生駒 忍

記事一覧

ネットメディアの害悪と地域でのスマホ規制

きょう、琉球新報のウェブサイトに、ネット依存で発達阻害 子どもへの影響懸念という記事が出ました。

「スマートフォンやパソコンなどの急速な普及で、ネットメディア接触の低年齢化・長時間化が進んでいることによる「子どものネットメディア依存症」がテーマ。」だという、沖縄県医師会と琉球新報社との共催によるイベントの報告です。情報弱者と買い物弱者の記事で取りあげたように、若者はもう、パソコンを使わなくなりつつあるといわれる中で、若年人口の割合で日本一をほこる沖縄では、パソコンが急速に普及しているところなのでしょうか。

「NPO法人子どもとメディア代表理事の清川輝基氏はデータを示しながら日本の子どもの心身機能が低下してきていることなどを報告。「日本の若者のネットメディア接触時間は世界一長い。研究者や国の調査でネットメディアとの接触が体や脳、言葉の発達をゆがめることははっきりしている」と強調した。」そうです。スマホ猫背とスマホうつの記事で取りあげたような、装置の物理的な特性からではなく、ネットメディアへの接触という、どちらかというとソフト的な側面が、ハードな事態につながるようです。

「保護者らからは「生活に浸透しているネットメディアとどう付き合うか」などの質問があった。清川氏からは地域ぐるみでスマホ使用にルールを設ける他県の事例などが報告された。」とあります。文科省による「子供のための情報モラル育成プロジェクト」 ~考えよう 家族みんなで スマホのルール~もあり、全国各地で成果が出ている取りくみで、この機会に、沖縄でもひろがることを期待します。小・中学校作文コンクール文部科学大臣賞受賞者の記事で取りあげたような、生徒側がルールをつくり、呼びかけるやり方も増えています。買いあたえた親がきちんとさせるべきというのは正論ですが、それができない家庭もありますし、そういうところの子どもにきちんとした親の子どもが巻きこまれてくずれたりもしますので、「地域ぐるみで」行うのが、成功のポイントです。ITproに半年前に出た記事、刈谷市のスマホ利用制限が功を奏した理由、家庭内の合意から地域に拡大にあるように、ある程度強いやり方で、始めるときには批判的な声もあっても、回りだすと意外にうまくいくようで、健康問題も改善されます。ヨリドリミドリ リラックマ生活12(コンドウアキ著、主婦と生活社)の、「ムツカシイノハ ハジメダケ」を思い出しました。

グルメ本にお金を出す心理と「愚民化装置」

きょう、Jタウンネットに、ネット時代になぜ「地方グルメ本」が売れる?という記事が出ました。

「出版不況といわれる中、好調な売れ行きをみせるのは、ランチやカフェなど、様々なテーマやジャンル別に地元の飲食店を紹介する地方版のグルメガイド本です。」とあります。テレビをつまならくする若手の記事で取りあげたように、民放テレビにもグルメ企画だのみが目だつようになりました。オールドメディアは、食で食べているのです。

このネット時代に、「有料で紙媒体のグルメガイドに関心を寄せる読者の心理を、編集スタッフは」「誰があげたのかわからなかったりだとか、どれを選んだらいいのか分からなかったりするなかで、一冊に編集することによって、読者が必要な情報がまとまっていることが一つのメリットなんじゃないかなって思います」と見ているそうです。自分でさがして、自分で判断すればよいものでも、その手間も減らして、オールドメディアの信用にたよりたい人には、ネットよりも楽でよいのでしょう。わかりやすい娯楽に、与えられるままにつかる、まるでゲッベルスに骨抜きにされたドイツ国民のようです。週刊アスキー 7月29日号(KADOKAWA)で、4スクリーン時代の「愚民化装置」の最強がテレビだとされたことにも近いでしょう。NEWSポストセブンにきょう出た記事、各局で超常現象特番が花盛り オカルトが再ブームの理由とはでの、「ただし、視聴者はいつでもYouTubeを見ることができるはず。敢えてテレビで見ることもない気がするが…。」という疑問への答えも、探さなくてよく、楽であることでした。

