生駒 忍

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内向的にそだつ発達的要因と積極奇異型

きょう、Techinsightに、「未熟児で誕生すると性格が内向的になりがち」と英・研究チーム。という記事が出ました。

「「未熟児」として誕生する赤ちゃんの割合が年々増加していると言われる。」と書き出されます。これに関しては、「未熟児」と同義ではないのですが、妊娠食育研究会のウェブサイトのページ、胎児からメタボに?!で、低出生体重児の割合のグラフをご覧ください。

「1985年および1986年に誕生した、未熟児と診断された赤ちゃん200人とそうでない赤ちゃん197人のその後のパーソナリティ面について観察、調査を行ってきたという。」という研究で、「未熟児で誕生した赤ちゃんは、高率で内向的な性格を示すようになってくるというのだ。」そうです。「胎内で赤ちゃんの脳は構造から機能に至るまで常に成長を続けているが、誕生というスイッチによりそれが変化してしまうことが考えられるそうだ。」という要因もあると思いますが、早生まれをめぐるマタイ効果の記事で取りあげたような影響も考えられます。同じ年齢でも、より成長が早いほうがコミュニケーション能力が高く、そのためコミュニケーション行動がうまくいき強化される機会が増えてと、そだつ中で差が開くことになります。しかも、内向型人間の時代(S. ケイン著、講談社)が指摘するように、学校の多くは外向型の子どもに向いた場なのです。

「内向的な性格といっても心配性であるため冒険心に欠けている、周囲に存在感をアピールできないといった場合が多いものの、トラブルを巻き起こすようなタイプは見かけない」そうですが、「アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)である例もより多かった」とします。AFPBB Newsの記事、未熟児の自閉症リスク、正常な新生児の5倍のような発見とも対応するところですが、その中でも存在感がアピールされる積極奇異型は、出にくいのでしょうか。一方で、よくわかる 大人のアスペルガー症候群(梅永雄二監修、主婦の友社)は、自閉症スペクトラムの積極奇異型、受け身型、孤立型の3分類を示した上で、「いずれもトラブルの元になることが少なくありません。」としています。

脳を刺激することばかけとピアジェの博士論文

きょう、Medエッジに、意識を失った人の目を再び覚まさせる、知り合いの語りは脳を刺激して回復を早めるられるかという記事が出ました。

本文より先に、「写真はイメージ。記事と直接の関係はありません。」として登場するのは、ヘンリー・メイネル・リームの水彩画、Sleeping Beautyです。眠れる美女(川端康成作、新潮社)の作者が産まれたころの作品です。

「直感的には話しかけると脳が刺激されて、意識の回復が早まりそうな気がする。」、そういうイメージは理解できなくもありません。私のいる業界では、意識が遠のいている人を、この刺激で回復させることはよくあります。映画などで、力つきて意識がうすれていく人に、大声であたる場面も見かけます。ですが、誤解しないでほしいのは、てんかん発作で意識をうしなっている場合は、この刺激は有害であることです。てんかん協会のウェブサイトの、発作に出会ったらをご覧ください。図解入門 よくわかる最新「脳」の基本としくみ(後藤和宏監修、秀和システム)の、「社団法人日本てんかん協会の推奨する対処法(初級編)より抜粋。」も、このページからのようです。

「神経分野の専門誌であるニューロ・リハビリテーション・アンド・ニューラル・リペア誌」、これはNeurorehabil. Neural Repairのことでしたら、neurorehabilitationで1語です。佐賀県の労災事故の記事の最後に触れたことを思い出しました。

