生駒 忍

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自閉症と遺伝子、ワクチン、寄生虫との関連

きょう、福祉新聞WEBに、自閉症の遺伝子診断は幻想 フランス分子生物学者が講演(前編)という記事が出ました。自閉症遺伝子 見つからない遺伝子をめぐって(B. ジョルダン著、中央公論新社)などの著者による講演の「一部書き起こし」です。

前編とあり、この後に中編と後編とが続くようです。以前に、進行中のできごとを記事にするタイミングの記事を書きましたが、重要な部分が後から撤回されるなどすることは考えにくいですし、ここでもう取りあげたいと思います。

「ベルトラン・ジョルダン博士の来日を記念する講演会「自閉症と遺伝」」、「在日フランス大使館が5月30日に日仏会館で開催した講演会「自閉症と遺伝」」と表記されたものは、フランス大使館のウェブサイトで見ると、Conférence-Débat « Autisme et génétique »講演会・討論会「自閉症と遺伝」とあり、講演会と討論会との2本立てのイベントです。ですが、「後半では、山﨑晃資・日本自閉症協会長と、日詰正文・厚生労働省専門官も議論に参加。」として、討論会は講演会の一部だというあつかいです。

赤字で「自閉症は疫病、流行病・はやり病なのか?」と書かれたグラフが、強いインパクトをはなって見えます。直後に、「しかし、自閉症の子どもが本当に増えているのかは定かではありません。」とあっても、こちらのメッセージはうまく伝わらないのではないかと心配です。ビキニ実験被害の記事で書いたことを思い出しました。なお、このテーマでのもっと強烈なグラフは、TACAのウェブサイトのLatest Autism Statisticsで見ることができます。

「知的レベルが高いのに自閉症の特徴がみられるアスペルガー症候群」、これは誤解をまねく表現です。何を基準にすると高いのかを書かないと、IQが3けたであたりまえというイメージになってしまいます。また、高機能とアスペルガーとは同一ではないという問題も関連します。

「女児に多く見られるレット症候群」、これも誤解をまねくように思います。X連鎖性の優性遺伝病で、男性では胎生致死ですので、以前に書いた女性のデュシェンヌ型筋ジスの記事に近い議論が可能であるとはいっても、男性にはまず見られないものです。レット症候群支援機構のウェブサイトは、「女の子のみに起こる進行性の神経疾患」とします。

予防接種ワクチン説について、「また、宗教的あるいはイデオロギー的な理由から、ワクチンに何か問題があるのではないかと疑う人もいます。」とします。ものみの塔聖書冊子協会は、輸血だけでなく、かつてはワクチンも否定したことが知られています。わが国のいわゆるワクチンギャップの問題にも、宗教といえるかどうかはともかくとしても、科学のような顔をして、科学とは異なる信念からじゃまを入れる人の影響があるようです。このあたりは、予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える(岩田健太郎著、光文社)が指摘する、ワクチンがきらいだという思いが先にあって、そこにつごうのよいデータを後づけして、好ききらいが正誤の感覚にすりかわるメカニズムを思わせます。ジョルダンが取りあげたのは、MMRワクチン騒動だと思いますが、出発点になった論文自体がでっちあげでした。週刊医学界新聞の連載の、続 アメリカ医療の光と影 第202回に、読みやすくまとめられています。

「自閉症という用語を作ったアメリカの精神科医レオ・カナー氏は、1940年代の11例の症例報告に、自閉症の子どもを持つ母親の中には子どもに対して冷淡な態度を示す者もいると記載しました。」、これは1943年の論文のことでしょう。母子関係との因果関係については、私はもちろん、「こうした説をいまだに信じている人」ではありませんが、親の態度との相関に関する新しい知見などはありますでしょうか。発達障害は、治りませんか?に半年前に出た記事、南から目線とそこへのコメントを見ると、冷淡とは思えず、むしろつながりが強すぎる親が起こす問題もあることがうかがえます。「自分の子どもが性器出したエピソードや自分の妻の下痢の様子などをネットで中継したり、家族との自他の区別もついていなかった」父の例まであります。

「ここでは詳細には触れませんが、自閉症は数多くの遺伝子が関与する非常に複雑な疾患であり、個々の遺伝子がおよぼす影響ははっきりしないことが分かったのです。」とあります。すぐ後に、「しかも、自閉症にはさまざまなタイプがあります。」としながらも、MECP2から来るレット症候群は考えないことにしているようです。「そして、先ほど紹介した単一遺伝子疾患とは違って、特定の遺伝子を発見するのは非常に難しいことがはっきりしました。」ともあります。