さて、ランチパスポートについて、「掲載によって、以前より売り上げがアップしたという例も多いそうです。」とあります。「多い」とあるので、載っても増えない例もあるのでしょう。大きく割りびいたメニューでお客が増えても、利益になるかどうかはわかりませんが、「売り上げがアップ」するのは、地域であれだけの数が出まわるのですから、当然のはずです。いつもきちんとお客が入っていたお店が、限られたランチの時間帯を、客単価の安い、もちろん利益にならないパスポート持ちに埋められてしまい、ひどい目にあっているのかもしれません。ガジェット通信に2年前に出た記事、クーポン共同購入サイトにてトラブル “キッチンとらじろう”がクーポン客に対してありえない接客を思い出しました。

言いわけとしての人見知りと「泣くから」発言

きょう、Googirlに、人見知りの人は必読! 初対面の印象をアップさせるコツという記事が出ました。

「初対面の人の前だと思うように自分を出せない……。そんな「人見知り」を自称する人も数多くいますよね。」、同意します。人見知り宣言の効果の記事で取りあげたように、20代女性で使ったことがないのは、3人に1人もいないのです。ですが、こちらの筆者は、幼稚な言いわけというイメージでとらえます。「ある程度の年齢になったら「人見知り」なんて言っていられません。」「「人見知りだからできない」は言い訳です。」とします。断定は行きすぎだとは思いますが、言いわけとしてはよくあるパターンです。最近ではたとえば、ODAKYU VOICE 2015年2月号の10ページ、本当の私が取りあげましたし、似た話題として、ルポ 中年童貞(中村淳彦著、幻冬舎)に登場するメイド喫茶経営者の指摘、「二次元しか愛せないっていうオタクがいるけど、そのほとんどは方便ですよ。実際は現実の女の子に相手にされないから、二次元が好きというのが一般的です。」「二次元しか好きになれないって言い訳、自己暗示。」「非モテって言葉も同じように使われている。」もあります。

「「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ」というアメリカの心理・哲学者、ウィリアム・ジェームズの言葉をまずはここに挙げておきましょう。」、どこで言ったことばでしょうか。私が知る限りでは、思いあたりません。おそらくは、少なくとも想像性とひらめき待ちの記事で触れた「ウリアムジームスの言葉」よりも有名な、「悲しいから泣くのではない、 泣くから悲しいのだ」をもじったのだと思います。ですが、悲しいことのほうも、ジェームズのことばのそのままではありません。WikisourceでWhat is an Emotion?を見た限りでは、ぴったりのところは見あたりません。長い文なので切りだすと、「the more rational statement is that we feel sorry because we cry, angry because we strike, afraid because we tremble, and not that we cry, strike, or tremble, because we are sorry, angry, or fearful」というところはあります。The Principles of Psychology: Volume Two(W. James著)では15章、450ページの上のほうに、一字一句一致する同じフレーズがあります。それでも、うっかり読みとばして、私が気づかなかっただけかもしれません。ふと、JAZZ最中というブログにきょう出た記事、チェしか読まないを思い出しました。

「ときには大げさに手を叩いて笑うのも効果的。」、そうだと思います。関根勤を見ならいましょう。

リベンジポルノ防止法の刑罰と顔をかくす効果

きょう、Gow!Magazineに、リベンジポルノから自分を守るただひとつの方法とは?という記事が出ました。

「これを規制する法律は、現行では名誉棄損罪(3年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金)程度。」、誤解をまねきそうな書き方です。せいぜい名誉毀損罪程度しか適用できないのではなく、法定刑が似ているということです。昨年11月、リベンジポルノ防止法が成立し、3条ももう施行されました。その公表罪は、「三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」で、禁錮刑にはなりません。もちろん、刑法230条は、「三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金」です。

