生駒 忍

記事一覧

エスニック系PBカレーと水谷ドタキャン問題

きょう、東洋経済ONLINEに、無印の対抗馬?レトルトカレーに意外な伏兵という記事が出ました。

内容は、「「みなさまのお墨付き」(以下、お墨付き)が展開する、エスニック系に特化したレトルトカレー」の紹介です。6種類出ているうち、スープカレーはエスニック的ではありますが、日本発と考えるのが自然であるように思います。それでも、食べものの起源を決めるのは、むずかしいものです。「中でもお勧めなのは、やはり人気首位の「マッサマン」。」「マッサマン」というタイ発祥のカレーだ。」とありますが、きょう食べたタイカレー マッサマン(ヤマモリ)には、「イスラム圏から伝来したとされる、「ムスリム(イスラムの)」という意味を持つカレー。」とありました。

「好評につき2015年2月には、「マッサマン」「チャナマサラ」も投入。」「以後、同社のレトルトカレーの売り上げは、前年と比べ10%増えたそうだ。」、種類が5割増で、しかもマッサマンが人気のトップなら、10%しか増えないのは奇妙にも見えますが、既存のものが相当に食われたのでしょう。

「西友は、なぜエスニック系カレーをここまで本格展開しようと考えたのだろうか。」、とても興味があるのですが、企業秘密なのか、あいまいな答えしかありません。「エスニック系に特化したほうが面白い! という話になった」、その根拠や過程が知りたかったところです。ふと、中央線とdancyu(プレジデント社)で本石亭の店主が、「だって、ほかのカレー専門店と真っ向勝負しても面白くないでしょう。」と言っていたのを思い出しました。

「確かに、どの家庭もカレーを作るときは、家族全員が食べられるスタンダードなカレーだろう。小さな子どもがいれば必然的に甘口カレーとなりエスニック系などは論外だ。」、当然だと思った人が大半でしょう。では、タイで、インドで、小さな子どものいる家庭ではどんなカレーをつくるのか、当然の疑問がうかんだ人は、どのくらいいますでしょうか。

「1回で無駄なく食べきれるスパイシーなレトルトカレーは、ひとりランチにこっそり刺激物を摂取するのに最適な商品」とされます。「こっそり刺激物を摂取」という後ろめたい表現は気になりますが、合理的な商品だと思います。カレーは時間がかかるイメージがありますが、レトルトならふと食べたいと思ったときに食べられますし、種類があればその場の気持ちで選択できます。湯せんで温めはじめてから気が変わっても、やめて別の機会に回すこともできそうです。ただし、私はしたことがありませんし、たとえば丸美屋 おうちde旅ごはん ガパオ風ライスの素には「※未開封であればもう1度温め直しても召し上がれます。」とありますが、カレー類では見かけない表示ですので、禁忌なのかもしれません。それでも、その場そのときで食べたいものへ自由に切りかえるのは、現代ならではのぜいたくでしょう。

それが過ぎてしまった結果が、「鮨 水谷」の人種差別騒動かもしれません。日刊ゲンダイでの指弾は、水谷に縁がない層にまで大きな反響をよびましたが、すぐぼろが出ました。netgeekにきのう出た記事、【炎上】日刊ゲンダイに「外国人を差別した」と大バッシングされているミシュラン2つ星寿司屋「水谷」の真実からは、本質は「一見の中国人富裕層客」のドタキャン行動にあることがうかがえます。何故一部の外国人がドタキャンするかについてですが、彼らは複数の店舗、例えば寿司、天ぷら、鉄板焼きなどを同日に予約した上でもご覧ください。こちらは、国籍や民族を指定してはいません。東洋経済ONLINEにきょう出た記事、フランス女性はなぜ仕事を続けられるのかについたコメントにも、「アジアリゾートにバカンスに来たフランス人の評判の悪さは有名で、予約をしても連絡なしで来ないし、接客する側のミスや天候などでの期待したサービスの低下をいちいちメモしてディスカウントを要求してくるそうです。」とあります。アジアに観光に出た際ならドタキャン当然が、グローバルスタンダードなのでしょうか。莫邦富に聞いてみたいところです。

