に入れようと思ってもむずかしく、「全国的にも知られる伝統農産物」としての知名度を区内でさらに高めるくらいにしかならないようにも思います。目標を見うしなって、地産地消をうたうための予算の「地産地消」でおしまいでは残念です。ここは、関心をこつこつつくっていけば栽培もいずれは増えて、市場にももっと出回るようになり、それから本格的な地産地消へつなげるという、長期的な目標設定だと考えたいところです。

そういえば、「こころの力」の育て方 レジリエンスを引き出す考え方のコツ(大野裕著、きずな出版)には、「将来のためには「いま」を積み重ねていくことが大事です。」「長い目で見た目標を持っていれば、自分が進んでいく方向を見失わないですみます。」とあります。正論ですし、若い世代に伝えたいことでもあるのですが、うわべだけになりがちで、なかなか伝えにくいようにも感じます。思春期の親子関係を取り戻す 子どもの心を引き寄せる「愛着脳」(G. ニューフェルド・G.マテ著、福村出版)が主題とした、よりによって身のまわりで基準としてはもっとも使えない人を人生の基準にしてしまいやすい問題は、とても多くみられます。あるいは、教育という名の幻想 子どもの事件を読み解く(秋葉英則著、フォーラム・A)には、「目当てを失った青年群像」のお話があります。きょう、その著者である秋葉の訃報が入りました。ご冥福をいのります。

「ウソをつく人」の心理の講義と不潔な中学生

きょう、DreamNewsに、神戸芸術工科大学 大学院 芸術工学論公開特別講義2014 『自分さえよければいい人』の心理学という記事が出ました。

「「現代のベートーベン」「夢の万能細胞」「PC遠隔操作事件」など、今年はいつになく「ウソをつく人」による社会問題がクローズアップされました。」というところから、講義概要の紹介が行われます。吉田証言、吉田調書、任天堂インタビューなどの一連の朝日新聞問題こそ、今年の重大なうそつき事件だと思いますが、それは例示に使わないのは、まさかとは思いますが、どれもうそではないと理解しているためでしょうか。伍代夏子の虚構ブログはなくてもよいですし、STAP細胞はまだうそとは決まっていないといいたい人もいそうですが、朝日は入れるべきでしょう。それとも、単に劣化する日本人 自分のことしか考えられない人たち(香山リカ著、ベストセラーズ)の宣伝をかねた講義のため、あの内容にあわせただけでしょうか。うそをついた日本人の例をならべて、日本人の問題として批判した本で、最後の章は、「知性の劣化と言論の危機―反知性主義と市場の徹底化はパラレルに進む」という主張へとすすみます。シフト 人生設計の可能な国に向けて(三木建著、出版文化社)に、「こうしたグローバル化に伴う国家や企業の外部的変容が人々の意識にまで悪影響を与え、多くの人々を判断しない、「考えない群集」へと変貌させてしまうということが、日本の将来を考える場合、実はとても恐ろしいことなのです。」とあることにも近いように思います。なお、「考えない群衆」ではなく、「考えない群集」ですので、気をつけてください。

さて、「「自分さえよければいい」「ウソをつくのが平気」という人」のお話は、ベストセラーになった平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学(M. S. ペック著、草思社)など、めずらしくありませんが、「その人たちとどうつき合えばよいのかをいっしょに考える」のは、価値があるでしょう。さらにいえば、そういったうそを、うそでないかのようにひろめて、うそに加担する人とのかかわり方も、加えてほしいと思います。キダの佐村河内批判の記事でも触れたような、Facebookでうその拡散を指摘されて抵抗するような人への対応は、Facebook自体はもう下り坂だとしても、SNSにありがちな現実ですので、「自分さえよければいい」「ウソをつくのが平気」の亜型として、論じてほしいところです。実際の発言とはやや異なりますが、「うそはうそであると見抜ける人でないと」として知られる名言以上のことはなさそうでしょうか。また、釣りなら釣りで、どのようにやり取りすれば、変にいらだったりはせずに、おたがいに大人として、わりきってたのしめるかも、興味があります。

釣りで思い出したのが、YOMIURI ONLINEにきょう出た記事、「発言小町大賞2014」に輝くトピは? 投票お願いします!です。皆さんはもう、投票をすませましたでしょうか。それとも、釣りのにおいの強いものが、あらかじめ排除されていて、つまらなくて投票する気になれませんでしょうか。

においで思い出したのが、その発言小町にきのう出た記事、不潔な中学生をどこまで許容するかです。本題もそうですが、私はむしろ、「その子が言うには、お母さんは電話には出ないとのことでした。なら何故電話番号を教えてくれたのかと尋ねたら黙ってしまいました。」とあるあたりが、ふしぎににおう気がして、気になっています。

