生駒 忍

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30年間レシピを考えつづける漫画家と承認

きょう、朝日新聞デジタルに、家事メン先駆け、30年に 「クッキングパパ」連載1300回達成という記事が出ました。

「作者のうえやまとち(60)が、創作の日々を振り返った。」という記事です。まんが自体だけでなく、そこに登場させるレシピもひねり出す点で、「創作の日々」と表現したのでしょう。少なくとも朝日新聞関係では、この表現はとても異例です。本紙はもちろん、朝日新聞出版の雑誌や、日刊スポーツでも、使われているのを見たことは、まずありません。例外として、asahi.com時代に出たものですが、100巻出たら通読しよう「クッキングパパ」があります。書いたのは小原篤という記者で、今回の大西元博とは別人ですが、同世代で、どちらもサブカル好きです。

「レシピはみずからアイデアをひねり出し、台所に立つ。」、やはりここが、すごいところだと思います。まんがづくりも、レシピの考案も、できる人はいくらでもいますし、プロとしてこなしている人も、たくさんいます。ですが、両方ができて、きちんと続けるのは、大変なことです。しかも、有名誌でずっと人気を保ち、レシピは単独で人気を呼ぶこともあるのです。「ノリの上にごはんと具を載せ、四角く折り、握らずにつくる「おにぎらず」」は、昨年になぜかブームがありましたが、100巻以上も前に登場させたものでした。ですので、昔のこのまんがから、こっそりと盗んできたように誤解した人も出たくらいです。もちろん、世の中には手くせの悪い悪人もいますので、盗みの可能性にはきびしく出ることにも、意味があります。東スポWebにきょう出た記事、窃盗容疑で小保方晴子氏を刑事告発へや、トピックニュースにきょう出た記事、岡田斗司夫氏、愛人リスト流出の次は盗作疑惑が浮上は、どちらもショッキングですが、これからどうなるか、注目しています。そういえば、闘飯 ~うまかばいっ!博多の強敵・新井主任登場!!~(土山しげる作、双葉社)には、「食キングパパ」という、あごの出たライバルが登場します。

「講談社では世界最長連載のレシピ付きマンガとしてギネス申請を検討中という。」、これは興味深いです。佐村河内の提訴のうごきの記事で取りあげたものが、結局は口だけで終わったようすになっていたり、お役所用語の「前向きに検討」のような意味でしかなかったりするのかもしれませんが、挑戦を期待したいと思います。ネックは、「レシピ付きマンガ」というカテゴリ設定でしょう。主従が逆の、Amazon.co.jpでとても評価の高いまるべん。 楽にできる、毎日つくれる、丸いお弁当(くっしー著、マガジンハウス)のような、まんががついたレシピとの区別は、さほどむずかしくはないのですが、このカテゴリにあてはまるものは、数が限られます。しかも、海外ではまた、有名なものがあるのかもしれませんが、少なくとも国内では、これの知名度が飛びぬけている一方で、それ以外にはひとつも挙げられない人もめずらしくないでしょう。それでも、連載30年は、評価されてよい長さです。

30年で思い出したのが、太陽がまぶしかったからにきょう出た記事、小田嶋隆に30年前から予言されていた「個人的な出版によって失われる詩人とそば屋の純潔」のはなしです。いまから30年前の日本は、携帯電話、インターネット、パソコン通信、いずれも一応の原形が現れだしたところでしたが、みごとな先見の明です。それから30年、バブルをはさんでさらに肥大した消費社会の中で、今日これだけ肥大した「個人的な出版」だけは、かたちは一応、生産の方向です。PHP 2015年2月号(PHP研究所)で「ツチヤ教授」こと土屋賢二が、「お喋りをやめさせることは不可能」としたように、出したいエネルギーは強力で、そこに誰もが世界中へ流せる装置がつながりました。Pawel Kuczynskiの風刺画、confessionをご覧ください。ですが、こういう装置は、耳を向けた人にしか聞こえないつくりになっていますので、「如何にして「他人の送り込みたい情報」「相手の受け取りたい情報」を押しのけてさえも「自分の送り込みたい情報」を相手に到達させるか」も考えなければいけません。そして、反応がほしくなります。「小田嶋さぁーん今月の『月刊田中』読んで貰えましたかぁ?」です。それももちろん、プロであれば、またPHP 2015年2月号ですが、そこで蛭子能収が書いた、「お世辞よりも、正直な意見が聞きたい」になるのですが、装置のユーザーの多くが、当然のように求めるのは、「承認」です。こうして、すぐれたコミュニケーションツールが、すっぴん写真公開の記事で論じたような、非生産的なコミュニケーションにつながるのです。

