生駒 忍

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すっぴん写真公開の心理と「こじらせ女子」

きょう、恋愛.jpに、ネット上にすっぴん写真を公開する「芸能人」と「一般人」の女性心理という記事が出ました。

前半では、筆者の「知り合いの女性芸能記者」の言う、「芸能人が“すっぴん”を公開する戦略的な理由」がならびます。その3番目には、「ナチュラルメイクや、オーガニックメイクが人気になってきてから、“ありのままでも美しい”というのは、大人女性の重要な美的ステータス。」とあります。ですが、「そして、それが可能になったのが、スマホの『写真加工アプリ』のおかげ」なのです。美しいこと自体になぜ価値があるかはともかくとしても、結果的に美しければよいのではなく、「ありのままでも美しい」と思わせることに価値がおかれる意味は、考えてみる意味がありそうです。Kの新婚生活発言の記事で触れたような、美容整形へのねじれた興味とも関連するでしょう。美を、能力におきかえれば、男性社会の、特に団塊ジュニアから下での感覚にも対応します。女に惚れさす名言集の、惚れさせ967 「天才」に突かれた態度です。極貧から必死にはたらきとおしていまは経団連、のような苦労話ではなく、努力なしにさらりと成功すること、そう見てもらえることがあこがれなのです。一方で、男性の視線からは自由な、女性の間での美のあらそいでは、いまでも努力が基準になります。格付けしあう女たち 「女子カースト」の実態(白河桃子著、ポプラ社)は、外見カーストについて、「もともとの美しさだけでなく、どれだけ「自分に手をかけているか」というほうが重要な要素です。天然で美しく、でもお化粧っけのない女性、ファッションがおしゃれではない女性は、このカーストでは「ノーコンテスト」というか、競いあう対象外となります。」「これは「美魔女」が男性にはあまり受けず、女性からは絶大な支持があるという例を見ても分かります。」と指摘します。

後半は、「すっぴん写真が多く投稿されている、出会い系サイトの利用者に話を聞いてみました。」というものです。「注目されたい」「コメントで褒めてもらいたい」「アプリでの加工は必ずする」、そして「仕事では化粧をしているけれど、そのときとは違う自分もいるのだと男性に見てもらって、褒めてもらいたい」」ともあります。ですが、見る側の男性の声は、「実に“冷たい”」もので、たとえば「『ほめてほしいんですよね? ほめるようにしていますけど……』(20代男性)」とあります。こんなかたちでほめられて、うれしいでしょうか。そう気づかなければ、しあわせでいられるのでしょう。あるいは、店員の「お似あいですよ」や、ひさびさに会っての「ちょっとやせた?」のように、わかっていてもなお、いい気分になれるのかもしれません。それでも、発言小町などで、実際より若く見られます、ほんとうの年齢を言うとおどろかれます、などと真顔で書いているように見える人を見ると、ときどき心配になることがあります。ユニ・チャーム 共振の経営(高原豪久著、日本経済新聞出版社)には、「褒め言葉は、時として「バカになれ、バカになれ」と言われているのに等しいことに気がつかないといけません。」とあります。

それで思い出したのが、日刊SPA!にきょう出た記事、“嘘”は社会人の必須スキル。バカ正直な人々に起こる悲劇です。女に惚れさす名言集の、惚れさせ1543 「…だろ?」のような人はめずらしくありませんが、SPA!ですので、少しくせのある事例もあります。「同僚の『うまく言っといてよ』が理解できず、サボりや仮病もありのままを伝えたら、職場で『応用がきかないヤツ』と厄介者扱いされて無視されるようになった。」、何でも「ありのまま」ではさすがに、「少しも寒くないわ」とは逆に、お寒い展開です。「手料理を出されて『お世辞じゃなく正直な感想を聞かせて』と言われたので、『味が濃すぎて高血圧になる』と伝えたらなぜか別れを切り出された」、返答にジョークをこめたこと以前に、この問われ方の時点で、お笑い芸人がねたにするほどのフラグです。女はみんな同じ教科書を読んでいる。(マシンガンズ著、幻冬舎)の、「例えば、付き合っている女が、『怒らないから本当のことを言ってみて』と言う。怒らないならばと、つい本当のことを言う。」の世界です。高血圧にされそうなほうが、身を守るために別れを決めるのではなく、逆の向きであるところには、番組撮影現場での出演女性自殺事件の記事で触れた、朝鮮のことわざとされる文言を思い出しました。ですので、別れを切りだすための誘導に使うなら別ですが、このパターンの問いは、交流分析的な意味で、「さあゲームの始まりです」になりかねない、危険なものです。あるときうまくいったとしても、いつもほしい答えを誘導できるとはかぎりません。うそをつかない魔法の鏡に、いつも小おどりできていたのが、白雪姫だと言われてから、嫉妬をこじらせて、結局は死ぬまでおどり続けることになる童話から学びましょう。

