生駒 忍

記事一覧

福祉をかねた朝食サービスと早起きの京都人

きょう、京都新聞のウェブサイトに、「100円朝食」学生健康に 京都文教大、障害者施設で調理という記事が出ました。

大学での朝食サービスの導入は、関西福祉大学「朝活」の記事でも紹介しましたし、京都文教大学とは無関係な、文教大学でもこの春から始まりました。京都では立命館大のものが、比較的よく知られているでしょう。それに比べるとやや出おくれた、この京都文教大がユニークなのは、「学生に栄養バランスの良い朝食を食べてもらい、学習意欲の向上を図るとともに、障害者の働く場の確保を目指す。」と、中にも外にもよい効果をねらったところです。学習意欲のほうは、記事の最後に登場する「広報課」はほかの大学のものだと思われますので、これからだんだんとのびるという期待でよいでしょう。早死にする仕事、長生きする仕事 働き方を変えれば、寿命は10年延びる!(古井祐司著、マガジンハウス)の、スモールチェンジの原則の1番目は、「目先の結果を求めない」です。ですが、障害者がはたらく場のほうは、サービス開始の時点ですでに、一定の確保ができているはずです。この程度ではたらく場などと呼ぶのはかん違いもはなはだしい、もっと実施日や作業の規模を拡大しないといけないという考えなのでしょうか。

発案者は、「宿直や早朝のアルバイト、遠方からの通学で、朝食を欠食する学生が多い。」とします。きょうの福祉にきょう出た記事、大学の朝食サービスにには、「朝食を食べすに登校する学生」という表現がありますが、ここでは食べないのではなく、くらしのつごうで食べられない学生を想定したもののように見せています。一般に、朝食サービスには、早起きの生活習慣をつくる、ないしは守るというねらいがあるものですが、その側面は見せません。文研世論調査ファイル:4つの生活時間圏で、朝寝坊率が54%で日本一となった京都ですので、そういう効果もねらってよいと思いますが、どうでしょうか。もちろん、京都人は、かつての支配層の遺産でのんびりとくらす人ばかりだと思ってはいけません。早起きする人もいますし、その調査ファイルでは、仕事時間の長さでも、京都は日本一です。永守重信の、いつも一番乗りで出社して、元旦の午前中だけは休むはたらき方は、あまりに有名です。また、「餃子の王将」で知られる王将フードサービスの社長であった大東隆行も、早朝から出社していましたが、そこをねらわれて、昨年12月、凶弾に倒れたのでした。あらためて、ご冥福をいのります。

生殖器を切って逃げる韓国男性と危険なカード

きょう、ハウコレに、ケチ?それとも浪費家?「あなたの今の金銭感覚度」診断という記事が出ました。「今のあなたが貯蓄に向いているときなのか、散財しがちでしっかりお財布のひもを管理しなくてはいけないときなのか」という、特性ではなく状態としての金銭感覚をとらえるもののようです。

「ふとお財布を見ると入っていたはずのお金がなくて焦った、なんて経験はありませんか?」、私はあります。私はありませんが、この記憶の誤りが、悪意の誰かに結びつくと、もの盗られ妄想に化けます。逆に、「使わないときには全く使わないので、「なぜかお財布にお金がたくさん入っている」ということも場合によってはあるでしょう。」とはあるものの、入っていないはずのお金が入っていてあせるという方向からの妄想は、なかなか起こらないようです。認知心理学の新展開 言語と記憶(川﨑惠里子編、ナカニシヤ出版)で、その理由を考察したのですが、誰かこれを、実証研究にのせてはいませんでしょうか。

