生駒 忍

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文学での節約と恋愛にお金がかかり続ける社会

きょう、ライフハッカー日本版に、文学を読む意味とは?心理学の見地から答える4つの理由という記事が出ました。

タイトルからは、「心理学の見地から」「文学を読む意味」が明かされることが期待されます。ですが、実際の内容は、「人生塾「The School of Life」で教える哲学者であり、エッセイストでもあるアラン・ド・ボトン氏」が、4機能を挙げて解釈したものの紹介です。もちろん、この人のアイデアに、心理学の知見にもとづく、あるいは少なくとも整合するところがまったくないというわけではありませんし、心理学者の仕事がうばわれたなどといきどおるつもりもありませんが、気になったところではあります。

1番目、「時間が節約できる」といっても、このサイトらしいライフハック術のたぐいとは、まったく次元が異なります。しかも、「何度も生まれ変われなければ実際には体験できないような、さまざまな感情や出来事」もふんだんにありますが、何度生まれかわってもありそうもないことまでも、文学にはめずらしくありません。いきなり自分がいも虫になってしまうことは、未来にはメタモルフォーゼ(手塚治虫作、講談社)の「ザムザ復活」のように起こるかもしれないとはいえますが、さすがに非現実的でしょう。不幸からのがれたい一心で「棒の手紙」を送ったことのある人は、ずっとかくしているだけで確実にいるはずですが、自分自身が棒になることはできません。

2番目は、とても堅実なところです。読書教育でも、よく強調される機能です。

3番目、「孤独な気持ちを癒してくれる」とありますが、本は友だち、あるいは特異な凶悪犯罪で目だった人の同級生の証言に出る、いつも本を読んでいて目だたなかった、といった意味あいではありません。「作家は文学を通じて、私たちの本当の姿を見せてくれます。」という感覚は、こども電話相談室の変化の記事で触れた、こころへの関心から文学部へという、昔の、あるいは昔ながらのルートに近いでしょう。そこは心理学の出番なのにというもどかしさと、心理学は文学部的な関心にこたえてくれないというもどかしさを表明されたときのもどかしさとが頭にうかび、もどかしいところです。

4番目、エビデンスはともかくとしても、そういう効果があるのなら、とてもありがたいと思います。趣味へのお金のかけ方の記事で取りあげた「動かない人」は、山あり谷ありの心境を安全に体験できる文学を、好まずにおとなになったのでしょうか。そういえば、週刊朝日 10月24日号(朝日新聞出版)によれば、「イスラム国」のジハードへの参入をはかった北大生は、「日本のフィクションが嫌いで、人を殺す場面で自分がどういう心境になるのか興味がある」と言っていたそうです。

さて、こういった効果を期待する範囲では、紙で読む必要はなさそうです。ですが、文学といわれると、紙の本のイメージが強いでしょう。辞書であれば、紙でさがす過程に起こるセレンディピティや、使いこんで手あかで黒ずむのが学びの実感を高める利点がありますが、これは文学では、なかなか意味をなしません。古典の名作が、青空文庫でもプロジェクト・グーテンベルクでも、無料で読める時代になったのに、人間の意識はすぐにはついていけないのです。オグバーンが、文化遅滞と呼んだ現象になります。なお、オグバーンは、新・堕落論 我欲と天罰(石原慎太郎著、新潮社)では社会心理学者とされましたが、一般には社会学者とされています。

それで思い出したのが、シロクマの屑籠にきょう出た記事、お金がなければ恋愛できない社会。です。若者の恋愛観、ないしは恋愛行動規範が、80年代に強力に商業化されたものからまだ抜けられずにいることを論じています。不況とデフレ、お財布をしばる「通信税」といった環境の変化にもかかわらず、意識がついていけていないと考えると、文化遅滞らしく見えます。ですが、その80年代の恋愛意識は、それよりずっと前の社会変動で、ようやく現れたというものではなさそうです。少なくとも、引用されている若者殺しの時代(堀井憲一郎著、講談社)は、70年代から80年代にかけてしかけられたマーケティングで、あれよあれよという間に若者たちの意識が消費社会へと取りこまれていった展開を、当時の若者の目線から浮かびあがらせました。ですので、ここは文化遅滞のパターンにはなじまないのです。80年代には流れるように転回した意識が、「失われた20年」の社会変動では失われずにいるのは、なぜでしょうか。いったんぜいたくの味を知ったら、なかなか戻れないようなものなのでしょうか。ですが、いまの若者は、生まれたときにはもうバブルもはじけた後という世代が多いのですから、直接におぼえる機会はないはずです。バブル女は「死ねばいい」 婚活、アラフォー(笑)(杉浦由美子著、光文社)でえがき出されたように、バブル世代が長く現役で、恋愛市場でバブル的な行いを続けているのを見ての、観察学習が効いているのかもしれません。