生駒 忍

記事一覧

「ジョージア」表記への非対応とロシアはずし

きょう、web R25に、【激撮】グルジアの民が描くウシュバ山という記事が出ました。

タイトルから、表記が「グルジア」で、時流に乗っていない印象ですが、知らずに書いたわけではありません。「同国の要請により、日本政府が、英語の発音を元にした「ジョージア」に国名表記を変更する方針を政府が固めたことでも注目されている。」と、政府がというところを強調しているようですので、反政府とまではいかなくても、お上の決めごととは距離をおきたいという立場なのでしょう。あるいは、英語読みにすることが、英語帝国主義を連想させて気にいらないのかもしれません。サカルトヴェロと呼ばせないのはなぜかという疑問もあると思いますが、その視点では、Japanはどうでしょうか。

「アラブやモンゴル、ペルシャやオスマンなどの強大な帝国」、このくくり方は落ちつきません。「グルジア」表記につながったロシア帝国がはずされていて、筆者が反英米、親ロシアに見えることも気になりますが、オスマン帝国のみ、ほかと次元が異なります。どれも「帝国」とつけることはできますが、オスマン朝とも表記されるように、オスマン家の王朝ですので、ここはトルコと書くことで、セルジューク朝も含めることができますし、名字と名前とが混在しているような状態が解消されます。そういえば、心を描く心理学 アートセラピー表現に見られる青年の心(村山久美子著、ブレーン出版)は、イギリス経験主義の哲学者ジョン・ロックを、「ロック(John, L.)」と表記しました。ほかにも、ふしぎなつづりの人名がいくつもあって、初学者には気をつけてほしい本です。

ひとことで語った新婚生活とNHKの「悪意」

きょう、スポーツ報知のウェブサイトに、K、関根麻里との新婚生活「楽しいです」という記事が出ました。

「歌手のK(27)が7日、都内で行われたショートフィルム「ビタースウィート~オトナの交差点」のPRイベントに登場し、タレント・関根麻里(29)との新婚生活について語った。」と書きだされますが、語ったといってよいでしょうか。新婚生活については、タイトルにある「楽しいです」のひとことしか言わなかったようです。映画.comにきょう出た記事、本仮屋ユイカは「男に依存せず、仕事を優先するタイプ」と判明など、このイベントを取りあげたよその記事をいくつか見てみましたが、これ以上の発言内容は確認できませんでした。もちろん、楽しいことはよいことですし、相対的剥奪の記事の最後に取りあげたように、シンプルのよさもありますが、語りが来ると思って読むと、ずっこけます。思わず聞きいる 主賓のスピーチ(青空球一監修、高橋書店)にある、「世界一短い乾杯…」のエピソードを思い出しました。

「好きな映画についての心理テスト」とあって、何かの「心理テスト」で好きな映画を見ぬくのかと思いましたが、映画は予測変数のほうでした。ですので、Kはロボジー(矢口史靖監督)が好き、のようなしらじらしい展開になるわけではありませんでしたが、「「誰かを守りたい願望が強い」と分析されたK」が、新婚の妻を守りたいのだとひやかされて、やはり予定調和なのでした。そういえば、トピックニュースにきょう出た記事、「とくダネ!」で名古屋市バスの相次ぐトラブルを特集 小倉智昭氏は乗客のマナーを問題視には、「お客様の命を守るのが第一義」とされたバス運転手の、逆走、蛇行運転、運行中のスマートフォン使用と、守れるのかひやひやする実態がありました。

さて、画像は出演した3人が並ぶものですが、先ほどの映画.comの記事などでわかるように、実際にはその向かって左に、監督の月川翔もいて、この記事では切られました。ややかたむいているのは、安倍なつみの表現の記事のように見れば、右肩下がりでネガティブということになってしまいますが、ミッキー・カーチスと本仮屋ユイカとの身長のバランスをととのえるために、こうしたのだと思います。

切る、ととのえるで思い出したのが、TV Bros. 8月2日号(東京ニュース通信社)で、キモいサイトウという人が行った、その本仮屋が出た学校放送番組の再放送に、NHKの「悪意」を見たという指摘です。NHKの好きな人、きらいな人はそれぞれ、あの指摘を見て、どう思ったでしょうか。