「お金を使うときには、まず深呼吸して、本当に必要な出費なのかどうか考えてから使うようにすると、余計な出費をしなくてすむはずです。」とします。「本当に必要な出費」の基準は、ベビーカー問題の記事で書いた「必要」や「必需品」のようなことがあり、むずかしいところですが、銃の所持を待たせ、熟考の機会をつくる「冷却期間」のような効果はあるでしょう。そういえば、XINHUA.JPにきょう出た記事、生殖器や指の切断 韓国の兵役逃れの実態が明らかに―韓国メディアは、かなりのアクセスを集めているようですが、「生殖器や指、肩関節の切断」は、2年間とてんびんにかけて、よく熟考してのことなのでしょうか。それでも、「快適な自由な現代生活と厳しい階級制のうえ新兵いじめが日常化した軍隊との巨大なギャップが若者に与える影響は推して知るべし」とあるのは、うなずけるところです。わが国には兵役がありませんが、ゆるく生きたい若者たち 妙に大人しく謙虚な世代の心理(榎本博明・立花薫著、廣済堂出版)の指摘、「それまであまり叱られずにきた若者は、注意されたり叱責されたりすると大きなショックを受ける。その衝撃は、叱られ慣れている中高年世代の想像を絶するものとなっているのではないか。」が、これに似たところがあるように思います。怒る吉木りさの記事で触れたお話にも関連します。

さて、「カードで散財してしまわないように現金だけを持って出かける」、これもありきたりかもしれませんが、効果はあるでしょう。お金と交換されている実感のないクレジットカードは、とても気楽ですが、あぶないものでもあります。特殊な例ですが、新・発達が気になる子のサポート入門(阿部利彦著、学研教育出版)には、有名私立大学の「ジングウジさん」が、「友だちにクレジットカードを見せて自慢していたところ、ある飲み会で「このカードを使うと、ここの支払いが全部タダになるんだぜ」と、騙されて支払いをしてしまった」というお話もあります。

モネよりピカソを好む乳児と声優の「代表作」

きょう、It Mamaに、なんと!赤ちゃんは共通して「ピカソの絵が好き」と判明!?という記事が出ました。Psychol. Aesthet. Creat. Arts第5巻の、What is it about Picasso? Infants' categorical and discriminatory abilities in the visual arts.を取りあげたものです。

「子どもがグズりそうでなかなか美術館などに出かられていない家庭もあるかも」とあります。ふと、枕草子大事典(勉誠出版)によれば七一段から七七段までのぶれがある、「ありがたきもの」を思い出しました。七二段としたうつくしきもの 枕草子(清川妙著、小学館)は、銀は見ばえ、鉄は実用性で、清少納言の主張は「外見も内容もいいってことは、ほんとうにむつかしいこと。」だとしました。その主張から750年ほどして、小野小町の子孫の家で、鉄であったことから悪事が露見するお話ができました。その50年後に創業された木屋の毛抜 團十郎はステンレス製ですが、磁性はあるのでしょうか。

さて、「キュビスムの巨匠『ピカソ』と印象派の代表『モネ』」とあります。「巨匠」と「代表」とのどちらを使っても、大きなまちがいではなさそうですが、使いわけてあります。どちらかといえば、表現として無難なのは「巨匠」でしょう。日本語版ウィキペディアのTemplate:声優では、荒れやすいことなどから、「代表作」が取りのぞかれました。

「9ヶ月の赤ちゃん」が「ちゃんと他の絵とのテイストの差を見分けていることが先ずは驚きですよね。」、その気持ちはわかります。ですが、単に弁別ができるという程度であれば、ヒトでなくてもできます。ピカソを見わけるハト ヒトの認知、動物の認知(渡辺茂著、日本放送出版協会)を見てください。もちろん、ほかの動物が、人間と同じように美を感じている保証はありません。「大人の領域とされる芸術作品にもリアクションできるほどの明らかな好み、芸術的センスが赤ちゃんにはあるのです。」とあるのは、そう考えると言いすぎで、理解や「芸術的センス」までは保証されません。The Japan Newsの記事、Learning to Look at Faces and Be Looked atで、市川寛子・中央大学助教が、新生児が顔を注視するとされる現象に示した解釈も、参考になるでしょう。

「今回の実験で分かったのは、赤ちゃんは可愛らしい絵だけを好むわけではないということ。」、注視を好みとイコールでとらえれば、これはいえそうです。ですが、「可愛らしい描写が特徴的」な絵本を持ちだして、「実際に赤ちゃんが好むのはそういったテイストではないかもしれない」、ここは気になります。キュビスム絵画を「そういったテイスト」よりも相対的に好むかどうかは、試してみないとわかりませんが、「そういったテイスト」が絶対的に好みではないとは、考えにくいと思います。

