生駒 忍

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「ようじ男」の生活保護への疑問と芸人の世界

きょう、J-CASTに、19歳「ようじ男」の逃走資金は生活保護費 「働かずに楽ができる」という人物がなぜ受給できるのかという記事が出ました。

「 「今の日本はいいですね」などと福祉制度をあざ笑うような動画を投稿し続けた男に、保護費が受給されることに疑問を持つ人は多い。」とあります。気持ちはわかりますが、あざ笑ったことを理由に、生活保護を認めないルールは、残念ながらというよりは、当然ながらというべきところですが、ありません。生活保護法4条を持ち出して、わざわざ皮肉を投稿するひまと頭とがあるならととがめるくらいでしょうか。刑務所や少年院の過去があると、その間に学歴や職歴を落とす不利も含めて、はたらく機会は得にくくなりますので、生活保護を通しやすいことはありそうですが、きちんとした統計データはありますでしょうか。Business Journalの記事、無職者の自立支援“できない” 更生保護施設、刑務所の実態を見ると、「更生保護施設は、慰安旅行みたいなもの」「ちょっとしたペンション」、「ここでしばらく勤め先が見つかるまでブラブラして、勤め先と住むところが決まると、すぐに施設を出る。それからさっさと勤め先を退職して、生活保護受給の申請に行く。」「施設を出てからは生活保護で働かなくても生涯食べていける。プライドさえ捨てれば、この国は生活の面倒を見てくれるのですから。」、生活保護が使えて当然のようなようすがうかがえます。

「生活扶助9万9620円、住居扶助5万3700円の計15万3320円が支給された通知を見せびらかし、「ある種の勝ち組だと思いませんか」」、はたらいたら負け、はたらかずにくらせるようになった自分は勝ち、という論理でしょうか。一般的な感覚では、この程度の金額で「勝ち組」というのでは、これも皮肉だと理解するほかありません。それとも、毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、ようじ動画投稿:「英雄になるため」…逮捕の少年供述にある「英雄」も、小物ですので、実は本気だったのでしょうか。

「ネット上では反発が」、これは当然でしょう。生活保護の満額受給、少年法が適用されることを知っての少年犯罪、投稿動画のアクセス数など、ネットの人々を刺激する要素がならびます。ちなみに、産経ニュースに1週間前に出た記事、PC4台駆使、違法動画1000万円超荒稼ぎの男は「記憶喪失」の怪…生活保護も不正受給、裁判には仮の名「鈴木太郎」で出廷の異例にも、やや似た要素がありますが、こちらにそこまでの刺激は、感じられません。

「父親からは自首するよう促すメールが来たと話しているが、三鷹市のアパートで1人暮らしをしていたと報じられている。親子が別居する理由は分からない。」、気になります。生活保護法4条2項もそうですが、ここで連想したのは、アスペルガーと凶悪犯罪の記事で取りあげた、佐世保同級生殺害解剖事件の少女です。こんどは、父親の顔や頭を金属バットでたたきのめした殺人未遂で再逮捕となりますが、「ようじ男」も、あのように平気で犯行をくり返し行えるようすからは、物理的にはなすことが、親の側の被害を予防するねらいがあったようにも感じるところがあります。それとも、結果的には生活保護に依存したくらしになりましたが、依存的な態度が強くて、突きはなせば改心して、自立するだろうという読みだったのでしょうか。

