きょう、関西福祉大学のウェブサイトに、関西福祉大学 「朝活」の取り組みについてという記事が出ました。
福祉系の大学ですので、資格試験へ向けた勉強会なのかと思いましたが、そうではありません。学生に1食150円で朝食を提供するのが、ここの「朝活」なのです。一般的なこのことばの意味からすれば、大学での朝食提供は朝活の支援にはなっても、朝活そのものとは考えにくいのですが、ここでは「朝活」です。もちろん、少し前に書いた万引き防止システムの騒動の記事で触れた「ブラック企業」のように、別の意味のほうが世の中に広まって入れかわってしまうこともあります。私は、この「朝活」はそうはなれないと思いますが、どうでしょうか。また、大学の人間に、正しい意味での朝活にあまりなじみがないことも、関係しているかもしれません。たとえば、「朝活の代名詞」としておなじみの丸の内朝大学を受講したというお話は、少なくとも、私のまわりの同業者からは、一度も聞いたことがありません。
ここの「朝活」の目的は何でしょうか。大学側の目的での朝食提供のようで、学生側が目的意識をもって来るものには見えにくいのが、ふつうの朝活のイメージとはまた違います。大学側としては、「朝型の生活を推奨」し、「特に入学したばかりの新入生に、学生生活のスタートから朝型の生活を定着させることもねらい」、「規則正しい生活のリズムを獲得しながら、学びの充実に繋げていく」ようにのぞむもののようです。1限の授業を週4こま持っていて、朝が苦手になる大学生の問題はよくわかりますので、これは大学の方針として有意義だと思います。
一方で、まったく別の方向性のねらいもあるようです。記事には、「食堂空間が、学生や教員の交流の場となってほしいとの願いを込めたものです。」ともあります。文の流れとしては唐突でしたが、この方向性でしたら、正しい意味での朝活でもあるように見えます。これもまわりの同業者が参加しているとは聞かないものですが、朝カフェの会は、飲食はありますがメインはそこではなく、あくまで交流の場で、1時間の違いですべてが捗る 朝活のススメ 安心して参加できる 厳選朝活ガイド付き(インプレスコミュニケーションズ)にも取りあげられました。そういう場なのでしたら、学生は目的意識をもって来るでしょうし、それが結果的に朝型生活をうながして、大学側のねらいも達成できそうです。ですが、教員の位置づけがよくわかりません。この「朝活」は「全学生を対象」としたもので、「学生や教員の交流の場」になるのでしょうか。また、交流を主目的とする場の色あいが強くなるほど、それが好きでない学生が敬遠するようになって、朝型のリズムをつくる機会を使えなくなってしまいそうです。この機会に苦手を克服しようと呼びかけても、週刊東洋経済 10月12日号(東洋経済新報社)でいう「頑張れないものは頑張れないし、やりたくない仕事はやりたくない」ナチュラル系学生は、全否定でおしまいかもしれません。いきなり「私はコミュニケーションが嫌いだ。」と書き出す、反コミュニケーション(奥村隆著、弘文堂)を思い出しました。