「自己実現」をきらった壇蜜とウィークタイズ

きょう、TABI-LABOに、世界中で話題!心理学者による「20代へのメッセージ」に、幸せに生きるヒントがあったという記事が出ました。「「若いうちは好きなように生きよう」という風潮に警鐘を鳴らす」講演の紹介です。

「20代は自己実現への努力をすべき時期である」、講演中にself actualizationという表現を聴きとることはできませんが、日本で広く好まれることばでの意訳のようなものでしょう。一方で、PHP 2015年5月号(PHP研究所)で壇蜜は、グラビアの世界へ落ちつく前、「自己実現」ということばはいやだったと述べています。ちなみに、アサ芸プラスにきょう出た記事、芸能マネージャーは見た!タレントの「間違った決断」暴露座談会(1)壇蜜はなぜ失速?は、壇蜜や大島麻衣などの失敗を突くものですが、「前は23歳なんてオバサン扱いだったのに、今は30過ぎでも現役でグラビアをやっていたりするね。」とあり、クライエントの「いまの30歳は、昔の20歳と同じくらい若いよね」を思わせるところがあります。

「同じような考えの人とだけ一緒にいると、行動範囲や考えも限られてしまいます。」とあります。シアターガイド 2013年11月号(モーニングデスク)で木場勝己が、最後の精神分析 フロイトVSルイスについて、「フロイトが考えの異なるルイスを自宅に招くのがおもしろい」と評したのを思い出しました。「友人の友人の友人のようなゆるい繋がりを持つことが、サークルの外にでるきっかけとなります。」ともあります。「ゆるい繋がり」はweak tiesのことで、社会学では「弱い紐帯」と訳されるものです。ちなみに、史実ですと、フロイトのサークルでは、考えの異なる友人や弟子は、フロイトと切れて、次々と外れていったのでした。

有村架純の下積み時代と勉強に集中できる音楽

きょう、テレビドガッチに、有村架純「私には特徴がない?」と下積み時代の苦悩を告白という記事が出ました。

有村は、「「事務所に入る前も入ってからもことごとく落ちていて……あの時は“私には特徴がないから?”“どうやったら目に留めてもらえるんだろう?”などと本当に悩みました。だけど、今の自分自身をどのように伸ばしていけばいいかを考えることにしたんです」と下積み時代を振り返った。」そうです。BizLadyにきょう出た記事、げ、言ってたかも!? デキる人は「職場で絶対使わない」NGフレーズ5つに、「他人をどうこう言う前に、自分の実力をつけることが先である。むしろ、“あの人はすごい”と他人から言われる人になるようにしたい。」とあることを思わせます。ここは、CM NOW 2014年1月号(玄光社)で有村が、「なんかすごい」「なんかいいよね」と言われる役者になりたいと言っていたこととも符合します。

「有村も「確かに。私もテスト勉強は音楽を聞きながらした方が集中できました」と同意」、これは個人差も、曲によるちがいもあり、意見がわかれるところです。子どもの自己評価では、メタ認知の発達とのからみもあります。おとなの自宅学習なら、そこは改善されますが、The Oxford Handbook of Music Psychology(S. Hallam, I. Cross, & M. Thaut編、Oxford University Press)によれば、体系的な研究知見はまだ出されていないようです。

久石譲と菅野よう子にみるアーティスト意識

きょう、シネマトゥデイに、久石譲、宮崎駿と北野武の音楽の違いを明かす!伊映画祭で1時間に及ぶ会見という記事が出ました。

「自身の音楽性と、宮崎作品と北野作品での関係性を問われ、久石は「どちらかというと宮崎さんはアニメーション作品なのでメロディーを主体に。北野さんのときには、僕が20代から挑んできたミニマル・ミュージックの作曲家としてのアーティスティックな面を生かして曲を付けてきたという違いがあります」と説明」、本人が言うのですから当然ですが、そのとおりでしょう。そして、北野作品には、その「僕」の「作曲家としてのアーティスティックな面」が立ってきたことで、声がかからなくなったともいわれます。アサ芸プラスに3か月前に出た記事、人気女優から大物作曲家まで! たけしの逆鱗に触れた有名人たちにも、そういう指摘があります。一方で、CONTINUE Vol.46(太田出版)で菅野よう子は、作曲依頼に対しては「よし、ここで私を表現してやろう」ではなく、「その人が何をしてほしいか」を考えるとし、ユリイカ 2009年8月号(青土社)で円堂都司昭は、「しかし、菅野は、基本的にクライアントから依頼されて作曲、編曲の仕事をするのであり、自分はアーティストです、といった自意識によってオリジナル・アルバムを制作したことはない。」「彼女は、いわゆる自己表現から距離をおいた裏方の職業音楽家なのだ。」としました。そういえば、紅白歌合戦では、久石の「歌の力」を、「100年先も」とまではいかなくても、毎回歌いつぐのかと思ったら、2回でもう絶えて、震災をはさんで菅野の「花は咲く」に入れかわったような展開となりました。

