生駒 忍

記事一覧

「こころマーク」とヘルプマークとの関係

きょう、VFリリースに、目に見えない精神障害を支援する「こころマークプロジェクト」が、クラウドファンディングで資金調達を開始という記事が出ました。

「精神障害者を表すシンボルマーク「こころマーク」の普及をめざし、一口3,000円からの募集で、2014年10月14日までの期間内に、50万円の資金調達を目標としています。」とのことです。クラウドファンディングの常で、はたらけるのなら自分で出せ、他人にたかるな、どうせまともな会計報告もしないのでは、と腹がたった人もいるかもしれません。一方で、ネット放送発のクラウドファンディングの目標がたったの50万、福祉という錦の御旗があるのに、と失笑した人もいるかもしれません。ですが、失笑した人のどのくらいが、一口でも出そうと思うかというと、期待しにくいような気もしますが、どうでしょうか。

しかけたいマークの対象範囲は、どう考えられているのでしょうか。「周囲の人々に「精神疾患を抱えています」という事がわかるマークを確立し、病気をオープンにすることが当たり前の社会を目指します。」とあり、精神障害者保健福祉手帳の表紙があのようなデザインになったこととは異なる方向性ですが、「「精神障害等の目に見えない病気や障害のシンボルマーク」のデザイン」、「(2)見えない病気や障害をオープンにする事が、当たり前になる環境を創出します」とあり、「目に見えにくい障害」全般を対象としたいようにも見えます。ですが、そういうねらいのマークとしては、2年前からすでに、ヘルプマークがあります。遠くでのできごとではなく、このネット放送が拠点をおく東京都の福祉保健局によるキャンペーンです。昭島は、東京かどうかはともかくとしても、東京都です。「義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、援助や配慮を必要としていることが外見からは分からない方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。」という位置づけです。50万円を集めたいというこのプロジェクトは、ヘルプマークの「援助や配慮を必要としていることが外見からは分からない方々」に、精神障害は含まれないと考えて、まったく別のマークが必要だと考えたのでしょうか。含まれはしても、身体障害が中心にされているのが納得いかないので、精神障害を中心にして「目に見えにくい障害」全般をあつかう発想に、世の中をひっくり返したいというねらいなのでしょうか。車いすマークの話題の段落には、身体障害へのルサンチマンのようなものがあるようにも見えますし、平成26年版障害者白書の図表5-5のような現状もあります。あるいは、教えてくれる支援者もなく、ヘルプマークを知らずに、車輪の再発明を回しだしたのでしょうか。もしそうだとすると、これからヘルプマークを知ったら、こちらは取りやめにするでしょうか。自分たちまでとどくだけの啓発をしなかった都はゆるせないと、怒りだすでしょうか。それとも、お金がらみで回りだしたらもう止めにくいので、だまってそのまま進めるでしょうか。そういえば、女は贈り物されるのが好きだ。(森瑤子著、サンマーク出版)には、「真に勇気がいるのは止まることのほうよ。」とありました。

「病気の特徴として疲れやすい傾向にありますが、公共交通機関では誤解をさけるため立っているという話を当事者から聞きます。優先席に座る権利があるにもかかわらず、放棄している状況です。」、苦労は想像できるのですが、少々気になりました。ここでいう「権利」とは、健常者と同様のレベルでの、座ってよいことを指すのでしょうか。それとも、優先席に健常者よりも優先的に座る権利があると考えているのでしょうか。少なくとも、昭島も通るJR東日本は、全車両がそうかは自信がありませんが、優先席の表示には、「乳幼児をお連れの方」「妊娠している方」「お年寄りの方」「からだの不自由な方」の4類型を、ピクトグラムと合わせて示すやり方をとっているはずです。「疲れやすい傾向」が、第4類型に当てはまるという解釈でしょうか。

他者追随派と「山形ではリンゴとは言わない」

きょう、ZDNet Japanに、消費者の価値観--他人の目が気になり、周囲にあわせる「他者追随派」が最多という記事が出ました。「心理学に基づいて設計されたアンケートで、2月に日本全国を対象に調査した。」結果の紹介です。

