生駒 忍

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歩き方の心理的影響の根拠となる科学と文学

きょう、msn産経ニュースに、若者よ、顔を上げて歩こうという記事が出ました。歩きスマホの問題点を中心に、大阪気質、若者論をからめた自由な論考です。

そういう論考に、すみずみまで科学的根拠を要求するのも気が引けるところですが、厚労省などの調査も引いているのですから、中盤にももう少し論拠の明示があると、私にはより受けいれやすいように思われました。後のほうでは、「何の専門知識も持ち合わせていない私の独断ないしは偏見と断った上で述べれば」「牽強(けんきょう)付会の推論を書き並べたが」という、とても謙虚な姿勢を見せていて、同じくきょうのmsn産経ニュースの記事、「東電破綻は巨大テロ」論の無責任さで、花田紀凱が週刊現代 11月9日号(講談社)のトップを、「結論に「かもしれない」を連発は無責任だろう。」と突いていることと対比させたくもなるほどです。一方で、「このように歩行が心理に影響することは行動心理学によって既に実証されている。」という断定もあります。○○心理学という表現は、たいていありそうに見えるもので、广西新闻网にきょう出た記事、厕所反映个性 另类厕所心理学にもつい失笑してしまったところですが、「行動心理学」は、心理学者の間ではあまり使われない表現です。日心大会の分野区分には「行動」もありますが、いまいちまとまりが明確ではないカテゴリで、私はもう廃止してもいいのではとさえ思っています。その「行動心理学」の名前で押すよりは、たとえば身体心理学(春木豊編、川島書店)を根拠に持ちだすほうがよかったように思います。記事の性質上、硬派の科学書ではなじみにくいということでしたら、高田明和の本でしばしば、姿勢と気分との関係に対して、神経科学と仏教的な視点とを組みあわせて論じているのを使うやり方でもよいでしょう。あるいは、その前にバルザックの風俗のパトロジー(新評論)を引用していますので、19世紀のフランス文学者であわせて、ドミニック(E. フロマンタン作、中央公論社)で教師が歩く姿勢について中庸を説くところを持ってくることも考えられそうです。

文学作品といえば、記事の最後には石川啄木が登場しています。ですが、この句をどこから持ってきたのかは、記事に書かれていません。収録した訳書まで明示したバルザックと異なるあつかいに引っかかった方もいると思いますが、ここはあえて書かないようにしたのではないかと、私は見ています。「悲しき玩具」くらいは誰でも知っているだろうと言われそうですが、あの表題にしたのは土岐善麿であるほか、没後の出版だけに、改変も含めて、作者の意図どおりではなくなっている問題点が指摘されています。そこで、ちょうど出版から100年となった昨年、「一握の砂以後」として復元をこころみた、復元 啄木新歌集 一握の砂以後(四十三年十一月末より)・仕事の後(近藤典彦編、桜出版)が公刊されました。有名な「呼吸すれば」では始まらない、この古いはずの新しいかたちが正しそうではあっても、まだなじみがない人も多いと考えて、清湖口はどちらとも書かない選択をしたのではないでしょうか。