生駒 忍

記事一覧

転職希望者の調査結果と転勤をいやがる若者

きょう、J-CASTに、海外勤務OK派が急上昇中 転職先として「積極的に選ぶ」という記事が出ました。

「転職希望者を対象にした「海外での勤務」調査」の結果の紹介で、より具体的には、「人材紹介会社の集合サイト「エン転職コンサルタント」の利用者1023人」が回答したものです。「転職先として海外勤務の可能性がある企業を「積極的に選ぶ」と回答した人は37%」、皆さんはこの数字を、どう見ますでしょうか。海外でははたらきたくない大学生の記事もご覧ください。

より見るべきポイントは、「19%だった5年前と比べると約2倍の水準になった。海外勤務の意向をもつ人が年々増加していることがわかる。」ところです。もちろん、新卒ではなく、転職市場の動向であることに注意してください。それでも、こういった流れが、若い世代にも影響していく可能性はあるでしょう。キャンパスの症状群 現代学生の不安と葛藤(笠原嘉・山田和夫編、弘文堂)にはすでに、「転勤がいやだから入社しない」問題の増加さえ指摘されていましたが、そこまでの人にも影響がとどくと、興味深いと思います。

「年代別でみると、年代が上がるにつれ「東南アジア」と回答した割合が高く」、「一方、年代が若いほうが「ヨーロッパ」「北米・カナダ」という回答が多かった。」そうです。ここは、「50代は「海外のほうが、自分の経験を活かせるから」が最多。」といったところと関連しそうです。実際に活躍できた場所、自分の需要を肌で感じた場所と、漠然とした「海外」のイメージとで、こういう世代差が現れているようにも思います。後者は、「海外」勤務のおしゃれな私、かもしれず、はたらくというよりは、日本では小さいころからずっと体験される、むしろ消費者的な、差異化の欲求のような気もします。ふと、言える化 「ガリガリ君」の赤城乳業が躍進する秘密(遠藤功著、潮出版社)にある、「子どもたちのブルジョア感を刺激」するガリガリ君リッチの戦略を思い出しました。

「女特有の嫉妬心」と視野を狭める情報の害

きょう、Glittyに、大切なのは自分の人生を豊かにすること。誰にも嫉妬しない考えかたという記事が出ました。

「仕事で成功した女友だちや、自分よりも先に結婚した女友だちに、嫉妬してしまう女性。自分と他人の幸せを比べ張り合ってしまうのは、ある意味、女の性なのかもしれません。」と書き出されます。「女特有の嫉妬心」ともありますが、ぶりっこをきらう心理の記事で触れた飯田香織の主張もありますし、特有とは言いすぎのように思います。もちろん、属性によって、そういう感情の高低がある程度異なる傾向はあって、それは性別にかぎりません。韓国人の「他人と張り合う心理」の記事もご覧ください。

「スマホやパソコンを使い、いつどこにいてもネットで情報が見られる現代。」ですが、「それらの情報は、自分の心に負をもたらすだけ。」「ネットに書かれていることがすべてだと思い込み、視野が狭くなる可能性も」とします。負だけとは言いすぎかもしれませんが、若年ホリエモン支持者批判の記事で取りあげた、しりあがり寿、樺沢紫苑、井ノ原快彦といった人々の指摘を思い出します。

「ネット環境を遮断するなどして定期的なデジタルデトックスの機会を」と呼びかけます。テレビをつまらなくする若手の記事で触れた「IT断食」のようなものですので、依存症レベルの人は、気をつけてください。

うまくいかない方向で予想外のときも、「「こういうこともあるから、人生っておもしろい!」と自分に言い聞かせ、気持ちを無理矢理にでもポジティブに」、よい心がけです。Amazon.co.jpでとても評価の高い考えない台所(高木ゑみ著、サンクチュアリ出版)に、「自分がポジティブになるのを待っていても、それは一生やってきません。」とあるのを思い出しました。

「嫉妬心を持たない女性たち」を目標のようにしますが、「でも、自分の人生に満足さえしていれば、そのような感情に支配されることはありません。」、これでよいと思います。嫉妬の世界史(山内昌之著、新潮社)が、「嫉妬は寒暖と同じかもしれない。」とたとえたように、嫉妬の感情がまったくないことまでは不必要で、嫉妬に不毛、不本意な行動を強いられてしまうことさえなくせれば、十分に楽になれるはずです。

