生駒 忍

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D准教授ストーカー化事件と30年続けた痴漢

きょう、ダイヤモンドオンラインに、クーデター企業、セクハラ大学の「確執」に学べ! “普通の人”がブラック化するコミュニケーションの罠という記事が出ました。

まずは、「最近、知人が関わっていたある会社組織が崩壊した。」という話題から入ります。崩壊といっても、専務と一般社員とがまとまったことで、専務と対立していた社長は退任しましたので、組織としては団結が強まったようにも見えます。「結局、社長の予測通り、倒産するしかなくなったのだった。」という表現からは、まだ倒産してはいないようにも読めますが、人間関係がよりまとまったのに崩壊したと断定されたことからは、すでに倒産して、それを崩壊ととったのでしょう。

経理責任者について、「その社員は、社長が対外的に会社の「顔」として、メディアなどから取材を受けるのを妬んでいたらしい。」と推測します。PHPスペシャル 2015年1月号(PHP研究所)で雨宮まみが書いているように、単にきらいだというだけなのか、実は嫉妬なのかは、注意して見わけたいものです。

続いて、「かつて勤めていた大学で起こった出来事」が紹介されます。「専任として同僚となるA氏とB氏」が始めた自主セミナーをめぐる問題で、このセミナーは「彼優秀な大学院生を招いて自分たちと一緒に研究発表をしてもらい、お互いの研究を高めようとする試みだ。」とあります。「まず大学院生の中で比較的彼らに近い分野の研究をやっている博士課程の女子学生に、発表を依頼」、研究をすることに、「やる」という動詞をあてるのは、私は好きではないのですが、意味はわかります。「ところが、電子メールでフライヤーを回した途端、彼女の指導教員であるC教授からクレームが入った。」、この「フライヤー」も、少なくとも私のまわりでは、あまり使われない表現ですが、こちらはきらいではありません。そういえば、昨年に大ヒットしたノンフライヤーを買った皆さんは、いまでもよく使っていますでしょうか。

「学内でも高い地位にいる実力者」からのメールに腹を立て、リアルのほうで動いたところ、「直接会うとC教授は、意外にも穏やかな口調でこう言った。」とあります。ネット上のお前ら、現実世界のお前らというほどでなくても、画面の文字だけの情報は、どうしても冷たく感じられがちです。ふと、けさの朝日新聞朝刊で、二村文子という人が、「スマホやネットで情報を得ても、それで人間の心が豊かになるでしょうか。」とうったえたのを思い出しました。ただし、この人は、「どうか若い人たちも、もっと本を読んでください。」と呼びかけていて、活字の世界は持ちあげたいようです。

発端となった大学院生にかかわる、「D准教授は彼女が自分に気がないことを知ると、ストーカーになった。」事件へと、お話がすすみます。筆者が当時いた大学で、「D准教授は昨年まで、その女子学生の指導教員」、「命の危険さえ感じていた彼女と彼女の親のために、大学はD准教授を更迭」、「その後彼は、隣の大学の教員となった。」、「彼女の発表は、D氏のいた大学にも宣伝されていた。」、名前をふせてはあっても、これらをあわせて出すことには、不安を感じます。しかも、倫理審査関連の場で、事務長から聞いたお話です。これらをならべないと、筆者の示したい問題が伝わらないと判断したのだと思いますが、もし了承ずみではないのでしたら、心配です。冒頭の、会社の崩壊の例だけでは、インパクトが小さいと思ったか、尺がかせげず原稿料がかせげないかで、これも足したのでしょうか。

「ちょっとしたことで、他の先生を気に入らないと、それ以来口をきかなくなる。彼は学内でどんどん話相手がいなくなり、結局2年あまりで、あまり良くない条件にもかかわらず他大学へ移ってしまった。」、皆さんのまわりには、こういう人はいますでしょうか。筆者はこの人について、「性格もいい。」と断言しましたが、「B氏は誰に対しても、一度ネガティブな印象を持つと、コミュニケーションをとらなくなるクセがあった。」、こういう人を、皆さんはどう見ますでしょうか。