「こういう研究は、最終的には統計的有意差を追求するより、結果を積み重ねる方が理にかなっているような気がする。」そうです。意味がよくわからないのですが、まとまった人数をそろえて検定ひとつで決めるよりも、事例を積んでその数で納得させるほうがよいということでしょうか。対象が特殊ですので、人数を集めることに苦戦して、研究が中止、ないしはお蔵入りになってしまうのでは、もったいないと思います。一方で、カウンセラー 専門家としての条件(金沢吉展著、誠信書房)は、「書店に行けば書棚には個人療法の本ばかりが並び,カウンセラーはいかに自分が困難なケースを成功に導いたかを誇り高く論じる。」「学会の発表さえこうしたケース報告が幅をきかせる。」となげきましたが、特異な事例で前後比較で奏効したように見えるものは、発表したくなりますし、一定の価値はありますが、公刊バイアスがとてもきついので、メタ分析を含めて、数を積めば理があると考えるには不安が大きい性質をもちます。

それで思い出したのが、心理学ワールド68号です。私のところには、地方なので、きょう届きました。特集は「その心理学信じていいですか?」で、測定や統計に関することが中心です。QRPや公刊バイアス、NHSTの誤解や限界のお話もありました。筆者のひとりによるツイート、5回も出てくる「ローマンd」は必見!の意味が、ようやくわかりました。初校では、Cohen'sをイタリック体にされていたのでしょう。

今号ではほかに、こちらは「お詫びと訂正」にはなかったのですが、心理学史の複線径路[第7回]に、校正漏れがあります。「ピアジェは地元のヌーシャテル大学理学部に進学し、1918年には同大学で軟体動物(スネーク)の研究により動物学の博士号を取得しました。」とあって、ヘビは脊索動物門なのではと思った人も多いでしょう。ここはおそらく、スネールの誤りです。筆者の所属大学は同じですが、スイス便りの2には、「ピアジェは、もとともは生物学者として進化論に出会い、モノアラガイの研究で博士号を得ました。」とあります。もちろん、学名から想像がつくように、種としてのモノアラガイではなく、モノアラガイ類の何かのことでしょう。ピアジェがあつかったのが具体的に何かを知りたい人もいると思いますが、あのグループの分類には、いまでも混乱や議論がありますので、気をつけてください。

ネット依存の有病率とひまな時間の有害性

きょう、Medエッジに、ネット中毒、世界で最も高い地域は? 国際的に「リア充」と「ネット中毒」が逆相関という記事が出ました。

「香港大学心理学部の研究グループが、電子通信に関わる心理学や行動学を扱う国際誌、サイバーサイコロジー・ビヘイビアー・アンド・ソーシャルネットワーキング誌で2014年12月17日に報告している。」ということで、Cyberpsychol. Behav. Soc. Netw.17巻のInternet Addiction Prevalence and Quality of (Real) Life: A Meta-Analysis of 31 Nations Across Seven World Regionsの紹介です。ここで、研究者の所属部署は、心理学科と訳すべきだったと思います。社會科學學院の中の心理學系で、英語でDepartment of Psychologyです。

「世界的な有病率の推定値は6%」、これは高いと見るべきでしょうか、低いと見るべきでしょうか。また、この書き方には、やや難があります。信頼区間を書かないのは、行橋京都児童発達相談センター開設の記事で触れたような、一般向けにはむずかしいという事情で理解できますが、小数部のけたは意識してほしかったと思います。「最高値は中東の10.9%、最低は北欧と西欧の2.6%だった。」とあるところと、そろえて書くと自然でしょう。なお、ここを節タイトルでは、「中東が約10%、北欧や西欧は3%弱」としていて、端数処理の感覚が、この筆者は独特です。

「国際間の偏りを説明するのに、有病率はインターネットの普及率および経済力と正の相関にあるという「アクセサビリティ仮説」という考え方がある。一方で、有病率は生活や環境の質と逆相関の関係になると「実生活の質仮説」の2つの提唱されている。」、そして「調査結果によって後者の仮説が実証された」とします。ここで気をつけたいのは、2説はMECEどころか、かたい相互排他的関係ともいえないことです。結果が後者、Quality of (real) life hypothesisですので「(実)生活の質仮説」と訳したいところですが、これと整合する方向だったこと自体は、アクセサビリティ仮説の直接の反証ではありません。記事には書かれていませんが、インターネット普及率やGDPとの、メタ回帰分析での負の関連が、アクセサビリティ仮説に否定的な知見となっています。