それで思い出したのが、朝日新聞デジタルにきのう出た記事、引きこもりからの栄光なき受験が糧に 髭男爵・山田さんです。かなりアクセスを集めているようですが、「神童」から不登校に転落、高校にも行かず、「家を出ろってことになり、実家近くで一人暮らしをした。「働け」とか「飯食わせる義理もない」とか言われるのを、「はいはいそのパターンね」って。」という体験が紹介されました。転機は「テレビつけて、同級生だか一つ上だかの成人式のニュースを見た時。」で、ここから大検、愛媛大、NSC、そしていまへとつながります。もちろん、「芸人として売れるまで10年かかりました。」とあります。夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘(中川淳一郎著、講談社)は、「お笑い芸人の場合は、10年経っても売れなかったら多分もう売れない。」として、サンドウィッチマンにも触れましたが、その10年です。それでも、お笑いの世界は経歴に関係なく、実力勝負ですから、子どものうちにがんばる力を身につけてある人には、合うのかもしれません。やや似た事例としては、統合失調症がやってきた(ハウス加賀谷・松本キック著、イースト・プレス)にある、ハウス加賀谷がいます。こちらも、親がまじめで、しっかり勉強し、しかし中学生のときにくずれていき、お笑いの世界へ入って、居場所を見つけました。もちろん、加賀谷の場合は、人気が出るのも早かったのですが、症状もまた出てきました。「ギリギリ芸人の綱渡り」と表現されていましたが、舞台ではあのテンションで飛ばし、帰ると家でふるえてすごす状態となり、再度の転落となったのでした。

ふるえで思い出したのが、毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、傷害容疑:男がスプレー吹きつけ…女子高生2人軽症 大阪です。「19日午前8時10分ごろ、大阪府高槻市紺屋町の商店街「高槻センター街」を歩いていた高校3年の女子生徒2人が、自転車に乗った男にスプレーを吹き付けられた。」という事件です。「女子高生はパニックで体が震えていた」という目撃者情報がありますが、これは2名ともと理解してよいでしょうか。「男は1人の生徒の顔に向かってスプレーをいきなり噴射し逃げた。」とあるところでは、吹きつけの対象は1名です。これに合わせて、前のほうも、たとえば「自転車に乗った男が吹きつけたスプレーをあびた。」というようになるのなら、自然な説明になります。それとも、書かれていないだけで、もうひとりのほうには、顔以外へ吹きつけていたのでしょうか。また、タイトルにも本文にも、「軽症」とありますが、生物兵器のようなものでないのでしたら、ここは「軽傷」と書きたいところです。

学習意欲の中1ギャップを示すデータと禁句

きょう、下野新聞SOONに、「中1ギャップ」理解を 宇都宮市人材かがやきセンターが講座という記事が出ました。臨床発達心理士による、全2回の講座の紹介です。

「中1ギャップは、中学校入学で学習や生活の変化になじめず、不登校傾向になったり、学習意欲が急激に低下したりする現象で、全国で課題になっている。」、不登校については、はっきりしています。最新の数値としては、平成25年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」等結果についてではなく、1か月前に出た平成25年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」の訂正値の公表についてを見るべきですが、ギャップは同じです。では、学習意欲のほうはどうでしょうか。こちらは、どんな指標で意欲をとらえるかもむずかしいですし、ギャップの前後を含めてきちんと比較できるデータは、意外に手に入りません。全国学力・学習状況調査は、小6と中3とですので、これではわかりません。自治体レベルの範囲ですと、たとえば 奈良市立都跡小学校・都跡中学校のものが、『VIEW21』中学版 2006年度 特別号で見られます。学習意識調査の結果は、「目標に向け、ふだんからこつこつ学習している(学習継続力)」や、「テストで間違えた問題はやり直している(学習スキル)」で、小6-中1の大きなギャップを示しました。また、福井県児童・生徒学力調査結果についての、モデル地域福井県「理科大好きスクール」実践報告でグラフで示されたデータは、「理科の学習で新しいことを知りたいと思う。」での、小6-中1の大きなギャップを示しています。あるいは、学習意欲の裏がえしですが、こちらは全国データで、第1回子ども生活実態基本調査報告書の3章を見ると、「勉強しようという気持ちがわかない」や「どうしてこんなことを勉強しなければいけないのかと思う」で、ギャップがうかがえます。ですが、後者は、数値での印象にくらべて、グラフで見ると、ギャップの感じがあまりしないようにも感じます。教員養成セミナー 2008年12月号(時事通信社)に掲載されたものですと、さらに弱いようにも感じられ、特別なギャップとは見なくてもよいようにも見えます。