同じく「性格もいい。」とされたもうひとりは、「「アンフェアなことを言った理由は何だろう」と考えて、C教授とのコミュニケーションを絶たなかった」、「そのため、C教授がアンフェアに思えたのは誤解だったことが後でわかったのだ。」とします。ですが、誤解がとけたのは、学内業務で会った事務長という、まったく別のルートのおかげであって、C教授とのかかわりとは無関係に見えます。「倫理審査委員として、あなたに知っておいていただきたいので」という内容であれば、C教授とふだん口をきかないかどうかに関係なく、伝えるはずでしょう。「ひとことで言えば「コミュニケーション術」」という、あいまいなものの力に帰属するのではなく、学内業務から入る情報は貴重なので前向きに引きうけましょう、という教訓をみちびいても、有意義であったように思います。

「嫌な思いをしても、怒って話すのをやめてしまう前に、「なんでこの人はこういうことを言うのだろう?」という疑問を持って調べてみる」、たいせつな態度です。研究者ならなおさら、感情にふりまわされずに、常に前を向いて、なぜと問いつづける姿勢が求められると思います。

それで思い出したのが、AERA 12月22日号(朝日新聞出版)に出た記事、「痴漢に遭うのは女性が悪いのか 防止対策のちぐはぐ」です。「被害に遭いたくないなら「肌の露出」を減らせ、というイラスト入りの啓発。そこには、被害に遭う遭わないは女性次第である、という意識が透けて見える。」などとして、一要因と全責任とを混同させて、女性の側から減らせる可能性を矮小化したいような立場がうかがえたのは、残念でした。病み本 10代編(ポプラ社)で夏目理緖が、自身の相当な痴漢被害を明かしながらも、「痴漢に遭いやすい子はやっぱり格好がいやらしいんです」と結論したことを、紹介しておきます。また、「被害者に「肌の露出を控えろ」と言うが、加害者に「なぜ痴漢をするのか」とは聞かない。」として、ある常習者の、「警察の取り調べでは、「被害者はミニスカートだったのか?」「性欲がたまっていたんだろ?」。そう誘導された。「なぜ痴漢をしてしまったのか」と聞かれることは一切なかった。」という経験を紹介します。ですが、心理療法的な介入の場ではなく、警察の取調べのかたちで理由を追及しても、無意味だとはいいませんが、生産的な展開にはなりにくいように思います。九州道バスジャック事件冒頭陳述の記事で触れた全国のネット中傷加害者のように、自分も被害者であるような言い草をされても、防犯や啓発に役だてることはむずかしいですし、かえって痴漢被害者の感情を逆なでしそうです。「高校生の頃から約30年間、電車内痴漢を続けた。「通勤の移動時間を有効活用する感覚」で日常化していたという。」「何百万円も支払い、職や妻も失った。」という相手なら、なおさらかもしれません。

長く続けた性犯罪者としては、神戸新聞NEXTにきょう出た記事、「小学生のころから下着盗んだ」 窃盗容疑の27歳男宅から600点のような例もあります。こちらはまだ若いので、AERAのものほど長くはありませんが、小学生のうちに始めています。広島の実家から押収されたのは、その初期の盗品でしょうか。

イケメンの前での恥ずかしさと寝言への介入

きょう、マイナビウーマンに、赤っ恥! 公共交通機関で居眠りして恥ずかしい思いをしたエピソード4選という記事が出ました。

「公共交通機関で居眠りする人も多いかと思いますが、そこでやらかしちゃった恥ずかしい居眠りエピソードについて、女子のみなさんに聞いてみました!」というものです。日本人の睡眠時間は短く、その中でも女性のほうが、男性より短いため、日本の女性は世界一とも言われ、こういう居眠りは必然かもしれません。ですが、その性差は、主に中高年でみられるものです。今回の調査の対象になった「女子のみなさん」の年齢範囲では、ほぼ同じです。平成23年社会生活基本調査 生活時間に関する結果 要約を見ると、「女子のみなさん」のまん中にあたる25歳から29歳では、むしろ男性のほうが短いのです。

「公共交通機関で居眠りをして恥ずかしい思いをしたこと」、2択で「ある」が40.1%、これは高いでしょうか。ちなみに、マイナビウーマンに半月前に出た記事、その寝顔、大丈夫? 公共交通機関で眠ることができる女子は58.2%!によれば、「公共交通機関で寝ること」の2択で、「できる」が58.2%でした。「寝る」と、タイトルにある「眠る」とでは語感が異なりますが、どちらも同じ数字です。