ProSAP2/Shanks3の研究知見が、「自閉症遺伝子」発見へと化けて報道される過程の図示があります。7か月前に書いたオキシトシンの効果の記事で、「愛情ホルモン」という表現を取りあげましたが、これも同じく、分子生物学的な単位と行動傾向とを単純に対応させての報道パターンです。

「また、世の中には怪しい論文がかなりあるということを申し上げておきたいと思います。子どもに粉を振りかけると自閉症が治るとか、そういった類のものもたくさんあります。」と注意をうながします。先ほど触れたMMRワクチンもそうですし、この疾患をめぐっては特に、手を変え品を変え、ユニークな原因論が展開されて、そのたびに一部の人があわてたり、多くの人が振りまわされたりしてきました。水銀キレート、三角頭蓋、セクレチン、GFCF、すべてためした人はいますでしょうか。そして、次に来そうなのが、寄生虫です。寄生虫なき病(M. ベラスケス=マノフ著、文藝春秋)の第11章、「自閉症も寄生者不在の疾病なのか?」を読んで、海外で寄生虫をからだに入れさせてくるのが、すすんだ家族の間で推奨されるようになるかもしれないと思いました。

スイカのさまざまな切り方と役にたたない努力

きょう、Pouchに、【やってみよう】まだある! 思わずやってみたくなる「スイカを食べやすく切る3つの方法」という記事が出ました。同じくPouchにおととい出た記事、【やってみよう】新しいスイカの切り方! まるでスイカバーみたいにスティック状に切る方法の、「いわばその続編」とのことです。

その1、その2、その3と、3種類の方法が、動画のキャプチャ画像をならべて紹介されます。難易度はそれぞれ、1、3、5と、ひとつ飛びで与えられていて、順位ではありませんが、順序尺度でしょうか。以前に、孤独死3万人説の記事で日常生活自立度のわかりにくさについて触れましたが、この難易度は、値が大きいほどむずかしいという、わかりやすい関係のはずです。

その1は、特別な道具を使います。アップルカッターの化け物のような大きさですが、同じようなものは国内でも手に入り、wkが販売するフルーツカッター スイカ メロン リンゴカット ギザ刃 芯抜き フルーツスライサー ケーキカッターがあります。大は小をかねると言われますが、これひとつでさまざまな食品がカットできるようです。ですが、バナナは別で、バナナスライサーが楽しそうです。

その3は、難易度5というだけあって、練習をつまないとむずかしそうな芸当です。ここでは袋に流しこんでしまいますので、大きな深皿にばっとあけるなど、来客に見せる演出に使えるとおもしろそうですが、おどろきはあっても美しさに欠けて、むずかしいだけで実用的ではないのかもしれません。努力不要論(中野信子著、フォレスト出版)に、「本当に難しいのは、役に立たない部分もリッチにしようとする努力です。」とあるのを思い出しました。また、こんなことを身につけても無意味だと言われそうですが、新世代努力論(イケダヤハト著、朝日新聞出版)は、努力に意味をもとめることの無意味さを指摘しています。

くふうは、切り方だけでなく、食べ方にもあってよいでしょう。同じくPouchに1年前に出た記事、こんな食べ方があったのね! 目からウロコの「スイカ」料理25選は、「ではここで早速、その中からひとつを抜粋して、ご紹介しちゃいますね。」などのことばづかいにいらだった人もいると思いますが、スイカの奥の深さが味わえます。私は以前、抱擁、あるいはライスには塩を(江國香織作、集英社)に登場するカングレホ・サラダは架空の料理だと決めつけていましたが、この記事を見て、それでもロイの感覚はわかりませんが、スイカのソテーもあっておかしくはないと思うようになりました。しかも、ここには収載されなかったスイカ料理も、まだまだあるはずです。たとえば、バカ画像ゲラゲラKING(コスミック出版)の246ページにある、スイカを台に使って東洋風のめんを盛った料理は、いまだに名前もわからず、詳細がつかめないままなのですが、旅先で食べたことのある方はいますでしょうか。

分散分析でのLevene検定の解釈と表記法

きょう、OKWaveに、リーベン検定という質問記事が出ました。

このカタカナ表記にはなじみのない人もいると思いますが、Levene検定のことだと思います。以前に、分散の加法性の記事を書きましたが、こちらは分散の等質性の話題です。一般には、「ルビーン」と書くことが多いようです。ドイツ風に見える「レーベン」も見かけます。