「自分の肩書きは、どんなときでも作曲家」だという久石は、「作品を気に入ってくれたらうれしいと思うけど、(人々に)聞かれなくなったらそれはそれでいいと思っている。これからつくることの方が大事」とし、この態度は職業作曲家らしいともいえます。あれだけ売れても、私のまわりではファンどころか酷評する人さえもなく、まるで私が知らないタブーがあるかのような作家なのですが、いまは時代小説家として一時代をひらいている佐伯泰英が、週刊ポスト 11月1日号(小学館)によれば自作を、くらしの「慰め」でかまわない、後世に残らなくてよいとしていて、「居眠り磐音江戸双紙」読本(双葉社)の特別エッセイでは、「私が書く時代小説は消耗品文学である。消耗品ならば量産しなければならない。」と言いきったことにも、やや似ています。

成人男性のリセット願望と女子高生の居場所

きょう、ライフハッカー日本版に、現在がうまくいかないのは、過去や未来に心が漂流しているから~現在に集中し続けるための3つのポイントという記事が出ました。

「カウンセラーである私が、心理カウンセリングをしていてよく耳にする不平は、「自分がずっとしたかったこと、するつもりだったことをしてこなかった」という後悔です。」とのことです。そして、そこには性差があるそうです。rTYPEの記事、「人生リセット願望」その理由とはで、リセット願望は男性のほうが強く、しかも年齢が上がるほど増えることを思わせます。一方で、CNET Japanにきょう出た記事、Twitterアカウントは4つ持ち--本音が言えない女子高生が向かう先が紹介した知見は、「また、人間関係をリセットしたくなることがあるか質問したところ、女子高生はあてはまる(「あてはまる」(39.5%)、「ややあてはまる」(28.3%))と回答した割合が約7割と一番高かった。女子大生では63.0%、20代社会人女子では60.0%と、総じて男子より女子の方が高い傾向となった。」というもので、部分リセットでは逆転があるようです。

「私たちの心は簡単に流されて「現在」を離れ、はるか彼方の「過去」や「未来」に漂着してしまう」、これが問題だとします。マラソンは上半身が9割(細野史晃著、東邦出版)が、「今はさまざまな情報に溢れて、過去や未来に意識を引っ張られる時代です。」としたこととも関連しそうです。

「現在に集中し続けるための3つのポイントを以下にご紹介しましょう。」としますが、その3点とは、「「過去」を振り返らない」「「未来」の世界に生きない」「「現在」に軸足を置く」です。これでは「現在に集中し続ける」のほとんど言いかえだと感じて、がっかりした人もいそうです。「「現在」が居心地の良いものではない場合、往々にして私たちの心は流されて、「過去」に戻ったり「未来」に辿り着いたり」するというのであれば、現在への感じ方を変えるのが根本的な解決になるとわかるはずですが、それができていれば苦労しませんので、こういう3点を出すことにしたのでしょうか。

その根本を裏がえせば、「現在」に心地よい居場所をつくり、うまくつくれたらずっと保ちつづけることの重要性がみえてきます。先ほどのCNET Japanの記事にも、キャラチェンジに成功できて、たのしい毎日を手にした高校生が登場します。友だち地獄 「空気を読む」世代のサバイバル(土井隆義著、筑摩書房)のキャラ論とも関連しますが、「日々が学校と家の往復の繰り返しの彼女たちは、世界が狭い。学校の友人関係がすべての彼女たちにとって、居場所がなくなることは何よりも怖いことなのだ。」といえます。いかにも、サードプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」(R. オルデンバーグ著、みすず書房)的な支援が求められそうなテーマです。