生駒 忍

記事一覧

特典商法の可否と『ダイバー』の表紙買い

きょう、ORICON STYLEに、「特典商法」に対するユーザーの本音~“楽曲以上”の価値には疑問という記事が出ました。ゴールデンボンバーの特典なしシングルの記事で取りあげた挑戦に触発されてのアンケートのようですが、調査時期は、ローラの傷だらけ(ゴールデンボンバー)の発売より少しだけ前です。

「音楽や書籍のデジタル配信が普及し、ネット上で気軽に作品を楽しめるようになった今、CDや紙の書籍などリアルパッケージを多くの人に手に取ってもらうため、イベント参加券や特典といった“付加価値”を付けて販売することはもはや当たり前となっている。」と書き出されます。「当たり前」のことへの可否を、行うほうではない人にたずねる意味に引っかかりを感じた人もいるかもしれませんが、タイミングはともかくとしても必要ではある消費税改定への社会調査などもありますし、していけないものではないと思います。むしろ私は、「デジタル配信が普及し」という前提に、少々引っかかりました。デジタル配信が知られるようになったのは、事実でしょう。ですが、100円のコーラを1000円で売る方法(永井孝尚著、中経出版)で、与田が省エネルックを、「つまり、話題になったのに普及しなかったんだ」と評したように、配信が広く使われるようになったかというと、どうでしょうか。日本レコード協会による有料音楽配信売上実績で、この10年の動向を見てください。

「女性はNOの割合が64.4%と高くなった一方、男性はYESが48.8%、NOが51.2%とほぼ半々。」という結果です。男性でも、否定が多いと言えば多いのですが、男女とも500人ずつと思われますので、肯定244人に否定256人で、二項検定をかけてみると、両側仮説でp = .623となります。

回答のコメントについては、選んでいるのかもしれませんが、自分の損得や好みでのものが意外に少なく見えます。肯定派は業界や時代のことを考え、否定派は音楽の本質が守られない不安を表明して、現実対原理の構図がうかびます。

「かつてはCDショップや書店に出向き、ぶらぶらしては“ジャケ買い”などをして楽しむ人が多かったものだ。」、私も若くないので、この感覚はわかります。「ジャケ買い」、なつかしいひびきです。この買い方は、特典目あてとはまた別のかたちの、音楽の本質に基づかない選び方でもあるといえます。ですが、紙の辞書をすすめる人のようなことを言うと、ここにはセレンディピティのたのしみがあります。大すべりもありますが、食わずぎらいのままではのがしてしまう出会いもありますので、興味が、そして人生がひろがります。そういえば、月刊ダイバー 2014年10月号(ダイバー)には、おにぎりという人が、月刊ダイバー 2014年9月号(ダイバー)を「表紙買い」したことから、ダイビングがしたくなったというお話がありました。

人間関係への違和感と大学のいじめへの介入

きょう、OKWaveに、「人間関係」がどうの、ってうざくない?という質問記事が出ました。

「人間関係」になやんでいるという人々を見ての、自分の違和感を5点にわけて示し、反応を求めています。ですが、オリジナリティあふれる主張というよりは、ひと目見てわかるように、嫌われる勇気(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)に触発されたものです。ツイッターとフェイスブックそしてホリエモンの時代は終わった(梅崎健理著、講談社)のSNS論にも、「人から認められようと必死になり過ぎたり、逆に嫌われることを怖がり過ぎたら、間違いなく行き詰まってしまう。」とあります。これだけ伝統のしがらみが解体されて、「砂のような個人」の時代が来てもなお、孤独な心(落合良行著、サイエンス社)でいう「明るい孤独感」に満ちた明るい社会は遠いようです。世界中をフラットかつクールにつなぐサイバースペースでは、結局は日常の人間関係とつながったウェットな場にこそ、人が集まるようになりました。先ほどのうめけん本、ツイッターとフェイスブックそしてホリエモンの時代は終わったには、「ツイッター、フェイスブック、LINEと、形を変えながら浸透しているSNS……しかし重要なポイントは一つで、それは「すべてが人間関係に集約される」ということだ。」とあります。