ベビーカーの外部不経済性とポジショントーク

きょう、PRESIDENT Onlineに、日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのかという記事が出ました。

日本男児ではなく「日本男子」という表現に、4か月前にTogetterに出た記事、『日本男子本』主催の木乃山さんとのやり取りを思い出しましたが、こちらはもっと広くさわぎになりました。夕刊アメーバニュースにきょう出た記事、ベビーカーをめぐりプレジデントオンラインが炎上中で、雑ですがすぐに取りあげられたように、ネガティブな反応が続出したようです。そうなるような刺激が、意図的かどうかはわかりませんが、しっかり入っていますので、そうなるのは当然でしょう。ですが、少なくともツイッターをざっと見た印象では、文字数の制約による制約も大きいと思いますが、筆者をののしり、さげすむ人格攻撃だけのものが多く、ベビーカー問題を緩和するくふうが議論されていく流れがあまり生まれなかったのは、残念ではあります。ツイッターとフェイスブックそしてホリエモンの時代は終わった(梅崎健理著、講談社)が、レジ打ちバイトに関するツイートで反発を買った例から、建設的な議論に進める気がなく、自分の立場から動かない「ポジショントーク」や、「おまえがいうな」になってしまう残念さを述べていたのを思い出しました。

「混雑している街中や電車内に持ち込むのははっきり言って迷惑だと思います。」、これ自体はまちがいではありません。ベビーカーでの公共交通利用に対する意識の国際比較の12枚目にあるように、先進国というよりアジア的な混雑を示す日本の電車では、ふつうに思うことでしょう。ですが、「僕の意見」とことわってはありますが、「ベビーカーは親のために開発された「便利な道具」に過ぎませんよね。」、「ベビーカーで得をしているのは親たちだけ」、どちらも限定表現をつけるべきではなかったと思います。「言葉を発することができれば、お父さんお母さんにおぶって欲しいと主張するのではないでしょうか。」としますが、これは証明がむずかしく、水かけ論をまねきます。私の母校で、校内行事の練習となっていた活動で死亡事故が起きて、命を落とした彼はその行事の開催を望まないだろう、いや、自分のせいで中止になることこそ望まないはずだと、正反対の解釈の衝突に、「死人に口なし」でのポジショントークは不毛だと両断する指摘があったと聞いたのを思い出しました。

また、「便利」「得」という表現も、ユーザーを刺激するところでしょう。今日の親世代では、もうきょうだいも少なく、いても歳がはなれることはめずらしく、拡大家族はもっと少なくなっていましたので、親になってからが初めての子守で、「便利」「得」の比較基準になる過去経験がないのがふつうでしょう。むしろ、ベビーカーのないひとりでの外出と比べたら、ベビーカーをともなうほうが、明らかに不便です。

そこに、「楽に決まっています。」と来るのが、刺激を強めます。同じように、「楽」の比較基準の問題が生じます。また、ここは日本的な感覚なのかもしれませんが、楽することへの後ろめたさや、楽をしてずるいと思われそうな不安が、「楽」を意識させられることへの反発をもたらす面もありそうです。あるいは、抱っこひもよりも高いお金を出したのだから、抱っこひもより楽なのは当然で、自分のお金で楽をして何が悪いという声もあるでしょう。

「ベビーカーは必需品とは言えない。」、これも考えものです。よほどのお金持ちなら、かかえたベビーシッターが常にかかえていて、ベビーカーなどいらないのかもしれませんが、多くの家庭で所有するものです。庶民向けではない高級品もある一方で、所得に比例して何台も増やしていくことは考えにくいので、所得弾力性は1に満たない正の値となると考えられます。つまり、ミクロ経済学の用語では、必需品だといえそうです。筆者は、そういう意味ではなく、そのくらしになくてはならない必要な物品というくらいのイメージで、必需品と表現したのでしょうか。そうなると、とてもめんどうです。ベビーカーをより安い抱っこひもにかえたくらいで、親子が生きられなくなるとはとても思えませんが、身体的な負担や制約が増えて、くらし方に影響しますので、前と同じくらしのためには、ベビーカーは「必要」なのです。貧困家庭の支出内訳に対して、通信費がかかりすぎ、外食しすぎなどと批判が起こることがありますが、そのくらしには「必要」なのでしょう。さらには、生活保護で酒、たばこはおかしい、たまのたのしみならまだしも、毎日もくもくと吸って生活が苦しいなんてもってのほかという考えもわかりますが、あれは「必需品」で、ないとあのくらしは回らないのです。

