生駒 忍

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こころの中の天使と悪魔と「やすらぎの妖精」

きょう、コミックナタリーに、天使と悪魔の一見壮大な戦い!? JKの内面描く葛藤コメディ「戦争劇場」1巻という記事が出ました。きょう発売の、戦争劇場 1(土星フジコ作、小学館)を紹介するものです。

「「戦争劇場」は女子高生るりの心の中で戦う天使と悪魔の攻防を、一見壮大に描くギャグマンガ。」です。行きすぎるところで笑いをとる作品のようですが、擬人化表現としては古典的で、しかも今でも、いろいろなところに見られます。心理療法的にも活用できて、ワークシートでブリーフセラピー 学校ですぐ使える解決志向&外在化の発想と技法(黒沢幸子編、ほんの森出版)の47ページには、かわいらしい天使と悪魔とが登場するワークシートが登場します。

対決の構図ではなく、一方のみが現れるパターンも、よく見られます。月刊「ヘルメス・エンゼルズ」 No.221は、なまけ心に対応するのは悪霊だとして、戯画的な悪魔の姿で飛ぶ姿を載せました。一方で、わたしのウチには、なんにもない。 2(ゆるりまい著、エンターブレイン)は、ついさぼってしまうことには、「やすらぎの妖精」がかかわっていると考えます。その妖精が、「魔物」に化けるのだそうです。

高収入ほど好むおにぎりと「メザシの土光」

きょう、BizLadyに、えっそんな素朴なの!? 「高収入な人の95%が好む」意外な食べ物とはという記事が出ました。

「いやいや、実は、世帯年収が高くなればなるほど、“ある食べ物”への好感度が高まることが調査で判明したそうだ。」とありますが、これは昨年10月に話題になったものです。たとえば、マイナビニュースは、年収が高くなるほど、「おにぎり」への好意度が高まる傾向が判明 - 浜乙女と、より情報が多い"お金持ち"はおにぎりが好き!? - 「おにぎり」に関する調査結果を発表として伝えました。ですので、こちらは同じ調査を、「フードアナリストの筆者がお伝え」するところに、価値があると考えるべきでしょう。ふと、週刊朝日 10月31日号(朝日新聞出版)に登場する、「うまい先生の授業を聞くと、同じ定理でもこうも印象が違うものかと驚いた」お話を思い出しました。

「なんと世帯年収1,500万円以上では、95.7%の方が「とても好き」と回答しているという驚きの結果に!」、これがタイトルの、「高収入な人の95%が好む」に対応するようです。「とても好き」を「好む」に、「世帯年収1,500万円以上」を「高収入な人」に言いかえたのは、語感はずれますが、文字数をおさえたかったのだと思います。四捨五入ではなく切りすてで95%としたのは、きりのよい数字に見せたかったのでしょう。

「そこで同調査では、「家庭で作ったおにぎり」と「お店で買うおにぎり」のどちらを食べることが多いかを質問したところ、1,000~1,500万円の層を除き、世帯年収が高いほど“手作りのおにぎり”を食べる割合が高い実態が明らかに。」とあります。「1,000~1,500万円の層を除き、」を除けば、年収と食べる割合との相関関係だと、かんたんに理解できるのですが、この例外が入ると、読みにくくなります。階層ごとに別々に相関を出したのだと誤解する人も出そうです。

「高収入世帯が“おにぎり”を好むという意外な実態」、意外にそういうものかもしれません。ぎらぎらと目だつ、品のない成金のイメージで見てはいけないのでしょう。最近ではたとえば、孫正義の参謀 ソフトバンク社長室長3000日(嶋聡著、東洋経済新報社)でも評価された、「メザシの土光」のエピソードは有名です。また、昨年7月31日付の日本経済新聞朝刊の「私の履歴書」では、ラタン・タタが、「自分で運転するのはホンダのシビック。その方が目立たなくて都合がいいのだ。」と述べています。

