きょう、ノーツマルシェに、春の不調・感情の波、対応に使いたいツールは○○!という記事が出ました。
「筆者はこのコラムのネタを書き留めるために、画像の方眼ノートを使用しています。」とあります。頭がいい人はなぜ、方眼ノートを使うのか?(高橋政史著、かんき出版)を信じた人のアピールかと思いましたが、そうではないはずです。「方眼ノートを数年使用していくうちに、次のような利点に気付きました。」と、きちんとアピールされています。
「大人は子供と違って、まっ白な画用紙に「自由に何を描いても良いよ」と言われると枠が外されたように感じ、逆に不安になります。」、よくあることです。風景構成法では、画用紙にその場でわくをつくってから始めさせます。絵に入れるアイテムに順番が考えられているのも、自由がもたらす不安からの保護の側面があるでしょう。また、本質的に自由であることが本質であるエンカウンターグループよりも、決まったわくの不自由の中で自由をつくるSGEのほうが、少なくとも日本では、広く親しまれるようになりました。日常のものごとでも、わくがないと、かえって人間はうごきにくくなります。伝わっているか?(小西利行著、宣伝会議)は、ルールがあるほうが、ものを考えやすくなることを指摘しますし、楽しく生き抜くための 笑いの仕事術(村瀬健著、マガジンハウス)の、大喜利のお題は具体的なほうがよいというお話にもつながります。一方で、わくのおかげでやりやすくなることの負の側面にも、気づくべきでしょう。ラーメン発見伝 10(久部緑郎作、小学館)で芹沢が突きつける問い、「つまりおまえは自由に作っていいといわれると凡庸なラーメンしか作れない。他人から方向を絞ったテーマを与えられると、その中ではすばらしいラーメンを作る。これがどういう事か分かるか?」は強烈でした。