生駒 忍

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ヨウコサウンドのメールアドレスと指原の自演

きょう、とーよみnetに、ヨウコサウンド「真夏のコンサート」・16日、中央市民会館で開催という記事が出ました。

「越谷市中央市民会館劇場で16日午後2時から、「ヨウコ・サウンド・フォレスト第8回真夏のコンサート」が開かれる。」と書き出され、さっそくタイトルとずれを起こしています。中点が入るのと入らないのと、正しいのはどちらなのだろうと思い、公式ブログを見てみると、今回のちらしでは「Yoko Sound Forest」でそろえる一方で、ほかに「YOKO SOUND FOREST」、「ヨウコサウンドフォレスト」、「ヨウコ・サウンド・フォレスト」も使ってきているようです。

「演奏曲はヴィヴァルディ「2つのバイオリンのための協奏曲イ短調」、ハイドン「弦楽四重奏曲第67番ひばり」、ベートーベン「バイオリンソナタ第7番アレキサンダー」、シューマン「おとぎの絵本」ほか。」とあり、通称をかっこでくくらずに、つなげて書く方針のようです。有声唇歯摩擦音のカタカナ表記がそろっていないのも気になりますが、こちらは公式ブログやちらしにある表記のままです。

「バイオリンの岡田隼さん(19)」について、発言内容が「通っていた幼稚園でプロの演奏を聴き、興味を持ったように将来はバイオリニストとして、小さな子どもたち聴いてもらい、興味を持ってもらえたら。」と書かれて、稚拙に見えてしまいますが、これは記事の筆者のほうに責任があると思います。少し前に書いた上松美香の妊娠発表の記事で取りあげたものと同様に、誰が書いたのかはわかりません。また、「コンサート当日は、ヴィヴァルディの協奏曲の第1、第2、第3楽章を弾く。」とありますが、RV522でしたら全3楽章ですので、ふしぎな書き方です。ちなみに、弦楽館でRV522を見ると、「全3楽章が短調の音楽で劇的に綴られる。」とあり、難易度はAです。

このような、こまかいところが気になって、主催者へ問いあわせてみようと思った人はいますでしょうか。ですが、最後にある問いあわせ先が、また問題です。エンティティ化をかけるべきかどうかはともかくとしても、これは昔のアドレスです。公式ブログは、お問合せ先変更のお知らせで、「今年度のコンサートからお問合せの連絡先が変わりました。」として、Yahoo!メールのものへ変更されたことを伝えましたが、その前のものです。ちらしにあるものももちろん、gooのものではありません。ですが、よく見ると、ちらしはYahoo!のものでもなく、ここに出してもとどく気がしません。すると、ちらしよりは、前のものへ逆もどりしたこの記事のほうがましに見えますが、お金をはらっていないものでしたら、gooのメールアドレスはすでに、使えなくなっているはずです。

逆もどりで思い出したのが、Social News Networkにきょう出た記事、指原莉乃がTwitterアカウントを間違え投稿し自作自演バレる 自分に対して「さっしー大好き!ありがとう!」です。きのう発売の逆転力 ~ピンチを待て~(指原莉乃著、講談社)に関する騒動の紹介です。自分に向けるはずが自分から発信してしまったという逆転だけでなく、内容もきちんと逆転になっていて、自作自演で「最高」とたたえる最低なやり方で、彼氏ができたという方向性も、指原が彼氏の騒動から逆転へとつなげた時系列を逆にしたような設定です。考えていないようで考えてありそうなところに、SPA! 8月12・19日号(扶桑社)の峰なゆかのまんがの、「全10巻」を思い出しました。

ケーゲル、ゲーバー、バッハ、あるいは逆行動画

きょう、tocanaに、【回文音楽】ここまでくるともう… 奇才バッハが生み出した永遠に終わらない旋律が凄すぎる!!という記事が出ました。「永遠に終わらない旋律」とありますが、無限カノンではなく、蟹行カノンについて、YouTubeの動画を中心にして紹介するものです。

