生駒 忍

記事一覧

人質事件の「自称親族」批判とボーダーの特徴

きょう、INSIGHT NOW!に、テレビの人質騒ぎは利敵行為という記事が出ました。

「自称親族みたいなのまでがわけのわからない主張の場に利用している」、きびしい書き方だと思います。トピックニュースにきょう出た記事、田母神俊雄氏、後藤健二さんの母・石堂順子さんへの「違和感」を表明「皆様に迷惑をかけて申し訳ないというのが普通」のようなこともありますし、名字のことが言われがちなようですが、私のいる業界ですと、法律上の姓名とは異なるものを名のっている人はめずらしくありません。旧姓はもちろん、読みをかなやカナにする人もいますので、そこへの世間の違和感が、いまいちわからないところもあります。主張内容への違和感は、週刊新潮 2月5日号(新潮社)もストレートに指摘したように当然あると思いますし、産経ニュースにきょう出た記事、後藤さんの母「100%健二の声」 家族、知人に疲労の色にあるような、後期高齢者でおそらく聴覚にも加齢変化がおよんでいる人が、何十年も音信不通の人の、英語の録音物でそこまで断定してしまうことにも違和感はありますが、勘当や相続人の廃除といったことがあったとも聞きませんので、わざわざ「自称」とつけるほうに違和感を感じます。トピックニュースの記事にあるツイートのうち、「マスコミにも後藤健二さんの経歴なども調べて流して欲しいと思います。」については、週刊文春 2月5日号(文藝春秋)が、風俗店経営などの証言を得ています。「皆様に迷惑をかけて申し訳ないというのが普通であると思うのですが」に関しては、親族がそろってそういう態度であるわけではないので、誤解しないでください。先ほどの週刊文春で実兄が、「健二に代わってお詫びします。」とわびたのを見てください。

「もちろん戦場ジャーナリスト本人たちは、ほんとうに人道的使命感で現地取材に命を懸けるのかもしれない。だが、彼らの真の重要性は、軍事的理由だ。」「それどころか、じつは、なんでもない現地の日常の写真でも、軍事的にはかなり重要で、相応の需要がある。」「現地のウワサや、そこからわかる心理的動揺なども、次の軍事作戦には不可欠。戦場ジャーナリストは、いくら本人が平和の使者のつもりでも、意図せずして、大量の情報を敵国側にもらしてしまう。」、こういった視点も、広まってほしいと思います。本人の中の善意や使命感とは無関係に、相手にとって持ちだされたくないこともカメラに、そして頭に入ってしまうのです。一連のオウム真理教事件の初期には、真島事件を知る信者が、脱会を言いだしたことで殺害されました。

「他の戦場ジャーナリストとやらも、ごろごろ出てきているが、あんたら、平和の使者気取りで、いらぬことをして、こんな風に、かえって戦争を引き起こしたりしないよう、もっと自重しろよ。」と締めます。ことばづかいが気にいらない人もいると思いますが、これを含めて、こういった方向性の指摘もかなり出てきているのは、意義があると思います。TOCANAの記事、【イスラム国拘束】救出交渉を妨害している人々 — 国際的常識ない政治家たちのネット言論が交渉を難航させている、nikkansports.comの記事、人質問題で太田光が「黙る必要」の持論、dot.の記事、イスラム国・日本人人質事件 「ノー・コンセッションの原則」は通用するのか?、そして大変な「支持」を集めたBLOGOSの記事、イスラム国を「利用」して安倍批判をするな!などが現れています。特に、最後のもので指弾された発言などは、まさに「無理やりすぎる情報操作をするのは本気でやめてほしい。」というところですが、だからといって、挙国一致でないといけないというわけではありませんので、どこまでを許容するべきか、そのボーダーの決め方は、とてもむずかしいところです。

ボーダーで思い出したのが、アサ芸プラスにきょう出た記事、なぜ「55歳・大正大学講師」はキャンパスで全裸保護されたのか?(2)交際相手のB子さんとは?です。貯金が好きな女性の記事の最後に触れた事件について、アサヒ芸能 1月29日号(徳間書店)に載ったものの後半部分です。全裸にさせたのは「臨床心理学科の子ですね。」「かなりふくよかで、見た目は横綱の日馬富士似です。」という証言の後に、きのうの記事の後ろに登場させた人物が、こちらでは正しい名前で、「この女性はボーダーラインパーソナリティと思われます。」「感情の赴くまますぐ実力行使に踏み切るのが特徴」、「彼女の親も相当手を焼いていたはず」とします。きびしい流れですが、最後の「大学側の担当者」の、仏の慈悲を感じさせるコメントに救われます。

