生駒 忍

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女子大の無修正文書流出とすき家バイト画像

きょう、NEWSポストセブンに、白百合女子大「危険サークルリスト」に東大学生らが猛反論という記事が出ました。

「「お嬢様女子大」として名高い白百合女子大学が、前代未聞の「危険サークルリスト」を学生たちに向けて配布」したことは、すでに知っている人も多いと思います。今でも、検索すればすぐ、固有名詞まですべて無修正の「流出」画像が見つかります。NEWSポストセブンの記事、女子大生の東大男子争奪戦 白百合と聖心が2強に割って入るなどの悪い影響が強まってきたのでしょうか、やっつけ仕事のような文書ですが、文面はとても冷静ですし、違反のあった法律名を示すなど、学生を守るためによく調査してつくられたことがわかります。日刊ゲンダイのウェブサイトにきょう出た記事、胸やヘアを…すき家バイト女子高生“わいせつ画像”投稿の謎の事件とは大ちがいで、女子大から外に出すつもりではなかった文書はこうも広まるのに、女子高生が自分から世界へ向けて出した画像は、どこでもしっかりと修正されて、そのままのかたちでは広まらないのでした。なお、日刊ゲンダイの記事は、1文目を含めて、ここしかつかんでいないスクープをさりげなく出したのか、それともすき家だけに、早く提供したくて早とちりしたのか不安なところもありますので、気をつけてください。

さて、注意喚起の対象となった団体の幹部への取材がありますが、「早稲田大学の某サークルの幹部学生」は「それなりに歴史のあるサークルなのに、潰れてしまうかも……」、「東京大学のサークルの代表」は「僕らは長い歴史を持つれっきとしたスポーツサークルです。」、どちらも歴史を持ちだしました。ですが、ほこれる歴史があるのならなおさら、そこまで警戒されるほどに堕落したことを恥じて、まずは先方の大学を刺激している要素やメンバーを徹底して洗うなど、「自らが自衛意識を高めていくのが先決」のようにも思います。また、伝統があろうと名門だろうと、度がすぎればOB会にも守りきれません。明治大学應援團リーダー部は、いじめ自殺問題にかなり抗戦しましたが、ターゲットの性器に熱冷の刺激を交互に加える異様な映像が出るにいたり、結局は廃部となりました。明大はまた、昨年に集団昏倒や脱糞などで問題になったKREISも、廃部にしました。週刊新潮 7月10日号(新潮社)によれば、「「クライス」は、明治大学では1979年に公認、日本女子大でも創設から40年以上経つというから、それなりに歴史のあるサークルになる。」、それでも堕落したのか、当初からかはわかりませんが、勧誘で「“ウチに入ると、新歓(新入生歓迎会)で胸を触れるよ”と言われました。もちろん女性のですよ。」というところだったようです。近畿地方ですと、近畿大学ボクシング部が、遊興費ほしさに複数で通行人をなぐるなどの連続強盗事件で、廃部となっています。ふと、実話時代 2015年6月号(メディアボーイ)で中野ジローが、「なかには「コジキしててもプライドがある!」と平気でヤクザを襲ったりする連中もいる。」と書いたことを思い出しました。

自分だけ取りのこされる大学デビューと苦悩

きょう、マイナビニュースに、4月:「大学のシステムがわからない病」と「まわりがみんなスゴイ人に見える病」という記事が出ました。

「大学1年の4月というのは、期待よりも不安が勝ってしまう時期だと思います。」とします。外部のステレオタイプでは、期待でいっぱいの時期ですが、このほうが、リアリティがあります。

「声をかけられたアメフト部の人から連日めっちゃ勧誘の電話がかかってきて」、ご苦労さまです。「この体験は私に大きな恐怖を植えつけました。」となったことについて、15年前に植えつけた側だった人に、いまの考えを聞いてみたいところです。

「トミヤマさんも書いていたように、大学というのは中学や高校に比べて圧倒的に放任主義の場所です。」、近年変わってきてはいますが、本質的にはそうでしょう。高い自由による必然でもあります。また、「どんな授業を、どんな時間割りで組むのか。情報は自分で仕入れなきゃいけないし、手続きも自分でやらなければなりません。」、こういった経験は、生徒から社会人への橋わたしとして、意味があるものでもあります。