日本人女性特有の心理と他人志向型の貧困

きょう、Business Journalに、あの飲食店、なぜバカ高くてヒドいのに人気?注文間違う、冷めてる、うるさくて会話できず…という記事が出ました。キーワードが「マクドナルド, レストラン, 吉野家.」なのは、何かのいやみなのかもしれませんが、私はまだ行ったことのない、「東京都心の大きな駅の目の前に店舗を構える」「予約がないと入店困難といわれるほどの人気店」を取りあげたものです。

「一辺80cmほどの正方形のテーブルで、他の同じ大きさのテーブルでは大人3~4名のグループも多く、あまりに狭いというのが第一印象」とあります。「ただでさえ狭いテーブルに火のともったロウソク」もあり、「ドリンク2杯と料理が2皿来た時点でテーブル上は埋まってしまい」というほどですと、お皿が大きいのかもしれませんが、その大きさのテーブルにおとな4名のところが、さらに心配になります。

「ブランド和牛のステーキを注文した際、店員から焼き加減を聞いてきたので「ウェルダン」と注文したが、実際に届いたステーキは外身以外赤々としていて完全にレア。」だったそうです。焼きぐあいのイメージのずれなら多少ありますが、注文がひっくり返って伝わるとは、レアケースです。そういえば、レアケース(大門剛明作、PHP研究所)で壮馬は、「心理学的にも死にたいっていうのは生きたいってことの裏返しじゃなかったですか」と言いましたが、すぐに暗転するのでした。

「数多くの飲食店レビュー本を著書に持つJ.C.オカザワ氏」が、「日本人女性特有の心理ですが、ファッションでもみんな似たようなコーディネートをよくしているし、みんな同じようなブランド物のバッグを持っていたりしますよね。これは自身の個性を確立している欧米の女性にはあまりない傾向で、日本人女性は“みんながイイというものはイイ”という価値観の方が多いといわれています」と指摘します。このあたりは、片目を失って見えてきたもの(ピーコ著、文藝春秋)が、自身の若いころをふり返り、「当時の若者の美意識のなかでは、いまのように、隣も前も後ろの人も同じスタイルでいるなんて、愚の骨頂の時代だったのです。」としましたし、「エビ売れ」での同じ色への集中、「量産型女子大生」など、何度も話題になりつつも、いまはジューシィメイクと専業主婦願望の記事の最後に取りあげたようなことも起きているはずですが、欧米からみれば、大差はないかもしれません。また、「かくれんぼ」ができない子どもたち(杉本厚夫著、ミネルヴァ書房)は、「学校体育で導入されている選択制授業は、自分のしたい運動種目を選択するのが原則」、「ところが、だれだれちゃんが選択するからと、友だちで運動種目を選択する傾向がある。」と指摘しますが、そういう感覚の延長線上でとらえると、「“みんながイイというものはイイ”という価値観」は、協調的で有用です。多元的無知で「人気に実力が伴っていない」アビリーンを内心がまんしているのではなく、みんなのおかげでおたがいに、「“1.5級~2級の美味さ”でも十分満足」できるのです。孤独な群衆 上(D. リースマン著、みすず書房)のいう他人志向型の社会には、たのしく適応できそうです。

それで思い出したのが、日刊SPA!にきょう出た記事、低所得よりも怖いのは“精神的な貧困”です。「他人志向型」「内部志向型」といった用語を用い、「精神的貧困を避けるためには、自分だけが楽しめる価値観を持った、“内部志向型”の人間を目指すべきです」という社会学者の主張を紹介しましたが、リースマンによれば、内部志向型は、幼いころに両親などから植えつけられる性質のものですので、この「べき」論は実現を度外視した空論か、それとは別のこの人独自の用語なのか、よくわからないところがあります。

「限界を超える読書」の効果と思考放棄タイプ

きょう、東洋経済ONLINEに、成長する人は大体「不親切な本」に挑んでいるという記事が出ました。1か月前に配信された、生きるための対話Vol.103からの一部公開です。

