生駒 忍

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「オオカミ少女」の信頼性のなさのあつかい方

きょう、リアルライブに、「オオカミ少女・アマラとカマラ」は嘘だった!?という記事が出ました。「狼に育てられた子」についての、もちろん否定的な紹介です。

最後の結論など、おなじみのオオカミ少女はいなかった(鈴木光太郎著、新曜社)とはまた異なりますし、各論的なところにはいろいろ議論がある話題です。ですが、基本的に実話だと理解したままの人もまだまだ多いでしょうから、信用するべきでないと世の中に知らせてもらえるのは、ありがたいと思います。

それでも、この手の話題は、あつかいがむずかしいところがあります。ひとつは、お話全体の信頼性と、個別の真偽との対応です。この「狼に育てられた子」のお話は、科学的にありえないこと、合理的に考えてありそうにないこと、事実だと断定するには弱いこと、報告者の姿勢をうたがわざるをえないことなどがいろいろと混ざって、総合的にみて信用するべきでないと結論されることになります。ですが、含まれた内容が、すべて事実と異なるとは言っていません。内容がすべて真であるとはいえないので、すべて偽であるかどうかには関係なく、全体を信用できるものとは考えないという立場です。ですが、このあたりは、うそが書かれるはずのない論文の世界にいる、科学者の視点でしょう。歴史的な文書の世界では、明らかにおかしな内容が混ざったものだからといって、まるまる無視するのは非現実的です。たとえば、ヘロドトスの『歴史』は、著者が広く見聞を集めて、真偽も考えながらまとめた貴重な書物ですが、今日からみれば荒唐無稽な内容も見うけられます。第3巻は、和訳版では歴史 上(岩波書店)に入りますが、インド人やエチオピア人について、肌の色と同じように、精液も黒いとあります。これを、2500年前にはそうだったととる人は、まずいないでしょう。一方で、これは事実ではないので、『歴史』第3巻に書かれた内容はすべてうそだと結論することも、ふつうはしません。『歴史』は、歴史学者の間ではうたがうべき部分の多い文書とされますが、全否定する人は少数派でしょう。なお、この黒い精液のお話は、今回の記事の筆者である山口敏太郎のブログの記事、都市伝説?!インド人男性の精液は、黒色?!に、荻野アンナが書いたこととして、論評ぬきで登場します。

もうひとつのむずかしさは、きちんと述べても全部は伝わらない場合に、結論がひっくり返ってしまう問題です。TechCrunch Japanにきょう出た記事、研究結果:人はオンラインで即座に訂正されても虚偽情報を信じ続けるのようなこともありますが、それ以前の問題です。この記事でもそうですが、こういった話題では、まずは対象の内容を紹介してから、疑問点や反証を挙げて批判的に論じる流れをとることが多いと思います。ところが、読者は最後まできちんと読むとはかぎりません。おもしろいエピソードとして読みはじめて、議論のところはむずかしそうなので飛ばしてしまったり、読む途中でほかのことが入って中断しておしまいになったりすることも考えられます。すると、筆者の主張とはまるで逆の知識がつくられることになります。私も、授業でそういう逆転を、しばしば体験します。途中で寝てしまったのかわかりませんが、あのエピソードはおもしろかった、とてもおどろいた、人間ってそういうものなんですね、などといったかたちで、その後で斬った話題を事実だととったコメントペーパーに、よく困惑させられます。それでも、無視して取りあげないわけにはいきません。学説史として、古い考え方を理解してからでないと、新しい考え方にたどりつく思考がつながらなくなりがちですし、接種理論的な観点でも、おかしなもののどこがどうおかしいかを学ぶことには意義があります。それでも、これから紹介するお話は絶対に信じないように、とくぎをさしてから話すのも奇妙ですし、なかなかむずかしいところです。