ベビーカーの問題は、そのたばこに似たところがあります。本人だけかどうかはともかくとしても、本人は心地よくなれる一方で、まわりに不快をもたらします。経済学でいう、外部不経済のパターンです。その意味では、本人は過剰な財を得られているとも考えられますが、「楽」自体でいやがられるというよりは、本人は楽でもまわりが迷惑するために、ベビーカーはいやがられてしまうのです。経済学的には、外部不経済の問題には、内部化での対処を考えます。ベビーカー乗車のたびに、まわりの人に「迷惑料」をはらうようにさせるのがシンプルで、混雑時ほど出費になるので乗車バランスの調整にもなってよさそうですが、非現実的です。鉄道会社でベビーカーに追加料金を設定するのも、とにかく反対でつぶされるでしょうし、抱っこひも割引で、反対に鉄道側に損害をかぶせるのも落ちつきません。「ベビーカー専用車両」でも設定しましょうか。

意識を変えようという、非経済学的で、ですが心理学的とも言いにくい方法も、あることにはあります。先ほどのベビーカーでの公共交通利用に対する意識の国際比較を見ると、マナーに対する日本のきびしさは突出していますので、これを甘くできますでしょうか。ですが、サンプルにかたよりがあり、日本のサンプルの子もち率や、電車内でも自分の世界に入れるスマートフォンの所有率の低さは、ここでは世界一ですので、そのバイアスもありそうです。また、マナーが悪いのは、ベビーカー利用者の一部だと思いますので、そこに向けた啓発も、考えることはできます。ですが、たばこであれば、大きな企業が気のきいたマナー改善の呼びかけをしていますが、ベビーカー業界で同じようにはいかないでしょう。ベビーカーにやさしくしましょうと、広く外部の譲歩を求めるのが現実的でしょうか。ひとりのときの移動としか比較できず、「得」や「楽」の逆だと考えてしまう親も、ベビーカーの「乗客」にまわりがにこやかに声をかけるような雰囲気ができれば、よい気分になれて、ゆずりあいの心にもつながるというイメージはできます。それでも、私が声をかけたのでは、「声かけ事案」になってしまうかもしれません。人見知りアピールの記事で触れた米印の感覚で、誰でもとはならない可能性があります。

それにしても、「何事も慣れですね。」という筆者が、「混雑している街中や電車内に持ち込むのははっきり言って迷惑だと思います。」、ここも慣れていれば、こうは荒れなかったのにと思ってしまいます。何ごとにも例外はあって、しかもだいじなところに限って、そこだけ例外になるものです。そういえば、墓のない女(A. ジェバール作、藤原書店)で、ミナは「ラシードとわたしは、学生時代のこの最後の数か月、すべてについて話しました、愛を除いて!」と言うのでした。

「適度のストレス」の定義と広瀬すずの動画

きょう、美レンジャーに、毎日が苦しいあなたへ「ストレスに潰されない」理論的メソッド4つという記事が出ました。

「自律神経バランスの調整を得意とする、パーソナルトレーナーでもある筆者が、ストレス解消を理論的に解説」するとのことです。ですが、セリエ学説やNIOSH職業性ストレスモデルなどをきっちりと説明するわけではありません。「上司の存在、仕事量などの刺激(ストレッサー)に対して、歪みが生じたF状態をストレス状態といいます。」と始まり、いろいろ気になる人も多いと思いますが、ストレッサーをストレスとわけてあるようで、心理学での語法としてはあたりまえですが、一般向けのものですので、そこは歓迎できます。

