生駒 忍

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リベンジポルノ防止法の刑罰と顔をかくす効果

きょう、Gow!Magazineに、リベンジポルノから自分を守るただひとつの方法とは?という記事が出ました。

「これを規制する法律は、現行では名誉棄損罪(3年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金)程度。」、誤解をまねきそうな書き方です。せいぜい名誉毀損罪程度しか適用できないのではなく、法定刑が似ているということです。昨年11月、リベンジポルノ防止法が成立し、3条ももう施行されました。その公表罪は、「三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」で、禁錮刑にはなりません。もちろん、刑法230条は、「三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金」です。

「写真を渡してしまった自責の念や、恥ずかしさが女性たちを黙らせ、その裏で犯人たちは次から次へと被害者を作っていくのです。」、おそらくそうだとは思いますが、「犯人たち」という表現には、違和感があります。別個の痴情のもつれでしかないはずなのに、まるで私怨をかかえたそれぞれが結んで、ほかの人にも公表をさせたり、対象者をかえてくり返したりするように見えます。結果的に拡散を手つだった人々も含めて「犯人たち」だと理解したい人もいるかもしれませんが、「次から次へと被害者を作っていく」とありますので、すでに被害者になった人の被害拡大のことを指してはいないことは明らかです。

「いくら法律で加害者を罰しても、それは被害が出てしまってからのこと。」、そのとおりです。可能性のある人を、公表にうごく前に拘束できれば可能ですが、排除型社会(J. ヤング著、洛北出版)の悪夢の世界でしょう。

「好きな人に望まれれば「望みをかなえてあげたい」という気持ちになるのは女性として当然のこと」、「彼の望みを拒絶することで「俺を信用できないのか?」などと言われてしまえば、二人の間にひびが入りかねない大きな問題」、一般論としては理解できますが、この問題に関してこういうとらえ方は、適切でしょうか。アンマン自爆テロ事件のサジダ・リシャウィは、夫から自爆テロを指示され、したがいましたが、死ねといわれたとしたら死のうと思うのも「女性として当然のこと」になるのでしょうか。女性に自分はないのでしょうか。少なくとも、性行為のもとめや避妊に関しては、のぞまない妊娠や、性病やそこからの不妊から自分を守るには、自分でノーを言わなければという視点があります。さらば、悲しみの性 高校生の性を考える(河野美代子著、集英社)をご覧ください。不本意なことになってから、刑事なり民事なりでうったえるにしても、それこそ「いくら法律で加害者を罰しても、それは被害が出てしまってからのこと。」です。ハフィントンポスト日本版にきょう出た記事、独裁国家ジンバブエが削除を命令した、いわくつきの写真がこれだ(画像)のように、あの独裁権力でさえ、出てしまったものは止めきれない時代なのです。

「ですから、リベンジポルノから女性の身を守る方法はただひとつ。」「顔さえ写さなければ、どんな姿のどんな写真でも「自分じゃない」と否定することができるのです。」、どうでしょうか。筆者の感覚ですと、顔をもとめられたら、撮らせてあげるのが「女性として当然のこと」にされそうですので、そうなれば守りきれません。しかも、「顔と体を撮影されそうになったら、顔は恥ずかしいからと髪で隠したり、いつもと違う表情をする」、この程度で「被害は最小限に」なりますでしょうか。その場で表情などつくったところで、本人と見くらべてわからないようになるとは考えにくいですし、流されて不特定多数に見られること自体の苦痛はなくせません。思いきった変顔に走れば、ポルノとしての価値をそこなうことはできますが、変にできがよいと、むしろおもしろ画像として、より表に近い場で流れてしまう危険もあります。また、リベンジポルノ防止法2条の「性欲を興奮させ又は刺激するもの」や、3条の「第三者が撮影対象者を特定することができる」範囲をはなれると、せっかくの新法も助けてくれなくなります。結局は、断る力(勝間和代著、文藝春秋)ではありませんが、ことわることこそが、意味のある選択肢でしょう。

ことわるで思い出したのが、Reutersにきょう出た記事、中田氏の申し出、簡単に乗るわけにいかない=人質事件情報収集で首相です。答弁内容は、「やたらめったらに『お願いします』とすれば、(交渉が)うまくいかないのは常識」という、当然のことでした。たずねたほうは、今回の裏事情を言わせたかったのかもしれませんが、混乱をまねきかねませんので、こういう一般論での回答で十分だと思います。週刊文春 2月5日号(文藝春秋)の、「佐藤優が痛烈批判「中田考はイスラム国のPR担当」」のようなこともあります。また、週刊新潮 2月12日号(新潮社)は、アルカイダによるイラク日本人誘拐殺害事件を、イスラム法に反しないなどと「追認」にまわった過去にふれました。ところで、「松田公太委員への(元気)答弁。」とありますが、何でしょうか。アントニオ猪木の元気な発言ではなく、質問者は弟が若くして病死、答弁者は持病を薬でおさえつつの活躍である組みあわせに、後にずらして「元気」をつけました。もちろん、国のトップは完全な健康体でなければいけないということはありません。アメリカのフランクリン・ローズヴェルトも、イギリスのゴードン・ブラウンも、それを理由に非難されることはないはずです。そういえば、Telegraphにきょう出た記事、Vladimir Putin suffers from Asperger’s syndrome, Pentagon report claimsは、納得できるものでしょうか。