きょう、ORICON STYLEに、スポーツをがんばる中高生に朗報!将来に道を開く大学のキャリアコースがスタートという記事が出ました。
同じくORICON STYLEにきのう出た記事、今、大学がおもしろい! 大学を探検する シリーズVol.3の姉妹記事のようです。きのうのものは、あのようなタイトルのシリーズですが、これまで毎回とも追手門学院大学だけの探検に徹する、特徴的な企画です。おそらく、近日中に、大学のメディア一覧という変わったタイトルのページに、Vol.3も紹介されることと思いますが、きょうのものも、合わせてあつかわれるでしょうか。
「スポーツに取り組む中高生にとって心配なことは、将来、その道でキャリアを積むことができるのかということ。」と書き出されます。そうでしょうか。もちろん、本気でそう心配している生徒もいると思いますが、いまは毎日運動部で汗を流しながらも、将来にも「その道」のキャリアをはっきり想定するのは、少数派であるように思います。それとも、そういう低い意識での活動は「取り組む」という表現に値しないという立場なのでしょうか。一方で、以前に若者のやりたいこと探しの記事で紹介した濱口美菜の事例のように、明らかに本気で取りくみ、成果を出した高校生が、やりたいことを理由に「その道」をおりることもあります。
「「スポーツに対して、学問として多角的に向き合う」ことを目的とした「スポーツキャリアコース」を今秋からスタートする。」とあります。コースといっても、学部や学科とは独立した位置づけで、学部の卒業証書とは別に、「修了証」を発行するそうです。ここで気になるのは、まず、学問として向きあう機会はあってよいのですが、それがこのコースの主目的と考えてよいのかどうかです。一般論としては、学問でも何でも、学ばないよりは学んだほうが、キャリアにつながるひきだしを増やすことにはなりますが、学問の方向とキャリア教育の方向とでは、かなり異なってくるように思います。公式サイトを確認すると、「スポーツに対する多角的な取組みを正課教育プログラムとして提供し、自ら のスポーツ体験と合わせて将来のキャリア形成に生かすことができます。」とあり、ねらいのわからない半角スペースはあっても、学問という表現は見あたりません。「多角的な取組み」には、記事冒頭の中高生のような取りくみだけでなく、学問も含まれてよいとは思いますが、どうでしょうか。また、今秋からということですと、このコースはまだスタートしていないと理解してよいでしょうか。以前に書いた西九州大学心理カウンセリング学科の記事の例とは異なり、こちらはかなりあいまいです。姉妹記事と思われるVol.3のほうには、「追手門学院大学 スポーツキャリアコースを訪問」とあり、ないところに訪問はできませんが、「同コースは、1年生の秋からスタート。」とも明記されています。公式サイトには、「「スポーツキャリアコース」4年間の流れ」という図があり、今秋に始まると考えると、この4年間というタイトルとはなじみませんし、図にあるカリキュラムでは、先頭を切る「トレーニング論」は春学期の終わりから始まるように見えます。
「2020年の東京五輪開催に向けて日本ではスポーツビジネスに注目する人も増えてきており、こういったスポーツキャリア教育への需要もますます高まるに違いない。」とあります。「スポーツキャリア教育」という表現は、耳なれないものですが、いずれ定着すると思ってよいでしょうか。スポーツのあり方、かかわり方、動かし方などを広く学ぶこと、学ぶ姿勢をつくることは、本人のキャリアだけでなく、これからのスポーツ界全体にとっても、よい影響があると思います。そういえば、心の野球 超効率的努力のススメ(桑田真澄著、幻冬舎)には、「「野球選手が勉強をしない」「素行が悪い」「ベンチや応援団が汚いヤジを飛ばす」といった問題は、日本に野球が伝わってから140年近く経っても変わっていない。」とありました。