「18世紀に活躍し後世の音楽界に多大なる功績を残したバッハ。」と書き出します。言わずと知れた大作曲家ですが、「音楽界」への功績という角度からの評価は、意外に見かけません。「65歳で生涯を閉じるまでに約1,087もの曲を書き上げ」、この曲数の「約」は、以前に「情けは人のためならず」調査の報道の記事で取りあげた読売の記事にある「約」のように、つけなくてよいように思います。「独自に追い求めた「フーガ技法」と呼ばれる特殊技法」とありますが、バッハだけが独自にというよりは、当時広く使われたフーガの手法で結果的にはるかな高みへ達したのであって、遺作の「フーガの技法」とからめた語法も含めて、これも特殊な見方のように見えます。

「「メビウスの輪」と「バッハ」、一見なんの関係もなさそうなキーワードであるが、晩年に書かれた「蟹のカノン(Crab Canon)」という曲をに、両者を密接に関連づける謎が隠されていた。」、ここで唐突にメビウスの輪をつなげます。ふつうなら、バッハとメビウスの輪との両方を述べてから、関係がなさそうだが実はと、間をむすぶ解を示していくところですが、ここではいきなりもう片方が降ってきて、しかもこれから示すのは解ではなく「謎」だという書き方です。

「この楽曲、正式には「2声の逆行カノン」というが、その独特なコード進行から横歩きの蟹を連想させるため「蟹のカノン」とも呼ばれている。」、ここも独特です。バッハの対位法的作品に「独特なコード進行」をとらえて、しかもそこから命名されたとみる発想は、異色です。一般には、旋律が左右からぴったり行き違っていくのを、カニの横歩きにたとえてこう呼ぶと説明されます。ですので、現実にはバッハのこの作品を指す固有名詞のようにもなっているのですが、ほかにも見かける形式です。モーツァルト作とされて広まり、今では偽作とされる、フラクタル音楽(M. ガードナー著、丸善)の図10も完全にそうです。

「なるほど!楽譜自体がメビウスの輪になっていたのか。視覚化するとよく分かる。もうエッシャーの世界。」、ここでつながるのが、ゲーデル、エッシャー、バッハ あるいは不思議の環(D.R. ホスフタッター著、白揚社)です。先に第42図で、エッシャーの「蟹のカノン」が登場し、カニの割りこみを境にぴったり反転するアキレスとカメ、そして第44図がそのままこの曲です。アキレスとカメは、和訳にも反転が織りこまれたのがまた楽しいところです。

このカノンを含む「音楽の捧げもの」を、フリードリヒ大王が与えた主題からつくられた作品とします。これはどこでも見かける説明ですが、今日の研究ではうたがわれているようです。「約1,087もの曲」と書いたことからは、ある程度新しいところまで把握できているようですが、このあたりは耳に入っていなかったのでしょうか。ですが、BWV1087を知っているなら、カノンならそちらの妙技のほうが、もっと紹介したくなりそうです。YouTubeの他人の動画作品で説明しやすいことを優先したのでしょうか。あるいは、先ほどのゲーバー本にあるものにしたかったのでしょうか。

「実際の演奏では、向かい合わせに配置したピアノで行うのだが、演奏者の息がぴったりと合う必要があり、かなり高難度な楽曲だ。」、息があうのはどんなアンサンブルでも必要なのはともかくとしても、「音楽の捧げもの」は基本的に、楽器の指定はありません。もちろん、今のようなピアノは、あの時代にはまだありませんし、ピティナのピアノ曲事典で、音楽の捧げものを見ると、フォルテピアノの可能性にも疑問があるようです。むしろ、演奏者側が楽器まで選べる自由度が、この作品ならではのたのしみでもあります。中でもインパクトのあるものとして、ケーゲル指揮ライプツィヒ放送響: 音楽の捧げ物を挙げておきます。ほんとうの古楽器から入って、ケーゲルらしくまじめな演奏なのに、合唱が入ってきたり、最後に大オーケストラの編曲版が来たりと、とても冒険的な一枚です。