4点目までは、1文目はおおむね正論でしょう。もちろん、現実はそう美しくはありません。たとえば3点目では、「強い気持ちを以て、」「外部の支援者の支援を仰げば」と続きますが、そこまではできたとしても、その先はわかりません。同じくOKWaveにきょう出た質問記事、議員さんにブログで晒しものにされています・・・を思い出しました。大学でのいじめ、モンスターペアレント、議員の介入と、外からはリアリティのないお話と思われそうな相談です。

5点目、心理学の世界ではそもそも、「人間関係」はあまり使われず、以前からずっと「対人関係」です。ほかに「対物関係」や「対動物関係」などがあって対比したいわけではないのですが、interpersonal relationsの意訳として、定着したのだと思います。また、ヒューマン・リレーションズ、人間関係運動とまぎらわしくては困るということもあったのでしょう。なお、それとは別の流派の団体に、福岡人間関係研究会があります。公式ウェブサイトは、3か月以上更新が止まって見えますが、そこの方々と私とは人間関係がないので、どういう状況なのかはわかりません。

関係がないで思い出したのが、リアルライブにきょう出た記事、35歳の無職熟女が生活保護費で男子中学生を買春です。こちらは、関係がなくなることをおそれて、LINEでおどしたことから発覚しました。生活保護費「三重受給」なぜ可能? 「不正できる仕組みなくせ!」と怒りの声生活保護受けながらネットで1000万円超荒稼ぎ 逮捕の男は本当に「記憶喪失」なのか、そして美玲ちゃん殺害の君野康弘どんな男?生活保護受け酒浸り...裸で街中ふらふらと、いずれもJ-CASTの記事ですが、生活保護受給者によるさまざまな犯罪が続く中で、こちらは「あってはならない関係」の性犯罪です。神戸の事件も、容疑者に「幼児的破壊行為が残っている」 精神科医・日向野氏 神戸女児遺棄事件は、病的な性欲がらみである可能性をほのめかしています。これらが、事件と関係のない、欲をおさえてくらす生活保護受給者に対する偏見につながるのが心配です。これは、「強い気持ちを以て、」「外部の支援者の支援を仰げば」解消できるようなものではないのです。

「うつ病」という記号と常習飲酒家の定義

きょう、マイナビニュースに、うつ病とアルコール依存、"恐怖の関係"とはという記事が出ました。「桐和会グループの精神科医・波多野良二先生」による解説と監修で、書いたのは栗田智久という人です。

「「うつ病」という言葉が社会に浸透してくる」、これは事実で、正しい理解、適切な理解をともなうかどうかはともかくとしても、ことばとしては知られるようになりました。ですが、このあたりには、さまざまな議論があります。「うつ」は病気か甘えか。(村松太郎著、幻冬舎)によれば、社会の認識は「支持期」から「困惑期」へ、そして「病気として優遇されているという立場の無神経な利用、増長」が決定打となり「嫌悪期」へと進むそうですし、「「うつ病」はつけ足しの記号に過ぎない。」「「うつ病」という病気と、診断書に書かれている「うつ病」という記号は、別のもの」と明かされます。こころのかぜという比喩表現は、ある意味で革命的でもあったのですが、違和感もよく指摘され、週刊東洋経済 1月18日号(東洋経済新報社)では由起という仮名の人物が批判を行い、うつ病は軽症のうちに治す!(和田秀樹著、PHP研究所)は一定の評価を与えつつも、「自然治癒の可能性は低い」「怖い病気」として危険性をうったえています。

「うつ病とアルコールは「卵とニワトリ」の関係」、「アルコールとうつ病は、診療の現場では『ニワトリが先か卵が先か』と同じで、はっきりとしたことは分かりづらいことも多いです。」とのことです。大阪の貧困(耕文社)にある、アルコールやギャンブルへの依存と、孤立や貧困とが悪循環を起こすような過程なのでしょう。

認知行動療法が「うつの対症療法としても活用」とあるのは、気になる表現です。むしろ、うつに対しては原因療法としての側面が大きいのですが、誤解をまねきそうです。

「飲み薬にはシアナミドやアカンプロサートなどがあります。」との紹介があります。後者は、なじみのない名前だと思った人もいると思いますが、アルコール健康障害対策基本法の記事でも触れたレグテクトが、これです。