それで思い出したのが、マイナビウーマンにきのう出た記事、あなたの周りにいるリアル「こじらせ女子」!「こじらせ女子」の特徴3つ「自分に自信がない」です。「もし自分にそういう部分があるかも? と感じたら、とりあえず信頼できる友人に「わたしってこじらせてる?」と勇気をもって聞いてみることをおすすめします!」とすすめていますが、私はすすめません。なお、紹介された調査結果は、「有効回答数 438件(ウェブログイン式)」とあり、1名が行方不明になっていますので、注意してください。

ジョブズの自閉症的な傾向と選択による疲労

きょう、ライフハッカー日本版に、洋服を減らすと「選択による疲労」も減らすことができるという記事が出ました。

「スティーブ・ジョブズ氏やマーク・ザッカーバーグ氏のプレゼンテーションを見たことのある人ならば、なぜ成功者たちはお金があるはずなのに、いつも同じ服を着ているのだろうと疑問に思ったことがあるでしょう。」と書き出されます。zakzakの記事、あのネオヒルズ族「与沢翼」が破綻寸前 スーツとともに財力も擦り切れ…に、与沢翼が、「「3年以内に日本人全員が与沢翼を知っている状況を作る」「年商300億円を目指す」と景気のいい話を連発していたが、はっきりした年収を明かすことはなく、着ていたスーツは裾が擦り切れていた。」とあったことを思い出しましたが、少なくともあの両雄の前では、成功者とはとてもいえないでしょう。なお、ジョブズの服の選択には、スティーブ・ジョブズ Ⅰ(W. アイザックソン著、講談社)からもうかがえる、自閉スペクトラム的なところもかかわっていそうです。

「1日において、私たちは非常にたくさんの選択をします。そのほとんどが、考えるに値しないものです(「紙とプラスチック、どっちにする?」、「誰が気にする?」など)。」とあります。かっこ内に、ほかにわかりやすい例は思いつかなかったのかと、少々気になってしまいます。ですが、そこ自体が、「考えるに値しないもの」で、「誰が気にする?」と言われてしまいそうな気もします。それでも、私は気になって、原文であるReduce Your Wardrobe Choices to Avoid Decision Fatigueでここを確認したところ、直訳ではありませんでした。

「Decision Fatigue(選択による疲労)という概念」、疲労とは大げさかもしれませんが、納得のいくものです。すでに文庫になった、選択の科学(S. アイエンガー著、文藝春秋)で一般にも知られるようになった、ジャムの味見の実験の世界です。ネット通販サイトでも、あれもこれもと見ているうちに、認知的な感覚としては、疲労というよりは飽和に近いかたちで、結局は1円も消費せず、かわりに時間の浪費になっているのは、意外にあることではないでしょうか。ロングテールも理解できますが、相対的剥奪の記事の最後に紹介したように、シンプルのよさも、あなどれないものです。

マラソンタレントと華原朋美の隔離病棟体験

きょう、サイゾーウーマンに、にしおかすみこ、華原朋美、安田美沙子……落ち目芸能人がすがる“マラソン”ビジネスという記事が出ました。

「人気絶頂を極めた後、徐々に仕事が減っていく芸能人たちは、何に活路を見出すのだろうか? サイドビジネスに着手する者や、地方営業に精を出す者とさまざまだが、近頃関係者の間では「マラソン」が注目されているという。」と書き出されます。ですが、森脇健児、猫ひろし、にしおかすみこと続く名前は、私には、「人気絶頂を極めた」というほどの人気があったことがあるようには、あまり思えませんでした。個人内評価で考えるなら、失礼ながら、これから「絶頂」へ上りつめるとも考えにくいので、あのときが絶頂だったのだろうという理解はできる顔ぶれではあると思います。

その中で、文句なしに「人気絶頂を極めた」時代があったといえるのが、華原朋美です。「また直近では、華原朋美が東京サマーランドで行われた「ハローキティラン」に出場し、5キロマラソンに挑戦している。」とあります。ハローキティとの組みあわせは、きのうの記事の最後に触れた要因が、この人には無関係というだけでなく、ふしぎに似あって思えます。一方で、あの過去と、マラソンのまっすぐで健康的なイメージとは、対照的でもあります。絶頂もすごかったのですが、その後のくずれ方もすさまじく、落ち目などというレベルでなかったことは、よく知られています。ですが、それがむしろ、いわゆる「底つき」となって、よかったのかもしれません。サンデー毎日 12月21日号(毎日新聞社)では、隔離病棟に入っての異様な体験をふり返り、「だけど人間って、一度完全におかしくなってから、正常に戻っていくんですね。」と述べています。昨年11月13日付の朝日新聞朝刊に、那須川瑞穂が、心労で走れなくなった体験から、「心と体ってつながっているんだな」と思ったというお話がありましたが、マラソンでも、もちろん歌手活動でも、元気に走りつづけてほしいと思います。