「女子として恥ずかしい“よだれ”の失敗がある人も。目の前にイケメンがいたときには、もう逃げ出すしかありません!」、目前の人物の価値が、恥ずかしさを左右するようです。アーロン収容所(会田雄次著、中央公論新社)にある、捕虜の日本人が室内のそうじをさせられている前で、イギリス人女性が全裸ですごしているお話を思い出しました。日本人はノックなしで出入りするようにと指示されていて、人間ではなく、犬猫と同じ地位だったのでした。

「社内の独特の揺れで無意識に体が動いてしまい、乗客や物に体をぶつけてしまう人も。」、走る乗りものではなく、社内に動揺や激震が走ることも、ときどきあります。そういえば、東京スポーツが、「TBSに激震! 今年4月に同局に入社した新入社員の男性Aさん(23)が、夏に局内で亡くなっていたことが7日、本紙の取材で明らかになった。」と報じた「怪死」事件は、関係者が「局内トイレで死んでいるのを発見されたと聞いています。当然、状況的に自殺が疑われましたが、詳しいことはわかりません」としていましたが、ゆれはおさまったのでしょうか。

さて、「隣に若い女の子二人組が座って、寝ぼけて二人の会話に相槌をしてしまった」、場面を想像すると、となりもゆるく対応してくれそうにも、すぐ気味悪がって固まってしまいそうにも思いましたが、どうなったのでしょうか。寝言に対して会話をされると死ぬという都市伝説を連想しました。きょうの空模様(堀ちえみ著、産経新聞出版)には、「智栄美、おれの寝言に返事せんといてな。」と求められていたことから、「そっちへ行ったらあかん! 他の星がぶつかってくる。」というただならぬ寝言に、ベルやスプレーで介入したお話があります。

レストランの塩のトリックと定点観測所の消滅

きょう、マイナビウーマンに、実際より美味しく感じてしまう……!レストランの騙しワザという記事が出ました。だましとはおだやかではありませんが、「実際の味以上に美味しく感じてもらえるよう、トリックを仕掛けていること」を取りあげたものです。

「「ジューシーな」ステーキ、「シャキッとした」サラダなど、好印象な修飾語で、実際の品質とは関係なく商品をイメージアップ。」、よくあることです。名前が長くなってめんどうなのか、店内では結局、修飾語を切って呼んでいることも、よくあります。ほかに、調理の特徴や産地なども、よくつけられます。食品偽装問題のその後の記事で触れた適菜収の指摘から考えると、産地の効果は、人によりそうです。

「値段を高めに設定」、これははじめからさけられてしまう危険もあり、両刃の剣です。食べものでは、価格にそれほど不自然な設定はしにくいですが、基準のとりにくいものなら、上にするのはいくらでもできます。「自主的に判断させる」レベルを超えて、苦痛なほどに高いのだからとてもよいと思うしかなくなる、認知的不協和の世界になるものもあります。マインド・レイプ 自己啓発セミナーの危険な素顔(塩谷智美著、三一書房)に登場する、いわゆる自己啓発セミナーのやり方にも認められます。

「塩、酵母エキス、MSG、着色料など、素材にお金をかけることなくこっそり人工的な旨みや色をプラス。」、これもトリックだということです。塩までこういうあつかいなのは納得しにくい人もいると思いますが、自然な食材そのままでは得られない味わいができることからは、「人工的な旨み」をつくっているとはいえます。また、いかにも「人工的な旨み」の食べものは、たいていは塩をふんだんに使っています。「素材にお金をかけることなく」お財布がたすかるカップラーメンなど、その典型でしょう。

