生駒 忍

記事一覧

博多座オーケストラピットと軍艦島の3D画像

きょう、NETIBNEWSに、博多座、珍しいオケピ動画を配信中という記事が出ました。

「8月公演のミュージカル「レディ・ベス」は、シルヴェスター・リーヴァイ作曲の音楽も大きな魅力とあって、生演奏を行うオーケストラ・ピットに注目が集まっている。」と、あっという間に書きたいところへ飛びこむ早わざを見せます。ふと、キュンとしちゃだめですか?(益田ミリ著、文藝春秋)に登場する、とんびのような「サラリーマン風の人」を思い出しました。

すぐ、「博多座You tube公式アカウント「博多座チャンネル」では、「オケピ探検隊」と題し「オーケストラ・ピット」にスポットを当てたオリジナル動画を作成している。」ときます。公式なのに、向こうの正式な名前の書き方はせずに「You tube」にしたのが、少々気になりました。そういえば、きょうの毎日新聞夕刊で、柚木葵という人も、間をあけて「You Tube(ユーチューブ)」という書き方を使っていました。YouTubeを知らないような世代ではなさそうなのですが、まわりの学生に、知らないと知られておどろかれていますでしょうか。

一連の動画は、知っている人には冗長でつまらないかもしれませんが、興味深い内容を含んでいると思います。「全国的にも大変珍しく」とありますが、海外でもなかなかないことです。オーケストラピットからの客席のながめは、理屈ではこう見えると見当がついても、はるかに見上げる奥行き、立体感のインパクトがあります。

立体感で思い出したのが、msn産経ニュースにきょう出た記事、軍艦島を3D画像化 長崎市役所で公開中 「行ったつもりになって」です。「土日祝日を除く9月19日まで、市役所1階ロビーのモニターで公開する。」とのことで、私は見に行けそうにありませんが、見に行った人はぜひ「行ったつもりになって」ください。

「子どもホスピス」建設と「実現」の「願い」

きょう、タウンニュース南区版に、六ツ川NPO 「子どもホスピス」建設へ 準備委員会を発足という記事が出ました。

「ホスピス建設には約3億円の資金が必要で、実現に向けた具体的な取り組みは停滞」というところに、1億円の寄付が入って、準備委員会が立ちあがるところまで進んだようです。この記事を見て寄付を決める人が出ることも期待できますし、「音楽家よるチャリティーコンサートなどのイベント」も開くそうですが、予定どおりにいきますでしょうか。その予定ですが、冒頭のほうでは「今後、同委員会はホスピス実現に向けた広報活動などを進め、県内で2020年ごろまでの建設を目指す。」とする一方で、後ろには「5年後をめどに県内の建設を目指す方針」とあります。面白いほどわかる! 他人の心理大事典(おもしろ心理学会編、青春出版社)は、結論は最初と最後とにおくのがよいとしますが、前後でずれがあるのです。委員会とNPO代表理事とで、認識のずれがあるということですと、今後がやや心配なところがあります。

ずれで思い出したのが、奈良新聞のウェブサイトにきょう出た記事、限定運用の問題指摘 - 市民団体が集会/精神障害者医療費助成です。県の方針と市の運用方針とがずれて、市のほうに批判的な集会が開かれたそうです。また、私としては、写真の光景も気になりました。たくさんの「実現」と「願い」とが提示されて、見たところ半々ではなく、実現のほうがやや多いようです。たくさんのねがいで少しだけ実現ではなく、少しのねがいからでも多くを実現というねがいをこめたのでしょうか。

こども電話相談室と文学から心理学への移行

きょう、NEWSポストセブンに、こども電話相談室 素朴な疑問よりも重たい人生相談が増加という記事が出ました。安室奈美恵の「洗脳」、精子だったころまで出てくる「胎内記憶」、竹内久美子の新連載と、心理学者がよくない反応を示しそうな話題も多い女性セブン 9月4日号(小学館)からの、意外に心理学とからむ部分の抜粋です。

