生駒 忍

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下層ノマドの「新しい働き方」と日本人の自信

きょう、WirelessWire Newsに、新しい働き方から落ちこぼれることを自覚していない人々という記事が出ました。

「数年前から日本では「新しい働き方」なるものが流行しています。」と書き出されます。なぜ、「日本では」と限定したのでしょうか。この後の内容から、海外でも、知識産業にはそういうはたらき方がひろがっているとわかります。キダ・タローの佐村河内批判の記事の最後に書いたお話を思い出しました。ですが、「ノマド」のバズワード化のような、いまの「流行」としての側面は、海外にはあまりないのかもしれません。そういえば、そういう意味での「ノマド」的な、高い知性を武器に、会社にしばられずにクリエイティブに活躍する階層の台頭を予見した、ゴールドカラー ビジネスを動かす新人類たち(R.E. ケリー著、リクルート出版部)は、わが国では目だった話題を呼ぶこともないまま、絶版になっていました。

「仕事の成果に求められることは高い創造性や明確な成果であり、オフィスにいるかどうか、同僚と良い関係を作ったかどうかではありません。」、そのとおりだと思います。いつも遅くまでオフィスにいることが、自分の労働生産性の低さの露見ではなく、がんばりのアピールになるのは、生産的ではありません。社内の人間関係も、よいほうがはたらきやすいのは当然ですが、そこが中心的な関心になるのも、日本的なことかもしれません。格付けしあう女たち 「女子カースト」の実態(白河桃子著、ポプラ社)には、「成果を出さない人でも、長くいればなんとなく偉い感じになるのは、ぬるい集団だからです。成果を出さないと、居場所がなくなる外資系金融等に比べ、旧来型の日本企業のほうがカーストが生まれやすいと言えます。」とあります。時間だけ使えれば、必死に頭を使わなくても経験値がたまり、勝手にレベルが上がって自動的に強くなる、ロールプレイングゲームの世界は、世界にはないのです。そういえば、T&E SOFTが日本発のRPG、ハイドライドを出して、きょうで30年となりました。

「高付加価値を産み出す人々は、「新しい働き方」の恩恵を受け、より良い生活環境と創造性を手に入れますが、「その他大勢」の生活は悪化する可能性があるのです。しかしながら、多くの人々は、実は「その他大勢」なのにも関わらず、今の所、「新しい働き方」の都合の良い部分しか見ていません。」、だからこそ、実際には大多数の、昔ながらのはたらき方のままの人々にも「流行」したのでしょう。手料理への配偶者の評価の記事でも触れた、ダニング-クルーガー効果でしょうか。自分はやればできるという自信は、少なくともその時点では、あるほうがしあわせでいられます。児童の放課後活動の国際比較 ドイツ・イギリス・フランス・韓国・日本の最新事情(明石要一・岩崎久美子・金藤ふゆ子・小林純子・土屋隆裕・錦織嘉子・結城光夫著、福村出版)が明かした、日本の子どもの、がんばればうまくいくという認識の際だった低さや、「文化作法・教養についても自信がない傾向」には、こちらまで将来を悲観してしまいます。ですが、社会は自信だけではわたれません。ぼくにだってできるさ アメリカ低収入地区の社会不平等の再生産(J. マクラウド著、北大路書房)で、子どものころから悲観的で夢がなかったグループと、アメリカンドリームをこころから信じていたグループとの、その後を見てください。

「その一方で、通信やIT業界の中でも付加価値が低いと判断された人や、ルーティンーン化した事務を処理するサラリーマン、付加価値の低い営業、受付、コールセンター、店屋の店員、ホテル従業員、介護職に従事する人は時間給で雇用されるか、高付加価値人材の何分の一かの年収を受け取ります。しかも仕事はEUや旧植民地からやってくる移民との取り合いです。」とします。東大経済学部「L型大学」説の記事で取りあげたように、日本は移民をもっと入れるべきと主張していた筆者も、移民とのあらそいの問題は認識していました。バズワード化した「ノマド」は、アタリの言うハイパーノマドのイメージのようですが、「新しい働き方」は、多くの人々を下層ノマドのほうにさせて、「高付加価値人材の何分の一かの年収」か失業かをめぐるあらそいにはめ込みます。「日本人らしさ」とは何か 日本人の「行動文法」を読み解く(竹内靖雄著、PHP研究所)は、「日本人は利益を追求するよりも、不利益を避けることを重視して行動する。」として、日本的平等主義による「もっぱら「人並みでありたい」ための競争」のはげしさを指摘しましたが、するとこういうあらそいには、一転して並でない行動力が発揮されるのでしょうか。