きょう、マイナビウーマンに、上司の真似をする人の、実は尊敬していない心理とは?「脅迫観念」という記事が出ました。以前の、「割れ窓理論」が登場する記事の記事で取りあげたものと、ひょっとすると同じライターのお仕事なのではないかと思ってしまう、書きたくて書いている印象のしない記事です。
本文の中では「強迫観念」となっていますが、タイトルには「脅迫観念」とあって、少なくとも心理学の用語としては、前者が正しいです。「漢字」間違っているのはどっち?(守誠著、青春出版社)でも、後者は四字熟語としてまちがいとされています。同じくマイナビウーマンの記事、彼とのお泊りデートのために、女性が密かに行う身だしなみとは?に起きたように、そのうちタイトルを直すかもしれません。ですが、「脅迫観念」という表現が、強迫観念よりもしっくりくるような使い方を見かけることもあります。都市感性革命 二十一世紀を生き抜くこどもたちのために(加藤寛二著、文芸社)には、「人は優しいというより恐いという脅迫観念で教育されると、自分への攻撃的衝動を間近に感じて人は身体接触も恐れるように」とあって、ここで著者が書きたいのは「脅迫」の語感であるように感じます。心理学関係でも、そだちの科学 21号(日本評論社)に出てくる「返事をしなければならない脅迫感」に、やや近い印象をうけます。「魚貝類」のように、私は今でも好きになれませんが、いずれ日本語として定着するのでしょうか。
論旨もよくつかめません。まねた結果として関係が円滑になるのはよくて、円滑にしたくてまねるのはよくないような書き方がされています。ここ数年での神経言語プログラミングの一般進出は、まったく気にかけていない一般の心理学者が多いようでやや気になりますが、その中で広く知られるようになった「ミラーリング」への批判的な態度ととるところでしょうか。また、「「恐怖」や「憎しみ」から、自分の身を守るための方法」とありますが、恐怖はすぐ前に書かれていても、憎しみのほうは唐突なように思います。「好意からの真似なのか、悪意からの真似なのか」についても、悪意でのまねのお話は出ていないように、私には読めます。「叱責のターゲットにされないために」というのが、悪意なのでしょうか。
自分は自分、自分に自信をもって、まねでは成長しない、といったただのものまね批判ではないのは、悪くないと思います。日本を救うC層の研究(適菜収著、講談社)は、「「人のまねはよくない」というのは、近代に発生した妄想にすぎません。」と言いきっています。ワンダーフォーゲル 2013年12月号(山と渓谷社)で木下浩二という人が相談しているように、あるいは先ほどのミラーリングでもありがちですが、ぴったりまねされるほうはいい気分がしないこともあるでしょう。一方、まねるほうとしては、仕事でも何の道でも、もうわかっていることに、実際にまねるとあらためてわかることがあります。ビジネスに効く 英語の名言名句集(森山進著、研究社)に、"That is what learning is. You suddenly understand something you've understood all your life, but in a new way."という、ドリス・レッシングのことばが紹介されています。きょう、そのレッシングの訃報が入りました。ご冥福をいのります。