専門家が組んでいるのかもしれませんが、「ちょっと聞いてョ!おもいッきり生電話」のようなショーには走らない、古典的なカウンセリングのかたちがうかがえます。「まずとことん話を聞くことから」「わかったつもりにならずに『それってこういうことなの?』と確認」「相手の気持ちに寄り添って、本当につらかったんだねと同調」、そして「答えは相談者が出すことなので、ぼくたちが出しちゃいけない。」ときます。「昔、近所にいた“おせっかいおばさん”の代わりが必要とされている」そうですが、いまは学校にカウンセラーが入り、先生方にカウンセリング・マインドを学んだ人も多くなったはずです。まだカウンセラー不足なのか、カウンセラーの力不足なのか、いずれにしてもその補足になるのなら、ありがたいことです。

「相談内容は、「いじめられているのに学校も親もわかってくれない、死にたい」「両親がケンカばかりしていてつらい」という人生相談が圧倒的に多くなった。」、番組リニューアルのねらいどおりといえばそれまでですが、時代の流れを感じます。多少の読み書きさえできれば、ネットの力で、正しさやわかりやすさはともかくとしても、一般的な事実についてははるかに手に入りやすくなりました。ですので、知りたいことの専門家がスタジオに来る週に、知識を声で教わる時代ではなくなったのです。ですが、聞きたいことがなくなったわけではありません。一般的、客観的な事実ではなく、私的な世界、自分の問題について聞きたい、相談したいという欲求へとシフトしたわけです。

この感覚の変化は、若者にとっての学問や学び、教養、そしてそれらを提供する大学のあり方ともかかわってくるところです。センス入門(松浦弥太郎著、筑摩書房)が、「「知らないこと」の格差は、じつは意外と大きいものです。」としたような一般的な教養、まさに「一般教養」が大学教育で日陰に追いやられるようになって久しいですが、広く知りたいという欲求、世界やものごとがわかり、わかったことからさらに世界やものごとが見えてくるよろこびは、かつてはもっと強かったのだろうと思うことがあります。実学志向ということばがありますが、自分にとって直接に役にたつこと、自分にとって役にたつと自分の頭で思えることと、そこに直接には含まれないが結びついている「最近接領域」との間にさえ、大きな関心の落差が感じられることもあります。

大学教育の心理学も、そのような中で困惑しているようなところがあります。きっかけは、親のこと、学校でのことといった、身近で私的なものであっても、こころについて知りたい、心理学を学びたいという思いに進めば、こたえることができます。ですが、広く共有される学問には向かわず、あくまで自分のことに向かった状態ですと、何を学ぶかといえば心理学であっても、ミスマッチを起こすことになります。かつての若者であれば、そういう自分のこと、人生のことは、文学から学びつつ、友人とも議論を交わしつつ、結果的には自分で考えたものだったようです。今日では、ドストエフスキーもヘッセも、重くて好きになれなかったどころか、あるいは太宰治でもカフカでも、どのくらい重いかさえ知らない人がいくらでもいそうです。東京工業大学のウェブサイトの2014年春、退職教員インタビューには、団塊の世代に属する退職者が、大学進学時を「当時、理学部と言えば、素粒子が花形。かたや、文学部は人間の心の中ばかりのぞき込んでいると当時の私には思えました。」とふり返るところがありますが、文学部がこころの探究というイメージは、理解しにくくなりました。もちろん、文学部に心理学科はあっても、英文、仏文が花形で心理は色物であったようですし、いま以上にネズミの実験で折れ線グラフを書く分野でした。それがいつの間にか、花形は色あせていき、文学がこたえてきたテーマは、ミスマッチなのに心理に流れてきたようです。文系の王道の黄昏は、最近の話題では、私文を得意とした代々木ゼミナールの「業態転換」を連想させます。そして、国立大から教員養成系・人文社会科学系は追い出されるかもしれないにあるように、文科省は大規模な文系再編、リストラクチャリングに乗りだしそうです。