それで思い出したのが、東京独女スタイルにきょう出た記事、アラサーになったら禁句!おばさん認定されちゃう意外案NGフレーズです。意外な案が出てくるのではなく、いわゆる「あるある」の範囲内です。「昭和の時代に生まれたアラサー独女にとって、平成生まれという存在は、別世界の生き物。」「しかし、年齢もそれほど変わらない相手なのに、昭和生まれというだけでドヤ顔をされるのは、年下女子からして面倒なだけ。」とあります。

障害者就労の場と気づかれずに搾取する図式

きょう、minyu-netに、双葉郡の障害者就労支援 郡山に店舗・作業場が完成という記事が出ました。

「福島中央テレビなどでつくる24時間テレビチャリティー委員会からの寄贈」とあります。日本テレビや、視聴率3冠の記事で取りあげた読売テレビなどをさしおいて、福島中央テレビを代表のように書いたのは、福島民友だからという、それ以上でも以下でもないと思います。

「ギャラリー28は、木造2階建て約30平方メートル。」だそうです。床面積もあと少し減らして、双葉とかけた28にしてもおもしろかったとは思いますが、名よりも実益をとったのでしょう。大阪ガス版MHDの記事で触れた、黄大人の発言を思い出しました。

写真にあるのが、そのギャラリーでしょうか。キャプションは、「24時間テレビチャリティー委員会からの寄贈で完成した「ギャラリー28」のオープンを喜ぶ関係者ら」ですので、これは人間の写真だという立場です。一方で、記念写真的な、きちんとととのったものでもありません。石垣市の自立支援の記事で取りあげたものほどの違和感はありませんが、全員が顔を向けてはいませんし、構図や立ち位置は、しろうと風の記念写真にも見えます。撮るのをよほど急いでいたのでしょうか。

撮るのを急ぐ、で思い出したのが、CrowdWorksにきょう出た募集、取り急ぎに関する記事を書いてくれる方を募集しますです。急いであわてていたのか、取りいそぎ何を書いてほしいのかと思ったら、「取り急ぎに関する記事を書いていただきたいと考えています。」だそうです。これで1800円、私には割にあわないお話に見えますが、お仕事というよりは、ひまつぶしとして乗る人がいるのでしょう。ネット上には、ひまのある人がたくさんいるのです。ウェブはバカと暇人のもの(中川淳一郎著、光文社)の世界です。「暇人はせっせと情報をアップし、リア充はその情報の換金化にはげむ」という節もあります。ここは、Amazon.co.jpでとても評価の高いヒンシュクの達人(ビートたけし著、小学館)の、「小銭ですむ道楽」で足りる、「お金なんてどうでもいいと思ってる」、「そうやって自分の視野をわざと狭めてる若者」を、「そいつらを「メシのタネ」にしてる賢いヤツラ」が「気がつかないうちに、ドンドン搾取して儲けてるって図式」、これが「今の時代の「二極化」の実態」だという指摘とも関連します。

差別と孤独とが区別できない人と卒論のコピペ

きょう、nippon.comに、「安心社会」は望んでも得られないユートピア:阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件から20年 複雑性前提に、他者との信頼構築をという記事が出ました。

「今から20年前の1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生、6343人が亡くなった。」と書き出されますが、この死者数は、いつ、誰が行った集計からでしょうか。大きな災害でしたので、行政の公式発表でも、何度も値が更新されてきましたが、この人数で見かけたことはありません。私の知る限りでは、神戸新聞NEXTの記事、大震災死者6434人確定 兵庫県、1人増を正式発表にあるものが最新なのですが、それ以降に大きな修正があったのでしょうか。「信頼の崩壊」を話題にするはずが、信頼できない数値を、しかも「インターネットは両刃の剣」と理解している人が流しているとは、考えたくないところです。