それで思い出したのが、はてな村定点観測所にきょう出た記事、「はてブオフ会の実行委員会の忘年会に参加してきました」です。「私が毎日カップラーメンを食べている話をして、「大阪の出費が大きかったから食費で調整しているんですよ」という話をしたら、「まだ大阪で消耗しているの?」的なツッコミを受けましたw 大阪の痛手からは大分立ち直ったのですが、経済的にはまだ緊縮財政なのでペヤングを箱買いしていました。」とありました。ですが、この日のうちに、このブログ自体が、丸ごと消えてしまいました。この人関連の各種のアカウント等も、次々に消えていったようです。さいころをふる心理実験の記事でも触れたはてな村奇譚の「ブラックリスト」入りなど、はてな村は思わぬ展開がめずらしくない世界ですが、これもまた、誰も予想していなかった事態のはずです。「みんなで「戦後民主主義の死に乾杯!」と乾杯しましたw」とありましたが、書かれていた範囲では、忘年会で消える予告を打ったようにも思えません。ふと、ヨリドリミドリ リラックマ生活12(コンドウアキ著、主婦と生活社)にある、「ミライハ ダイタイ ヨソウガイ」を思い出しました。

十文字学園女子大での講義と朝日新聞の部数減

きょう、埼玉新聞のウェブサイトに、上田知事「多角的に考え行動を」 十文字学園女子大で学生に講義という記事が出ました。

「十文字学園女子大学で特別講義し」とありますが、講義するという表現は、サ変動詞として自然ですが、「特別講義する」は、そこまでではないように感じます。格助詞の「を」を入れたほうがよかったように思いますが、「十文字」学園のことに、あと1文字を入れたくない理由があったのでしょうか。そういえば、はてな匿名ダイアリーにきょう出た記事、苗字が一文字の男とは結婚したくないは、たった1文の伝聞だけで、一気にブックマークを集めていました。

「上田知事が学生の単位に結び付く講義をするのも珍しい。」、これが初めてではないことを示唆する表現です。週刊新潮が記事を取りけして謝罪した、「建設大学校講師」事件のものでしょうか、あるいはほかの何かでしょうか。

「「目の前しか見ない『虫の目』でなく、全体が見える『鳥の目』を持つこと。虫の目だけでは事実が見えない時がある。さらに潮(トレンド)の流れを見ることができる『魚の目』が大事」と強調し、現状を見極めた上で対応することの重要さを力説した。」、あたりまえのことなのですが、この人が言うと説得力があります。大小さまざまな政党を渡りあるきながらも、20年以上選挙に落ちたことがなく、いまは低投票率の中を、無所属で圧勝するようになりました。全国知事会は、例外です。

高久沙季という学生は、「物事は過去にも起きていて、過去を調べればヒントがあるという言葉がすごく印象に残った。」と評価したそうです。上田知事は、歴史問題に関する発言で物議をかもした過去もありますが、政治家は前を向きつつも、未来へつなぐために過去をよく見るべき立場でもあります。ですが、ラプラスの魔のように、過去からすべてが見えるわけではありません。なぜ、わかっていても実行できないのか 知識を行動に変えるマネジメント(G. フェファー・R.I. サットン著、日本経済新聞出版社)にある、GMのサターンの、「同部門は歴史を未来に持ち込もうとして、前例に頼った。」お話を思い出しました。GM自体も、結局は丸ごとパンクして、5年半前に、「Government Motors」になったのでした。

それで思い出したのが、週刊新潮 12月18日号(新潮社)の記事、「100億円減収の危機! 新体制「朝日新聞」のお粗末「株主総会」」です。過去、歴史に関する問題が、未来をくもらせてきました。年100億の赤字でも、あと60年くらいはもつ会社ですが、危機感はあるでしょうか。リベラルタイム 2014年11月号(リベラルタイム出版社)には、産経新聞の幹部が、「朝日新聞をこれ以上追い込むな」と言ったとあり、新聞業界全体の危機感がうかがえます。一方で、朝日の部数減と、たなぼたのように見える毎日の部数増の、ふつうは表に出てこない数字を掲載していて、一枚岩になれるかどうか、わからないところでもあります。

