きょう、バズプラスニュースに、プリンストン大学研究者「平凡な顔は魅力度では劣るが信頼度は高い」という記事が出ました。
「92人の女性の顔を合成して作った「平凡な顔」」と「12人の美女だけの顔を合成して作った「美人顔」」との比較だけの、単純な実験計画のように読めますが、そこまで単純ではありません。後で、「顔の作りが平均に近くなるほど美人顔より信頼度が高くなる傾向があったんだそう」とあって、おかしいと気づけるようにはなっていますが、省略しすぎだと思います。ややこしいところを捨てること、おもしろいところをシンプルに見せることの意義も理解できますが、誤解や混乱をまねくのは困ります。画像も、今回の実験刺激ではないどころか、一般的な平均顔でもなく、おそらくは顔の加齢変化を予測するソフトウェアの出力だと思います。女性の顔写真を使ったことは、文中でわかりますので、無関係な画像だったと気づけるようにはなっていますが、好ましい使い方ではないでしょう。なお、性差の要因をさけるために、実験参加者も女性でそろえた研究です。
「よく「サギ師には平凡な顔が多い」などと言われますが、この話を見ると思わず納得であります。」、おもしろい視点だと思います。いかにもなあやしい顔では、警戒されてだましにくいでしょうから、「サギ師」という肩書きで見られるほどに、悪行で成功していけるには、平凡な外見が役だつのかもしれません。すると、外見以外でも、同じような効果はありそうです。たとえば、名前です。フィクション作品ですが、ある日、アヒルバス(山本幸久作、実業之日本社)では、偽伯爵と命名されていた常連は、逮捕されてみたら、平凡な名前だったとわかったのでした。また、ここに死体を捨てないでください!(東川篤哉作、光文社)では、朱美が、平凡すぎる名前は記憶に残りにくいと指摘し、砂川は志木の、鵜飼と朱美は砂川の、下の名前が出てこないことに気づく展開がありました。
一方で、顔の記憶実験で、平凡な顔がおぼえられにくいことは、そのメカニズムにはなお議論がありますが、確実です。これも、だましては逃げをくり返すには、好都合ともいえます。最近ではたとえば、JEP:G第142巻のThe intrinsic memorability of face photographsが、平凡さも、感じられる責任感も、その顔の記憶されにくさと対応することを示しました。ですが、信頼度については、不明確でした。なお、顔の魅力は、低いほうが忘れられない傾向がある一方で、高いと見ていないのに見たと思われてしまうという結果でした。そういえば、アルゼンチンババア(よしもとばなな作、ロッキングオン)では、父が、ほんとうにきれない女性は、見ても見ても顔をおぼえられないと言っていました。