民営化された大阪市音楽団を支援する方法

きょう、朝日新聞デジタルに、船出のファンファーレ 大阪市音楽団、自立の春という記事が出ました。

橋下改革で民営化されてなお、名前が「大阪市音楽団」なのは、私はやや引っかかるところです。助成金は受けるものの、大阪市のものではなくなったのに、そのような誤解を生みやすい名前だと思います。バーミンガム市交響楽団のようなイメージなのでしょうか。もちろん、神社本庁など、公のもののような名称の民間団体は、ほかにもあります。また、愛着のある名前で、「市音」の略称も保ちたい、変更するといろいろとお金がかかるといった事情もあるでしょう。広報がダメだから社長が謝罪会見をする!(城島明彦著、阪急コミュニケーションズ)によれば、松下電器産業からパナソニックへの社名変更では、300億円がかかったようです。誤解が起きても、大きな不利益をこうむるとも考えにくいですし、近い将来に、まともな選挙で市長が代われば、誤解が誤解でなくなる日がくると考えているのかもしれません。そのときには、お給料も今の約3倍に戻るでしょうか。「仲間の団員も6人が去った。」とありますが、3倍なら帰ってくるでしょうか。

記事には、「一方で、希望もある。」とありますが、やはり心配なのは、お金です。同じく朝日新聞デジタルにきのう出た記事、大阪)市音楽団、再スタート苦戦 いまだ半分が空席によれば、きょうの公演のチケットは、この時点で半分以上も売れのこったままだったそうです。東フィルと新星日響との合併のときは、あれも財政的な不安が背景にあってのことでしたが、合併記念のコンサートは満席で、サントリーの1階席ですばらしい船出に立ちあえたのを思い出すと、こちらはとても心配です。今回の記事は、その公演の直前に出たものですが、結局のところ、「船出のファンファーレ」は、残響たっぷりになってしまったのでしょうか。市音の公式ウェブサイトには、今のところ開催報告は出ていません。民営化してからは、サイトが更新されたようすもありません。「慣れない事務や広報作業にも苦戦している。」とありますので、広報としてのサイト管理も自前で、苦戦中なのでしょう。市音を支援したい方が増えることを願いたいものです。サイト内には、寄付・ご支援寄付について賛助会員(個人・法人)といったページがあります。民営化以前の情報のままで、今はもう違うのかもしれませんが、関心のある方は、ぜひご検討ください。

お金で自作を買った佐村河内守と旧石器ねつ造

きょう、メンズサイゾーに、音楽業界では珍しくない? 佐村河内守のゴーストライター問題で波紋という記事が出ました。

佐村河内については、以前の記事で触れて、あの売り方を「邪道」と表現しましたが、実は他人に書かせた曲でくらして、売り物のほうは邪道どころではなかったのでした。売り物だったのは、聴覚を失った作曲家、被爆2世、病苦と大量服薬、くり返す自殺未遂といった、買ったゴーストライターの作品に結びつけて商品価値をつくる苦難の物語のほうだったわけです。不正な業績をはがしていくと、まるで玉ねぎのように中身がなくなった藤村新一に続くでしょうか。指を切りおとしたり、解離を起こして不正の記憶をなくしたことになったりするのでしょうか。ほんとうの作曲者による、週刊文春 2月13日号(文藝春秋)での告発は、会話はふつうにできて楽譜は読めず、少年時代の体験談までゴーストライターの体験談を転用、自殺はおどしの手段という、すさまじいものです。売りだった聴覚障害は偽装で、障害者手帳は詐取だとすると、とうてい許しがたい行いです。

過去には、佐村河内が芥川作曲賞に近づいたこともあったようです。あやうくミリ・ヴァニリ事件のようになるところでした。お金で買った他人の曲だとは見ぬけず、三枝成彰は冷や汗をかいたのではと思いましたが、本人のブログ、三枝成彰のイチ押し!は、更新が止まったままで、何も書かれることはなさそうです。ですが、あそこで賞が出たら、ゴーストライターがいたたまれずに名のり出るきっかけになって、NHKも乗せられてのここまでの事態にはならなかったかもしれません。