「ストレスは決して悪いものではなく、「人生のスパイス」といわれるほど、人生において必要なものです。」、この比喩表現は、Stress Without Distress(H. Selye著、Lippincott Williams & Wilkins)にある、「Stress is the spice of life.」のことでしょう。「適度なストレスであれば、充実した人生を送れますが、過剰のストレスであれば、辛い人生となります。」、表現はともかくとしても、これもうなずけるところです。ニッカン動画にきょう出た記事、広瀬すず 「『セブンティーン』の表紙飾れた」を見ると、すずがアリスにいじり倒されるのはストレスになってはいても、楽しそうに見えます。ですが、「適度のストレスというのは、例えば(1)ストレッサー(2)適応力(キャパシティ)の天秤があった場合、(2)の適応力が重い状態を指します。」、「適度のストレス状態を作るには、(1)ストレッサーを極力小さくすることと、(2)適応力を大きくすることが必要」とします。ストレッサーを減らしすぎると、「人生において必要なもの」まで失われ、「適度」を通りこしてしまいそうですが、ここでの「適度のストレス」の定義から考えると、これでよいのです。

「具体的な対策方を2つずつご紹介」、ここからが本題のようです。2カテゴリがそれぞれ、先ほどの2種のりくつに対応するので、「理論的メソッド」と呼べるということでしょうか。ストレスコーピングの分類はさまざまですが、これは問題焦点型-情動焦点型の二分法に相当すると考えられます。

まずは、「問題解決」です。「ストレスを抱える方の多くは、問題が今後どのように続いていくのか、うまくいかなかったらどうしよう、などと未来を”悩む”ことがとても多いです。」とします。書きだしでは、ストレスはうつ病と関連づけられていましたが、時間と自己(木村敏著、中央公論新社)によれば、うつ病患者の時間世界はむしろ、ポスト・フェストゥムだとされますので、それとの関係をどう考えればよいのか、興味深いところです。

次は、「回避行動」です。一般に、うつ病の時に退職や離婚の決断は避けるべきとされますが、この環境調整の例はどうでしょうか。休職や別居は手前で止めてあるといえますが、転職はたいてい、退職が前提になるはずです。「環境を変えることで、ストレッサーが小さくなるのであれば、これは適切な回避行動といえます。」、そこで「小さくなるのであれば」という前提が確証された転職ならよいと考えてよいでしょうか。

情動焦点型にあたるほうは、まず「運動、アロマ、入浴、音楽など手軽な方法で発散」です。ソフトで「手軽な方法」であることがポイントでしょう。思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方(D. マクレイニー著、二見書房)にある、「ガス抜きをくりかえすと、攻撃的な行動が強化される。」ことには、注意が必要です。

最後は、「日記に書く」です。「適応力を大きくするには、まずは、自分を知る(精神分析)必要があります。」、精神分析を受けることが自己理解にどのくらい有効かはともかくとしても、その精神分析ではありません。

さまざまなくふうを提案しながらも、最後は「自分にそぐわない考え方だと辛くなります。自然体であなたのそのままで対応していきましょう。」と、下がってみせます。「ありのままを見てほしい」恋愛心理の記事で触れたような「ありのまま」メッセージで、がっかりしたでしょうか、それとも、ほっとしたでしょうか。

「がんが見つかるのが怖い」と低い受診率

きょう、Economic Newsに、日本が世界有数の「がん大国」である理由という記事が出ました。

「多くの先進国ではがんによる死亡率が減少しており、死亡率が上昇しているのは日本だけ」、「理由の1つは、日本が世界一の長寿国であること。」、誤解をまねく書き方だと思います。長寿であることと高い死亡率との対応は理解できますが、長寿であるから上昇していくというのは、飛躍があります。「高齢化にともなって高齢者の数が増える」、これも奇妙な書き方で、高齢者の数が全人口に占める割合が増えることであらわれるのが高齢化ですが、この高齢化で、がんで死ぬ率の高い世代が人口中で多くを占めるようになるほど、がんによる死亡率は上昇します。適切な国際比較として、がん研のがん情報サービスの、がん死亡率の5か国比較:フランス、イタリア、日本、イギリスおよびアメリカ 全悪性新生物 -WHO死亡統計データベースより(1960-2000)を見てください。

