生駒 忍

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ひまだと悪事をする心理と研究者のかけひき

きょう、LAURIERに、結局モテるのはヒマな女子という事実という記事が出ました。

「先日、高校生の女子にクラスではどんな子がモテるのか聞いてみたら「ヒマな子」という答えが返ってきて周りの大人たちが大笑いするという一場面がありました。」、ありそうなことです。一般には、ひまは悪いことをもたらすものとされがちですので、悪いことではない「モテる」こととつながるのは、対照的に見えます。古典では、非行の原因(T. ハーシ著、文化書房博文社)の、社会的きずな理論が有名です。インボルブメントの概念は、悪事に侵入されるような空き時間が悪事をみちびくと考えます。また、週刊東洋経済 8月9・16日号(東洋経済新報社)で退任間近の「ミスター牛丼」、安部修仁は、「みんなに不安を抱かせないようにする一つのテクニックは、忙しくすることです。」と言っています。そして、もの書きの世界にも、いそがしいほうが書けるという、逆説的な感覚があるようです。たった5分で「あなたと一生仕事をしたい」と思われる話し方(小宮一慶著、PHP研究所)には、「「どうせ書くなら、じっくり腰を据えて」と思う人が大半でしょうが、私はそうは思いません。むしろ、文章を書くなら忙しいほうがいいのです。」とあります。覚えるだけの勉強をやめれば劇的に頭がよくなる(小川仁志著、PHP研究所)にある、ある教授が「小川君、論文なんてのは忙しいほうが書けるんだよ。」と言ったお話のように、研究者にもみられます。悪の説得術(多湖輝著、ゴマブックス)にある、雑誌編集者の原稿依頼の切り札、「お忙しい先生だからこそ、是が非でもお引き受けいただきたいのです。ひまをもてあましている人に、脂の乗った仕事は、とても期待できませんからね」も、意外に真理を突いているようにも思えます。ひまがある人は、そのひまを生産的なところに使うこともできるのに、意外にそうしないものです。Voice 2013年5月号(PHP研究所)で山形浩生は、もちろんこの人は多忙をきわめる有能な翻訳家ですが、「でも多くの暇なはずの人びとは、テレビをだらだら見てネットでエロ画像を漁り、何一つ有用なことをしない。」とします。ちなみに、わが国では古くから、小人閑居してということわざがと言いたい人も出てきそうですが、そこはややややこしいところです。いまの意味はもう、それでよいと思いますが、本来はそうではなかったことばが、日本に来てからのどこかで、変わったのです。日英語の比較 発想・背景・文化 第二版(日英言語文化研究会編、三修社)には、「本来中国のものであり「小人物は暇でいるとろくなことはしない」という意味」とありますが、大学では「閑居」ではなく「閒居」と書かれたところです。常用漢字でないためか、「間居」と書きかえたものも見かけますが、ついつい会話に使ってみたくなる四字熟語(田中春泥著、ベレ出版)には「「間」は「閑」に同じ」、【新訳】大学・中庸(守屋洋編、PHP研究所)には「「間居」は、「閑居」と同じ」とあり、誤解する人が出そうです。なお、このあたりに関しては、レファレンス協同データベースの事例、学長のブログに中国故事「小人閑居して不善をなす」が引用されており、この使われ方が誤りではないかとの声がも参考になります。

さて、「遊びに誘って断られた時、たとえ本当にその日に用事があったのだとしても、「フラれた」と感じてしまうものです。一度断られてしまうと、男子は「また断られたらどうしよう」と不安になり、次誘う時に躊躇ってしまいます。」とあります。遊びではなく、仕事でも、少なくとも私の業界では、やや似たようなことがあります。授業、執筆、共同研究、そういったお話で誰かに声をかけようという時に、以前にことわられた人は、選択肢からはずされやすくなります。ほんとうにいそがしいのか、仕事を選ぶ人なのか、めんどうな気分屋なのか、いずれにしても、またお話を振っては振られてでは、誰にとってもむだですので、避けたいのです。また、来たお話に、妙に寝かせてから、受けてもよいという態度でこたえる人も、本人は何かのかけひきのつもりなのだと思いますが、次はなくなる方向でしょう。

