きょう、tocanaに、【回文音楽】ここまでくるともう… 奇才バッハが生み出した永遠に終わらない旋律が凄すぎる!!という記事が出ました。「永遠に終わらない旋律」とありますが、無限カノンではなく、蟹行カノンについて、YouTubeの動画を中心にして紹介するものです。
「18世紀に活躍し後世の音楽界に多大なる功績を残したバッハ。」と書き出します。言わずと知れた大作曲家ですが、「音楽界」への功績という角度からの評価は、意外に見かけません。「65歳で生涯を閉じるまでに約1,087もの曲を書き上げ」、この曲数の「約」は、以前に「情けは人のためならず」調査の報道の記事で取りあげた読売の記事にある「約」のように、つけなくてよいように思います。「独自に追い求めた「フーガ技法」と呼ばれる特殊技法」とありますが、バッハだけが独自にというよりは、当時広く使われたフーガの手法で結果的にはるかな高みへ達したのであって、遺作の「フーガの技法」とからめた語法も含めて、これも特殊な見方のように見えます。
「「メビウスの輪」と「バッハ」、一見なんの関係もなさそうなキーワードであるが、晩年に書かれた「蟹のカノン(Crab Canon)」という曲をに、両者を密接に関連づける謎が隠されていた。」、ここで唐突にメビウスの輪をつなげます。ふつうなら、バッハとメビウスの輪との両方を述べてから、関係がなさそうだが実はと、間をむすぶ解を示していくところですが、ここではいきなりもう片方が降ってきて、しかもこれから示すのは解ではなく「謎」だという書き方です。
「この楽曲、正式には「2声の逆行カノン」というが、その独特なコード進行から横歩きの蟹を連想させるため「蟹のカノン」とも呼ばれている。」、ここも独特です。バッハの対位法的作品に「独特なコード進行」をとらえて、しかもそこから命名されたとみる発想は、異色です。一般には、旋律が左右からぴったり行き違っていくのを、カニの横歩きにたとえてこう呼ぶと説明されます。ですので、現実にはバッハのこの作品を指す固有名詞のようにもなっているのですが、ほかにも見かける形式です。モーツァルト作とされて広まり、今では偽作とされる、フラクタル音楽(M. ガードナー著、丸善)の図10も完全にそうです。
「なるほど!楽譜自体がメビウスの輪になっていたのか。視覚化するとよく分かる。もうエッシャーの世界。」、ここでつながるのが、ゲーデル、エッシャー、バッハ あるいは不思議の環(D.R. ホスフタッター著、白揚社)です。先に第42図で、エッシャーの「蟹のカノン」が登場し、カニの割りこみを境にぴったり反転するアキレスとカメ、そして第44図がそのままこの曲です。アキレスとカメは、和訳にも反転が織りこまれたのがまた楽しいところです。
このカノンを含む「音楽の捧げもの」を、フリードリヒ大王が与えた主題からつくられた作品とします。これはどこでも見かける説明ですが、今日の研究ではうたがわれているようです。「約1,087もの曲」と書いたことからは、ある程度新しいところまで把握できているようですが、このあたりは耳に入っていなかったのでしょうか。ですが、BWV1087を知っているなら、カノンならそちらの妙技のほうが、もっと紹介したくなりそうです。YouTubeの他人の動画作品で説明しやすいことを優先したのでしょうか。あるいは、先ほどのゲーバー本にあるものにしたかったのでしょうか。
「実際の演奏では、向かい合わせに配置したピアノで行うのだが、演奏者の息がぴったりと合う必要があり、かなり高難度な楽曲だ。」、息があうのはどんなアンサンブルでも必要なのはともかくとしても、「音楽の捧げもの」は基本的に、楽器の指定はありません。もちろん、今のようなピアノは、あの時代にはまだありませんし、ピティナのピアノ曲事典で、音楽の捧げものを見ると、フォルテピアノの可能性にも疑問があるようです。むしろ、演奏者側が楽器まで選べる自由度が、この作品ならではのたのしみでもあります。中でもインパクトのあるものとして、ケーゲル指揮ライプツィヒ放送響: 音楽の捧げ物を挙げておきます。ほんとうの古楽器から入って、ケーゲルらしくまじめな演奏なのに、合唱が入ってきたり、最後に大オーケストラの編曲版が来たりと、とても冒険的な一枚です。