生駒 忍

記事一覧

日本男子が勝てない理由と「災害地でうなぎ」

きょう、YOMIURI ONLINEに、(下)誰が最初に2時間の壁を破るのか?という記事が出ました。8日前に出た(上)優れたランナーが持つ3つの特質に引きつづいての、42.195kmの科学 マラソン「つま先着地」vs「かかと着地」(NHKスペシャル取材班著、角川書店)の書評です。

ゲブレシラシエ、マカウ、キプサングと取りあげてきて、「マラソンで勝つためには、いかに「心」の領域が大きな比重を占めているかを実感させられた。」、ここが引っかかったようです。「最後の最後で精神性の領域に踏み込むのであれば、「42.195kmの科学」というタイトルが説得力をなくす。」のだそうです。心理学は科学ではないと言われているような気になり、いちいち腹をたてたりはしませんが、がっかりではあります。

「昨今の日本男子ランナーがなぜ世界で勝てないか?」「その答えは作中冒頭のゲブレシラシエ取材の中に」として、世界最貧国で「高橋尚子が、有森裕子が、このような豪邸に暮らしているだろうか?」と言わせるほどの大豪邸をもち、国のヒーローとなっていることに着目します。そして筆者は、「科学でもなんでもなく、マラソンという競技に対する国民性そのもの」に、強さの根源を見いだします。

いまの日本で、国民の誰もがあこがれて、手がとどけばあとはどんなに豊かなくらしもゆるされる職業は、ありますでしょうか。日本に限ったことではないかもしれませんが、他人に言えないようなお仕事ではなく、むしろ世間ではかっこいいと見てもらえるものであっても、いいお金が入ることだけは、かくさないといけないような風潮も感じます。日経BPネットにきょう出た記事、政府が許す誤報、許さない誤報で、和田秀樹は「私の臨床心理の大学院の学生やOBの臨床心理士とともに」行うボランティア活動のお話から書き出して、「週刊朝日」での連載でヴェロニカ・ゲリン(J. シューマッカー監督)を紹介する中で、「日本の新聞記者は、世界でいちばん給料をもらっているのに、いちばん殺されないという。」と書いたら編集部から撤回を求められ、「私は、日本の新聞記者が湾岸戦争などの際にも危険地域に入らず、またニューヨーク・タイムズの倍も給料をもらっていたのを知っていたので、それに応じず、「ボツにするならボツにしたらいい、その顛末記を週刊誌に語るから」とつっぱねた。結果的に記事は載ったが、次の月にクビを言い渡された。」と書きました。また、数ある日本の新聞社の中でも、朝日は特にということもあるでしょう。週刊新潮 9月25日号(新潮社)の西原理恵子のまんがも、お金だけではない格差までえぐっていて、「災害地で水もないのに朝日だけうなぎ弁当」のこまには笑いました。

松本人志の自虐と「論文盗作」騒動のその後

きょう、トピックニュースに、「ガキ使」のフリートークについて、松本人志が自虐的なコメント「今やったとしても、前ほど面白ないよ」という記事が出ました。

吉本の松本と東野とのやり取りは、北岡錯視のアルバム採用の記事でも取りあげたことがありますが、今回は適切な内容でしょうか。「ガキの使い」の名物コーナーであったフリートークについて、「今やったとしても、前ほど面白ないよ」「衰えてるもん」と言ったそうです。筆者は、「自虐的にコメント」というあつかいにしましたが、自虐や謙遜なのか、まわりからは口がさけても言えない真実なのかは、実際に復活させてみないとわからないところではあります。ガジェット通信にきょう出た記事、数年前に朝日新聞が「新入社員に贈る驚くべき出世心得10ヵ条」で自虐してた?の指摘のように、一般にはわかりやすい皮肉だと思われていたものが、実は自虐だったとみるとわかりやすいというわかりにくい皮肉もあります。

ダウンタウンはもうあきた、あきられたという論評は、あきるほど見てきました。実話時代 2013年11月号(メディアボーイ)には、メディアの構造に問題があってあきられたという、大がかりな解釈がありました。一方で、松本について、アーティスト症候群(大野左紀子著、河出書房新社)の「自分流症候群」を思わせる監督業がうかがわせるように、取りまきや取りいりに囲まれ、外の声が聞こえなくなったという見方もあります。そういえば、13歳の男の子に、親が教えるキーワード(松永暢史著、日東書院本社)には、「勉強ができない子どもに多い外出時のヘッドフォン」の話題がありました。