「意地でも「ヒマだよ」と言ってみる」、シンプルで興味深いです。SPA! 1月13・20日号(扶桑社)の峰なゆかのまんがの、「パン食えなそうだから俺ケーキ食うわ!」が示した「女は75点が100点システム」ではありませんが、手のとどかない高嶺の花に見えては不利です。それでも、「もちろん、実際に時間を作ることも重要です。」となります。口だけでは、いずれ誰にも相手にされなくなる、おおかみ少年になってしまいます。なお、この場合は女性ですが、おおかみ少女と書くと、別のものに見えます。そういえば、宮古毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、良い親子関係をつくるのはには、「狼に育てられた狼少年のように、人間として生まれてきても、狼親に育てられたら、狼の生活習慣を身につけていきますから、その歩き方も、鳴き声も狼に似てきます。」とあります。「オオカミ少女」の信用の記事で取りあげた、アマラとカマラのお話の生命力は、相当なものです。

若者の安定志向のデータと多重役割の拡張仮説

きょう、ハナクロに、安定したいなら「大企業への就職」ではなく「多職」を目指そう!という記事が出ました。

「仕事にやりがいを求める一方で、正社員になれないリスクに怯え、「安定したい」という願望を強く持つ若者が増えています。」と書き出されます。若者は本当にお金がないのか? 統計データが語る意外な真実(久我尚子著、光文社)を見ると、図表110ははっきりと、会社の選択基準における「一流会社だから」「会社の将来性を考えて」の低下を示していて、矛盾して見えます。ですが、新入社員を対象としたデータですので、理想の一流、安定にまでは手がとどかなかった新人たちを相当に含むでしょう。つまり、自己知覚理論や認知的不協和理論の出番です。先ほどの若者は本当にお金がないのか?は、「就職人気企業ランキング」も紹介していて、こちらはみごとなほどに「国内志向や安定志向」ですし、入社後に「入社した会社に固執する傾向が強まっている」ことも示されています。

「なぜ、多職が安定につながる理由として、岡田氏は次のように説明しています。」として展開される、「仕事の量も、収入も、評価も、動的安定を目指す」やり方は、つまりはリスク分散、分散投資ともいえます。「愛人リスト」もその延長線上の発想かどうかはともかくとしても、「長い間同じ環境で、決まり切った仕事をしていると、「自分にはこの道しか生き延びる術がない」と思ってしまいがち。」、こうなるリスクをさける点では、マーケット感覚を身につけよう(ちきりん著、ダイヤモンド社)の図表34の議論にも近いかもしれません。

「自分の得意分野や適正を発見できたり、キャリアップの機会にも恵まれそう」、「とはいえ、何十種類も仕事を掛け持ちするとは、かなりストレスフルな生活になりそうな印象があります。」、そうだと思います。あちこちから仕事をいただいている私には、少なくとも後半は、とてもうなずけるところです。一方で、心理学的には、あれこれをかかえることによるよい影響も、広く認められています。多重役割の研究は、不足仮説よりも、拡張仮説を支持しているのです。

「この働き方がゆとり世代に定着するようになるには、少し時間がかかりそうです。」とあります。若者は遅れている、ですがいずれは定着するとみているようです。仕事の数をどういう単位で数えるかにもよりますが、「多職」はむしろ、昔ながらのはたらき方のようにも思います。あるいは、くらし方と表現したほうがよいかもしれません。かつての農家では、農業とひとくくりにされる中にも、水路の保守も家畜の管理も山の手いれもと、さまざまな作業があり、雨の日、日没後、農閑期にはまた別のことをしますし、村の自治や普請もと、くらし全体が「多職」でした。商店や職人仕事などの自営業も、近いところがあるでしょう。生活時間の中で、ぴったりお金と対応する時間としての仕事が区別されたくらしのほうが、後から現れたのです。そういえば、いつでも、逆に考えるとうまくいく。もっと元気が出る71のヒント(川北義則著、PHP研究所)の、「古いものでも「新しい商品」になりうる」という節には、「最近東京で人気の食べ物の一つにさぬきうどんがある。若い連中がうどんに夢中になるなど、ちょっと考えられない現象だが、マスコミがはやした効果もあって「新しい外食メニュー」として定着してきた。」とあります。