芦別での「まる元」教室と「性器教育」批判

きょう、どうしんウェブに、高齢者に運動を科学的に指導 芦別で10月から北翔大など教室という記事が出ました。

タイトルもそうですし、本文には「NPO法人ソーシャルビジネス推進センター(札幌)と北翔大(江別)、コープさっぽろが自治体と連携して展開する高齢者向け運動教室が、10月から芦別市でも始まる。」とありますので、紹介された講座は、芦別では再来月に始まるという位置づけです。ですが、1か月前に北海道リアルEconomyに出た記事、NPO「ソーシャルビジネス推進センター」相内俊一理事長がコープさっぽろと連携、「高齢者運動教室」を過疎自治体で展開には、「現在、「まる元」を実施している自治体は赤平市のほか余市町、沼田町、芦別市などがあり、自治体が絡まない教室として倶知安町でも実施されている。」とあり、すでに行われていることになっています。今月はじめに書いた、追手門学院大の新コースの記事を思い出しました。

「同大の教授や学生が講師となり」行うプログラムです。北翔大のウェブサイトの研究室探訪 生涯スポーツ学部 スポーツ教育学科を見ると、「具体的には、現在、本学の地域貢献事業で取り組んでいる「地域まるごと元気アッププログラム」で、赤平市や余市町での体力測定会における運営を中心的なゼミとして活動しています。」としているのは准教授で、すると測定のみの分担で、指導には行かないのでしょう。

「みんなと一緒なので楽しくできました。」という感想があり、よかったと思います。子どもの心を伸ばすのはお母さん 「思いやり」と「意欲」を育む家庭教育のすすめ(山路鎮子著、PHP研究所)は、「性器教育」批判の中で、「とんでもないわ、五十年後だなんて。明日のことなんて分からないもの。私達、いまが楽しければいいの」という新婚女性の声を取りあげましたが、いくつになっても、楽しいことはよいことです。

新・安倍なつみの歌唱法と元暴走族メンバー

きょう、マイナビニュースに、これが新・安倍なつみ! クラシカルな歌唱法を取得し「全身全霊で臨む」という記事が出ました。

タイトルでもそうですし、本文にも「ミュージカルの経験を重ねるにつれて、安倍は次第にクラシカルな発声の歌唱法を取得し、それまでのポップス的な歌い方とか異なる世界を描くようになったという。」とあり、「取得」です。「次第に」とありますし、ここは習得や修得と書くところでしょう。

「故・本田美奈子のメモリアルコンサート」とありますが、モーニング娘。は正しく書かれているのですし、こちらもドットをつけて正しく書くべきだったと思います。そういえば、同じくマイナビニュースにきょう出た記事、ビジネスで信頼を失ってしまうたった3つのポイントは、Inc.を「Inc」と書いていました。

「でもこのチャンスを無駄にはせず、今の私だからこそできる表現を追求しながら、全身全霊で臨ませていただきます!」とのこと、がんばりを期待します。以前には、あれもこれもと「私だからこそできる表現」のように見せかけた盗作騒動を起こしました。そのときにターゲットにされたとされた一人、相田みつをの作品から、ひとりしずか(三和技研)の27日のことばをかみしめてください。

それにしても気になるのが、写真のかたむきぐあいです。アップのほうは、マイクや指揮者との構図も、ふしぎな注意をひきます。縁起よく、右肩上がりに見せたのでしょうか。いじめ、盗作、人身事故といろいろあって、そのたびに立ちなおってきました。知名度を上げてあげたようなものである元暴走族メンバーは、サンデー毎日 7月13日号(毎日新聞社)によれば刑務所でも相変わらずのようですが、安倍には「このチャンス」からまた「再チャレンジ」で、名を上げてもらいたいと思います。