旧帝大出身の死刑囚と矢幡洋の同業者批判

きょう、J-CASTに、老婆殺害の名大女子学生「サディスティックパーソナリティー」不気味な書き込みという記事が出ました。きのうの記事で触れた、名古屋77歳女性殺害事件に関するものです。

「名古屋大出身の死刑囚ってまだいないよな」、そうだと思います。ここだけでなく、帝大やその後身の出身の死刑囚は、とても少ないです。特異なのはオウム真理教事件で、豊田亨はさよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生(伊東乾著、集英社)で知られるように、東大修士課程修了、博士課程中退で、遠藤誠一は京大博士課程中退です。すでに執行された例としては、usugumoという人の2年10か月前のツイート、下関通り魔の死刑執行。にあるとおりです。これは、広田弘毅は数えない立場です。

「八幡洋氏」とあるのは、おそらく矢幡洋のことです。コメンテーターとして、テレビでおなじみの顔です。ですが、本人のブログ、矢幡洋の犯罪心理学と事件-日々の考察に半年前に出た記事、心理コメンテーターのでたらめぶりを告白も含めて切る | 佐世保高1女子殺害の加害者は「女酒鬼薔薇」で詰みは、テレビの人らしくない書きぶりです。

日本一とされた紀州鉄道と「撮り鉄」の優越感

きょう、朝日新聞デジタルに、日本一短い私鉄、揺れも「味」 紙切符、ファンにも人気という記事が出ました。

「JR御坊駅(和歌山県御坊市湯川町)の0番ホームから西御坊駅(同市薗)までの全長2・7キロを結ぶ、日本一短い私鉄「紀州鉄道」。」と書き出されますが、これでよいのでしょうか。御坊駅は、管理はJR西日本ですが、共同使用駅ですので、私鉄の起点として書くときに「JR御坊駅」なのは奇妙です。起点はホームで終点は駅というのも、アンバランスです。また、「日本一短い私鉄」も、定義によります。鉄道事業法施行規則4条1号の範囲に限ったとしても、芝山鉄道のほうが、さらに2割近く短いです。業界団体である日本民営鉄道協会に加入していないと、あるいは出資者に自治体も含まれるなら「私鉄」と呼んではいけないという条件をつけないと、勝てません。それとも、古い資料にあたってしまったのでしょうか。鉄道なんでも日本一(櫻田純著、PHP研究所)には、「一方、日本一営業距離が短い私鉄は、長らく紀州鉄道の二・七キロでした。」「ところが、芝山鉄道が東成田~芝山千代田間の二・二キロという超ミニ路線を開業したことから、紀州鉄道は二位に転落しました。」とあります。2002年のことでした。

「73年に名称変更したが、地元の人は今も「りんこう」と呼ぶのだそう。」、地方らしい時間の流れに感心するところでしょうか。40年前に出た昔の名前で出ています(小林旭)よりも昔の名前のままなのです。ふと、イニシエーション・ラブ(乾くるみ作、文藝春秋)で石丸美弥子が、国電からJRになって数か月でもうなじんでいた展開を思い出しました。

昔ながらの硬券に、「何ともレトロだ。鉄道ファンに人気があり、九州からも訪れる人がいるという。」とします。タイトルには「ファンにも」とありましたが、本文からは、ファン以外からの人気は読みとれません。それでも、しっかりとファンがいるのは、ありがたいことです。