下層ノマドの「新しい働き方」と日本人の自信

きょう、WirelessWire Newsに、新しい働き方から落ちこぼれることを自覚していない人々という記事が出ました。

「数年前から日本では「新しい働き方」なるものが流行しています。」と書き出されます。なぜ、「日本では」と限定したのでしょうか。この後の内容から、海外でも、知識産業にはそういうはたらき方がひろがっているとわかります。キダ・タローの佐村河内批判の記事の最後に書いたお話を思い出しました。ですが、「ノマド」のバズワード化のような、いまの「流行」としての側面は、海外にはあまりないのかもしれません。そういえば、そういう意味での「ノマド」的な、高い知性を武器に、会社にしばられずにクリエイティブに活躍する階層の台頭を予見した、ゴールドカラー ビジネスを動かす新人類たち(R.E. ケリー著、リクルート出版部)は、わが国では目だった話題を呼ぶこともないまま、絶版になっていました。

「仕事の成果に求められることは高い創造性や明確な成果であり、オフィスにいるかどうか、同僚と良い関係を作ったかどうかではありません。」、そのとおりだと思います。いつも遅くまでオフィスにいることが、自分の労働生産性の低さの露見ではなく、がんばりのアピールになるのは、生産的ではありません。社内の人間関係も、よいほうがはたらきやすいのは当然ですが、そこが中心的な関心になるのも、日本的なことかもしれません。格付けしあう女たち 「女子カースト」の実態(白河桃子著、ポプラ社)には、「成果を出さない人でも、長くいればなんとなく偉い感じになるのは、ぬるい集団だからです。成果を出さないと、居場所がなくなる外資系金融等に比べ、旧来型の日本企業のほうがカーストが生まれやすいと言えます。」とあります。時間だけ使えれば、必死に頭を使わなくても経験値がたまり、勝手にレベルが上がって自動的に強くなる、ロールプレイングゲームの世界は、世界にはないのです。そういえば、T&E SOFTが日本発のRPG、ハイドライドを出して、きょうで30年となりました。

「高付加価値を産み出す人々は、「新しい働き方」の恩恵を受け、より良い生活環境と創造性を手に入れますが、「その他大勢」の生活は悪化する可能性があるのです。しかしながら、多くの人々は、実は「その他大勢」なのにも関わらず、今の所、「新しい働き方」の都合の良い部分しか見ていません。」、だからこそ、実際には大多数の、昔ながらのはたらき方のままの人々にも「流行」したのでしょう。手料理への配偶者の評価の記事でも触れた、ダニング-クルーガー効果でしょうか。自分はやればできるという自信は、少なくともその時点では、あるほうがしあわせでいられます。児童の放課後活動の国際比較 ドイツ・イギリス・フランス・韓国・日本の最新事情(明石要一・岩崎久美子・金藤ふゆ子・小林純子・土屋隆裕・錦織嘉子・結城光夫著、福村出版)が明かした、日本の子どもの、がんばればうまくいくという認識の際だった低さや、「文化作法・教養についても自信がない傾向」には、こちらまで将来を悲観してしまいます。ですが、社会は自信だけではわたれません。ぼくにだってできるさ アメリカ低収入地区の社会不平等の再生産(J. マクラウド著、北大路書房)で、子どものころから悲観的で夢がなかったグループと、アメリカンドリームをこころから信じていたグループとの、その後を見てください。

「その一方で、通信やIT業界の中でも付加価値が低いと判断された人や、ルーティンーン化した事務を処理するサラリーマン、付加価値の低い営業、受付、コールセンター、店屋の店員、ホテル従業員、介護職に従事する人は時間給で雇用されるか、高付加価値人材の何分の一かの年収を受け取ります。しかも仕事はEUや旧植民地からやってくる移民との取り合いです。」とします。東大経済学部「L型大学」説の記事で取りあげたように、日本は移民をもっと入れるべきと主張していた筆者も、移民とのあらそいの問題は認識していました。バズワード化した「ノマド」は、アタリの言うハイパーノマドのイメージのようですが、「新しい働き方」は、多くの人々を下層ノマドのほうにさせて、「高付加価値人材の何分の一かの年収」か失業かをめぐるあらそいにはめ込みます。「日本人らしさ」とは何か 日本人の「行動文法」を読み解く(竹内靖雄著、PHP研究所)は、「日本人は利益を追求するよりも、不利益を避けることを重視して行動する。」として、日本的平等主義による「もっぱら「人並みでありたい」ための競争」のはげしさを指摘しましたが、するとこういうあらそいには、一転して並でない行動力が発揮されるのでしょうか。