「リアルな生活が充実しているほど、ネット中毒は減っていく。」、やや拡大解釈ですが、直観的にはもっともなところです。ネットにはまろうにも、そんな時間がリアルに残っていないくらいに充実した毎日であれば、はまるひまがありません。日本のことわざに、小人閑居して不善をなすとあるのは、ひまがろくなことを生まないことを指すようになっていますが、心理学的にも、ひまがあると悪いものが入りやすいとわかっています。非行の原因 家庭・学校・社会へのつながりを求めて(T. ハーシ著、文化書房博文社)の絆理論は、巻き込み、つまり学業、部活動、家の手伝いなど、日々健全な活動に従事させることが、悪事に誘惑されるすきをうめて、非行への道を閉ざすとします。おとなもそうでしょう。週刊東洋経済 8月9・16日号(東洋経済新報社)では、「ミスター牛丼」安部修仁が、「みんなに不安を抱かせないようにする一つのテクニックは、忙しくすることです。」と明かしました。格付けしあう女たち(白河桃子著、ポプラ社)によれば、「ヒマがある集団」、「成果主義ではない集団、ある意味ぬるい集団」には、不毛な女子カーストが生じやすいそうです。あるいは、やや観点が異なるのは、普門軒の禅寺日記の記事、divertissmentです。フランス語のdivertissmentの語源をひもといて、「私たちは「ゆとり教育」という言葉に代表されるように、娯楽や余暇を持つことを是としているが、その余暇(ゆとり)には、同時に(重要な問題から)関心をそらせることという意味があることも覚えておきたい。」とします。なお、「ちなみに近代以前の日本には、いわゆる日曜日のような安息日というものはなかった。」とあるように、ここ百数十年が特殊であって、庶民が仕事を休むのは、盆と正月くらいだったのです。

ボディクロック研究会の発足と「時計遺伝子」

きょう、ネムジムに、ボディクロック研究会が発足~体内時計の改善による睡眠衛生を促進~という記事が出ました。

こういう名前の研究会で、「「ボディクロック」(=体内時計)は、人間の体に備わっている、生体リズムを調整する機能です。」とします。体内時計ということばで、すでに日本語として、一般にもある程度なじんでいると思いますので、カタカナにせずに、「体内時計研究会」でよかったようにも思います。学術的には、body clockも見かけますが、biological clockのほうが一般的です。寿命をつくるはたらきとは区別したかったのでしょうか。かっこよくカタカナで名のろうにも、「ツァイトゲーバー研究会」ではしきいが高そうですので、やさしい英語にしたのでしょうか。また、「人間の体に」という限定条件にも、気をつけたいところです。

限定ということでは、「睡眠衛生を促進し、日本全体の活力向上に」、「日本の将来を担う「子どもの睡眠」に重点」、「子どもの体力向上を支援し、東京オリンピックでのメダル獲得に貢献」、「子どもの学力世界1位の達成を支援」と、ターゲットは人類の健康、世界のしあわせとせず、わが国にしぼるところも特徴的です。研究費集めのターゲットが国内だという意味で理解したい人も出そうです。

「記者発表会では同会構成メンバー中の4人(理事長・内村直尚氏 研究会員・明石 真氏、岡 靖哲氏、松本悠貴氏、三橋美穂氏)が、それぞれの研究・活動内容をベースにした講演を実施。」とあります。かっこの中が、何度数えても5人です。理事長はメンバーではないという可能性も、次の段落からは否定されます。