「医療現場では、日本酒に換算して一日3合以上飲む人を『常習飲酒家』、5合以上飲む人を『大酒家』といいます。」、高田班のアルコール性肝障害診断基準試案にあるものだとしたら、それが5年以上という条件も書きたしたいところです。ちなみに、同友会メディカルニュース 2013年5月号に、「5日間以上継続と定義されています」とあるのも、高田班のもののつもりだとしたら、誤りです。

原宿ドッグの名前の由来と堺市の「変な給食」

きょう、東京バーゲンマニアに、どうして「原宿ドッグ」って名前なの? 「ベルギーからの刺客」が運命を変えたという記事が出ました。

「「原宿」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか? 記者(20代)は、なんと言っても「原宿ドッグ」。」、私には共感できない書き出しですが、あの名前の由来は、私もずっと気になっていました。筆者がどこから調べたかというと、「特許庁のデータベースによると、「原宿ドッグ」はニチレイフーズの登録商標。」、これは盲点でした。もちろん、あまりにあたりまえなやり方なのですが、まさかと思い特許電子図書館商標検索を確認してみると、登録番号は第5225921号で、5年半ほど前からの登録だとわかりました。後に出てくるように、そのニチレイが発売したのは1987年でしたが、調べが早いと、ここから足がつくという順当なルートはたどれなかったわけです。

「ニチレイフーズの広報に聞いてみることに」、すると「若者に人気があり、流行最先端の街である原宿のイメージ」から原宿なのだとわかり、「原宿発祥だから、ということではなさそうです。」とされます。変な給食(幕内秀夫著、ブックマン社)は、近畿地方の学校給食に出された原宿ドッグを、「賑わう竹下通りを、有名店のクレープや原宿ドッグを片手に歩いていたら、憧れのアイドルと遭遇なんかしたりして、キャーッ!! などという妄想を楽しめばいいのでしょうか?」といじりましたが、意外によい線だったようです。ふと、4年半前にあった、原宿竹下通りが見たこと無いような大混雑! 異常に人が集まりすぎて将棋倒しかの騒動を思い出しました。よくも悪くも、Twitterの力が見えた事件でした。トピックニュースにきょう出た記事、温泉旅館による宿泊客への反撃がネットで話題に 「サービス云々の前に会計はして下さい!」のように、どこかでルートに乗りはじめると、とにかく速いのです。

さて、この記事は、一般人が原宿ドッグを入手するのはかんたんではなさそうな雰囲気を出していますが、通信販売でかんたんに買えます。ニチレイ 原宿ドックミニ、40本入りです。『月刊ケアマネジメント』の校正の記事で触れた「パット」のように、「ドック」になっています。

最後は、「チーズワッフル片手にコーヒーを飲む」シーンで締めくくられます。この組みあわせは、私にはぴんときません。14歳の周波数(吉川トリコ作、実業之日本社)で鮎子が、アネゴから肉まんとミルクティーとをわたされるシーンを思い出しました。

デング熱フィーバーへの批判と反応が悪い人

きょう、アピタルに、ある病気に関する報道への疑問という記事が出ました。

タイトルで「ある病気」とぼかされたのは、デング熱です。「軽微な病気」であれば「一時的に会社を休むなどの影響はあるかもしれませんけど、入院や慢性疾患などでなければ、人生が大きく変わるほどのことはほとんどの場合ありませんよね。」、厚労省は「デング熱の予後は比較的良好です」としていて、よってデング熱くらいで「人生が変わることもなく」、こんな大さわぎはおかしいというのが、筆者の主張です。デング出血熱まで含めなくても、軽微とは言いきれない感染症だという見方もあると思いますが、二分脊椎にくらべればはるかに軽微だと返されたら、皆さんは反論できますでしょうか。

「デング熱の疾患の問題ではなく、感染ということに対する危機意識の薄さなどが問題なのだと思うのです。」とします。ですが、筆者が批判する報道や社会的反応は、これまでうすかった危機意識の、改善のあらわれなのではないでしょうか。もちろん、東大院生の買春の記事で触れたSFTSのような、はるかに死亡率の高い感染症との不均衡は奇妙なのですが、抽象論で感染症への警戒をうったえてもなかなか届きませんので、デング熱への注目から感染症への意識や理解が高まれば、本質的な問題へのアプローチにつながります。