自撮りをきらう女性と「ゆとり」のプレゼン

きょう、しらべぇに、【自分アピール】40代女性の7割が「自撮りウザい!」 30代男性の2倍を超える謎という記事が出ました。

「SNS、中でもとくにFacebookには、写真つきの投稿が多い。」「美味しそうな料理の写真、ペットの犬や猫、子供の写真や風景など」と書き出されます。orangestarの雑記にきょう出た記事、はてな村奇譚76が表現した、「ただ生きる」がしあわせな世界です。

ですが、ここでの話題は「自撮り写真」、「リア充アピールの場」のほうです。調査結果は、「全体で見ると、6割近くが自撮りに「自己顕示欲」と「嫌悪感」」、「女性は全般的に自撮り嫌いが多かったが、40代がもっとも顕著で7割超え。」というものでした。その理由の考察は、妥当なところだと思います。あえて、補助的な要因を足すと、プリクラの影響もあるでしょう。登場からそろそろ20年になりますが、たのしく自分を撮っては見せて見られての日々で育った世代の女性と、世間でブームのころにはもう、はずかしくて使えない年齢になっていた世代とで、落差は小さくないはずと思います。

「30年の月日とソーシャルメディアが、人間の自己顕示欲を肥大させたのかもしれない。」と締めます。ネット、特にSNSの影響はもちろんですが、音楽の世界の「見下し現象」の記事で取りあげた石田衣良の指摘、文学を読むことの意味の記事で取りあげたp_shirokumaの指摘などのような、80年代に起きた文化的な転回にも、起源をたどることができそうです。

それ以前には、写真に限らず、「自分アピール」がこんなに好まれることはありませんでした。「男は黙ってサッポロビール」、70年代の有名なコピーです。「ゆとり世代」が職場に来たら読む本(柘植智幸著、日経BP社)にある、「ゆとり世代の若者は大学でプレゼンテーションを学んでいますから、一方的に語ることは得意です。」「教育・研修の場で様々な彼らの意見、特に新入社員の言葉を聞いていると「いったい何様なの?」と思うことがよくあります。」、そんな今とは、まるで正反対だったのです。WirelessWire Newsに3か月前に出た記事、AO入試偏重は技術立国の自殺であり階層を固定するには、「日本が戦争の焼け跡から立ち直ろうと頑張っていた時代に、日本を技術立国として引っ張って来たのは、ご立派な非営利活動や海外留学をひけらかし、しゃべりとプレゼンはうまい若者ではありませんでした。家は貧乏だが、勉強が好きで、せっせと真面目に働く地味な青年達でありました。」とあります。文藝春秋 2015年2月号(文藝春秋)に楠本利夫という人が書いた、家がまずしい成績優秀な同級生はめっき工になって、という回想、こういう人が高度経済成長をささえたという指摘とも重なります。

カウンセラーが使うノートとわく決めの功罪

きょう、ノーツマルシェに、春の不調・感情の波、対応に使いたいツールは○○!という記事が出ました。

「筆者はこのコラムのネタを書き留めるために、画像の方眼ノートを使用しています。」とあります。頭がいい人はなぜ、方眼ノートを使うのか?(高橋政史著、かんき出版)を信じた人のアピールかと思いましたが、そうではないはずです。「方眼ノートを数年使用していくうちに、次のような利点に気付きました。」と、きちんとアピールされています。