「もう1つの大きな要因は、海外と比べて圧倒的に低い、がん検診の受診率である。」、これももちろん、年齢構成の影響を受けはしますが、そこを考えるまでもないくらいに、日本の低さは突出しています。ですが、記事にある数字は、やや古いようです。「子宮頸がんはアメリカでは84%が受診している」とありますが、1日から始まった、平成26年度がん検診受診率50%達成に向けた集中キャンペーンで示された率は、85.9%です。「乳がんでもアメリカやイギリスが7割を超えているのに対して、日本は24%と低くなっている。」などとありますので、平成25年度集中キャンペーンのほうを見たのかもしれません。日本の値がどちらでも同じですが、ここは同じ2009年の統計ですので、同じでおかしくはありません。がん情報サービスのがん検診受診率を見ると、調べ方が同じではないのですが、確実に改善の傾向がうかがえます。今年度の集中キャンペーンのサイトを、昨年度と見くらべると、乳がんにも子宮がんにも倍増したように見えますが、グラフ下の注を見のがさないでください。また、国際比較グラフについても、どちらもタイトルに「2006年」とあったり、出所が「OECD Health Date」と書かれていたりと、おかしなところがありますし、いろいろと注意の求められるサイトのようです。

「がん患者の中で一番多い胃がんは、進行すれば5年生存率が半数を切るが、ごく初期の段階では9割以上が完治する。」とあります。がん情報サービスで胃がんを見ると、きのう数値の更新があったところですが、「進行すれば」はTNM分類によるⅢ期以降、「ごく初期の段階」はⅠ期と考えると、数値との対応がとれます。

わが国の受診率の低さについて、「内閣府の調査では、多くの人が「時間がない」ことを理由としていた。」とします。世論調査報告書 平成25年1月調査 がん対策に関する世論調査を確認すると、「受ける時間がないから」が47.4%で、1位であるとわかります。すると、時間があるくらし方と、がん検診の受診行動とは、対応するでしょうか。ですが、3位には、「費用がかかり経済的にも負担になるから」があります。同じくEconomic Newsにきょう出た記事、非正規雇用者57%が自活できないほど低収入は、誤解をまねきかねないタイトルが気になりますが、労働時間もお金も多くはない人が、若い世代にかなりいることをうかがわせます。非正規雇用では、被用者保険や安衛法の健康診断にも手が届きにくいですし、がん検診まではなかなかということになりそうです。

「「がんが見つかるのが怖い」という意見も」、これは内閣府調査の2位、「がんであると分かるのが怖いから」でしょう。早く見れば見るほどましな着地ができそうなのに見たくない現実を見ないようにする、こういう感覚は、さまざまな場面に見られます。北千住「111歳」年金不正受給事件も、単なるお金目あてというよりはそういう色あいの強い事件でしたし、CARPE・FIDEMの有名なコラム、不登校のまま何もしなかったらどうなるのか?へのネガティブな反応も、いつでもかんたんに復帰できるのにうそをつくなという指弾ではなく、とにかく見せるなという感情的な反発ばかりだったように思います。自分に見えていないものは存在しないという、いないいないばあをおもしろがる幼児のような認識なのでしょうか。開けなければ死んでいても生と重なっているという、シュレディンガーのネコのイメージなのでしょうか。消費者問題の苦しみの記事で触れた、高城れにや岡本杏理のポジティブな感覚とはまた異なるように思えますし、心理学的にも興味深いところです。

この流れから、がん検診を受けようと呼びかけて記事を終えるのかと思うと、その前にひとひねりがあります。「1回の採血で13種類ものがんを発見できる診断システムの開発」のお話が入って、それからです。これが興味をひくことで、結論の説教くささがうすまったように思います。ハリー・クバート事件 下(J. ディケール作、東京創元社)の、「4 アラバマのわが家」のとびらのメッセージを思い出しました。