「写真を渡してしまった自責の念や、恥ずかしさが女性たちを黙らせ、その裏で犯人たちは次から次へと被害者を作っていくのです。」、おそらくそうだとは思いますが、「犯人たち」という表現には、違和感があります。別個の痴情のもつれでしかないはずなのに、まるで私怨をかかえたそれぞれが結んで、ほかの人にも公表をさせたり、対象者をかえてくり返したりするように見えます。結果的に拡散を手つだった人々も含めて「犯人たち」だと理解したい人もいるかもしれませんが、「次から次へと被害者を作っていく」とありますので、すでに被害者になった人の被害拡大のことを指してはいないことは明らかです。

「いくら法律で加害者を罰しても、それは被害が出てしまってからのこと。」、そのとおりです。可能性のある人を、公表にうごく前に拘束できれば可能ですが、排除型社会(J. ヤング著、洛北出版)の悪夢の世界でしょう。

「好きな人に望まれれば「望みをかなえてあげたい」という気持ちになるのは女性として当然のこと」、「彼の望みを拒絶することで「俺を信用できないのか?」などと言われてしまえば、二人の間にひびが入りかねない大きな問題」、一般論としては理解できますが、この問題に関してこういうとらえ方は、適切でしょうか。アンマン自爆テロ事件のサジダ・リシャウィは、夫から自爆テロを指示され、したがいましたが、死ねといわれたとしたら死のうと思うのも「女性として当然のこと」になるのでしょうか。女性に自分はないのでしょうか。少なくとも、性行為のもとめや避妊に関しては、のぞまない妊娠や、性病やそこからの不妊から自分を守るには、自分でノーを言わなければという視点があります。さらば、悲しみの性 高校生の性を考える(河野美代子著、集英社)をご覧ください。不本意なことになってから、刑事なり民事なりでうったえるにしても、それこそ「いくら法律で加害者を罰しても、それは被害が出てしまってからのこと。」です。ハフィントンポスト日本版にきょう出た記事、独裁国家ジンバブエが削除を命令した、いわくつきの写真がこれだ(画像)のように、あの独裁権力でさえ、出てしまったものは止めきれない時代なのです。

「ですから、リベンジポルノから女性の身を守る方法はただひとつ。」「顔さえ写さなければ、どんな姿のどんな写真でも「自分じゃない」と否定することができるのです。」、どうでしょうか。筆者の感覚ですと、顔をもとめられたら、撮らせてあげるのが「女性として当然のこと」にされそうですので、そうなれば守りきれません。しかも、「顔と体を撮影されそうになったら、顔は恥ずかしいからと髪で隠したり、いつもと違う表情をする」、この程度で「被害は最小限に」なりますでしょうか。その場で表情などつくったところで、本人と見くらべてわからないようになるとは考えにくいですし、流されて不特定多数に見られること自体の苦痛はなくせません。思いきった変顔に走れば、ポルノとしての価値をそこなうことはできますが、変にできがよいと、むしろおもしろ画像として、より表に近い場で流れてしまう危険もあります。また、リベンジポルノ防止法2条の「性欲を興奮させ又は刺激するもの」や、3条の「第三者が撮影対象者を特定することができる」範囲をはなれると、せっかくの新法も助けてくれなくなります。結局は、断る力(勝間和代著、文藝春秋)ではありませんが、ことわることこそが、意味のある選択肢でしょう。

