生駒 忍

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死なない渋谷系と常見洋平のきらいな理由

きょう、messyに、「渋谷系」が蘇る、というけれど…そもそも死んでるんでしたっけ?という記事が出ました。ここのところの渋谷系への注目や「リヴァイヴァル」を論じたものです。

「正直な感想を言うと、渋谷系再評価/90年代リヴァイヴァルの流れは「21世紀に入って、もう何度目だよ」という気がして、ちょっと辟易気味です。」、同感です。単なる復活というよりは、ネオ渋谷系、アキシブ系などとして、古いエッセンスのある新しいうごきに、何度も持ち出されてきました。族の系譜学 ユース・サブカルチャーズの戦後史(難波功士著、青弓社)にあるように、「系」という感覚は90年代からのものですが、渋谷系自体も、音楽的には70年代の先端の再評価のような面がありますし、ヴィジュアル面ではもっと、あえてレトロなものを取りいれたうごきだったと思います。

「90年代を代表するファッション誌『Olive』(マガジンハウス)が残した種子は様々な女性ファッション誌に受け継がれ、特に昨年に創刊された『ROLa』(新潮社)は強烈に『Olive』フォロワー色の濃い「文化系女子」推し」とあります。実は、ROLa(新潮社)はまだ一度も見ていないので、そこはわからないのですが、Oliveの力は、先日出たオリーブの罠(酒井順子著、講談社)で、90年代というよりは80年代の感覚でしたが、同時代的な視点からえがき出されたところです。「しかし同誌の現時点での最新号(9月号)メイン特集は「恋よりおいしい肉がある!」。ああ、普通のライフスタイル誌に成り下がってしまっているのだなあと思ってしまいます。」、現時点がやや古いのはともかくとしても、そういうものかもしれません。夜中にチョコレートを食べる女性たち(幕内秀夫著、講談社)には、「現代社会は「食欲」以外で欲望を満たすことが難しくなっている」とあります。また、Oliveの種からといっても、成長を目的と考えない考え方の記事で取りあげたように、種と同じかたちの実がなると考えてはいけないのです。ふと、昨年10月2日付の朝日新聞朝刊の、太田君代という人の、「苗には黒いスイカの絵札がついていたのに」と腹をたてたお話を思い出しました。

常見洋平を登場させて、「常見が渋谷系を嫌う理由として挙げているのは、「妙なお洒落風な感覚、ちょっと敷居の高い感じ、さらには、その人たちのウンチク語りたがりな雰囲気」「自分は渋谷系を知ってると悦に浸り、相手を見下すという面倒くさい存在」。」とします。音楽の世界の「見下し現象」の記事で取りあげたまんがの世界にも近いでしょう。

「結局、90年代文化が“わざわざ”掘り出されて“大袈裟に”再評価されるほど、過去のものになっていない」、「西暦こそ2014年になった今現在でも、90年代の文化は下火にならず、新しい文化と並走しているのではないか」、同感です。特に音楽に関しては、J-POPカテゴリの成立が大きいでしょう。さまざまな「系」が、この傘の下でゆるく混じりあい、外来のヒップホップも、近年ではEDMも、日本では何でもJ-POPに吸収されてしまうようになりました。いったんJ-POP化してしまうと、靖国神社に批判的な人がいう意味での「分祀」のようなことはありえず、渋谷系もまた、J-POPが生きている限りは死なないのです。