生駒 忍

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自分だけ取りのこされる大学デビューと苦悩

きょう、マイナビニュースに、4月:「大学のシステムがわからない病」と「まわりがみんなスゴイ人に見える病」という記事が出ました。

「大学1年の4月というのは、期待よりも不安が勝ってしまう時期だと思います。」とします。外部のステレオタイプでは、期待でいっぱいの時期ですが、このほうが、リアリティがあります。

「声をかけられたアメフト部の人から連日めっちゃ勧誘の電話がかかってきて」、ご苦労さまです。「この体験は私に大きな恐怖を植えつけました。」となったことについて、15年前に植えつけた側だった人に、いまの考えを聞いてみたいところです。

「トミヤマさんも書いていたように、大学というのは中学や高校に比べて圧倒的に放任主義の場所です。」、近年変わってきてはいますが、本質的にはそうでしょう。高い自由による必然でもあります。また、「どんな授業を、どんな時間割りで組むのか。情報は自分で仕入れなきゃいけないし、手続きも自分でやらなければなりません。」、こういった経験は、生徒から社会人への橋わたしとして、意味があるものでもあります。

「なぜか「あの授業がおもしろいらしい」「あの先生は単位楽勝らしい」などとワイワイやっている。えっ、何でそんなに詳しいの? てか、何でもう友達になってるの? もしや、俺だけが欠席した説明会でもあったのではないか……。」、よくあることです。今ではSNSで、入学前からもうつながっていることが、よくも悪くもおどろかれますが、20世紀の末でもこういうことができた人々が一定数いたのです。夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘(中川淳一郎著、講談社)にある、会社の内定者が、ろくにネットもない時代なのにつながりあっていて、自分だけ取りのこされたような体験を思い出しました。こういうスキルは、生涯に何度も出番があるわけではありませんが、人生の要所でみごとに作用しますので、興味深いものですが、心理学や教育学で、実証的な分析はなかなかされていないように思います。

それでも、この事例でも、同じく「大学デビューの落とし穴」で1週間前に出てなおアクセスを集めている記事、4月:新入生ファッションとサークル勧誘の関係性の筆者である大学講師も、デビューでつまずきはしたものの、得るものも、結果的にはよかったところもあったようです。人生、そういうものです。ふと、ベーシック心理学(二宮克美・山田ゆかり・譲西賢・天野寛・山本ちか・高橋彩著、医歯薬出版)に、「苦悩がなければ,人間は想い違いのまま生き続けるかもしれない.想い通りにならない苦悩があるから,自分の生き方に潜んでいた問題性に気づけるのである.」とあるのを思い出しました。