「芸術に触れるのに、早過ぎるということはないのですね。」とあるのも、少々言いすぎかもしれませんが、早すぎると悪い影響があるとも考えにくいでしょう。もし、悪影響があるのだとしたら、この実験の参加者がかわいそうです。また、幼いころから本物に触れることがどのくらいよいのかは、実証的にははっきりしないところがありますが、実は本物をわかっていない親が、まだ早いなどと逃げるのは、よい態度ではないでしょう。子どもの成長のために、手ぬきはよくありません。そういえば、実践につながる教育相談(黒田祐二編、北樹出版)には、「ここで重要なのはすべの子どもが成長することです。」とありました。

給料日に来る社長と「無責任一代男」の政治

きょう、新刊JPに、社長がいつもいない会社が潰れない理由という記事が出ました。

「『任せきりでも10億円!週休5日社長の 任せる力』(すばる舎/刊)は、 仕事を上手に「任せる」ことで、部下の自発的な成長をうながし、チームとして大きな目標をに向かうための方法が明かされています。」とあって、文法やスペースの使い方に引っかかりはしますが、任せる力(真藤昌瑳熙著、すばる舎)の著者へのインタビューです。また、「バイスティック」7原則の応用の記事で触れたような、タイトルからはわからない、途中までの記事です。

永守重信ほどではなくても、一番はたらいているのが社長という会社は、どこにでもあります。トップがそうだからみんなついていくのだと、よくいわれるものです。ですが、このお話はまったくの別世界です。「指示待ち」撲滅! デキる社員のつくり方(日経トップリーダー編、日経BP社)は、スケジュールはがら空きで、それでいて雑務はしない平成建設の社長を、好意的に取りあげましたが、それよりもさらに下です。本のタイトルには週休5日とありますが、「実は週二日も行ってないんです。」「今月は一回出社したかな(取材日は9月下旬)。あとは給料日くらいですね。」とのことです。8月の広島土砂災害救助の首相視察をめぐって、トップが現場に行く必要性が議論になりましたが、ここはさまざまな考え方があるところです。わが国では、作家や俳優が国のトップになるのはまだでも、タレント性あふれる人物が知事に選ばれることは、ここ20年足らずでふつうのことになりました。その場合に、知事が知事室にはあまり行かず、外にばかり出ているという指摘が、批判的に行われることがあります。一方で、それもその人を選んだ民意のうちと割りきるだけでなく、トップは大所高所から決断や号令をかけることと、その成果が思うように出なければ、金枝篇 上(J.G. フレイザー著、筑摩書房)の「王殺し」ではありませんが、責任をとることとが仕事で、成果さえあげれば手段は問わないのが合理的でもあります。出張は多くても出庁はという点の批判も多かった石原慎太郎は、このままでは財政再建団体にとも心配されていた東京都を、みごとに立てなおしました。都財務局が4月に出した、東京都の財政状況と都債(資料編)の9ページや11ページを見ると、平成11年の就任から、破綻への道がとどめられ、反転へと進んだことがわかります。禁断の人員削減に手をつけただけだと思う人は、10ページで、石原以前や全国の傾向と見くらべてください。それでも、知事が毎日庁内を回って、こまめに電気を消したり裏紙を使うよう見はったりしていれば、もっと財務を強くできたはずなのに、ゆるせないと言いたい人はいるのかもしれません。

関連して、「それでわかったことですが、よほどのトラブルが起こった場合は別として、上司がいないから仕事が回らないことなんてまずありません。だって、人事異動で何も知らない上司が来ても会社は回るでしょう?」ともあります。石原都政の前が、それにより近かったかもしれません。青島幸男は、議員として「政治」家の経験はあっても、立法府の、それも参議院のほうだけ、しかも首相指名は必ず棄権したほどで、行政にかかわる経験は何もないまま、都政をにぎりました。ですが、世界都市博覧会中止の無理を通したくらいで、あとはよきにはからえとばかりに、よけいな手は出さなかったので、赤字を出しながらも、都政は回ったのでした。1期で「無責任一代男」は「ハイそれまでョ」となり、参議院にも戻れないまま亡くなりましたが、東京オリンピックの開会からちょうど50年のきょう、2度目のオリンピック・パラリンピックへ向けていきおいづく東京を、天国からどんな思いで見ているのでしょうか。