それでも、大物になったお笑いは、お払い箱にはなかなかならないのは、ビッグ3がなお健在であることからもわかります。ビートたけしの仕事を選ばない仕事ぶりは、売れないままの弟子をかかえたままだからだともいわれますが、どうでしょうか。週刊ポスト 9月19・26日号(小学館)でたけしが、「お笑いなんて教えるもんじゃねェし」と言ったのは、皮肉でしょうか。また、タモリは、「いいとも」終了でセミリタイアしたように見られがちですが、フジは来月から、深夜番組「ヨルタモリ」でタモリを呼びもどし、改編の目玉にするようです。「いいとも」で育てた関根勤の映画には、「芸能ニュース」ラウンジにきのう出た記事、関根勤、初の映画監督!さんま&タモリら豪華出演に「ふたりが共演するのは『大霊界2』以来(笑)」のタイトルのとおりの、豪華共演をしました。そのさんまは、「からくりTV」の終了が話題になりました。それでも、需要がある限り、これからも電波に乗りつづけることでしょう。

さんまの需要で思い出したのが、北日本漁業経済学会の「論文盗作」騒動です。学会ウェブサイトでは、あの号の目次は見られないままですが、その後どのようになったのでしょうか。すっかり忘れていたので、少し検索してみたところ、ミルクカフェには、重要:本掲示板に関する謝罪広告(裁判上の和解に基づく)というものものしいスレッドが立っていました。また、ブログ記事もそれなりにあったはずなのですが、主要なものは削除されてしまっています。それでも、ある女子大教授のつぶやきなどは無事です。

ゴルフでの効力期待と自由権訴訟の本気度

きょう、ParOn.に、【ゴルフ心理学】調子が悪い時は、今できることを実行しようという記事が出ました。

「結果期待」と「効力期待」という用語が登場します。これがバンデューラのものだとすると、ややねじれた印象の展開です。まず、ショートゲームできっちりカバーしていけば優勝するという結果期待はあまりなかっただろうという推測が、先に書かれます。ですが、効力期待の議論では、「藤田プロにとっての“~すれば”は、ショートゲームでのカバーであったと考えられます。」と書かれます。では、ショートゲームでカバーすれば、何が結果として得られると考えたのでしょうか。優勝では、結果期待の推測とはうまくなじみません。はなれた段落にばらしてはありますが、別々の結果に対する結果期待と効力期待とが同時に登場して、しかも後者のほうでの結果が明示されないのでは、読みにくく感じます。

「一流メジャーリーガーに対する調査でも、絶好調は全体の1割で、ほとんどは普通か、ちょっと調子が悪い状態であり、どんな状態でも、今できること、できないことを把握して、今できることをするのが、メジャーリーグで生き残るすべであることが報告されています。」とのことです。その研究報告を、不勉強な私は把握していないのですが、「絶好調は全体の1割」はともかくとしても、直観的には納得できるところです。こちらはサッカーですが、ひらめき待ち批判の記事で取りあげた、宮間あやのことばを思い出しました。

「自分とプレーオフを戦う人はイヤでしょうね。大きなミスはしないし、ボギーを打たないから」、優勝した藤田寛之プロのことばのようです。林修の仕事がうまくいく「話し方」講座(宝島社)は、「消極的」の言いかえとして「堅実」を示しました。抑うつのパラドックスのようですが、ライバルが積極的にリスクを取り、自分の努力にかかわらず向こうの成否で勝負が左右されるという外的帰属の無力感と、相手はまったくペースを乱すことがなく、ほぼこちらの成否だけで勝負が決まる内的帰属の自責感と、皆さんはどちらのほうが、よりこわいでしょうか。もちろん、「究極の選択」のような回避-回避のコンフリクト状況ではなく、現実には、逃げる自由もあります。