経験的には、「統計学は初心者なので、分かりやすく説明していただけると助かります。」と求める人に統計のお話を理解してもらうには、統計の知識よりも、表現力や忍耐力が問われることが多いように思いますので、私は直接回答するつもりはありません。分散分析を行うために、まずはLevene検定をかけてそれから考えるという手順からは、それほどの初心者ではなさそうな気もしますが、よくわかりません。

Levene検定は、SPSSで平均値の検定をするときに、合わせて得られるイメージの強い技法でしょう。ですが、テキスト等を見ると、SPSSでのt検定に対しては、検定結果の読み方とその後の対処について、はっきりと書いてあることが多いのですが、分散分析には、もちろん現実的な理由は理解できるのですが、あまり書かれないようです。私も授業で使っている、SPSSに特化したテキストであるSPSSのススメ〈1〉 2要因の分散分析をすべてカバー 増補改訂(竹原卓真著、北大路書房)は、7章2節で対応のないt検定をあつかいますが、Levene検定が有意かどうかでの分かれ道を、両方とも明確に説明します。傍注の★9の書き方には不満がありますが、本文はこれでよいと思います。なお、私としては、そこも含めて、表記の不統一や誤解をまねきかねないところなどが散見されて気にはなりますが、本質的にはよくととのって親切なテキストだと思っています。11章3節の難易度の突出は、やむを得ないところだと考えます。

さて、同じくSPSSのススメ〈1〉 増補改訂で、分散分析の場合はというと、8章2節で初登場となる際に、傍注の★10で、「また,データの等分散性に自信がないときには,[等分散性の検定]にもチェックを入れておくことをお勧めします。」と、「自信」しだいでのオプションというあつかいです。Brown-ForsytheやWelchの選択ルールはまったく説明がありませんし、オプションあつかいですので出力例も読み方も、その後に登場することはありません。ちなみに、球面性の検定が有意だった場合についても、9章1節は、「続く[被験者内効果の検定]では[Greenhouse-Geisser],[Huynh-Feldt],[下限]などを参照」として、選び方には言及がありませんし、そこを平易に述べるのはむずかしいので割りきったのだとしても、さらに選択肢が加わることを示唆する「など」も困惑をまねくでしょう。

ところで、冒頭で、Leveneのカタカナ表記に触れましたが、読みにくく見えるHuynh-Feldtの前のほうについて、SPSSのススメ〈1〉 増補改訂は、「ベトナム人のために読み方が難しいですが,知り合いのアメリカ人研究者がそう発音していたので間違いない」という読みを明示します。反論はありますでしょうか。なお、Brown-ForsytheやTamhaneのカタカナ表記は、見あたりません。

追手門学院大学の新コースと運動部員の展望

きょう、ORICON STYLEに、スポーツをがんばる中高生に朗報!将来に道を開く大学のキャリアコースがスタートという記事が出ました。

同じくORICON STYLEにきのう出た記事、今、大学がおもしろい! 大学を探検する シリーズVol.3の姉妹記事のようです。きのうのものは、あのようなタイトルのシリーズですが、これまで毎回とも追手門学院大学だけの探検に徹する、特徴的な企画です。おそらく、近日中に、大学のメディア一覧という変わったタイトルのページに、Vol.3も紹介されることと思いますが、きょうのものも、合わせてあつかわれるでしょうか。

「スポーツに取り組む中高生にとって心配なことは、将来、その道でキャリアを積むことができるのかということ。」と書き出されます。そうでしょうか。もちろん、本気でそう心配している生徒もいると思いますが、いまは毎日運動部で汗を流しながらも、将来にも「その道」のキャリアをはっきり想定するのは、少数派であるように思います。それとも、そういう低い意識での活動は「取り組む」という表現に値しないという立場なのでしょうか。一方で、以前に若者のやりたいこと探しの記事で紹介した濱口美菜の事例のように、明らかに本気で取りくみ、成果を出した高校生が、やりたいことを理由に「その道」をおりることもあります。