変わり種の天ぷらと鼎泰豐の小龍包の濃厚さ

きょう、いまトピに、もみじだけじゃない!天ぷらにすると美味しい意外すぎるあれこれという記事が出ました。

もみじの葉に衣をつけて揚げたものが、海外で話題になったことを受けて、ツイッターに出た変わり種の天ぷらの画像を集めたものです。タイトルを見て、宮島の揚げもみじかと思いましたが、ほんものの葉のほうです。揚げもみじであれば、少なくともアメリカの大衆文化にとっては、そこまでのおどろきはなさそうです。ロケットニュース24に3年前に出た記事、ビスケットのオレオを揚げて食べてみた / 冗談ぬきで恐ろしいほどウマイ!のような世界とは、地続きのように思えます。

さて、この記事は、たとえばzakzakの同名記事など、いまトピのほかのあちこちのサイトに、もちろん了解の上で、掲載されています。ですが、こちらのオリジナルとは、やや文面が異なります。基本的には、大量の画像の掲載がされない環境で、読みやすく、あるいは最低限、つじつまがあうように、意識して手が入っていて、親切だと思います。ですが、冒頭の「こんにちは。」の後の改行がなくなるところから始まって、その目的とは関係のなさそうな変更もあります。天ぷらの列挙のところを見ると、アカシアの花、ねぎ坊主、アボカド、ミニトマト、りんごで、不一致があり、後ろの3種には加筆があって、イメージをしやすくする意図だと思われます。アカシアの花は、「アカシアの花は」をとって、くり返しをさけました。気になったのはねぎ坊主で、「葱のうまみがぎゅっと詰まった濃厚な味。あのアラビアンな形状のかわいらしい部分…」と、前に書きたされました。前段は、見た目からのイメージではなく、味そのものが断定的に書かれて、ほかとは異なる味つけです。しかも、干しいもには、「フツウのさつまいもの天ぷらより、味が濃厚で美味しいのだとか。」とあって、距離をとった表現ですが、比較基準も明確ですし、濃厚なのだろうと想像しやすいのですが、ねぎ坊主は、そこまでではありません。ですので、筆者はすでにためして、確認してある可能性が濃厚でしょう。ですが、いまトピの外に出すほうにだけ、これを書きたしたねらいは、よくわかりません。

また、天ぷらに濃厚な味というのは、もう若くないからかもしれませんが、私には少し、違和感があります。ふつうの揚げものですし、実際には油をたくさん含んでいるのは知っていますが、あっさり、さっぱりした食べものというイメージが強いのです。江戸の食文化の感覚としても、天ぷらが濃厚、濃い味では、違う気がします。粋の文化もありますが、初がつおがあれほどまでに競って求められ、とろはせいぜいねぎま鍋、今日のような珍重とは無縁で、そばつゆは先を少しつけるだけ、そういう感性です。濃い味でおいしいものも多いですし、あれこれを取りすぎてしまうくらいに味の強いものが好まれやすいことには、進化的な理由もあるのですが、それぞれの食文化の伝統の味も、大切にしたいものです。そういえば、紗倉まなの工場萌え日記にきょう出た記事、バリからの秋葉原。は、「バリの食べ物は日本人の舌に合う味付け」としながらも、「どれもばくばくと食が進んでしまうのは、多少濃く味付けされているからでしょうか、、、。」と指摘しました。

濃厚で思い出しましたが、マイナビウーマンに今日出た記事、週末旅行にぴったり! 絶対にうまい台湾グルメ5選!は、鼎泰豐の小龍包を、「濃厚」を3回も使って紹介していました。私は、池袋店の味しか知らないのですが、ここまで書かれると、本場の濃さには、少し気おくれしてしまいそうです。一方で、あっさりした料理の紹介もあります。京星港式飲茶のおかゆで、私はむしろ、こちらに興味をひかれましたので、やはり若くないのかもしれません。ここで気になったのは、そこにつく揚げもの、油条の説明です。「中国の揚げパンのようなもの」とあって、言いたいことはわかるのですが、やや落ちつかない表現であるように思います。「中国の揚げパン」、あるいは「揚げパンのようなもの」とすればすっきりするのですが、どちらも落としたくなくて、こうなったのでしょう。似たものに、基礎英語3 2014年6月号(NHK出版)の、「トルティーヤ(一種のメキシコのパンケーキ)」があります。