自由で思い出したのが、msn産経ニュースにきょう出た記事、「禁酒通知は自由権侵害」と損害賠償1円請求 福岡市に職員です。福岡市の飲酒運転問題については、市職員逮捕者続出の記事で取りあげましたが、2年以上前の1か月の「禁酒」から、現行憲法で職場に1円を要求する勝負、本気の修羅の世界なのかどうかよくわからないところも、外野としてはおもしろく感じます。そういえば、どちらも1年ほど前に出たものですが、CROSSBEAT 2013年11月号(シンコーミュージック)では久保憲司が、マヌ・チャオがどこまで本気かはわからないとうたがい、週刊文春 9月19日号(文藝春秋)では適菜収が、民主党政権をリング型と表現して、プロレスのようでどこまで本気かわからないと評しました。

さいころをふる心理実験と「はてな村奇譚」

きょう、Yahoo!知恵袋に、大学で学ぶ心理学はどんなこと、どんな勉強をするんですか? 大学は行きたい学部...という質問記事が出ました。

心理学に興味を持ってもらえるのは、とてもうれしいことです。すでに、心理学に統計が求められそうなことも伝わっているようで、数学をがんばる意識があるのも、ありがたいです。

「私は心理学は名前的に人の感情や性格について研究するのかな、と思ってましたが、調べてたら、なんだかサイコロ?をふって次は何が出るかとか…?えって思いました。」とのことです。「名前的に」サイコロジーなのでさいころ、という連想ではないはずですが、心理学について調べていて、何かの心理実験で、そういうものが登場したのでしょうか。むずかしい学術書はともかくとしても、ことし出たものではたとえば、話のおもしろい人、へたな人の心理法則(内藤誼人著、PHP研究所)に、「ミネソタ大学のジョセフ・レッデン博士は、70人の学生を集めてサイコロゲームをしてもらった。」とあります。私は、確率的に有利な選択肢を選ばない人が4割近く出る、反直観的な確率的判断課題かと思ったのですが、著者はそこの議論はせずに、こまかいことはいいからシンプルにしようと、相対的剥奪の記事の最後に触れたような結論へと進めます。不勉強な私は、この研究を知らず、そこで論文を探してみたのですが、うまく見つけられませんでした。もちろん、一見するとそれらしく見えるものとして、Unpacking unpacking: Greater detail can reduce perceived likelihoodの実験1がありますが、こちらはイェール大学のS. Frederickとの共著で、ゲームをさせた役割が筆頭著者だけにあったのかどうかは、書かれた範囲では不明ですし、61%という割合はあっても3択での選択率ではありませんし、3条件のうち3番目以外は内容が異なり、同じ実験だとしたら中学生レベルの誤訳だと考えなければいけませんので、著者に失礼でしょう。

また、その半年後、つまり最近出たばかりの良い習慣悪い習慣 世界No.1の心理学ブロガーが明かすあなたの行動を変えるための方法(J. ディーン著、東洋経済新報社)には、「ダイスセラピー」が紹介されています。精神科医が、自分の行動を、用意した選択肢からさいころで決めることで、退屈、終わりなき日常どころか、自我からも解放されるほどになったとあります。ですが、このアレアで、コンセプチュアルアートのような生き方は、すぐ後に明言されているように、フィクションです。こちらも不勉強で、私は読んだことがないのですが、The Dice Man(L. Rheinehart作、HarperCollins)の主人公のことなのだそうです。

ただし、さいころの目は、人間の意思と無関係とは限りません。一定の訓練で、ねらった目を出せるようになることが、早稲田大学での研究で判明しています。実は私も発表に立ちあった、確率事象に対する運動制御の検討です。著者の片方は有名な心理学者で、また、謝辞には「本論分の執筆にあたり、ご助言いただいた、早稲田大学人間科学部の井出野尚先生に厚く御礼申し上げます。」とあります。制御幻想だと思われがちなものが幻想ではなくなる可能性を示す知見で、信じられない人は、実験参加者8名で有意差を出したシンプルな実験ですので、ぜひ追試に取りくんでください。

さて、心理学に限らず、外から期待されるイメージが、その学問の中の見方や考え方とずれることは、しばしばあることです。以前に、子ども電話相談室の記事で、心理学よりも文学になじむこころへの関心について書きましたが、大学へ入ってみたけれどどうしてもなじめないままの4年間では、おたがいに不幸ですので、よく見てから選んでください。きちんと見ずに、頭の中でつくったイメージばかりで入ると、興味ゼロどころか、マイナスへ落ちてきらわれかねないので、こちらとしても困惑します。