ことわるで思い出したのが、Reutersにきょう出た記事、中田氏の申し出、簡単に乗るわけにいかない=人質事件情報収集で首相です。答弁内容は、「やたらめったらに『お願いします』とすれば、(交渉が)うまくいかないのは常識」という、当然のことでした。たずねたほうは、今回の裏事情を言わせたかったのかもしれませんが、混乱をまねきかねませんので、こういう一般論での回答で十分だと思います。週刊文春 2月5日号(文藝春秋)の、「佐藤優が痛烈批判「中田考はイスラム国のPR担当」」のようなこともあります。また、週刊新潮 2月12日号(新潮社)は、アルカイダによるイラク日本人誘拐殺害事件を、イスラム法に反しないなどと「追認」にまわった過去にふれました。ところで、「松田公太委員への(元気)答弁。」とありますが、何でしょうか。アントニオ猪木の元気な発言ではなく、質問者は弟が若くして病死、答弁者は持病を薬でおさえつつの活躍である組みあわせに、後にずらして「元気」をつけました。もちろん、国のトップは完全な健康体でなければいけないということはありません。アメリカのフランクリン・ローズヴェルトも、イギリスのゴードン・ブラウンも、それを理由に非難されることはないはずです。そういえば、Telegraphにきょう出た記事、Vladimir Putin suffers from Asperger’s syndrome, Pentagon report claimsは、納得できるものでしょうか。

承認欲求では説明困難な集団と社会的性格論

きょう、ハフィントンポスト日本版に、それって本当に承認欲求?――群れたがりな私達という記事が出ました。

「日本語で承認欲求と書くと、読んで字の如く「承認されたい」ってイメージになりますし、それが大間違いというわけでもないのですが、原語がself-esteemとなっているように、自分が認められること・自尊心を持てること、そういったニュアンスの強い言葉です。」、大まちがいというわけでもないのですが、ニュアンスがずれます。「承認欲求」という意訳の問題もありますが、精神保健福祉士暗記ブックの改善ポイントの記事でも「自尊と尊敬」から変更されたことを指摘しましたし、定着しつつある表現ではあります。それでも、マズローのA theory of human motivationを見ると、ピラミッドの第4階層は、381ページの下から説明があり、原語は「The esteem needs.」です。「例のピラミッド図」としてリンクした先の図も、self-esteemはその層の一成分であるとわかるものですが、気づかなかったのでしょうか。また、マズローは「These needs may be classified into two subsidiary sets.」としていて、片方は後の心理学での、ただしローゼンバーグ的ではないself-esteemに近いもの、もう片方がいわゆる「承認欲求」です。

「集団への所属よりも自分自身が褒められることを重視するメンタリティは消費社会の成熟と歩調を合わせるように全国に広がり、心理的欲求のパラダイムは所属欲求から承認欲求に変わっていきました。」、マズローの理論を持ちだしながらパラダイムが変わるというとらえ方はともかくとしても、とらえたい変化の存在には同意します。このあたりは、筆者も明らかに知っている孤独な群衆 上(D. リースマン著、みすず書房)の社会的性格論を、もちろん無理を承知でのことですが、あてはめると興味深いかもしれません。強引ですが、伝統指向型は所属欲求に、内部指向型は自己実現欲求に、他人指向型は「承認欲求」に、それぞれ対応しそうです。すると、筆者が指摘する変化は、マズロー階層説ではひとつ上への順次進行、リースマン理論では跳躍進行となります。

「ちなみに、この時期には(マズローの欲求段階説では頂点に位置している)自己実現欲求について書かれた書籍が大量に出版されています。ただ、実際に自己実現した人というのはあまりいなくて、そうした書籍を欲しがった人々の実態も、単に承認欲求を欲しがっていただけではないかと私は疑っています。」、ありそうなことです。野蛮な進化心理学 殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎(D. ケンリック著、白揚社)は、マズロー理論が実証的に否定されていることを示し、自己実現を頂点とはしない「新しい動機のピラミッド」を提示しましたが、マズロー的な自己実現の多くは、結局は承認に回収されることを指摘してもいます。

「そんなわけで、最近私は「現代人の心理的欲求を考えるにあたって、承認欲求ばかり強調するのは間違っている」と思っています。」、これが一応の結論のようです。ネット論壇に「承認欲求」を定着させることに寄与した人が言うところも、ポイントです。Newton別冊 知能と心の科学(ニュートンプレス)でラマチャンドランが、ミラーニューロンはメディアに取りあげられすぎだと苦言を呈したのを思い出しました。