以前に、上司のまねをする心理の記事を書きましたが、消費者行動でも、つい追随してしまう心理がわかる人も多いと思います。そして、この記事自体も、ある意味で追随的です。「アビームコンサルティングは8月12日、消費者の深層心理にある価値観に着目し、価値観ごとの消費の意識と実態に関する調査「価値観別消費実態調査 2014」を実施した。」と書き出されますが、そのアビームコンサルティングによるきのうのプレスリリース、消費者の26%の価値観は他者追随派 アビーム、日本国民の価値観分布、それぞれの生活意識・実態を調査 ~「価値観別消費実態調査 2014」~を見ると、ZDNetのものは、独自にコメントを足すようなひと手間もかけない、ほぼリライトであることがわかります。図は、そのままの縮小で文字が読みにくくされており、劣化コピーといわざるをえません。

本文はどうでしょうか。少なくとも、最後にあるディレクターの考察は、劣化のような感じを受けさせます。以前に『月刊ケアマネジメント』の校正の記事で取りあげたように、発言に手を入れたほうがよさそうな場合もありますが、ZDNetは、プレスリリースにある発言の中ほどをコピペで切りだして、読点をひとつ足しただけです。ですが、まるで別人のように、冷たく無愛想な印象になってしまいました。実践国語研究 2014年1月号(明治図書出版)にあった、小川雅子が山形で言われたという無愛想なことば、「山形ではリンゴとは言わない。ふじ、ジョナゴールド、王林などと言う。」を思い出しました。

ヨウコサウンドのメールアドレスと指原の自演

きょう、とーよみnetに、ヨウコサウンド「真夏のコンサート」・16日、中央市民会館で開催という記事が出ました。

「越谷市中央市民会館劇場で16日午後2時から、「ヨウコ・サウンド・フォレスト第8回真夏のコンサート」が開かれる。」と書き出され、さっそくタイトルとずれを起こしています。中点が入るのと入らないのと、正しいのはどちらなのだろうと思い、公式ブログを見てみると、今回のちらしでは「Yoko Sound Forest」でそろえる一方で、ほかに「YOKO SOUND FOREST」、「ヨウコサウンドフォレスト」、「ヨウコ・サウンド・フォレスト」も使ってきているようです。

「演奏曲はヴィヴァルディ「2つのバイオリンのための協奏曲イ短調」、ハイドン「弦楽四重奏曲第67番ひばり」、ベートーベン「バイオリンソナタ第7番アレキサンダー」、シューマン「おとぎの絵本」ほか。」とあり、通称をかっこでくくらずに、つなげて書く方針のようです。有声唇歯摩擦音のカタカナ表記がそろっていないのも気になりますが、こちらは公式ブログやちらしにある表記のままです。

「バイオリンの岡田隼さん(19)」について、発言内容が「通っていた幼稚園でプロの演奏を聴き、興味を持ったように将来はバイオリニストとして、小さな子どもたち聴いてもらい、興味を持ってもらえたら。」と書かれて、稚拙に見えてしまいますが、これは記事の筆者のほうに責任があると思います。少し前に書いた上松美香の妊娠発表の記事で取りあげたものと同様に、誰が書いたのかはわかりません。また、「コンサート当日は、ヴィヴァルディの協奏曲の第1、第2、第3楽章を弾く。」とありますが、RV522でしたら全3楽章ですので、ふしぎな書き方です。ちなみに、弦楽館でRV522を見ると、「全3楽章が短調の音楽で劇的に綴られる。」とあり、難易度はAです。