それで思い出したのが、はてな匿名ダイアリーにきのう出た記事、はてな村奇譚ウザすぎです。興味のなさではなく、嫌悪感の表明で、かなり共感も集めていますが、「5回位で終わるかと思ったらもう19までやっててほんまウザい。」という理解が、やや気になりました。すでに3作目、はてな村奇譚3でもう、「前回、前々回の2回で終わる話ではなく、全50ページくらいになる予定です。 」と公表しているのですが、そこは見ていなかったのでしょうか。あるいは、きちんと見ずに、5ページと誤読したのでしょうか。それとも、自分にはよい作品とは思えないので、スターもページビューもすぐ減って、あの人は5回もすれば投げだすにちがいないと読んでいたのでしょうか。

湖南市の「郷土資料集」と見えない加護亜依

きょう、京都新聞のウェブサイトに、地域の偉人や伝承紹介 滋賀・湖南市教委が冊子発刊という記事が出ました。

「身近な地域の歴史や伝承、先人の努力や現在も活躍する住民の取り組みなどを分かりやすく紹介している。」とのことで、「社会福祉に貢献した糸賀一雄さん」も登場します。糸賀一雄生誕100年フォーラムの記事でも取りあげた偉人ですが、「社会福祉に貢献した」というゆるい説明だけでなく、さんづけなのも気になりました。気やすく呼ぶなということではなく、故人なのにという点でです。やきもの検定テキストの記事で触れた大樋年朗のあつかいではありませんが、わが国では一般に、存命かどうかで人物の書き方が変わり、「さん」や「氏」をつけるかどうかが左右されがちです。京都新聞は、すでに亡くなっている著名人も、さんづけでそろえる方針なのでしょうか。ですが、明らかに故人である龍池藤兵衛は、呼びすてです。

発案者は、「道徳の資料として活用できるように編集されたのは県内でも珍しいと思う。」と評します。お目にかかったことはありませんが、おそらく今も心身ともに健康な方だと思いますので、广州日报にきょう出た記事、戳穿别人的“夸大妄想”要谨慎にあるようなことはなく、むしろ謙虚に見えます。比較の基準が「県内」、それも滋賀県なのです。週刊ポスト 9月19・26日号(小学館)でも明らかにされたように、滋賀は地域紙のシェアが小さい土地で、「みんなの滋賀新聞」の離陸直後の墜落もまだ記憶に新しいでしょうから、京都新聞側やその読者層を考えて、こういうコメントをしたのかもしれません。

冊子のタイトルは、記事本文では「伝えたい故郷の話 心の教育・郷土資料集」となっています。写真にある表紙を見ると、そのうち後半は副題で、ダッシュにはさまれています。ですが、写真のキャプションは、「湖南市の先人の功績や地域の歴史などをまとめた「郷土資料集」」です。副題の、しかも後ろ半分を切りだして、この冊子の呼称に使う、あまり見かけないやり方です。もちろん、一般名詞として、郷土資料集ということばが使われることはありますが、そうであればかぎかっこは不要です。揶揄的な意味もふくめて、文章を書くのがラクになる100の技(佐久間功著、技術評論社)の「カギカッコの基本」の3番目になるとも考えにくいです。

ですが、ふしぎなキャプションには、もっと上があります。SST講話の記事で取りあげたものもそうですし、きょうはさらにおかしなものが出ました。スポニチアネックスからlivedoorニュースへと転載された記事、小籔「ド素人が黙れ」騒動を“清算”コヤソニで加護、しばくぞおじさん和解です。「加護亜依(右)と握手するしばくぞおじさん(左)。中央は小籔千豊」とあるのですが、私には小籔のアップしか見えません。写真拡大をクリックしても、小籔がさらに大きな顔をするだけです。Pouchに1年前に出た記事、りんかい線の「マナー向上」ツイートが謎すぎると話題/3人がけの座席にゆるキャラが2体…マナー違反ちゃうのん?のように、実はとても小さな姿で両側からはさんでいるのかとも思いましたが、まだ見つけられていません。