「なぜか「あの授業がおもしろいらしい」「あの先生は単位楽勝らしい」などとワイワイやっている。えっ、何でそんなに詳しいの? てか、何でもう友達になってるの? もしや、俺だけが欠席した説明会でもあったのではないか……。」、よくあることです。今ではSNSで、入学前からもうつながっていることが、よくも悪くもおどろかれますが、20世紀の末でもこういうことができた人々が一定数いたのです。夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘(中川淳一郎著、講談社)にある、会社の内定者が、ろくにネットもない時代なのにつながりあっていて、自分だけ取りのこされたような体験を思い出しました。こういうスキルは、生涯に何度も出番があるわけではありませんが、人生の要所でみごとに作用しますので、興味深いものですが、心理学や教育学で、実証的な分析はなかなかされていないように思います。

それでも、この事例でも、同じく「大学デビューの落とし穴」で1週間前に出てなおアクセスを集めている記事、4月:新入生ファッションとサークル勧誘の関係性の筆者である大学講師も、デビューでつまずきはしたものの、得るものも、結果的にはよかったところもあったようです。人生、そういうものです。ふと、ベーシック心理学(二宮克美・山田ゆかり・譲西賢・天野寛・山本ちか・高橋彩著、医歯薬出版)に、「苦悩がなければ,人間は想い違いのまま生き続けるかもしれない.想い通りにならない苦悩があるから,自分の生き方に潜んでいた問題性に気づけるのである.」とあるのを思い出しました。

学食の居場所としての意味とアナゴの刺身

きょう、産経ニュースに、「もう1人でも怖くない」 大学公認“ぼっち席”学食に広がるという記事が出ました。「大テーブルに相席が基本だった大学の学生食堂で「ぼっち席」と呼ばれる1人用の席が広がっている。」ことについて、その実際を取りあげたものです。

大東文化大の場合は、「学生の保護者が所属する父母会から「学食のテーブルが部活やサークルの集団に占領されている。個人利用の席を確保してほしい」という要望を受けてのことだ。」そうです。私が学んだところにはなかったこともあって、あのなわばり的な感覚は、奇妙に感じるところがあります。Finding Japan by walking around in Senshuというサイトがあって、内容は専修大の卒業研究のようですが、そういうサークルに属していると、居場所として意味があることを示しています。ですが、この父母会のような意見に対しては、そういうサークルの成員がどう答えるのかも、私としては関心があります。不公正な慣行だと自覚していて、口ごもるのでしょうか。それとも、この学校の伝統、いやならよそへ行けばいい、座りたい席があるならそこをなわばりにするサークルに入ればいいと、突きはなすのでしょうか。

「また、1人で食べるのを見られたくないとトイレの個室で昼食を食べる「便所めし」が話題になることもある。」、この前後の段落は大東文化大のことですが、ここは一般論だと思います。また、気になったのは、表記です。一般的な書き方は「便所飯」で、日本語版ウィキペディアでいまは削除された記事も、そうだったと思います。目をしのんでという意味で、忍者めしを連想しました。

神戸大の場合は、「食事は、わいわい話しながらするもので、仕切りをつけるのは好ましくない」と、教員からの反対意見もあったそうで、世代差があるようにも見えます。ですが、わが国ではむしろ、高齢世代のほうで、「わいわい話しながらする」ことへの違和感、場合によっては反感があるかもしれません。崩食と放食 NHK日本人の食生活調査から(NHK放送文化研究所世論調査部編、NHK出版)は、食のしつけの中でも、「食事中は静かにする」に、その方向で大きな世代差があることを示しました。

最後に、東工大の場合ですが、専務理事が、「視線を合わせず、1人で静かに食べたいという傾向は以前からあり、時代の流れ。」と、前からなのか、最近の流れなのか、わかりにくい発言をしています。「今後は、できるだけ学生のニーズにあった席づくりを考えたい」と言ったのは、前からなのになぜ今ごろにという疑問に、大学の考えのほうが変わったところだからという答えを示したと読むところでしょうか。

なぜ今ごろにということで思い出したのが、マイナビウーマンにきょう出た記事、ウナギの刺し身がないのはなぜ?です。「土用の丑の日に思わず食べたくなるものといえばウナギ。」と書き出されて、なぜ今ごろにこの話題なのかと思いました。「ウナギは高たんぱくで消化が良いことから、夏バテ予防の定番としてよく食べられていますが、夏のウナギは味があまりよくないのだとか。」とありますが、マイナビウーマンの記事、意外と知らない知識「天然うなぎの旬は秋から冬」にあるような旬も、もう過ぎました。ちなみに、「ちなみに血液をすべて抜いて、酢でしめれば刺し身で食べることも可能であり、一部料理店などで振る舞われています。ちなみにこの毒はアナゴやハモなども持っているので注意しましょう。」とあるのは、まちがいではありませんが、アナゴのほうは、酢じめにしない刺身で、食べたことがあります。すが井 本店でです。WooRisに1年半前に出た記事、調理時に要注意!生の「ウナギ」には猛毒がある!?には、「生は危険ということで、お店でウナギやアナゴが刺身で出てくることはほぼありません。」とあり、「ほぼ」です。

