生駒 忍

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やきもの検定3級出題と公認テキストとの対応

先日、日本やきもの検定を受けてきたことと、この検定の公認テキストの特徴とについて、それぞれ書きました。そこで、両者の対応について、少し触れておきたいと思います。

2級のほうは、実施概要を見ると、公認テキストとされる本を当たっておくことが求められるようです。一方、私が受けた3級については、公認テキストへの言及がないので、反対解釈的にとれば、テキストはいらないように思えます。ですが、実際には、テキストを見れば見るほど、よく準拠して出題されていることがわかります。あれ一冊だけで、合格点までならじゅうぶんに届くようになっているのです。栄西の著書を選ばせる問題027のように、常識レベルとはいっても、やきものの話題そのものではない出題もありましたが、これも公認テキストには載っています。

ですが、テキストとされるよくわかる日本のやきものをどう探しても、直接の記載がないものも出題されていますので、満点を保証するものではありません。問題067は、唐三彩の盛期が何世紀かを選ぶものですが、唐三彩とは何なのかのはっきりした説明はなく、7世紀初頭にそれらしい技術が発達したような記述はあるものの、いつが最盛期かも書かれていないようです。「せいき」のだじゃれを使いたくて出題したのでしょうか。

テキストが、先日指摘した不適切問題の不適切さを支持しているところもあります。問題069については、テキスト120ページに「三彩陶」ということばがあるところから、陶器と推測することができますが、同じページには、「ちなみに中国では無釉のものは素焼の土器でも陶器、施釉のものは磁器と呼ぶ。」という一文もあり、12ページにも同じようなことが書かれています。

テキストと問題とでは、表記を変えているところもあります。矢印の元にテキストでの表記、先に問題での表記を示します。

濱田庄司 → 浜田庄司、濱田庄司
鼠志野 → 鼡志野、鼠志野
峯紅葉 → 峯の紅葉
武野紹鷗 → 武野紹鴎、武野紹鷗
火焔型土器 → 火炎型土器
アール・ヌーヴォー → アールヌーボー

これらのほかに、問題075には、石黒宗麿を思わせる「黒宗麿」という人名があります。なお、河井寬次郎は、テキストと問題とのどちらでも、「河井寛次郎」と書かれています。

さらにややこしいことに、テキストの記述にしたがうと、正しい答えを選びにくくなるものまであります。問題076は、瀬戸で初めて磁器を焼いた者を選ぶもので、「加藤民吉」が正解なのでしょう。ですが、15ページには、瀬戸で染付磁器が焼かれたのは享和年間からで、そして105ページには、加藤民吉が染付磁器を焼いたのは文化四年とあり、わずかですが遅れています。これらを組みあわせると、加藤民吉が最初であるとは考えにくいということになるでしょう。なお、テキストでは、享和年間は西暦1801年から1803年ということになっていて、享和四年が存在しなかったことにされています。

日本やきもの検定の公認テキストの特徴

日本やきもの検定の公認テキストだという、よくわかる日本のやきものという本があります。昨年1月に、岐阜新聞社から発行されました。

ですが、見たことのある人は、なかなかいないと思います。少し調べてみましたが、岐阜県内であっても、これを置いている図書館は数えるほどしか見つかりませんでした。県の図書館やセンター等の資料室ではゼロで、市立図書館では高山市、岐阜市、中津川市、可児市、多治見市が該当します。町村立ですと揖斐郡池田町だけで、私立図書館ではゼロ、高等教育機関だと岐阜大学の図書館にはあるようです。ところが、先日、松戸市立図書館が所蔵していることを知り、しかも本館などではなく、東部分館にあることにおどろきました。さっそく、きょう午後に、あの体育館の建物の2階へ上がって、ほんとうにあることを見てきました。NDC751の本が11冊ならぶ中に、たしかにありました。

さて、この本は、小さな一冊なのですが、いろいろとくせがあります。日本のやきものについて、初心者が広くやさしく学べるようにつくったのだと思いますが、あつかわれた内容には、かたよりが感じられます。永青文庫館長の竹内順一による序文に、「本書は、斯界で待望久しい日本陶磁史を概観するモノグラフィーである」とあるように、やきものの歴史、ないしは歴史的なやきものに重心をおいています。中でも桃山古陶と、それをふくめた茶道にまつわる器が本書の中心的な関心で、江戸時代から海外にまで出た有田の磁器もある程度取りあげられ、あとのいろいろは少しずつあっさりと書かれる形です。陶器の代表格が「志野焼・織部焼・萩焼・瀬戸焼・唐津焼など」という組みあわせと順序で挙げられていることからも、この本の立場がうかがえます。ちなみに、編集協力にこの本の「執筆者」である仁木正格が入っているやきものを買う旅 暮らしの中の陶磁器を見つける(婦人画報社)が、東部分館で同じ棚にあったので見てみると、陶器としては美濃焼、瀬戸焼、唐津焼、萩焼、益子焼、笠間焼、上野焼などが代表的だとありました。