それで思い出したのが、J-CASTにきのう出た記事、列車の警笛装置のカバーを接着剤で塞ぐ トンデモ「撮り鉄」にJR東日本「刑事告訴も検討」です。鉄道ファンでも、こちらはいわゆる「撮り鉄」で、仲間にはありがたがられることをしたようですが、一般的な感覚では、あってはいけないことでしょう。安全運行のための装置を封じ、しかもよりによって、自分は外にいて乗ることのない車両でという発想は、理解しがたいです。「カバーが空いている状態はダサい」という美意識がそこまで強力なのでしたら、公共の場所、他人のものではなく、自分たちでのびのび楽しめる場所をつくって、好きなかたちの車両を走らせて、好きなだけ撮ったらよいのにと思います。お金がとてもかかるので絶対いやだと言われそうですが、極論を言うと、産経ニュースにきょう出た記事、殺人容疑で19歳名大生逮捕「殺してみたかった」 おので77歳女性殴り首絞めの、「子どものころから人を殺してみたかった」女子学生にくらべれば、法をおかさずに、一般の人に迷惑をかけずに、お金でやりたいことが実現可能なのです。それとも、自分たちのものを撮ったのではつまらなくて、みんなのものを自分のもののようにする支配感、優越感がほしいのでしょうか。アートだ、グラフィティだと主張して、他人の家やお店、公共施設などを汚損して、消すとその上をまた汚しにいくほどの人が、自分で買った家で、好きなだけデコレーションをしては消してをくり返しはしないことに、やや似ているかもしれません。

脳を刺激することばかけとピアジェの博士論文

きょう、Medエッジに、意識を失った人の目を再び覚まさせる、知り合いの語りは脳を刺激して回復を早めるられるかという記事が出ました。

本文より先に、「写真はイメージ。記事と直接の関係はありません。」として登場するのは、ヘンリー・メイネル・リームの水彩画、Sleeping Beautyです。眠れる美女(川端康成作、新潮社)の作者が産まれたころの作品です。

「直感的には話しかけると脳が刺激されて、意識の回復が早まりそうな気がする。」、そういうイメージは理解できなくもありません。私のいる業界では、意識が遠のいている人を、この刺激で回復させることはよくあります。映画などで、力つきて意識がうすれていく人に、大声であたる場面も見かけます。ですが、誤解しないでほしいのは、てんかん発作で意識をうしなっている場合は、この刺激は有害であることです。てんかん協会のウェブサイトの、発作に出会ったらをご覧ください。図解入門 よくわかる最新「脳」の基本としくみ(後藤和宏監修、秀和システム)の、「社団法人日本てんかん協会の推奨する対処法(初級編)より抜粋。」も、このページからのようです。

「神経分野の専門誌であるニューロ・リハビリテーション・アンド・ニューラル・リペア誌」、これはNeurorehabil. Neural Repairのことでしたら、neurorehabilitationで1語です。佐賀県の労災事故の記事の最後に触れたことを思い出しました。

「こういう研究は、最終的には統計的有意差を追求するより、結果を積み重ねる方が理にかなっているような気がする。」そうです。意味がよくわからないのですが、まとまった人数をそろえて検定ひとつで決めるよりも、事例を積んでその数で納得させるほうがよいということでしょうか。対象が特殊ですので、人数を集めることに苦戦して、研究が中止、ないしはお蔵入りになってしまうのでは、もったいないと思います。一方で、カウンセラー 専門家としての条件(金沢吉展著、誠信書房)は、「書店に行けば書棚には個人療法の本ばかりが並び,カウンセラーはいかに自分が困難なケースを成功に導いたかを誇り高く論じる。」「学会の発表さえこうしたケース報告が幅をきかせる。」となげきましたが、特異な事例で前後比較で奏効したように見えるものは、発表したくなりますし、一定の価値はありますが、公刊バイアスがとてもきついので、メタ分析を含めて、数を積めば理があると考えるには不安が大きい性質をもちます。

それで思い出したのが、心理学ワールド68号です。私のところには、地方なので、きょう届きました。特集は「その心理学信じていいですか?」で、測定や統計に関することが中心です。QRPや公刊バイアス、NHSTの誤解や限界のお話もありました。筆者のひとりによるツイート、5回も出てくる「ローマンd」は必見!の意味が、ようやくわかりました。初校では、Cohen'sをイタリック体にされていたのでしょう。

今号ではほかに、こちらは「お詫びと訂正」にはなかったのですが、心理学史の複線径路[第7回]に、校正漏れがあります。「ピアジェは地元のヌーシャテル大学理学部に進学し、1918年には同大学で軟体動物(スネーク)の研究により動物学の博士号を取得しました。」とあって、ヘビは脊索動物門なのではと思った人も多いでしょう。ここはおそらく、スネールの誤りです。筆者の所属大学は同じですが、スイス便りの2には、「ピアジェは、もとともは生物学者として進化論に出会い、モノアラガイの研究で博士号を得ました。」とあります。もちろん、学名から想像がつくように、種としてのモノアラガイではなく、モノアラガイ類の何かのことでしょう。ピアジェがあつかったのが具体的に何かを知りたい人もいると思いますが、あのグループの分類には、いまでも混乱や議論がありますので、気をつけてください。