山場CMの悪影響と広告宣伝費の節税効果

きょう、Unyoo.jpに、2023年テレビCM崩壊 ー 博報堂生活総合研究所の暗示という記事が出ました。

長音記号はともかくとしても、インパクトのあるタイトルですが、「では、2023年とは何なのか?」とすぐ思うところを、具体的な説明は3ページ目からとなります。博報堂生活総研の文書から出たものです。「その時の50歳以上が1973年以前生まれの人々で、残りの半分が1974年以降生まれの人々。生活総研の生活定点調査でも、今の40代以上と30代以下の間に最大の価値観の溝(キャズム)が、存在していました。」、1973年はもちろん、第1次石油ショックで、高度成長が強制終了となりました。また、「福祉元年」とは皮肉な名前ですが、結果的には福祉の拡大のピークとなってしまいました。そして、この年の出生数は211万人に上り、ここが団塊ジュニアのピークでもあります。テレビ消灯時間(ナンシー関著、文藝春秋)の解説で関川奈央が、日本社会は1974年ごろに変わったと論じたこととも対応します。

Apple TVをおぼえた筆者の娘の事例があり、「一度、Huluで見てしまうと、普通の地上テジタルテレビ放送には戻れない。」、それは「HuluではCMが入らないから」で、「CMで番組が中断されるのは嫌いだ、と5歳の娘ですらはっきりという。」そうです。特に日本の場合は、いわゆる山場CM、CMまたぎが多く、不快感は強いでしょう。Amazon.co.jpでとても評価の高い、必ず役立つ! 「○○業界の法則」事典(高嶋ちほ子著、PHP研究所)によれば、TBS系「水戸黄門」の由美かおるの入浴シーンも、CMで視聴者が他へ流れてしまうことへの対策として始まったようですし、昔から考えられてきたやり方ですが、近年はずいぶんとあからさまになりました。それでも、BLOGOSに5か月前に出た記事、<テレビ番組の過剰テロップに疑義>視聴者は現在のようなテロップだらけの画面構成を望んでいるのか? ‐ 影山貴彦には、CMまたぎは「視聴者の強い反発もあって、少しづつ減っているようにも」とあります。

「実際、はっきりと測ってはいないが、ある程度は貢献しているはずだから、会社の経営が順調な時や景気が上向いている時などには、テレビCMに多額のお金を投下すること自体、それほど問題にはならないのだ。」とあります。ここは、わかっていてあえて書かないのだとは思いますが、「ある程度は貢献」というあいまいなものだけでなく、はっきりと計算できる、広告宣伝費の節税効果も大きいところでしょう。

「おまかせ消費」の2パターンと専門家の力量

きょう、NEWSポストセブンに、服や本を目利きが選ぶ「おまかせ消費」が拡大している背景はという記事が出ました。

「ファッション業界のみならず、自分で選べない、あるいは、より良いものを求める消費者による“おまかせ消費”が広がっている。」、興味深いです。これに近い従来のやり方は、百貨店の外商です。店舗に出むく場合とくらべて、実際にくらべて選べる選択肢はずっと少なく、担当者のセンス、ないしは担当者が顧客のニーズを見ぬくセンスが重要ですし、ほんとうにほしいものでなくても、つきあいや抱きあわせで買うのも一興です。新しい「おまかせ消費」は、それをずっと合理的に、クールでクリアなかたちにしたものという理解もできそうです。また、外商はワーカホリックで買い物へ出るひまがない人ではなく、ひまはある、お金はもっとある有閑階級が相手ですが、こちらはむしろ、日々いそがしい人向けのように思えます。

「スタイリストが同行する買い物ツアーに参加した30代女性はこう語る。」として示される「大きく分けて2つのパターン」になるのは、「お洒落に自信がないので、プロの方に服を選んでもらいと思って」と、「もっとファッションを学びたい、プロの方のセンスを吸収できるいいチャンス」とです。しろうとの1事例から、2類型からなるという示唆をみちびくことには、少々不安を感じましたが、これは後で、「船井総合研究所の上席コンサルタント」が示した、「消費者が選ぶのが難しくなって」「専門家に選んでもらえると安心」と、「より良いものを求めて、プロにおススメしてもらいたいと考える消費者もいるんですね」とに、それぞれ対応します。「選択による疲労」の低減の記事で取りあげたようなものは、どちらかといえば前者に近いと思いますが、本質的にはさらに別のものと理解したほうがよいでしょうか。