日常で使うという視点は、ほとんどありません。ですので、選び方や手いれなどは説明されません。窯業の特性や動向も、関心外です。ここでのやきものは、歴史館や美術館でありがたく拝見するものになっています。縄文土器のような古代のものは登場しますが、庶民が使ってきたものには興味がないようです。民芸運動は取りあげられていますが、「濱田は益子の土や釉薬を用いながら、生命感の躍動する暮らしの器を創り出した」とはいっても、濱田庄司の作品をふだんのくらしで使うことは、なかなか考えにくいものです。信楽焼は、わび茶の流行の中で好まれたやきものという位置づけで、多くの人の信楽焼のイメージであるたぬきの置物は、どこにも登場しません。常滑焼は、中世の繁栄ぶりが取りあげられていますが、今ではおなじみの朱泥急須は登場しません。信仰や祭祀の用具は、高坏、経甕、古墳等の副葬品と骨蔵器、中世の瀬戸では仏具も焼かれたという記述があるあたりまでです。縄文時代の土偶、常滑の招き猫、博多人形、どれもありません。瓦、特に鬼瓦や、盆栽の鉢は、美術的にも文化史的にもおもしろいものがありますが、まったく話題にされません。灰皿も、陶製あんかも、豚の形をしていても箱とよぶ貯金箱も、出てきません。そして、皿や茶わん以上に、日々のくらしに欠かせない陶器である洗面台や便器まで、きれいに無視されています。

桃山古陶の中でも、志野焼への偏愛が目だっているのが、特徴的です。基本的には、たんたんとした書き方ですすんでいく本なのですが、志野焼の話題が出るたびに、筆致がやや熱くなります。志野(朝日新聞社)を著した荒川豊蔵が牟田洞で志野の破片を拾うエピソードには、このうすい本で1ページ近くを回しています。私には、たとえば砥部焼誕生の経緯でも、一般の人にわかりやすい感動的なエピソードで興味をひくようにも思いますが、志野焼の好きな人にはたまらないお話なのでしょう。また、卯花墻を、「口径10.4~11.6cm」という幅をもたせた形で表現しているのは、真円ではない形を正確に表現したかったためだと思われます。この本で、幅をもたせた書き方をしているのは、あとは串だんごのある赤織部の織部沓茶碗で「口径9.8~13.3cm」とあるだけですので、卯花墻の特別あつかいがわかります。一方、同じく大きくゆがんだわらやは、「口径13.7cm」と書かれていて、最近ですと小さな蕾 2013年3月号(創樹社美術出版)もしているような、幅をもたせた書き方をしていません。

実際には諸説や議論のあるところも、そうであることを書かずに、さらりと決めてしまっています。利休七哲は、千利休101の謎(川口素生著、PHP研究所)などにもあるようにいろいろな組みあわせが伝えられていますが、そのことには触れません。MIHO MUSEUMにある天目茶碗は、曜変天目とは認めません。御深井焼は、「おふけやき」と読ませます。加藤唐九郎の生年は、戸籍のものではないほうを採用しています。永仁の壷事件は名前だけ出てきますが、説明はなく、佐野乾山の真贋論争は取りあげられていません。古九谷論争は、それなりの書き方にしてあります。

著者の興味が向かないと思われる内容は、瓦や便器のようにまったく触れないか、あってもほんのわずかになるようです。代表的な陶器のひとつに数えられることのある笠間焼は、「戦前は藁灰釉・柿赤釉・飴釉の製品、戦後は伝統にとらわれない個性的な作品があふれる。」の一文でおしまいです。もっと短いのは大樋焼で、「加賀藩御用窯。代々、飴釉の茶道具が特徴。」とあるだけです。ただし、その埋めあわせなのでしょうか、大樋年朗がほかと異なる形で取りあげられています。「各氏」というくくり方を除けば、本文中ではただ一人の、名前に氏をつけてもらえている人物ですし、欄外での人物紹介では、ほかの人とは異なり、作品や作風、思想についての情報がまったく示されない書き方をされています。ご存命の方なので、著者としては書きにくいところがあったのでしょうか。