「ウェブサイト等による情報公開や市民講座等のイベントを通じて、ボディクロックに関する正しい知識や改善方法を広く社会に発信」したいようです。すでに、公式ウェブサイトの公開は始まっています。のぞいてみると、「Body Clockリセットで、日本のパフォーマンス向上を目指します」、「日本全体の活力やパフォーマンスを向上させることを目的に、睡眠に関連した専門家が集まり発足した研究会」、「子どもの睡眠を守り、日本の将来の成長につなげたい」、やはり日本がターゲットです。理事長もやはり、メンバーです。「人間の体に備わっており、カラダのさまざまな生体リズムを調節しているのがボディクロック(体内時計)です。ボディクロックは、「時計遺伝子」と呼ばれる細胞で構成された細胞群です。」、やはり人間の話題というあつかいですが、細胞の呼称に遺伝子という表現は、この会ではそういう定義をとりますと言われたとしても、好ましくないと思います。「ボディクロックは、24時間周期に近いとされています。」、概日リズムは25時間だという誤解を正してもらえるのなら、ありがたいです。最後の著作権表記が、「bodyclock」というところに権利があるような書き方で、気になります。なお、公式のURLとして出されたbodyclock.jpは、ここへの単なるリダイレクトで、WHOISで見ると、登録者は株式会社コスモピーアール、つまりこの記事を掲載したネムジムの運営主体です。

サラダ油が脳を殺す(山嶋哲盛著、河出書房新社)には、「現代社会では、五人に一人が眠りに関する何らかの悩みを抱えていると言われます。」とあります。わが国の大学では、関西福祉大の「朝活」の記事で取りあげたような、生活リズムを意識した朝食提供サービスが現れています。新たな研究会が、日本のためになってくれるのはありがたいことですし、よい知見はいずれ、世界のためにもなります。活躍を期待したいと思います。

平凡な顔への信頼性と美女の顔の記憶困難

きょう、バズプラスニュースに、プリンストン大学研究者「平凡な顔は魅力度では劣るが信頼度は高い」という記事が出ました。

「92人の女性の顔を合成して作った「平凡な顔」」と「12人の美女だけの顔を合成して作った「美人顔」」との比較だけの、単純な実験計画のように読めますが、そこまで単純ではありません。後で、「顔の作りが平均に近くなるほど美人顔より信頼度が高くなる傾向があったんだそう」とあって、おかしいと気づけるようにはなっていますが、省略しすぎだと思います。ややこしいところを捨てること、おもしろいところをシンプルに見せることの意義も理解できますが、誤解や混乱をまねくのは困ります。画像も、今回の実験刺激ではないどころか、一般的な平均顔でもなく、おそらくは顔の加齢変化を予測するソフトウェアの出力だと思います。女性の顔写真を使ったことは、文中でわかりますので、無関係な画像だったと気づけるようにはなっていますが、好ましい使い方ではないでしょう。なお、性差の要因をさけるために、実験参加者も女性でそろえた研究です。

「よく「サギ師には平凡な顔が多い」などと言われますが、この話を見ると思わず納得であります。」、おもしろい視点だと思います。いかにもなあやしい顔では、警戒されてだましにくいでしょうから、「サギ師」という肩書きで見られるほどに、悪行で成功していけるには、平凡な外見が役だつのかもしれません。すると、外見以外でも、同じような効果はありそうです。たとえば、名前です。フィクション作品ですが、ある日、アヒルバス(山本幸久作、実業之日本社)では、偽伯爵と命名されていた常連は、逮捕されてみたら、平凡な名前だったとわかったのでした。また、ここに死体を捨てないでください!(東川篤哉作、光文社)では、朱美が、平凡すぎる名前は記憶に残りにくいと指摘し、砂川は志木の、鵜飼と朱美は砂川の、下の名前が出てこないことに気づく展開がありました。

一方で、顔の記憶実験で、平凡な顔がおぼえられにくいことは、そのメカニズムにはなお議論がありますが、確実です。これも、だましては逃げをくり返すには、好都合ともいえます。最近ではたとえば、JEP:G第142巻のThe intrinsic memorability of face photographsが、平凡さも、感じられる責任感も、その顔の記憶されにくさと対応することを示しました。ですが、信頼度については、不明確でした。なお、顔の魅力は、低いほうが忘れられない傾向がある一方で、高いと見ていないのに見たと思われてしまうという結果でした。そういえば、アルゼンチンババア(よしもとばなな作、ロッキングオン)では、父が、ほんとうにきれない女性は、見ても見ても顔をおぼえられないと言っていました。

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