「頭を使わない活動」の力とリベラル派の道徳

きょう、ライフハッカー日本版に、クリエイティブな発想を逃さないために、日常に取り入れるべき「3つのB」という記事が出ました。

「3つのB」とは、ケーラーの「ベッド(Bed)、バスルーム(Bath)、そして乗り物のバス(Bus)」です。「バスルームを使ったり、バスに乗ったり、ベッドに横になったりといった活動は、脳の力をほとんど必要としません。」、これが新たなインスピレーション、クリエイティビティをつくり出すとします。つい、音楽の三大Bを連想してしまいましたが、バッハとブラームスとは、斬新なクリエイティビティで世界を革新したとは言いにくく、特にブラームスは、音楽の世界の「見下し現象」の記事で挙げた論争では、保守側でした。一方で、ベートーヴェンは、フーガを好んだところもありますが、耳をわずらってもなお作風が発展する、革新性の強い作曲家でした。親のための新しい音楽の教科書(若尾裕著、サボテン書房)は、「ベートーヴェンの晩年の曲にはけっこうわけのわからないフレーズ」、「最後の三つのピアノ・ソナタとか、弦楽四重奏曲のこれまた最後の三~四曲などがそうです。」「現代音楽につながる意味において、よりむずかしい音楽への布石となったものを探してみると、どうもベートーヴェンの晩年あたりがかなりあやしいのでは」として、これが「ハードボイルドに突き進んだ現代音楽」への道をひらいたと論じています。

さて、この記事の主張は、眠る技術 「起きられない」「寝た気がしない」「やる気が出ない」あなたへ(西多昌規著、だいわ書房)の、「扁桃体を中心とする野生的な脳」の力で、レム睡眠中によいアイデアを得るお話にも近いと思います。また、「頭を使わない活動」によって、着想が頭にうかんでくるという着想には、ありのままを受容されることでいまある自己から変われるという、ロジャーズ派のような逆説を感じます。「その活動は、平穏で、半瞑想状態になれるような活動である必要があります。」とありますが、瞑想から新しさの覚醒が、平穏からある意味では不穏なインスピレーションが、導かれるのです。

瞑想で思い出したのが、ライフハッカー日本版にきょう出た記事、幸福は成功の結果ではなく、成功を導くものであるです。「幸福は、より良い成果を上げるための重要な要因であり、成功へと導くものです。」という、逆説的な話題ですが、中でも、「より幸せになろうと物欲を満たすための出費をすることよりも、瞑想をしたり、人間関係に投資したり、経験を得るために出費したりすること」がよいようです。感情を独立変数側におく視点は、世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ(M. モッテルリーニ著、紀伊国屋書店)のように、心理学の外のイメージのようにも思われていそうですが、SNS不適切投稿の心理の記事で古いという指摘を紹介した認知的不協和理論のように、感情が行動を変えることは、心理学では古くから知られています。

感情で人を動かすことに関連して興味深いのが、リテラにきょう出た記事、なぜ、サヨク・リベラルは人気がないのか…社会心理学で原因が判明!?です。最後は、「われわれリベラルも知性をいったん脇に置いて、“感情”という武器を再び手にとるべきでき時がきたのかもしれない。」と締めるのですが、いろいろと気になるところもある記事です。関心は、リベラルじゃダメですか?(香山リカ著、祥伝社)に近いようですが、問題設定にずれを感じます。「人気がないのか」ではなく、あれほどあった人気をなぜ失ったのか、を考えるべきでしょう。社会はなぜ左と右にわかれるのか 対立を超えるための道徳心理学(J. ハイト著、紀伊国屋書店)を引用していますが、そことのずれにも気づいていないようです。「個々の“家族”(とりわけ子どもたち)を、“他国の”軍事力の危険にさらすわけにはいかないと力説することで大衆の支持を」というやり方は、わが国では駐留アメリカ軍基地の危険性のアピールや、「教え子を戦場に送るな」式の、むしろ左側の戦略にも近いやり方です。「他にも〈ケア〉基盤に重点を置きすぎるあまり、リベラルが劣勢に立たされている場面はいくつもある。」としながらも、「置きすぎる」問題の解消のために「〈ケア〉基盤」から適切な距離をとる提案はされません。雑誌のキャッチコピー対決は、安倍たたきのほうが「今ひとつ」、「おとなしすぎる」としますが、せめて週刊現代くらいは加えないと、同じ土俵での対決にならないように思います。また、見かけは新聞ですが新聞協会には加盟できない日刊ゲンダイなどは、「もはや理性もへったくれもない。いたって下品だ。」の毎日で、「百田尚樹とか嫌韓本みたいな教養のないバカ丸出しのヘイト本」などと書ける筆者の感性にもあうことでしょう。そして、もっと感情にうったえるやり方をとるべきだと言いたいようですが、近年では自衛権、原子力、がれき焼却、オスプレイ、特定秘密と、本質的な有用性を飛ばして、不安をあおれるところに焦点をあてる戦術は、おなじみのものです。それとも、打倒せよ、粉砕せよと連呼した時代に戻したいのでしょうか。テロも、文字どおり恐怖という感情を用いる手段だとほのめかしたいのでしょうか。ハイトの、「リベラルの道徳基盤は〈ケア〉〈公正〉〈自由〉の3つに依存するが、一方の保守主義者は6つすべての基盤を用いていることが分かった」という知見から、「6つすべての基盤に訴えかけることが原則的に不可能なリベラル」と規定しますが、残り3本も、少なくともわが国の左翼運動は、内部では重視してきたはずです。「忠誠/背信」「権威/転覆」「神聖/堕落」が、異論を封じる民主集中制、革命のためには手段を選ばない「確信犯」、レーニンや毛沢東の礼賛や解釈学、立場にずれのあるセクトを「トロツキスト」「反革命集団」などと規定しての排撃、査問や「総括」といった暴力をささえる価値なのではないでしょうか。もちろん、「その種のオッサンたちからしてみれば、いろいろとトラウマがあるのだろうから」と、ぼかしたくなるほどの過去に戻る反動ではなく、再出発にはクリエイティブな発想が求められるところではないかと思います。

