きょう、KNB WEBに、障害の大学院生、新たな旅立ちという記事が出ました。富山大の博士課程を修了する、鈴木淳也という音響エンジニアを取りあげたものです。
横浜市民で中途障害、40代後半というと、3年前までは聞こえなかったと主張するあの作曲家を連想しそうですが、「大学が身体障害者を対象として平成20年度に設けた全国初の特別枠、その第1号として入学しました。」ということで、無事に修了となり、おめでとうございます。生命融合科学教育部は、東北大学のような教育部・研究部の分離はなく、これそのままで一般的な大学院でいう研究科にあたります。あの大学で障害というと、障害理解研究で知られる西館有沙・富山大学准教授が思いあたりますが、研究上の接触はあったでしょうか。日本障害理解学会の常任理事でもある方ですが、ちなみにこの学会は、近く閉会することになります。心理学や周辺分野では、研究会レベルですと対人行動学研究会やノードフ・ロビンズ音楽療法研究会などの前例がありますが、学会に改組して学術会議への登録を目ざしたところの座礁は異例です。
「鈴木さんは富山大学で64個のスピーカーから出す音を組み合わせて1つ1つのアルファベットの「書き順」で「形」を表現する研究を続けてきました。」とあります。ロケットニュース24にきょう出た記事、色覚異常から「色を聞く」世界へ / 頭蓋骨に埋め込んだカメラで色を聞く芸術家ニール・ハービソンを思い出しました。
視覚障害者ならではの視点による研究、といってよいのでしょうか。原理的には、視覚障害がなくても思いつくことはできる範囲であるとみて、障害と関連づけることはむしろ差別的だと考えるべきでしょうか。あるいは、ふつうに見える人でも、あえて視覚を遮断してすごすと、しない場合にくらべて、このような着想がわずかでも浮かびやすくなることはあるでしょうか。
視覚の遮断といえば、greenz.jpにきのう出た記事、【イベント】「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」創設者 アンドレアス・ハイネッケ氏 講演会 in大阪&東京でも紹介された、DIDがあります。Excite Bitの記事、『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』に参加してきたには、1989年に始まったように書かれましたが、正しくはgreenz.jpの記事にあるように、1988年のはずです。ですが、暗闇の中でおこる劇的な心理学的変化については、さらに前、1973年に出た論文であるDeviance in the Darkが取りあげました。その筆頭著者は、後にもう一つの社会心理学(K.J. ガーゲン著、ナカニシヤ出版)でも有名になった方です。もちろん、学問的なところはともかくとして、暗闇の体験として、エンタテイメント性と安全性とを確保したDIDは、有意義な活動だと思います。見えない世界を知るだけでなく、光の力を知ることにもつながり、そこから電気のありがたみ、節電にまで考えが回る、といったら言いすぎでしょうか。
そういえば、もう3年以上たつわけですが、あの震災で、私の住むところは完全に停電して、夜はほんとうに暗闇となりました。それでも、何も見えないわけではなく、星のかがやきはこれまでにないほどの見え方でしたし、ここに満月が浮かんだらまったく違うだろうと感じました。Things Fall Apart(C. Achebe作、Heinemann)の、「As Ibo say: ‘When the moon is shining the cripple becomes hungry for a walk.’」の感覚でしょうか。その作者であるアチェベが亡くなって、きょうで1年となりました。あらためて、ご冥福をいのります。