「「スポーツに対して、学問として多角的に向き合う」ことを目的とした「スポーツキャリアコース」を今秋からスタートする。」とあります。コースといっても、学部や学科とは独立した位置づけで、学部の卒業証書とは別に、「修了証」を発行するそうです。ここで気になるのは、まず、学問として向きあう機会はあってよいのですが、それがこのコースの主目的と考えてよいのかどうかです。一般論としては、学問でも何でも、学ばないよりは学んだほうが、キャリアにつながるひきだしを増やすことにはなりますが、学問の方向とキャリア教育の方向とでは、かなり異なってくるように思います。公式サイトを確認すると、「スポーツに対する多角的な取組みを正課教育プログラムとして提供し、自ら のスポーツ体験と合わせて将来のキャリア形成に生かすことができます。」とあり、ねらいのわからない半角スペースはあっても、学問という表現は見あたりません。「多角的な取組み」には、記事冒頭の中高生のような取りくみだけでなく、学問も含まれてよいとは思いますが、どうでしょうか。また、今秋からということですと、このコースはまだスタートしていないと理解してよいでしょうか。以前に書いた西九州大学心理カウンセリング学科の記事の例とは異なり、こちらはかなりあいまいです。姉妹記事と思われるVol.3のほうには、「追手門学院大学 スポーツキャリアコースを訪問」とあり、ないところに訪問はできませんが、「同コースは、1年生の秋からスタート。」とも明記されています。公式サイトには、「「スポーツキャリアコース」4年間の流れ」という図があり、今秋に始まると考えると、この4年間というタイトルとはなじみませんし、図にあるカリキュラムでは、先頭を切る「トレーニング論」は春学期の終わりから始まるように見えます。

「2020年の東京五輪開催に向けて日本ではスポーツビジネスに注目する人も増えてきており、こういったスポーツキャリア教育への需要もますます高まるに違いない。」とあります。「スポーツキャリア教育」という表現は、耳なれないものですが、いずれ定着すると思ってよいでしょうか。スポーツのあり方、かかわり方、動かし方などを広く学ぶこと、学ぶ姿勢をつくることは、本人のキャリアだけでなく、これからのスポーツ界全体にとっても、よい影響があると思います。そういえば、心の野球 超効率的努力のススメ(桑田真澄著、幻冬舎)には、「「野球選手が勉強をしない」「素行が悪い」「ベンチや応援団が汚いヤジを飛ばす」といった問題は、日本に野球が伝わってから140年近く経っても変わっていない。」とありました。

凶悪犯の78%が動物殺しの経験ありという説

きょう、msn産経ニュースに、「ネコの解剖」がサインだったという記事が出ました。先日の記事でも触れた、佐世保同級生殺害・切断事件を取りあげたものです。

「米国の犯罪心理学者の研究では、聞き取り調査した凶悪犯の78%が少年期に動物を殺害した経験があり、多くはネコだったという。」とあります。誰が出したデータなのだろうと思い、少し掘ってみました。すぐにあらわれたのは、四国新聞社のウェブサイトの記事、動物虐待 犬猫が高じれば人もです。「フェルトゥース氏」で検索すると、ここからの孫引きと思われる数値が出回っていることがわかります。ゴキブリもネズミも迫害しない博愛主義者というよりは、高知の捨て猫集団の問題の記事で触れたような、種によって態度を変える人に歓迎されているような気がします。

その「フェルトゥース氏」は、セントルイス大学のA.R. Felthousのようです。このつづりでこういうカタカナ表記がよいのかどうかは、よくわかりません。すぐに見つかるのは、Bull. Am. Acad. Psychiatry Law第14巻の、Violence against animals and people: Is aggression against living creatures generalized?です。ですが、これは単著ではありませんし、343人もインタビューした研究でもないようです。Fig. 1も、凶悪犯の78%もがというようすではありません。ですので、ほかの論文のはずですが、まだ特定できていません。

また、78%というこの数値は特異的に高く、だからこそひとり歩きしたのかもしれませんが、たいていの研究は、もっと小さい値を報告しているようです。ぼくらはそれでも肉を食う 人と動物の奇妙な関係(H. ハーツォグ著、柏書房)の第1章にもいろいろな研究が紹介されていますし、動物虐待と人間への凶行とを安直にむすびつける発想が、学術的には疑問視されていることにも言及があります。

なお、探していて出てきたので、関連分野で、同じように78%という割合が報告されたものを2件、示しておきます。まず、American Society for the Prevention of Cruelty to Animalsの研究、Professional and Public Perspectives on Animal Crueltyです。警察官への調査において、「Children who harm animals are more likely to harm humans when they got older」と「Adults who harm animals are more likely to also be involved in interpersonal violence...」との両方で、そう思う割合が78%になっています。また、Alaska Center for Resource FamiliesのAnimal Cruelty and Children 3.0 Hours Training Creditには、「78% of 63 people charged with animal cruelty had also been charged with violence or threats of violence against people (Jim McIsaac, Winnipeg Police Services).」とあります。