「KDDI株式会社は2013年より、スマートフォン利用者を対象に、各分野のキュレーターが選んだ商品を定額で毎月届ける「auおまかせショッピング」を開始した。」、これは「目利きが選ぶ」ことには違いないのですが、bemoolやいわた書店の、個々人に合わせているという売りがない点で、質が異なります。こちらは、食品の通販などで昔からある、頒布会商法の延長線上でしょう。なお、もう少し柔軟な手法のものとして、食品ではないので届いてからの「返品」が可能な、The CD Clubがありましたが、3年ほど前に消えたようです。

「もちろん、お客様のニーズを満たすためには、専門家(キュレーター)としての力量が問われるようになります。」、そのとおりだと思います。ここでポイントは、「専門家(キュレーター)」という書き方で、求められるのは、その分野内に圧倒的にくわしい専門家そのものよりも、多数のしろうとを含む、外の人に合うものをより分けることができる「キュレーター」になりそうです。そして、外の流行に合わせて、ないしは先回りして変わっていかないといけませんので、確固たる信念のある専門家では、かえってつとまりません。それでも、専門家は変わらないとはかぎらず、専門分野の中がうごけば、外からどう見られようと、変わるものです。「いつものパン」があなたを殺す(D. パールマター・K. ロバーグ著、三笠書房)は、専門家の助言が、そのうちに反転することがめずらしくないことを、批判的に指摘しています。

安倍首相の読書量と黒柳の「玉ねぎ頭」の理由

きょう、現代ビジネスに、施政方針演説では先人の名言を4つも引用。安倍首相は「前と違って」こんなに本を読んでいるという記事が出ました。タイトルは、揶揄のようにも見えますが、「安倍晋三首相は2月12日、第189回国会の総理大臣施政方針演説で岩倉具視、岡倉天心、吉田松陰、吉田茂4人の先達の言葉を引用した。」ことを評価したものです。

4件の引用部分を引用した上で、「これらの言葉を読んだ国民の多くは、果たしてスピーチライターは安倍首相自身の指示によって件の引用を施政方針演説に盛り込んだのだろうか、と疑問を覚えたのではないか。」とします。施政方針演説は、国会で声に出して行うものですが、「読んだ」という表現です。新聞でも、いまはウェブサイトでも読める時代ですが、全文を読んだ人は少なくても、中継ですべてを聴いた人はもっと少ないでしょうから、これでもよいように思います。また、ライターとして、情報は読むものというイメージもあったのでしょう。筆者には、権力抗争のウラを読む人事ファイル(歳川隆雄著、にんげん出版)という著作もあります。

「筆者もかつて首相周辺から安倍首相の読書量が半端なものではないと聞かされた時、正直言って、驚いたものだ。」そうです。PRESIDENT 2月2日号(プレジデント社)の「年収5000万円以上の金持ちの働き方」に、「SNSやネットサーフィンより、読書に費やします」とあることを思わせます。

「冒頭、「私は、白さも白しアンデスの山の白雪のように白紙です」と答えたのだ。残念ながら同行記者がこの言葉の持つ意味を理解できず報道されなかったため、永田町では安倍発言は注目を集めなかった。」、このエピソードは興味深いです。大阪市長のように、マスコミの不勉強を罵倒して、それをマスコミに報じさせたほうが、勉強している自分をアピールできますが、そうはしなかったのでした。もちろん、その場ですぐにはぴんと来なくても、きちんとした政治記者でしたら、後で思い出すか、最低限調べるかして気づいて、不明を恥じたのではないでしょうか。ふと、麻生首相の「いやさかえ」を“誤読”として“誤報”した報道機関メドレーを思い出しました。

「現在の安倍晋三は従前の安倍晋三ではない。」と締めます。前とは変わることが、この長期政権の安定の一因だと考えると、天心の「変化こそ唯一の永遠である」を、自ら体現しているということになります。

一方で、ずっと変わらないものは、たいていの場合、変わらないままがよいものです。『徹子の部屋』40周年Anniversary Book(ぴあ)は、あの長寿番組で、黒柳が「玉ねぎ頭」をずっと変えないのは、トーク番組としての本質と結びついていることを明かしました。では、きょうのTBSラジオの久米宏ラジオなんですけどで話題になった、50を過ぎても「私たち女の子は」と言う女性は、どうでしょうか。久米は慣れているようでしたが、若い人から見ると、生涯「女子」でありたいという、あこがれのロールモデルでしょうか、それとも「若作りうつ」社会(熊代亨著、講談社)を読んでほしいと思ってしまうでしょうか。