「大人は子供と違って、まっ白な画用紙に「自由に何を描いても良いよ」と言われると枠が外されたように感じ、逆に不安になります。」、よくあることです。風景構成法では、画用紙にその場でわくをつくってから始めさせます。絵に入れるアイテムに順番が考えられているのも、自由がもたらす不安からの保護の側面があるでしょう。また、本質的に自由であることが本質であるエンカウンターグループよりも、決まったわくの不自由の中で自由をつくるSGEのほうが、少なくとも日本では、広く親しまれるようになりました。日常のものごとでも、わくがないと、かえって人間はうごきにくくなります。伝わっているか?(小西利行著、宣伝会議)は、ルールがあるほうが、ものを考えやすくなることを指摘しますし、楽しく生き抜くための 笑いの仕事術(村瀬健著、マガジンハウス)の、大喜利のお題は具体的なほうがよいというお話にもつながります。一方で、わくのおかげでやりやすくなることの負の側面にも、気づくべきでしょう。ラーメン発見伝 10(久部緑郎作、小学館)で芹沢が突きつける問い、「つまりおまえは自由に作っていいといわれると凡庸なラーメンしか作れない。他人から方向を絞ったテーマを与えられると、その中ではすばらしいラーメンを作る。これがどういう事か分かるか?」は強烈でした。

インコが回る行動の理由と安井順平の表現

きょう、Pouchに、【なぜなのか】コーヒーをかき混ぜるとマグカップの周りを “ぐるぐる” まわっちゃうオカメインコという記事が出ました。「オカメインコのオージーくん の動画」の紹介です。

「音に反応する説」と「餌と関連している説」との2説が示されます。ごく大まかにみれば、前者は生得、後者は学習という理解でしょうか。生得かどうかは、先天性の個体差を含めるとややこしいのですが、学習の面はあるでしょう。心理学の授業では、ハトの実験しか紹介されないかもしれませんが、迷信的行動です。「飼い主さんは朝起きると自分のインスタントコーヒーを作ってから、オージーくんに餌をあげていた。」という仮定が正しい場合はもちろんですし、高次強化で考えてもよいでしょう。インコ語レッスン帖 もっともっとインコに愛されたいあなたへ(磯崎哲也監修、大泉書店)のQ35にも近いと思います。

最後は、「真相を知っているのは、今は亡きオージーくんだけなのでした。」と締めます。「最後の一撃」ものの記事で取りあげたようなものとはまた異なりますが、見ながら勝手にしていたイメージが、つまずいた人もいそうです。ぐるぐると回っても、命は有限なのです。それでも、もし真相を聞けるとしたら、聞いてみたかったところです。あるいは、向こうから説明してきたかもしれません。

それで思い出したのが、女子SPA!にきょう出た記事、究極の“自意識あるある”とは? 地下室でニコ生を配信する40歳ニートを安井順平が熱演です。「引きこもって、ニコ生の視聴者に対して「俺がなぜ引きこもっているか説明してやる!」と配信するんです。」という舞台のお話です。みなさんは、初演で見ていますでしょうか。見ていても、また見に行きますでしょうか。なお、ここには「聖帝ロシア時代」という表現が登場します。マイナビウーマンにきょう出た記事、コンニャクを保存する3つの方法にある「コンニャクの保存法方に関する雑学」のような、単なる文字の前後ではありません。「法方」では、移調の限られた旋法のようですが、アナグラムに見えません。安井順平が先に使い、尾崎ムギ子というインタビュアーも、どちらも「聖帝ロシア時代」と言っていますので、「僕はニコ生どころかツイッターもやっていないんですけど。「こう思われるんじゃないか?」とか、考えちゃうんですよ。」という安井が、考えがあって使った表現とも考えられます。聖帝というはるかに高潔なひびきが、「自意識過剰な男の話」、「40歳ニート男の地下室でのモノローグ」との落差を際だたせます。「「君だけじゃないよ、もっと酷いやついるよ」という勇気を与えられたらなと思います。」という作品なのです。そういえば、Amazon.co.jpでたいへんに評価の高い、ぐでたまぴあ(ぴあ)でAmyは、「「自分よりダメなやつがいる」と思って安心できるところが魅力だと思っています。」と自作を評していました。