効果がなかったことの不足と失敗からの学習

きょう、マイナビウーマンに、がんばったのに! モテたいと思ってやってみたけど効果がなかったこと4選という記事が出ました。

4選ということですが、何度数えても、3件しか見あたりません。「目もとに関する努力」、「服装を変えてみたけれど」、「没個性化してしまった」、あとひとつが見つかりません。ふと、ボディクロック研究会の記事で取りあげた、何度数えてもひとり多い問題を思い出しました。

「成功した話はよく聞きますが、失敗談もバランスよく意識してもいいのではないでしょうか。これをバネにしてさらなるモテを追求したいですね!」、バランスという視点は、ユニークだと思います。一般には、失敗から学ぶことの大きさが、より強調されがちです。最近ではたとえば、ランナーズ 2015年3月号(アールビーズ)で山川明仁という人が、「むしろ、失敗レースから学ぶことの方が多い気がしますね。」と書いています。

後注は、調査データについて、「『マイナビウーマン』にて2015年1月10日~1月24日にWebアンケート。」とします。あすまで調査中なので、途中報告なのでしょうか。

ヒステリックになりやすい女性とかめの裏の絵

きょう、恋愛jpに、会話がストレスに! ヒステリックになりやすい女性の特徴4つと対処法という記事が出ました。

「以前はヒステリーは女性特有の病気として扱われ、その語源も古代ギリシア語で「子宮」を意味する「hystera」から」、ここだけ読めばまちがいではないのですが、「現在は、病気としての「ヒステリー」という言葉は使われず、『解離性障害』と言われています。」、これは適切ではないように思います。単に「解離性障害」と書くのでしたら、ICD-10のF44とは異なります。ヒステリーのヒストリーはややややこしいのですが、DSMでは解離のグループだけでなく、DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引(医学書院)でいう変換症も、そのヒステリーを引きついでいます。また、DSM-5は、「解離性障害」に対して、解離症群という訳語を示しました。そして、「愚痴が増え、私がアドバイスをしてもなぜかキレてヒステリックになることが多い」という話題なので、そういう意味でのヒステリーとは別だと思います。DIDのために別の人格状態への交替が起こって、「キレてヒステリックになる」のでしょうか。もちろん、このDIDは、書き順を音にする研究の記事で取りあげたものとは無関係で、解離性同一症のことです。別のアイデンティティがわかれてしまうというイメージとは逆に、同一になってしまう病気のように見える新訳語は、議論がわかれるところだと思います。

「ヒステリックになりやすい女性の特徴4つ」は、そのDSMでいうと、B群のパーソナリティ障害に近いように見えます。その視点からは、たとえば「こんな女性はヒステリックになりやすい」というような書き方のほうが、イメージされる因果関係の向きにははっきり合いそうです。

「「悩みを聞いてほしい」と言われても、女性は解決を求めているわけではなく、同調し共感して欲しいだけだ」、これは男性が、わかってはいても苦手とするものです。ダブルバインドではありませんが、表の意味で対応されて、「求めていないアドバイスを受けること」となり「ヒステリックになって」しまえば、おたがいに困るのですが、裏の意味を表にして、これから言う内容に共感するように、と告げてからというわけにもいきません。

表と裏で思い出したのが、けさの常陽新聞の記事、「イタリアから「かめ」寄贈 牛久市 友好都市提携を記念」です。本文には、「高さ65㌢のかめの表側には牛久市の市章が描かれ、牛久ゆかりの日本画家、小川芋銭のカッパの絵が入っている。」とありますが、写真のキャプションには、「かめの裏側には小川芋銭の描いたカッパの絵が入っている」とあります。写真で見ると、これは裏のはずです。もったいなく感じる人もいると思いますが、市章とならべるとバランスが悪いですし、カッパはやはり、陰にかくれて、ふつうは見せないところにいたほうが、すわりがよいのでしょう。

ふつうは見せないところで思い出したのが、週刊文春 1月29日号(文藝春秋)です。どちらも男性器のことになってしまいますが、生活保護費での別居の記事で取りあげた「ようじ男」が、いきなり見せる奇行をしていたという証言や、尾野真千子と交際した男は家族全員に見られ、チェックされることになるという、テレビ番組での指摘を問われた尾野の父が、否定して「押さえこんだり、ふざけ合うくらい」とした発言がありました。

「発達障害は育て方の問題」と女性のASD

きょう、京都新聞のウェブサイトに、心の病気、知って理解を 京都のNPO、冊子作成という記事が出ました。「中高生向けの啓発冊子「知ってほしい、心の病気のこと。」」の紹介です。

「心の病気は誰もがなる可能性があり適切な治療で回復に向かうが、偏見が強く、受診の遅れや孤立、いじめにつながっているという。」、いじめにもつなげることは、「心の病気」の啓発では、あまりみかけません。これは中高生向けだからでしょうか。あるいは、統合失調症ばかりにかたよらずに、発達障害も取りあげることと関連するでしょうか。発達障害といじめ “いじめに立ち向かう”10の解決策(C. グレイ著、クリエイツかもがわ)という本もあります。ですが、発達障害には、「誰もがなる可能性があり適切な治療で回復に向かう」という表現は、向かないと思います。