愛人の暴露とLINEいじめをしやすい高校生

きょう、産経ニュースに、「女の存在に苦しんだ」栩内被告 売人は「渡したのはポテチやポッキー」 混乱するASKA事件公判という記事が出ました。URLからは10月31日の記事のように見えますが、10月21日午後の2件の公判を取りあげたものです。

「被告の揺れ動く心の内」とあるように、無罪の主張はそのままで、知らないうちに薬物を使われたように見せてきたのを、メールの件は「実際には何もされていない。ASKAさんの反応を見るためにカマをかけた」、使われた可能性も「そんなことをする人ではない」と、変えてきました。一方で、かばう方向に徹したいわけでもなさそうで、「自分以外の存在にも言及があった。ASKA氏にはモデルをしている愛人が存在したという。」と、さらなる暴露が続きます。その愛人は「出会ったころからの悩みの種だった」そうです。そういえば、エンタミクス 2014年10月号(KADOKAWA)では、中西美帆が、「この世で最も怖いのは、人の心の変化や、恨み、妬みの感情だと思うんです。」と言っていました。

薬物の入手ルートのほうも、無罪の主張はそのままで、ゆれています。MDMAではなく「(渡したのは)ポテチです。お菓子を渡しただけ」と言いだし、これは弁護人との打ちあわせと一致しない主張のようです。そうだとすると、ポテトチップスにずいぶん高いお金をはらわせたようです。

それで思い出したのが、DMMニュースにきのう出た記事、水樹奈々コラボ第6弾も「ポテチ大量放棄」再発を危惧する声です。またも、ポテトチップスに大きなお金をつぎ込む人が出てきそうです。5が月前に起きた、「6月10日にライブ応募券が付いたポテトチップス約1000袋、約200kgを不法投棄したとして、会社員の男が逮捕される事件」の再来だけは、あってほしくありません。応募方式の変更はあっても、先月からアクリルアミドの発がん性が話題になっていますので、そもそも買うなとは言いやすくなった一方で、全部食べなさいと強くは言いにくい要因も加わりました。こういう売り方自体が根本的に否定されるべきといえばそれまでかもしれませんが、対策しにくい問題です。

対策しにくいといえば、産経ニュースにきょう出た記事、女子高生は自殺した 「レスキュー隊呼んどけ」と同級生から脅され、身体特徴を揶揄され…獰猛「LINEいじめ」、学校も親もついてゆけずに、LINEでのいじめは「把握は一層難しく、自治体や学校では対応し切れていない」、「文科省は「周囲から確認するのが難しい」と説明」、「女子高生の自殺があった熊本県教委の担当者も「LINEいじめへの対策が追いついていないのが実情だ」」とあります。大人が知らない ネットいじめの真実(渡辺真由子著、ミネルヴァ書房)にはすでに、携帯電話の子どもへの普及の問題として、性にかかわる不当な要求が、家にいても家族が気づかないところで次々に加わり、あっという間に自殺に追いこまれた男子生徒の事例がありましたが、本質的なところは対策できそうにありません。「声を出して会話するコミュニケーションよりも、LINEの書き込みによるコミュニケーションがメーンになっている子供もいるという。」とあり、これは危険要因と思われます。あすまで開催中の日本教育心理学会第56回総会の、きょう午後にあったポスター発表、高校生のLINE使用と,いじめ,友人関係,心理面との関連 ―仲がよい3人の友人とのコミュニケーションに着目して―では、「仲のよい友人とのコミュニケーションが対面で少なくLINEで高い群が,他のどの群よりもLINEいじめの加害者となりやすい」ことが報告されました。また、そのとなりのポスター、高校生の睡眠に関する研究 ―スリープマネジメントの視点から―では、「寝るときは携帯電話を枕元から離す(または電源を切る)」のは、がんばってもできそうにないことのワーストのようでした。