きょう、高知新聞のウェブサイトに、捨て猫集団に苦慮 高知県室戸岬の駐車場、四万十市の県道沿いという記事が出ました。
場所は、「高知県室戸市の室戸岬と四万十市の県道沿いの駐車場など」とあって、室戸岬「や」ではありませんので、「四万十市の県道沿いの駐車場」のほかに、四万十市内の別の場所か、四万十市内の県道ぞいで駐車場以外の場所もという意味を込めてあります。読んでいくと、室戸岬のほうは展望台駐車場が取りあげられ、四万十市のほうは駐車場の取材はなく、「車の待避所付近」です。マピオンで見ると配色に不連続がある、四万十市蕨岡甲あたりだと思いますが、どうでしょうか。キノコや昆虫の採集が好きな方が、待避所を駐車場のように使って迷惑をかける例があることを思い出します。
室戸岬のほうは、観光に来た人がわざわざ、市に苦情を入れるほどこわい状態のようです。ですが、野良猫の問題は、このニュースが特殊なわけではなく、あちこちで起こって、しかもとてもめんどうなテーマです。きらうほうは、庭やベランダを荒らされ、車も盆栽も傷つけられ、ところかまわず排便されといった実害が背景にあっても、好きなほうはかわいそうだから、かわいいからでうち消して、感情的な水かけ論に変換される展開になりがちです。ご近所に、話が通じずもう注意する人もいなくなった「ネコ屋敷」や「ネコおじさん」は、思いあたりませんでしょうか。
しかも、ウォール・ストリート・ジャーナル日本版にきょう出た記事、飼い猫に噛まれると深刻な感染症にも―あまり知られていないリスクにあるように、ネコは感染症をうつします。ネコとの接触にこころのいやしを感じる人も多いですが、現実には逆に、統合失調症などの精神疾患との関連も示されています。記事タイトルには「飼い猫」とありますが、読めばわかるように、「適切に警戒していれば健康上のリスクを最小限に抑えることができる」一方で、野良猫が起こす健康被害は飼い猫の比ではないことが推測できます。
また、ネコの問題が議論しにくいのは、ネコが好きな人は動物愛護精神の人だけではなく、動物種によって態度を変える人がかなりいることも一因でしょう。ベジタリアンとして動物愛護のすじを通すなら、むしろ敬服するところもありますが、たとえばありがとう! わさびちゃん(わさびちゃん著、小学館)に対するAmazon.co.jpでの星ひとつレビューへの本気の反発を見ると、これもある意味でスピーシズムに入るのではないかと思うほどです。動物への普遍の愛ではなく、ネコはかわいいから「猫かわいがり」なのでしょう。しかも、ネコはかわいいから偏愛すべき、を普遍であるべきと信じるようすがあったりもします。素朴で根はいい人だったりすると、よけいに困惑します。
その意味では、一部アメリカ人のイルカ漁業非難にも、あの感情に近いところがあるように思います。J-CASTにきょう出た記事、牛やブタはよくてなぜイルカは悪いのか 「ワイヤード」イタリア版に異色批判記事からわかるように、世界中が非難一色なのではなく、アメリカ=世界でもありません。ですが、駐日大使が非難発言をする、異例の事態が起きたことは、ご存じのとおりです。zakzakにきのう出た記事、ケネディ大使 籾井会長、百田委員の発言を理由にNHKの取材に難色の報道によれば、ケネディ大使がNHKの取材をさける異例の事態も、あの発言由来の可能性があるようです。なお、この記事の最後に登場する、「ある識者」の発言の伝聞ですが、これはおそらく、JBPressの記事、キャロライン・ケネディに駐日大使は務まるのか 実力不足は明らか、「日本を侮辱する人事」との声もにあるもののことでしょう。きょう、そのJBPressで同じ筆者は、なぜオバマ政権の大使は「無知」なのか 米国の外交に暗雲をもたらす選挙功労人事として、ケネディひとりにとどまらない、オバマ政権のお金しだいの人事の問題を論じています。