「対人関係がうまく築けない自閉症スペクトラム障害の少女」の事例が登場するそうです。自閉スペクトラム症という表記には、あわせなかったようです。また、割合としては少ないことが明らかな、女性の事例にしたところがユニークだと思います。

「「発達障害は育て方の問題」などの偏見や誤解」、このあつかいは、議論がわかれるところでしょう。少なくとも、子ども虐待という第四の発達障害(杉山登志郎著、学習研究社)のようなものを入れるなら、育て方の問題は明らかです。また、悪意のある虐待でなくても、不適切な育児行動が発達障害と関連するような指摘もあります。メディカルズアイの記事、赤ちゃんを強くゆさぶらないで!は、乳幼児揺さぶられ症候群について、「場合によっては、脳に障害が起き、知的障害や身体障害だけでなく、一見発達障害や学習障害などの後遺症が残ったりすることがあります。」とします。

入手方法ですが、「同法人メンバーが中学や高校で講演を行う際にのみ、冊子を生徒に配る。講演の希望者は事務局の洛南作業所に電子メールで申し込む。」とあります。ペイドパブかどうかはともかくとしても、興味をひく制作物を示して、それを材料に講演のお仕事が向こうから寄ってくるようにする、ややインバウンドマーケティング的な手法のようにも見えます。

カンニングの美談の全否定と「運命」の編曲

きょう、トピックニュースに、「TVタックル」のデマニュース特集で、カンニング竹山と相方にまつわる美談を完全否定という記事が出ました。

「19日放送の「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日系)で、カンニング竹山と相方の美談エピソードはウソだったことが判明した。」と書き出されます。テレビ初公開なのかもしれませんが、なにを今さらと思ってしまいました。1年8か月前に、竹山自身によるツイート、②一度気持ち悪いのでここでおじさんの立場からハッキリ言わせていただきます。で明かされています。リツイート数もこれだけありますし、その日のうちにJ-CASTの記事、カンニング竹山「全くのデマ」 相方にギャラ送る「美談」否定に、日付が変わってからナリナリドットコムの記事、カンニング竹山“美談”はデマ、ネットで拡散「迷惑、やめて下さい」。になりました。J-CASTのほうは、後々にも参照されることを意識したのか、「5月19日(2013年)に「全くのデマ」だとツイッター上で否定」と、年月日がわかるように書かれています。それでも、この手の美談には、信じる気持ち、信じたい気持ちが根強いですので、根気強く否定し続けることには、意味があります。

「番組は「(竹山)本人は完全に否定!デマだった!」と真相を暴露」とします。一般には、本人が口を開くのが、真偽の強い証拠になりますし、少なくともこの「美談」の件は、これでよいと思います。では、nikkansports.comにきょう出た記事、カンニング竹山、高額自腹ヤラセ疑惑否定はどうでしょうか。同じ竹山で、すでにほかのタレントもしてきた主張ですが、これを根拠に、本人が否定するのだからやらせではないのだという結論でよいでしょうか。あるいは、MANTANWEBにきょう出た記事、松坂桃李 : 綾瀬はるかとは「友達」 双方が交際否定はどうでしょうか。「女優の綾瀬はるかさんが「(松坂さんとは)友達」と否定したことについて、記者から再度確認された松坂さんは「友達です」と同様のコメント」、「双方が交際を否定した形」、以上で事実確定でよいでしょうか。もちろん、「友達」のとり方もいろいろでしょうし、松坂の父は大学の教授、東北福祉大で心理学を専攻というおかしな情報にくらべれば、確度が高いはずです。

このMANTANWEBの記事で、そこよりも私が気になったのは、「劇中で謎の指揮者を演じている西田さんは、弦楽四重奏を率いてベートーベンの「運命」の印象的な出だしの指揮を披露。」したことです。1楽章の弦楽四重奏版はいくつか出まわっていますが、今回はどこのものでしょうか、それとも映画オリジナルでしょうか。意外に編曲しにくいつくりのようにも思いますが、だからこそ、アレンジにチャレンジしたくなる面もありそうです。グレン・グールド・エディション<5>のようなピアノ独奏、オルガン、吹奏楽はもちろん、弦楽四重奏ではない「弦楽」四重奏として、ギター四重奏または合奏のための 交響曲第5番「運命」第1楽章(ホマドリーム)もあります。さらに、アカペラで、原曲の思想からはるかにはなれた歌詞をのせた交響曲第5番「朝ごはん」(上海太郎舞踏公司B)は、肩のこらないコミカルな小品なのに、気合いの入ったこり方で楽しめます。EMDR特集番組の記事で触れた、相場ひろのことばを思い出しました。