学習院の伝統と表情をぼかしきれなかった画像

きょう、産経ニュースに、皇族方の「学習院離れ」が加速する理由 大学の魅力か、時代の流れかという記事が出ました。「学習院に在学されている皇族方は皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さま(女子中等科1年)お一方となり、幕末に起源を持つ“皇族の学校”の伝統が風前のともしび」へといたった背景を取りあげたものです。

「三女の絢子さまもご関心がある福祉分野が学習院大になかったため、21年に城西国際大(千葉県東金市)に入り、現在は同大大学院に進まれている。」、ないものはしかたがありません。城西国際大は、平成になってから開学しましたが、それでも当初は福祉文化学科はなかったように、福祉が大学でこれだけあつかわれるようになったのは、近年のことです。学習院の常務理事が、「一貫した教育方針で、歴史と伝統を築いてきた。教育方針を今後も変えるつもりはない」と断言するくらいですし、「現在は法学部、文学部、経済学部、理学部の4学部で、眞子さまがICUに進まれた4年前も「選択肢の狭さ」がネックとされていた。」この大学には、おそらくこれからも、福祉では学部も学科もつくられないように思います。

皇室ジャーナリストの指摘、「学習院の利点とされてきた『皇族方を特別扱いしない』というメッセージすら、あえて言われるほど、逆に息苦しく思われるのではないか」は、どうでしょうか。また、そのメッセージについて、内実がどうかという点を問題にしたい人もいるでしょう。週刊文春 7月10日号(文藝春秋)が、中吊りで「愛子さま 衝撃のお言葉「先生大嫌い。私の言うこときかないから」」と書いた記事で、学習院初等科の関係者が、「初等科時代に“宮さまシフト”が出来上がったことにより、女子中等科にも同じ程度の対応を求めているように見える」、「学習院側は、『ここまでなら対応してもらえる』という間違ったお墨付きを皇太子ご夫妻に与えてしまった。」「マスコミには『特別扱いしない』などとコメントしておきながら、雅子さまのお付き添い登校や、山中湖への校外学習のご同行も、結局は許可」、これを「迎合」とまで言っています。なお、J-CASTの記事、愛子さま「先生大嫌い」文春記事に宮内庁抗議 「遅刻、欠席続く」など他の内容はどうなのかにあるように、宮内庁は「衝撃のお言葉」は事実無根としています。もちろん、役所がいうことをそのまま信じるなと言いたい人もいるでしょう。J-CASTにきょう出た記事、「在日特権あるか、記者が答えてない!」 朝日新聞のQ&A記事に疑問・批判相次ぐは、役所の回答なので事実だというような態度の問題を取りあげました。

さて、写真が、よい表情でとらえられているのですが、浪人予備校生Kという人のツイート、佳子さまがめちゃくちゃ可愛い!というツイートを見て早速ネットニュースで動画を見たんだけどほどではないとはいっても、うしろの松本零士が、つい気になってしまいます。絞りを開いてぼかしても、週刊文春 11月6日号(文藝春秋)の、球場での小泉麻耶の写真くらいにまでならなければ、顔は注意を引くものです。2年半ほど前にmodelpressに出た記事、篠田麻里子、決意のスピーチ「後輩に席を譲れと言う方もいる」の、よい表情を出す篠田を引きたてるかのように、うしろの後輩がそれぞれにコントラストをつけているのを、あれだけぼかしてもなおぼかしきれなかった画像を思い出しました。

東大経済学部「L型大学」説と移民不要論批判

きょう、zakzakに、東大経済学部は「L型大学」ではないか 無意味な経済理論を教える教員も…という記事が出ました。

「文部科学省の有識者会議における経営コンサルタント、冨山和彦氏のプレゼンテーション資料がネット上で話題になっている。」、これはそのとおりです。私はその、「ネット上で」になる背景に、関心があります。大学は、ネットの外に実在するものですので、その本質にかかわる事象が、ネットの中でばかり話題になるのは、ふしぎに思えます。圧力団体が背後にひかえている、マスコミが取りあげられないようなタブーとも思えません。むしろ、政府批判、安倍たたきの材料に使いたくなってもよさそうなのですが、教育はうちわよりも軽いのでしょうか。