「1995年(平成7年)の主な出来事」の年表があります。「95年に立て続けに起きた災厄」「2つの災厄」だけでなく、国内外の明暗さまざまなできごとがならびます。後のほうで話題にされるネットの問題へとつながる、Windows95の発売もありますし、「米オクラホマシティで連邦政府ビル爆破事件発生」と「フランス大統領選でジャック・シラク氏が当選」とがとなり合うところは、シャルリー・エブド襲撃事件への伏線のようにも見えます。

「さぞや忙殺されているだろう最中に池内恵氏(東京大学准教授)がFacebookにつぶやくように書いたエントリー」として登場するのは、「欧米ではムスリムが差別されてるからテロが起こるんだ」という説を、ちょっとだけ西欧に行ったことがある知識人や記者などが言いがちな理由について、よく考える。のことです。引用されていない最後の段落まで、読まれてほしい指摘です。あの個人主義のアメリカでさえ、孤独なボウリング 米国コミュニティの崩壊と再生(R.D. パットナム著、柏書房)にあるように、以前は今ほどではなかったともされますが、西洋の孤独には、歴史があります。西洋化がすすんだいまの日本でも、人間関係のなやみへの違和感の記事で触れたように、孤独の受けいれは、なかなかできていません。

「西欧社会の孤独は自分とは相容れない他者の存在を前提にしている。」「例えば宗教的風刺をも含むラディカルな「言論の自由」も「共生」のプラットフォームになるはずだった。」、このあたりは、理解しあえない者どうしが共生するための、悲惨な迫害、殺戮、戦争の歴史の彼岸としての智恵が、西洋的な自由、特に宗教に対する自由であることにつながります。週刊文春 1月22日号(文藝春秋)で宮崎哲弥が指摘するように、シャルリー・エブド事件も、ライシテの理解なしに、テロはいけないが表現の自由にも限度が、というレベルで語れるものではないのです。

フランスのテロと対比させて、オウム真理教事件に触れ、そして日本のネット社会の問題へとすすみます。それは阪神ではなく、東日本大震災から見えてきました。「東電のような大企業や行政、マスメディアの管理を超えた情報が氾濫したが、そこでは被曝の影響を過大に伝えたり、政府の情報隠蔽を暴露していると自称する情報があれば、その真偽を検証するプロセスなしに「やはり危なかったのだ」とか「やはり政府は嘘ついていたのだ」と共有される。」「放射線被曝の危険性や行政や大企業の腐敗を示す情報を共有することでむしろ仲間とともに安心したがるという奇妙に屈折した心理」、「初めに安心への希求ありきで真偽の追求は二の次」、これは今なお、現在進行形です。あるいは、また週刊文春 1月22日号(文藝春秋)ですが、そこで適菜収がののしった、すぐ在日にこじつけたがる者の問題も、層は異なりますが、本質は同じでしょう。ものごとの真偽を明らかにしていくことは、とてもおもしろいことである一方で、多大な労力を要します。進化的にそうなっているといえばそれまでなのですが、感情を喚起するものごとには特に、本人の頭の中で、感情がすばやく「結論」を決めさせてしまいますので、それとは別に、労力をかけて調べ、うたがい、考えなおそうとはされにくいのです。事実より感情が優先されてしまうことは、我が闘争(堀江貴文著、幻冬舎)にある、子どもがどこから産まれるかをめぐって、医者の息子のより非科学的な主張のほうが支持を集めて、擁護してくれた意見まで事実ではなく感情によるものでがっかりしたエピソードにも近いでしょうか。また、時間を節約できるIT化でさらに時間に追われるようになったこの時代に、自分でじっくりと考え、まとめることは、なかなか好まれません。