山本復帰反対論の同調説と「女子アナの罰」

きょう、トピックニュースに、山本圭壱復帰「反対論」に矢作兼が一言「自分の意見じゃなくて『反対が多いんだから、私も反対』という人だらけ」という記事が出ました。

「矢作は、「山本復帰反対」の視聴者が多いことについて「自分の意見じゃなくて『反対が多いんだから、私も反対』とかしちゃう、どうしようもない…そういう人だらけだからね」と、世間の風潮を批判」、これは「視聴者」にこびない姿勢のアピールなのでしょうか。「反対票の方が多かったという結果」を、自分の意見ではないようにとる根拠が、よくわかりません。あんなにおもしろいのだから、絶対に内心は出てほしいと思っているはずだと思っているのでしょうか。むしろ、特に目あたらしい意見でもないのに、単に賛成の声を上げて芸能ニュースに出てくる芸能人が相ついでいる話題ですので、付和雷同ならその方向だという考えはないのでしょうか。沈黙の螺旋理論 世論形成過程の社会心理学(E. ノエル=ノイマン著、北大路書房)のような同調のイメージになじむ、政治的なテーマとも思えませんが、芸能界の内側では、すぐれて政治的な問題なのかもしれません。あるいは、下北沢にはあんなに集まった、ということは反対なのはいなか者で、つまり同調圧力に弱い人々なのだろうという、ずれた推論なのでしょうか。もちろん、一般に、地方に行けば行くほど、同調圧力がきつく、同調があたりまえということはあるでしょう。政治の話題は、特にそうです。最近ではたとえば、沖縄のアメリカ軍基地に関して、1月19日付の朝日新聞朝刊に出た「ゴリの目」が、「反射的に「反対」」になってしまう問題を指摘し、沖縄の不都合な真実(大久保潤・篠原章著、新潮社)は、「恐ろしいほどの同調圧力」があることを明かしました。

「理由もないのに出れるほどテレビって甘いモノじゃないんだから」、そのとおりだと思います。ですので、なぜ出られているのだろうという人には、大物出演者とのバーターだろうという理由がうかぶこともあります。

この山本のことについては、ハフィントンポスト日本版にきょう出た記事、【極楽とんぼ】松本人志、山本圭壱に言及「復帰してもいいが...」も取りあげました。こちらは大物、松本人志の意見で、「復帰してももういいと思ってます」としながらも、「でも吉本としても相当彼に手を焼いたことは事実で、いろいろあったのよ。」とも明かします。「戻ってきても山本としての商品価値はどこまであるんだろう」、「破天荒な芸風とのバランスが難しいとの見方」、同感です。ずっと出ないうちにあの年齢ですので、同じ芸風、同じ立ち位置では続かないでしょうし、ですがキャラを変えると、この人を出す理由がわかりにくくなります。

それで思い出したのが、リアルライブにきょう出た記事、ぶりっ子キャラに足を引っ張られる田中みな実アナです。「ぶりっ子封印」、「となると田中の魅力は何なのか」、そのとおりだと思います。きゃりーぱみゅぱみゅとアリアナ・グランデの記事で取りあげた小倉優子もそうでしたし、篠原ともえでも田村ゆかりでも、若くないと苦しいキャラをつくると、いずれハードランディングが待っています。田中も、苦戦は覚悟の上だと思います。ふと、女子アナの罰で、田中が「ウソ発見器」にかけられたのを思い出しました。1年半前、つまり田中が退社を表明する1年ほど前に放送された回ですが、「ゆくゆくは、フリーになろうと思っている」という問いに反応し、「まもなくですね」といじられました。さらに、「フリーになったあかつきには、お台場で番組を持とうと思う」、「フリーになるための準備として、最近ぶりっ子キャラから知的なキャラに変更しようとしている」にも引っかかるという展開でした。もちろん、あの「ウソ発見器」は、出力が何なのかを考えればすぐわかるように、でたらめですので、バラエティ番組として楽しむべきものです。