生駒 忍

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佐村河内守の指示書と美談をほしがる人々

きょう、デイリースポーツonlineに、キダ氏 偽ベートーベンをメッタ斬りという記事が出ました。キダ・タローが地方局の番組で、佐村河内守をこき下ろした発言を記事化したものです。

しゃべるキダ・タローは、私は20年ほど前、「クイズ!タモリの音楽は世界だ」で初めて見て、タモリとのテンションのずれが奇妙だったおぼえがありますが、今もかくしゃくとされているようで何よりです。浪速の「モーツァルト」が偽「ベートーヴェン」をあつかう、まるでTOYOTA ReBorn「信長と秀吉」のような豪華な組みあわせですが、こちらのモーツァルトは怒り心頭です。さっそく「昔やったら打ち首、獄門」と、和風に斬りつけます。

「こんなん見破らなアカン!世の中、甘すぎる」も、ただの後だしとみる人もいると思いますが、正論ではあります。東京ブレイキングニュースにきょう出た記事、メディアが「障害者の美談に弱い」は本当か? ある地方紙記者の奇妙な体験は、「逆行」は「逆境」のまちがいだと思いますが、その「芸人の弟子」「足に障害」「日本一周」のストーリーに多くの新聞記者が釣られたお話のように、マスコミはこの程度の、裏をとればすぐぼろが出るものを、うたがわずに流してしまうのです。そして、そういう物語をほしがって恥じないお客の存在もあります。承認をめぐる病(斎藤環著、日本評論社)は、iPS細胞の虚偽手術騒動などを例に、うそをほしがる人々の存在を指摘します。Facebookでたびたび起こる、実話のつもりでわかりやすい美談を転載してアピールした人が、疑問点を突かれるとうそでもいい話だからいいのだと抵抗する展開も、それに近いでしょう。

佐村河内が発注時に示した指示書も、完全にこけにします。それでも、「こんなもん幼稚園児が書いた競馬の予想以下。ネコでも書ける。」、この表現は並ではありません。こんな短い文句にも、ふつうの人が罵倒するときにはまず思いつかない、ほかにないユニークさがあります。それなのに、エスプリや教養に満ちた高尚な表現ではなく、庶民にとてもわかりやすいのです。ひたすらにお茶の間へ向けた作品を書き続けたこの人ならではのセンスが、罵倒にまで光るのでした。なお、nikkansports.comにきょう出た記事、偽ベートーベン妻の母「いつかバレる…」によれば、その指示書までもが、佐村河内がほかの人に書かせたものである可能性があります。

怒りながらも、何も考えずにしゃべったわけではなさそうです。後のほうに、「番組のコメンテーター陣から、日本には本当にいい曲を評価する地盤がないのかと問われると「日本だけやなく、だいたいよそもそうやけど、佐村河内のせいでまた後戻りした」と音楽家として、怒りが収まらない様子だった。」とあります。日本で悪いことがあったときに、海外ではどうかが不明なまま、日本の悪いところ、日本人の悪いところと言いたがる人をときどき見かけますが、そこには乗りません。コメンテーター陣に「日本には」と誘導されても、「日本だけやなく、だいたいよそもそう」ときちんと打ち消して、怒るべきところとはきちんと区別したことに、好感を持ちました。適菜収オフィシャルブログの記事、綾戸智絵とリッチー・ブラックモアに学ぶ障害ビジネスは、2年以上前に今回の騒動にもかさなる議論を展開したものですが、「日本人は」とも言われながらも、苦難の物語で音楽が売れるのは国内外を問わないことがうかがえます。