NHKも、インパクトのある素材なのでうたがう気がなかったのか、障害者をうたがうのは気乗りしなかったのかわかりませんが、佐村河内の言うことをそのまま電波に乗せてしまったのでした。「奇跡の詩人」事件を思い出します。そのNHKのおかげで、「詩人」と同様に、クラシックとしては異例の大ヒットになりました。ですが、異例の活躍、記録、成果として飛びぬけたものに限って、ぼろが出て信じた人がばかを見るのも、世の常です。先の「詩人」やミリ・ヴァニリもそうですし、9秒79のベン・ジョンソン、430万票の猪瀬直樹、上には上がいます。

さて、今回のメンズサイゾーの記事は、とばっちりというべき方向へ、話題を広げます。クラシックではなくJ-POPでの、ゴーストライターの横行をやり玉にあげます。しかも、一応はイニシャルにおさえてありますが、誰を指すのかが誰でも見当がつく書き方です。ここで私が気になったのは、出身地のかたよりです。「人気アイドルグループのプロデューサーを務めるA・Y」は山の手育ちの方だと思いますが、ほかは沖縄や金沢も含めて、すべて西日本の人を指すように見えますが、いかがでしょうか。

出身地としては、佐村河内も西日本、広島で、例の交響曲のように、出身地もセールスポイントでした。被害額を決めることはむずかしいですが、同じ広島出身の有名人でも、保険金詐欺の丸山富洋とはけたが違うでしょうし、サントリー音楽財団とは異なり広島市民賞を出してしまった広島市の、負の歴史として残りそうです。広島出身で音楽関係では、童謡「こいのぼり」「チューリップ」などの真の作詞者として勝訴した近藤宮子がいるだけに、対照的な佐村河内の愚行がよけいに際だちます。

記事でゴーストライターだのみの有名人を列挙した音楽関係者の発言で、私がより関心があるのは後のほうで、「佐村河内さんの場合も周囲の関係者が全く知らなかったとは考えにくく、お涙頂戴の感動ストーリーを作り上げるために目をつぶっていた可能性がある」とあります。スポニチアネックスにきょう出た記事、佐村河内氏のゴースト疑惑 NHKは知っていた?高橋への影響は…も、この問題に触れました。旧石器遺跡ねつ造の藤村新一の事件については、旧石器捏造事件の研究(角張淳一著、鳥影社)が、周囲は目をつぶるどころか、考古学界内に共犯までいると指弾しました。法の華三法行の巨額詐欺事件では、教祖だけでなく教団幹部もいんちきだと知った上で霊感商法を展開したことが、裁判で明らかになりました。佐村河内の場合は、どうでしょうか。たとえば、妻は気づかずだまされていたのでしょうか、それとも「共犯」でしょうか。

「古楽アンサンブル依存の悪循環」のCD

少し前に、Twitterを中心に、悪循環コラの流行がありました。私は、あのオリジナルである、薬物依存の悪循環への理解が深まるきっかけになればと思いつつ、遠巻きにながめていました。

私としては、すでに悪循環のかたちから離れてしまった、Just MarriedやEXILEといった、原形をとどめないものがより好きなのですが、正統派で好印象だったものに、古楽アンサンブル依存の悪循環があります。ほかの話題作ほどには人気を集めませんでしたし、やっつけ仕事かもしれませんが、渋いねらい方がよかったと思います。

その、やっつけ仕事に見えてしまう要因のひとつが、左下にはめた画像です。これでは、色あいが全体から浮いてしまいます。古楽だけに、年季のある感じを出したかったのかもしれませんが、黄色くくすんで清潔感にも欠けます。CDのジャケットのようですが、これは手もとになく、何なのか気になりました。右下の緑色の部分から、レーベルはERATOで、キリスト教の宗教画を使っているようですので、宗教音楽であることもほぼ確実です。それでも、まだまだしぼりきれませんので、画像を拡大して、じっくりとながめてみました。すると、"TON"の3文字が読めた気がしました。ここまで来れば、後はすぐです。安価で手に入るようになった、トン・コープマン指揮、アムステルダム・バロック管弦楽団の好演、バッハ:マニフィカト、復活祭オラトリオでした。

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