きょう、OKWaveに、自由研究という質問記事が出ました。
夏休みの自由研究のために、早めに行動していることに感心する人、もう質問サイトだのみとは早すぎるとあきれる人、それぞれだろうと思います。私が気になったのは、「研究」のとらえ方です。客観的な世界に属する原理を明らかにするというよりは、自分はみごとにやってみせたという、自分の能力に帰属されるものを行うのが研究というイメージなのでしょうか。基本は見えているものを自分でやってみせて腕前を披露するという、中学生ならある意味で身近な「研究」である、研究授業に似た発想ともいえそうです。
そういう研究観を想定すると、STAP細胞騒動で、世界中どこでも再現されないのに、200回成功したと主張する人を今でも平気で信じていられる人の感覚も、やや理解できる気がします。おやすみラフマニノフ(中山七里作、宝島社)で、わかれた息子の前で柘植は、「わしには才能を愛することはできても、その持ち主を愛することはできん。」と告げましたが、あの愛される才能、腕前は並ではありません。身近に心理学者がいたら、研究したくなるかもしれません。