「L型大学の教員」として行っている、「エクセルを使った課題や簿記・会計を使った説明」の価値が説かれます。「実はこれで、高度な話もできる。人口増加率と経済成長には何の関係もないこともわかる。」とのことです。これとぴったり対応するわけではありませんが、関連する話題として、移民政策をめぐる議論があります。DMMニュースにきのう出た記事、May_Romaの打倒宣言「移民不要論」をぶっ壊せ!も、人口問題から移民肯定の主張をすすめています。めいろまと移民という組みあわせに、月形半平太さんtsukigata1の「「おにぎり作りなんて移民にやらせろ」 結論 移民であるメイロマが握れ。」を思い出した人もいると思いますが、「移民不要論というのはで「日本にガイジン労働者を入れると犯罪が増えたり、生活保護が増えたり、外国語の看板が増えたりするし、ゴミ捨て場のルールを守らないから争いが増えるし、ガイジンが増えるから日本が乗っ取られて日本じゃなくなる!」という妄想のことを指します。」と、ふしぎな定義づけから入ります。「まず第一に、高齢化は移民を必要とします」、これはベビーカー問題の記事で触れたような、「必要」のとり方によるでしょう。「第二に、出生率が改善しないので働き手が減ります。」、その「改善」とは、合計特殊出生率が2.07を上回ることでしょうか。現在の出生率とのギャップを埋めるのだとしたら、毎年どれだけの移民をとることになるか、計算してみてください。「年金の運用成績は微妙で、過去の予測で今後やっていける可能性は高くありません。」、その気持ちはわかります。YOMIURI ONLINEにきょう出た記事、年金運用、国内株に25%…国債中心から転換にあるように、これからは積極運用で改善も期待できますが、こうなると必ず、株は損をするから反対と批判する人が出てきます。証言会社にだまされて大損したなどという人ならまだわかりますが、一度も買ったことがない人も多いようです。株は、買われればそれだけプラスの影響があるので、一般の人も年金の運用成績に、かんたんに寄与できる特徴があります。もちろん、ひとりひとりはわずかではあっても、選挙の投票よりは確実です。選挙では、条件に届く数が集まらなければ死票で、努力はすべてむだになりますが、株ではわずかからでも確実に、プラスの影響をつくり出せます。あきらめずに1票をと呼びかける人には、その感覚でもっと確実な、未来に関与する手段も呼びかけてほしいと思います。「第三に、激変している世界の中で日本の経済力を維持したいなら、多様な人を受け入れて創造性を高めるために移民を入れなくてはなりません。」、ここが筆者の主眼のようで、さまざまな論証が展開されます。ですが、シリコンバレーの例は、ここでの話題には適切ではないでしょう。世界中の優秀な人々が、移民のハードルさえ下がれば飛びこみたいと願うような、シリコンバレーに匹敵するところが、日本にどれほどあるでしょうか。最後に、「移民様は日本人ではないので野球もパチンコも競馬もソープも興味がありませんので、あなたは職場でスワローズの話をしなくて済むのです。」と、人種に関する差別的な決めつけがあるのは、蛇足でしょう。そして、「妄想」への反証はないままだったのも、気になりました。「犯罪が増えたり、生活保護が増えたり」も、今まで日本はそうしない人ばかりだったので、増えるのも「多様性」だと考えるのでしょうか。「優秀な移民様に来て頂く」ならとてもありがたいことですが、フィルタをかけることが世界中どこでもうまくいかず、シリコンバレーは例外であって、アメリカまでも例外ではありません。SAPIO 2014年11月号(小学館)では、「アメリカは移民を受け入れることで発展したではないか、という人もいるだろう。しかし、いまやアメリカでも本当に優秀な人材は来なくなり、エクアドルやホンジュラスといった国々からただ食い扶持を求めるだけの不法移民が増えているのが現実だ。」と明かされ、一方で「いま中国では、『日本でタダで生活する方法』といった類いの本が売れていると聞く。日本に来て生活保護を受ける方法などが事細かに解説されているというのだ。」とあります。移民を増やしたい人は、そういう問題を封じるすぐれたフィルタのかけ方を提案すれば、支持を広げることができるでしょう。

さて、「米プリンストン大学に留学」して学んだことについて、「それから演繹(えんえき)されるのは、マネーを増やせばデフレ脱却もできるということだった。」として、アベノミクスがそれを支持しているように書いています。そこから、「やはりG型大学のプリンストン大のほうが正しかった。」と帰納するのは、大きく出た印象です。

「筆者は東大経済学部でさえもL型大学だと思う。無意味な経済理論を教えているばかりか、その社会活動には有害なものさえある。」、どうでしょうか。無意味な教育内容は、少なくとも外から見れば、G型のほうのイメージでしょうし、社会的によくない活動は、L型らしくもありません。むしろ、G型かL型かという二分法が無意味だと教えてくれているようにも思えます。

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