このような、こまかいところが気になって、主催者へ問いあわせてみようと思った人はいますでしょうか。ですが、最後にある問いあわせ先が、また問題です。エンティティ化をかけるべきかどうかはともかくとしても、これは昔のアドレスです。公式ブログは、お問合せ先変更のお知らせで、「今年度のコンサートからお問合せの連絡先が変わりました。」として、Yahoo!メールのものへ変更されたことを伝えましたが、その前のものです。ちらしにあるものももちろん、gooのものではありません。ですが、よく見ると、ちらしはYahoo!のものでもなく、ここに出してもとどく気がしません。すると、ちらしよりは、前のものへ逆もどりしたこの記事のほうがましに見えますが、お金をはらっていないものでしたら、gooのメールアドレスはすでに、使えなくなっているはずです。

逆もどりで思い出したのが、Social News Networkにきょう出た記事、指原莉乃がTwitterアカウントを間違え投稿し自作自演バレる 自分に対して「さっしー大好き!ありがとう!」です。きのう発売の逆転力 ~ピンチを待て~(指原莉乃著、講談社)に関する騒動の紹介です。自分に向けるはずが自分から発信してしまったという逆転だけでなく、内容もきちんと逆転になっていて、自作自演で「最高」とたたえる最低なやり方で、彼氏ができたという方向性も、指原が彼氏の騒動から逆転へとつなげた時系列を逆にしたような設定です。考えていないようで考えてありそうなところに、SPA! 8月12・19日号(扶桑社)の峰なゆかのまんがの、「全10巻」を思い出しました。

家財を使いはたす人の特徴と保険の消費者心理

きょう、日経電子版に、「お得な保険」あると信じたい消費者心理という記事が出ました。生命保険の罠 保険の営業が自社の保険に入らない、これだけの理由(後田亨著、講談社)などの著者が、保険に関して「皆さんにがっかりされることが多い3つの話」を紹介するものです。

「「貨幣価値なんて、もう20年くらい変わっていないですよ」と反論されることもあります。」、若い方からの反論でしょうか。また足を引っぱりたい人もいるようですが、アベノミクスもあって、ようやくその20年の停滞から抜けられそうで、逆に言えば、「もう20年くらい変わっていない」こと自体は、日本円に限れば、大きなまちがいではないでしょう。ですが、その前の20年はどうかを考えれば、すぐわかることです。郵便貯金に年に10%を超す金利がついたりした、そんな時代です。

「保険というのは、加入者から集めた保険料から保険会社の運営費などを差し引いた残りのお金を入院した人などに分配する仕組み」、「こうした一定のコスト分は必ず損をする」、むずかしいお話ではないのですが、受けいれてはもらいにくいようです。それでも、この筆者はくふうして、もちろん結論はゆるがないのですが、いったんは共感を示してから、真理を出すことにしているそうです。悲鳴をあげる学校(小野田正利著、旬報社)のクレーム対応術の感覚にも近いと思います。もちろん、お話を聞くほうも、「求めていない話」にも耳をひらくことが、結局は自分のため、自分のお金のためになるのです。それでふと思い出しましたが、ムー 2014年7月号(学研マーケティング)の別冊では、「開いた耳」の持ち主について、「この人は、家財を使い果たすとされています。」とされています。

とうふの自由研究とSTAP小保方を信じる心

きょう、OKWaveに、自由研究という質問記事が出ました。

夏休みの自由研究のために、早めに行動していることに感心する人、もう質問サイトだのみとは早すぎるとあきれる人、それぞれだろうと思います。私が気になったのは、「研究」のとらえ方です。客観的な世界に属する原理を明らかにするというよりは、自分はみごとにやってみせたという、自分の能力に帰属されるものを行うのが研究というイメージなのでしょうか。基本は見えているものを自分でやってみせて腕前を披露するという、中学生ならある意味で身近な「研究」である、研究授業に似た発想ともいえそうです。

そういう研究観を想定すると、STAP細胞騒動で、世界中どこでも再現されないのに、200回成功したと主張する人を今でも平気で信じていられる人の感覚も、やや理解できる気がします。おやすみラフマニノフ(中山七里作、宝島社)で、わかれた息子の前で柘植は、「わしには才能を愛することはできても、その持ち主を愛することはできん。」と告げましたが、あの愛される才能、腕前は並ではありません。身近に心理学者がいたら、研究したくなるかもしれません。