日本やきもの検定の公認テキストだという、よくわかる日本のやきものという本があります。昨年1月に、岐阜新聞社から発行されました。
ですが、見たことのある人は、なかなかいないと思います。少し調べてみましたが、岐阜県内であっても、これを置いている図書館は数えるほどしか見つかりませんでした。県の図書館やセンター等の資料室ではゼロで、市立図書館では高山市、岐阜市、中津川市、可児市、多治見市が該当します。町村立ですと揖斐郡池田町だけで、私立図書館ではゼロ、高等教育機関だと岐阜大学の図書館にはあるようです。ところが、先日、松戸市立図書館が所蔵していることを知り、しかも本館などではなく、東部分館にあることにおどろきました。さっそく、きょう午後に、あの体育館の建物の2階へ上がって、ほんとうにあることを見てきました。NDC751の本が11冊ならぶ中に、たしかにありました。
さて、この本は、小さな一冊なのですが、いろいろとくせがあります。日本のやきものについて、初心者が広くやさしく学べるようにつくったのだと思いますが、あつかわれた内容には、かたよりが感じられます。永青文庫館長の竹内順一による序文に、「本書は、斯界で待望久しい日本陶磁史を概観するモノグラフィーである」とあるように、やきものの歴史、ないしは歴史的なやきものに重心をおいています。中でも桃山古陶と、それをふくめた茶道にまつわる器が本書の中心的な関心で、江戸時代から海外にまで出た有田の磁器もある程度取りあげられ、あとのいろいろは少しずつあっさりと書かれる形です。陶器の代表格が「志野焼・織部焼・萩焼・瀬戸焼・唐津焼など」という組みあわせと順序で挙げられていることからも、この本の立場がうかがえます。ちなみに、編集協力にこの本の「執筆者」である仁木正格が入っているやきものを買う旅 暮らしの中の陶磁器を見つける(婦人画報社)が、東部分館で同じ棚にあったので見てみると、陶器としては美濃焼、瀬戸焼、唐津焼、萩焼、益子焼、笠間焼、上野焼などが代表的だとありました。
日常で使うという視点は、ほとんどありません。ですので、選び方や手いれなどは説明されません。窯業の特性や動向も、関心外です。ここでのやきものは、歴史館や美術館でありがたく拝見するものになっています。縄文土器のような古代のものは登場しますが、庶民が使ってきたものには興味がないようです。民芸運動は取りあげられていますが、「濱田は益子の土や釉薬を用いながら、生命感の躍動する暮らしの器を創り出した」とはいっても、濱田庄司の作品をふだんのくらしで使うことは、なかなか考えにくいものです。信楽焼は、わび茶の流行の中で好まれたやきものという位置づけで、多くの人の信楽焼のイメージであるたぬきの置物は、どこにも登場しません。常滑焼は、中世の繁栄ぶりが取りあげられていますが、今ではおなじみの朱泥急須は登場しません。信仰や祭祀の用具は、高坏、経甕、古墳等の副葬品と骨蔵器、中世の瀬戸では仏具も焼かれたという記述があるあたりまでです。縄文時代の土偶、常滑の招き猫、博多人形、どれもありません。瓦、特に鬼瓦や、盆栽の鉢は、美術的にも文化史的にもおもしろいものがありますが、まったく話題にされません。灰皿も、陶製あんかも、豚の形をしていても箱とよぶ貯金箱も、出てきません。そして、皿や茶わん以上に、日々のくらしに欠かせない陶器である洗面台や便器まで、きれいに無視されています。
桃山古陶の中でも、志野焼への偏愛が目だっているのが、特徴的です。基本的には、たんたんとした書き方ですすんでいく本なのですが、志野焼の話題が出るたびに、筆致がやや熱くなります。志野(朝日新聞社)を著した荒川豊蔵が牟田洞で志野の破片を拾うエピソードには、このうすい本で1ページ近くを回しています。私には、たとえば砥部焼誕生の経緯でも、一般の人にわかりやすい感動的なエピソードで興味をひくようにも思いますが、志野焼の好きな人にはたまらないお話なのでしょう。また、卯花墻を、「口径10.4~11.6cm」という幅をもたせた形で表現しているのは、真円ではない形を正確に表現したかったためだと思われます。この本で、幅をもたせた書き方をしているのは、あとは串だんごのある赤織部の織部沓茶碗で「口径9.8~13.3cm」とあるだけですので、卯花墻の特別あつかいがわかります。一方、同じく大きくゆがんだわらやは、「口径13.7cm」と書かれていて、最近ですと小さな蕾 2013年3月号(創樹社美術出版)もしているような、幅をもたせた書き方をしていません。
実際には諸説や議論のあるところも、そうであることを書かずに、さらりと決めてしまっています。利休七哲は、千利休101の謎(川口素生著、PHP研究所)などにもあるようにいろいろな組みあわせが伝えられていますが、そのことには触れません。MIHO MUSEUMにある天目茶碗は、曜変天目とは認めません。御深井焼は、「おふけやき」と読ませます。加藤唐九郎の生年は、戸籍のものではないほうを採用しています。永仁の壷事件は名前だけ出てきますが、説明はなく、佐野乾山の真贋論争は取りあげられていません。古九谷論争は、それなりの書き方にしてあります。
著者の興味が向かないと思われる内容は、瓦や便器のようにまったく触れないか、あってもほんのわずかになるようです。代表的な陶器のひとつに数えられることのある笠間焼は、「戦前は藁灰釉・柿赤釉・飴釉の製品、戦後は伝統にとらわれない個性的な作品があふれる。」の一文でおしまいです。もっと短いのは大樋焼で、「加賀藩御用窯。代々、飴釉の茶道具が特徴。」とあるだけです。ただし、その埋めあわせなのでしょうか、大樋年朗がほかと異なる形で取りあげられています。「各氏」というくくり方を除けば、本文中ではただ一人の、名前に氏をつけてもらえている人物ですし、欄外での人物紹介では、ほかの人とは異なり、作品や作風、思想についての情報がまったく示されない書き方をされています。ご存命の方なので、著者としては書きにくいところがあったのでしょうか。
実は、著者が誰なのかも、はっきりしません。表紙を見ると、序文が竹内順一、執筆が仁木正格、編集が日本やきもの検定委員会ということになっていますが、凡例のページには、「日本やきもの検定委員会編著」「執筆は検定委員の仁木正格ほかが行い」とあり、一致しません。
日本やきもの検定に対しての位置づけも、やや不明確なところがあります。これ自体には、「日本やきもの検定」公認テキスト、と書いてあるのですが、検定の実施概要には「日本やきもの検定委員会公認テキスト」という表現が出てきます。そして、日本やきもの検定公式サイトには、この本は「公認参考書」という形で示されています。