きょう、PR TIMESに、「なんとなく」な意思決定の背後にある心理とは?--行動経済学と社会心理学(2)【大阪ガス行動観察研究所のコラム】という記事が出ました。3日前に公開された記事の、プレスリリースです。
元記事での話題は、モンティ・ホール・ジレンマ、ないしはモンティ・ホール問題と呼ばれている、反直観的確率的判断課題です。多くの人が、確率的に不利な選択をする上に、それがなぜ不利かを説明されてもなお、判断が変わりにくい性質があります。きょう発売の茶葉 交代寄合伊那衆異聞(佐伯泰英作、講談社)では、船籍を決めるときに黄大人が、唐人は実利をとると発言しますが、これが意外にむずかしいことを示しています。心理学的な検討の対象にしたり、ちょうどきょうも授業の教材に使ったりと、私の好きな素材のひとつでもあります。ですので、このようにそのおもしろさが取りあげられるのは、とても共感できる一方で、あまり知られてしまうとやりにくくなるという点では、複雑な思いがあります。また、今回の記事については、残念ながらやや不適切なところがありますので、誤解が広まってしまうのではという不安もあります。
ひとつは、問題の設定が、ほんとうのモンティ・ホール・ジレンマとはやや異なるように読めることです。「すると、番組の司会者が「あなたが選んだAのドアをあける前に、残りのBとCはハズレであるか確かめましょう」といって、BとCのどちらかをあけることにした。そして、Cのドアをあけたところハズレであった。」というところが、引っかかります。これでは、あたりかはずれかを調べようと、残りの片方を開けてみたら、それははずれであるとわかったというように読めます。その場合は、ここで筆者が取りあげたいような確率にならない可能性が出てきます。司会者もどれがあたりかを把握していなくて、残りの中からはずれをひとつ教えるのではなく、あたりかはずれかを開けて試したらそれははずれだったということであれば、ふつうの確率問題です。「状況認識を勝手にリセットしてしまう」とき方が正解になるのです。三角くじのようなあたりくじを、まず自分が引いて、続いてそれを開ける前に友だちが引いてすぐ開けたらはずれだった、という場面に近いでしょうか。この場合、自分が引いた直後よりも、友だちのくじがはずれだとわかってからのほうが、自分の引いたものがあたりである確率は高まります。
もうひとつは、解答です。前に書いたようなことを抜きにして、もしこれがほんとうのモンティ・ホール・ジレンマになっていたとしても、選んだものの確率は固定されるとして、選んでいないものの間で確率が移動するような説明は、結果的に同じ計算結果が出ますが、論理としては不適切です。すでに選んだものの確率が事後的に変わることがあるのは、先ほどの三角くじの例のとおりです。また、結果的に同じ計算結果になるのは、選んだものも選ばなかったひとつひとつも、あたる確率が等しいからです。もちろん、あたる確率にバリエーションをつけてしまうと、その値で選ぶでしょうから、問題としてはなり立ちにくくなります。そこで、モンティ・ホール・ジレンマと数理的に同型である三囚人問題を使った、変形三囚人問題の出番となります。くわしいことは、確率の理解を探る 3囚人問題とその周辺(市川伸一著、共立出版)をあたってください。日本認知心理学会第4回独創賞につながった一連の研究をまとめたもので、分母に5が出てきたり、囚人側からすれば「知らぬが仏」な展開だったり、モンティ・ホールをさらに上まわる反直観的な世界です。また、そこまでくわしくなくてよいのでしたら、人生と投資のパズル(角田康夫著、文藝春秋)が手に入りやすいと思います。
ほかに、「直観」ではなく「直感」という表記で通していること、「アメリカのコラムニストであるサヴァント(Marilyn vos Savant)」という人名表記なども、気になるところです。説明の図では後悔の要因にふれていますが、本文ではプロスペクト理論に回収されています。先ほどの人生と投資のパズルですと、別立てで後悔の章があります。