「職場で「蚊が飛んでいる!」などと大騒ぎして、激しく殺虫剤をまいている方を拝見すると、私はつい冷たい視線を送ってしまうのです。」、心情的には理解できます。気になるのは、ここに書いてさしつかえはないのかというところです。職場というのは、みのりCafeのことでしょうか。大さわぎする客に、店主が冷たい視線をあびせるのは、めずらしいことではありませんし、飲食店で薬剤をまかれたら、もっと強く反応してもいいくらいです。ですが、一般的には、そういう迷惑客のエピソードを、有名サイトに書くことは、よいこととは考えにくいようにも感じます。それとも、さわいだのはスタッフのほうでしょうか。それでも、店主の自分とは意識がずれた従業員の行いを公開するのは、自主退職をうながすねらいなのかもしれませんが、そういうやり方をするお店には、私はあまり行きたいとは思えません。

「一時的に仕事も休むことになるかもしれません。」の問題を軽くとらえているようなところも、評価が分かれそうです。筆者は、無拠出年金も社会手当ももらい続けることができますし、身体障害者手帳ですので佐村河内事件のような場合でもなければ取りあげられることはありませんが、そういった権利をもたない人にとっては、お仕事ができなくなることは、収入がゼロになる危険と直結します。雇用保険の対象外のはたらき方をしている人も、世の中にはたくさんいます。また、会社づとめであれば、病気で予告なく抜けた人のお仕事を、まわりが何とかして埋めないといけませんので、とても迷惑をかけることになります。埋めきれなければ、お仕事が回らなくなって、会社がまるごとかたむいてしまうかもしれません。

自分のまわりに迷惑をかけることの問題も、あまり考えていないようです。交通事故のたとえを使って、めったに死なないデング熱の予防に必死になるのはばかげていると主張したいようですが、感染症がどういうものか、理解できていないのかもしれません。デング熱にかかることは、自分がしばらく苦しむだけではなく、ほかの人にも感染させて苦しめ、そこからさらに広がって苦しみを広げていく可能性をもちます。基本的には、蚊に刺されて感染するのですから、その人がまた刺されない保証はなく、そこからほかの人へと病気を、苦しみを広げてしまいます。また、報道ではありえないことになっていますが、人から人への感染も、ごく低い確率でですが起こります。垂直感染もあります。物心つく前に免疫をもらえるのだから、むしろしあわせだとでも考えるのでしょうか。

「そろそろその報道スタイルを変えるか、本質にしっかりと切り込んで社会提言するか、あるいはエボラ出血熱のようにもっと人生を変えてしまう可能性が高い病気などに対象を切り替えるか……しませんか?」と提案します。どこで感染者が出ました、これで何人目です、こんな病気なのでここに気をつけましょう、という紋切り型の反復の意味の薄さには、同感です。ですが、「本質にしっかりと切り込んで社会提言」、これはどんなイメージなのでしょうか。かかってもたぶん死にません、感染源の公園に立ちいらせない行政はおかしい、と言ってほしいのでしょうか。私も、セアカゴケグモ騒動などを思い出しながら、医学的なリスクの視点ではやや過剰な面を感じますが、報道側もわかっていてこう報じているのだと思います。連日のエボラ出血熱の報道が不安を高めたところに、続いて出てきたことで、イメージが混ざっている視聴者も出ているでしょうし、関心が存在する以上は、ニュースバリューがあるのです。また、報じなくなれば、かくしている、政府の圧力だ、製薬会社の陰謀だと、迷惑な解釈をあびることでしょう。

「twitterでハッシュタグを #患者道場 としてご投稿していただければ」と呼びかけます。私なら「ご投稿いただければ」と書きたいことはともかくとしても、どんな議論が展開されているのかと思い、見てみたところ、過去の一連の連載まで含めて、#患者道場にはわずかしか反応がないようです。そういえば、あたりまえだけどなかなかできない 教え方のルール(田中省三著、明日香出版社)には、「反応が悪い人」への教え方もありました。