「お笑い化」する日本社会と男のハローキティ

きょう、マイナビニュースに、エジプト労働記 26 これが普通なのに… - 仕事中の表情という記事が出ました。

「集中していただけなのに、同僚から「なんで沈んだ顔しているの…?」」、「何も沈むことはなかったので、「集中していただけだよ!」と言うと、同僚は私の言葉に安堵を覚えたよう。」、海外ではたらく日本人には、よくあることでしょうか。古きよき日本人のこころはいまも生きていて、きびしくきまじめに取りくんでしまうのかもしれません。そういえば、みんなのあるある吹奏楽部 ゴールド(オザワ部長編、新紀元社)で、バジル・クリッツァーは、「日本のスクールバンドは往々にして“わざわざ悲愴になる”傾向がある」と指摘していました。

「最終的に「すごく楽しそうな小芝居を打つ」という結論に至りかけたところでハッと目が覚めました。私は芸人ではなく会社員、ネタを仕込む必要は無いのだと。」、ここにはむしろ、現代の日本人の感覚がうかがえます。「お笑いタレント化」社会(山中伊知郎著、祥伝社)にあるように、芸人が世間からさげすまれた時代は終わり、むしろ日本社会全体が、「お笑い化」していきました。この著者は、お笑いの業界でずっと食べてきた人だけに、全体的に肯定的ですが、子どもを蝕む空虚な日本語(齋藤浩著、草思社)には、現職の教員の、子どもたちがお笑い的な楽しさにおかされた苦しさがあらわれています。あるいは、お笑い芸人自身からも、誰にでも、何にでも笑いを求めることへの違和感が挙がるようになりました。トピックニュースにきょう出た記事、伊集院光が“号泣議員をみんなで笑う流れ”に不快感あらわ 「号泣会見の映像がすごく嫌い」のようなこともあります。また、一億総ツッコミ時代(槙田雄司著、講談社)は、一般の人がお笑いの専門技法を求められるほどの社会のあり方に、疑問を向けました。

この記事も、特にまんがの部分は、笑えるかどうかはともかくとしても、笑いを意識したものでしょう。それでも、私が気になったのは、落ちよりも、3こま目の、エジプト人と思われる人物のせりふ、「なーだんだ そっかー」のほうでした。意外にある表現なのかもしれないと思い、前半の文字列を検索してみると、「チューリップ」があらわれました。佐村河内ゴーストライター事件の記事で触れた、近藤宮子の作詩による童謡です。あか、しろ、きいろというわけではありませんが、検索結果にはいくつもならびました。

赤、白で思い出したのが、マイナビウーマンにきょう出た記事、2位はハローキティ! 男性が持っていたら、女性に不評なキャラランキング 1位は?です。「赤と白の組みあわせって、女子カラーっぽいですよね。」とあります。

中森明菜にしか歌えない曲と「接吻」のカバー

きょう、E-TALENTBANKに、中森明菜が約5年半ぶりにオリジナルシングル&「歌姫」の最新作をリリースという記事が出ました。

ロックスターの早死に傾向の記事で、無期限活動休止に触れた中森明菜が、ついに復活です。「長い沈黙を破り、およそ5年半ぶりとなる新作をリリース」、「来年1月21日(水)にニューシングル「Rojo -Tierra-」をリリース」する予定だそうです。ずっと表に出てこなかったことから、「篭城」を連想しましたが、もちろんスペイン語です。

「中森明菜にしか歌えないエキゾチック・エレクトロニック・ダンス・ミュージックが完成予定で、アフリカ風サウンドとEDMと生命を感じさせる歌声が融合し、明菜史上、類を見ない新しい作品」、類を見ない表現です。この人にとって新しいことと、しかしこの人にしか歌えないことと、中森明菜というとても大きな看板とのバランスも、独特です。ですが、若い人にあの名前は、大御所でも落ち目のスターでもなく、単に別の時代のものでしょうか。週刊現代 12月20日号(講談社)の、吉沢志雄という人が、関根恵子のグラビアにこころをゆさぶられたお話に、私は共感しにくかったですし、世代のちがいは、どうにもならないところがあります。それでも、FLASH 12月23日号(光文社)の倉田真由美のまんがの、「ギンギラギン」のようなことも、さりげなくあるでしょうか。

続いて、カバーアルバムも出ます。「毎回異なる趣きの選曲が話題の『歌姫』シリーズだが、今作のコンセプトは、「ラブソング」。70年代後半~2000年の名曲が選曲されており、原曲の素晴らしさに引けを取らない、強い歌心が響きわたる明菜ワールド全開のラブソング集になる予定。」だそうです。私も歳をとったのか、類を見ない表現であおられたシングルも興味を引くのですが、こちらのほうが聴きやすそうで、より安心できます。ですが、選曲範囲に疑問があります。「「愛のうた」(倖田來未)、「雪の華」(中島美嘉)の他、「長い間」(Kiroro)、「接吻」(オリジナル・ラブ)、「スタンダード・ナンバー」(南佳孝)など」とあるうち、「他」より前の2曲は、範囲をはずれています。恋心(相川七瀬)のように、シングル発売どころか、デビューよりも前にできていた曲なのでしょうか。それでも、こまかいことは気にせずに、たのしみに待つ価値がありそうです。そういえば、そこにある「接吻」には、いつの間にかヒップホップ系のグループがカバーしていたというような、ちょこっとスパイシーなさわぎがあった気がしますが、あれはその後、すっきりしたのでしょうか。