実は、著者が誰なのかも、はっきりしません。表紙を見ると、序文が竹内順一、執筆が仁木正格、編集が日本やきもの検定委員会ということになっていますが、凡例のページには、「日本やきもの検定委員会編著」「執筆は検定委員の仁木正格ほかが行い」とあり、一致しません。

日本やきもの検定に対しての位置づけも、やや不明確なところがあります。これ自体には、「日本やきもの検定」公認テキスト、と書いてあるのですが、検定の実施概要には「日本やきもの検定委員会公認テキスト」という表現が出てきます。そして、日本やきもの検定公式サイトには、この本は「公認参考書」という形で示されています。

第2回日本やきもの検定の不適切出題

きょう実施された、第2回日本やきもの検定を受けてきました。午後は別の検定の仕事があって、その前にまにあう3級だけの受験です。

岐阜では盛りあがっているのかもしれませんが、東京会場は、ひと教室のはしの数列の席を使うだけの、とても小規模な開催でした。くばられた問題冊子の表紙をみて、検定のロゴの画質や、14項目からなる試験の説明に、つくりの粗さを感じました。アマチュア感のある手づくりならけっこうですが、日販も新聞社も噛んでいるのにという残念さがあります。

内容は、実施概要にある3級の説明から受けるイメージよりは、かなりむずかしくつくられている印象でした。鈴木秀明という有名な資格マニアが、この3級を落として取りそこねているというのも、納得できます。はずかしながら、私も2、3問ほど不正解を出してしまったようです。もちろん、そのむずかしさのおかげで、よい緊張感をもって楽しく受験できたという面もあります。

80問を50分間で解くので、設問はとてもシンプルなものばかりでした。設問文には、選択肢との対応がやや不自然なものがかなりありましたが、慣れていないとこうなってしまうことはよくわかりますので、出題者の意図を読みながら読めばすむことです。ですが、問題028「唐物茶で使用された唐物道具とは何か。。」、047「つぎの中世の窯業地うち、唯一の施釉陶器を産出したのはどれか。」、054「オランダ東インド会社が扱った日本のやきものどれか。」といったものをみると、単にチェックが甘かっただけのようにも思えます。会場でも、2か所の訂正が伝えられました。ひとつは、「フラデルフィア万国博」を「フィラデルフィア万国博」へというものでしたが、もうひとつが「セセッション」を「セッション」へという、かえって不自然なもので、修正の指示が信じられませんでした。工芸にかかわる検定の実施者が、セセッションを知らないはずはないと考えたいところなのですが、どうでしょうか。

不適切出題の可能性がある設問として、3問を指摘しておきたいと思います。まず、問題015です。志野焼の種類でないものを選ばせるという設問で、正解は「黄志野」になるはずで、他の3種類は志野の主な種類に含まれるのですが、探してみると黄志野も実在してはいるようです。たとえば、食器百貨という通販サイトでは、カタログに黄志野サラダ鉢の名を見つけることができます。また、岐阜県の白山熊谷陶料は、黄志野釉を販売しています。もちろん、見る目のある方から見れば、これらは志野とついていても志野焼としては認められないものなのかもしれませんし、それならしかたがないでしょう。その場合は、わかる方の目からみた、志野焼かどうかの見わけ方を知りたいところです。

041は、出題者の意図を読んで訳すと、縄文土器の製造、ないしはそれを使う文化が続いた年数を、「約何年以上」かで答えさせるというもので、「一万年」を選ぶのが正解でしょう。しかし、他の選択肢に「八千年」がありますので、へりくつのようですが、これも「以上」ということでは、誤りではないことになります。なお、「一万年五千年」という、ふしぎな選択肢もありました。五十歩百歩にやや似ています。

069は、唐三彩がどのような種類のやきものなのかを選ぶもので、正解は「陶器」のようです。ですが、日本側の考え方では陶器であると考えるのが当然なのですが、現地の考え方での分類をとるのでしたら、「磁器」になるともいえるのです。大陸では、無釉のものが陶器、施釉のものが磁器というとらえ方があるようで、唐三彩は名前の由来からもわかるように施釉です。中国国際放送局による中国百科の第二十章では、唐三彩は早くても十世紀の発生だととれる、誤った記述もあるのですが、磁器の話題としてあつかわれています。

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