生駒 忍

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おかずの提供を求める社協と「第二の災害」

きょう、岩手日報WebNewsに、困窮者に食糧支援呼び掛け 北上市社会福祉協議会という記事が出ました。

このタイトルでは、呼びかける向きが逆にも見えてしまいます。非困窮者にと書けば、つじつまはあいますが奇妙ですので、困窮者への、とするか、報道らしい表現で、「「困窮者に食糧支援を」呼び掛け」のようにしてあればよかったでしょう。

タイトルには「食糧支援」とありますが、本文中ではすべて、食糧ではなく、食料という表記です。ここは、「現在の在庫は米など主食が中心で栄養の偏りが懸念され、粉ミルクなども底をついた状態。」としたことと関連しそうです。食糧と書くと、主食や穀物のイメージが強くなってしまいます。それでも、食料と食糧との使いわけは、明確なものではありません。食の終焉(P. ロバーツ著、ダイヤモンド社)には、foodは「本書の翻訳においては、原則「食料」を用い、文脈上明らかに「食糧」の意味合いが強いと判断される、または慣用的に使用されることの多い場合のみ、「食糧」」という方針をとったとあり、どういう意味内容で分けたかは、はっきりは書かれませんでした。原題は「The end of food」ですので、どちらでもない訳も使っています。学術書でも、たとえば現代資本主義と食糧・農業 下(井野隆一・重富健一・暉峻衆三・宮村光重編、大月書店)には、「用語表現についても、「食糧」「食料」の異同を考え、整理しておくべきだが、本稿では、「食糧」を基本としつつ「食料」をも併用する。」とありました。なお、その第3編者の、聖学院大学総合研究所紀要第45巻での紹介は、この本を「現代資本主義と食料・農業」と書きました。あるいは、栄養バランスからの連想で、アリーヤの伝記映画の記事で取りあげたようなバランスを考えたのでしょうか。

「しかし、米や乾麺などの主食やしょうゆなどの調味料、せんべいなどの菓子類は多くの寄付が寄せられた一方、缶詰やレトルト食品などのおかずはほとんど在庫がない状態だ。」、想像がつきます。日常食であれば、あまって寄付するほど買いこむことは考えにくいので、米は篤志で持ちこまれていそうですが、それ以外は贈答品の割合が高いでしょう。めん類やせんべい、醤油は贈答品で入って、ふだんのペースでは食べきれなかったり、くらしや好みにあわなかったりして、困ってしまうことがあります。一方で、「缶詰やレトルト食品など」も、贈答品で入ることはありますが、日もちがずっとよいですし、いかにもな高級品、高額品のことが多いでしょうから、手ばなして困窮者にというのは、いろいろ抵抗がありそうです。かに缶や有名和牛のレトルトカレーではなく、スーパーで広告の品になるような缶詰やレトルトカレーを贈ることは、あまりされませんが、乾麺や醤油は、広告の品になるレベルのものも、箱づめして贈答品にできるのは、ふしぎなことではあります。

この呼びかけは、よい効果をあげるでしょうか。「クリスマスの恐怖」の記事で触れたように、寄付の気持ちがうごきやすい時期です。大そうじで、食べずに捨てるくらいならと、寄付品が出てくることも多そうです。ですが、自分にニーズがない所有物なのに、相手にもニーズがない可能性は考えられない人が、ごみ同然のものを送りつけてくる心配もあります。いわゆる「被災地を襲う第二の災害」のような問題もありますし、だからといって、ほしいもの、いらないものの条件を明示すれば、ただでめぐんでもらって何様だとたたきたい人にねらわれます。「第三の災害」とでもいうべきでしょうか。研究にかかわる身としては、1年1か月前に起きた、立命館大学ゲーム研究センターの炎上騒動が思い出されます。さまざまな見方があると思いますが、ねとらぼの記事、立命館大がネット乞食はじめたぞードドドド 「炎上狙い」でアクセス稼ぐまとめサイトと、まんまとそれに踊らされる人たちが、現実をとらえています。