それで思い出したのが、トゥギャッチにきょう出た記事、卒論をコピペで終わらせる学生が急増? 教育現場からの嘆きの声です。小保方騒動の後でも、なくならないのでした。紹介されたツイート、なんていうか、思考まで他人のコピーだとしたら、自分というものをなにで定義するんだろうか。は興味深い指摘で、まさにこのTwitterと、関連がありそうです。リツイートの機能は、それまでのブログでの発信ではしにくかった、他人の思考を丸ごとそのままで、自分の発信として出すことを当然にしました。学びの心理学 授業をデザインする(秋田喜代美著、左右社)で評価されたアプロプリエーションなど不要で、このコピペだけで、すばやく自分に取りいれられるような感覚がそだっているのかもしれません。罪悪感がうすい常習犯になるのも、それならば当然でしょうか。また、罪悪感があったとしても、弁明を求めればいそがしかったのでと主張、場合によっては逆切れをしそうです。

そういえば、3か月前に出た1つずつ自分を変えていく 捨てるべき40の「悪い」習慣(午堂登紀雄著、日本実業出版社)は、いそがしいということばを使わないように呼びかけます。実際にいそがしいのに何がいけないのかと言われそうですが、「「忙しい」とは自信のなさ、見栄にすがりつく内面の弱さ、そして自己中心的な発想をあらわにしてしまうという、結構恥ずかしいセリフ」と斬ります。そして、本人の恥というだけでなく、実害もあるので、「「忙しい」をやめ、「まだまだヒマだ」と自分に言い聞かせる」ことを提案します。その効果は、「1つは、「忙しくて手が回らない」という自分への言い訳を排除できる点です。」「それが自分のキャパシティを広げ、業務処理能力のストレッチにつながるのです。」「もう1つの効果は、脳の思考領域に余裕ができる点です。」、これは大きいです。心理学では、ワーキングメモリという概念を考えますが、その容量はきびしいのです。ライフハッカー日本版にきょう出た記事、「心の集中」に大切な短期記憶:容量をアップするにはでも取りあげられています。ただし、気をつけて読んでください。「アメリカの心理学者George Miller氏は論文「The magic number seven, plus or minus two(マジカルナンバー7±2)」の中で、人間のワーキングメモリの上限を数量化しています。ワーキングメモリには一般的に、1回につき平均して7つの項目しか保管できないというのです。」、おかしなところはいくつありますでしょうか。

ことしのグルーポンおせちの個数と杉村太蔵

きょう、財経新聞に、グルーポン 4年ぶりのおせち販売 「おせち・お正月特集」レポートという記事が出ました。内容は、グルーポン・ジャパンのプレスリリースです。

「約2500個のおせちを販売することができました」ことのお知らせです。いわゆる「スカスカおせち」騒動の印象は強く、今回のおせちも、純粋な好意だけではなさそうな注目をあびました。無事だったようで、何よりだと思います。

「販売したおせちの中で特に人気が高かったのは、『高級料亭・銀座花蝶監修の優雅なおせち《あぐりの匠「優雅」和洋6.5寸三段重40品目/3~4人前》 13,300円』、販売個数としては810個以上を記録しました。」とあります。個数をはっきりさせずに、ですが800個以上とも書かないところが気になりました。縁起よく、「はってん」と読めるようにしたかったのでしょうか。また、銀座花蝶とだけあればよいところを、「高級料亭」とつけたネーミングは、花蝶を知らないだろうと見くだされているような気がしますし、くどい印象も受けますが、1か月前の記事で取りあげたような、修飾語の効果をねらったのでしょう。私のくらしの水準では、単に料亭というだけで、高級なイメージがあります。ふと、杉村太蔵の「料亭発言」騒動を思い出しました。そういえば、きょう行った保昌には、その杉村が1年前に来店していたようで、色紙がありました。

さて、「「夢のおせち」が5名に抽選で当たる「夢のおせち」プレゼントキャンペーンでは、弊社グルーポンの代表取締役である根本啓自らが当選者に直接お届け」、豪華なおせちはいろいろとありますが、配達にも豪華さを、しかもこういうかたちで加えるのは、とても異色です。出社しない社長の記事で触れた平成建設の社長とは対極のようで、何もトップがここまで、と思いました。ふと、週刊大衆 6月23日号(双葉社)で藤竜也が、「僕は、悪魔から普通の人間まで全部やりたいんですよ。」と言っていたのを思い出しました。