「「これを読めば私は自分の限界を超えられそうだ」と思える本」、「「限界を超える読書」というのにチャレンジ」をすすめるものです。ですが、チャレンジして超えられたら、それは結果的には限界ではなかったともいえそうです。そのつじつまを合わせるなら、ロシア的倒置法のようですが、限界が私たちを超えていったのだと考えたほうが、よいのかもしれません。

「書き手もわかりやすく書くし、編集やレイアウトもレベルが上がっているので、とにかく読みやすい」、「そういう親切な本を読んでいるだけでは、読書によって得られる効用というのは、大袈裟じゃなく、半減してしまうんじゃ」、同感です。やわらかいものだけ食べて、いつまでもやわらかいものしか受けつけないままでは、どうかと思います。ソーシャルメディアの罠(宮田穣著、彩流社)に登場する、絹ごし豆腐は食べられるものの、木綿になるとだめという女子大生のお話を思い出しました。日本人の9割に英語はいらない(成毛眞著、祥伝社)は、「日本人は読書量が世界でもっとも少ない。」「じっと本を読むことができない高校生は多い」といった実証データを示していますが、読む経験をあまり積まずにきてしまった人は、木綿からでもしかたがありませんので、リハビリのようなかたちで始めて、だんだんと歯ごたえのあるもの、「不親切な本」に近づいていくことが求められるでしょう。それでも、人を育てる会話術 会社を強くする若手育成のルール20(播摩早苗著、CLAP)の、「分からないのではなく、考えない」という「思考放棄タイプ」、「つべこべ言わずに教えてください」になってしまう人には、つらいリハビリかもしれません。読書百遍とはいっても、考える習慣が身についている人は、自然に考えるので自然に理解が近づきますし、わからないおかげで自分で考えるたのしみが得られるという過程もあって、何度も読めるのですが、テレビドラマのわくの減少の記事で取りあげた「愚民化装置」に、考えない姿勢をそだてられたような人には、苦しいでしょう。More Access! More Fun!の記事、テレビがつまらなくなった(裏側の)わけに、「お笑い芸人と馬鹿ドルがダラダラとトークしている番組も、パッシブな層にとっては心地良いのである。真剣に考えたりしないで済むからだ。」「いま、テレビで「しっかりとした人」が「しっかりとしたリソースを使い」「しっかりとした内容」の報道番組を作ったら、見ている人の大半は情報に対してパッシブだから、「なにこれ、難しい」「わかんないから〜」とチャンネルをあっさり変えて、お笑い芸人のトークを見るのであります。」とあります。そのような人は、一度わからなかっただけでも不快なのに、それを何度も読むなんてと言いそうですので、アサ芸プラスの記事、「たけし金言集」殿の読書にまつわる話(2)にある、「殿の独自な読書法」も紹介しておきます。お金はかかりますが、「また新しい本を読んでる気になって読む気がわく」ことを使って、何度も限界にぶつかって自分を理解に近づける点で、近いところがあります。

「ぜひ、自分がわからない本を読みましょう。」として、「カバンにはいつも、空海の本」、「そうやって空海に挑むことこそが、僕を成長させてくれるという確かな実感があるからです。」と締めます。文学を読む意味と恋愛にお金がかかる社会の記事で取りあげたように、読むことで人は成長しますが、手ごわいものとぶつかり合って勝つことで、より大きな経験値が得られるようなものです。それとも、アリアハンでレベルageがよいでしょうか。

「機種変婚」の家族心理学と「女でありたい」

きょう、dot.に、数年に一度、夫をチェンジする「機種変婚」が急増中!という記事が出ました。

「新しいものはやはり使い心地がいい―今、スマートフォンを機種変更するように、幾度となく婚姻を繰り返す女性が目立っているようだ。」と書き出されます。昔は、女房とたたみはと言ったものですが、時代は変わったのか、変わらないものがあるのか、どう見るべきでしょうか。

「北澤美樹さん(仮名・40歳)」は、「結婚生活は、長くても5年、短いものでは2年、3年と過去3度の結婚経験がある」そうですが、「私の幸せな姿をみせることで子どもたちからもきっと理解が得られると信じています」と言っています。両親のしあわせなすがたを、ではないところが気になってしまいます。

「大井典子さん(仮名・44歳)」は、「4度の結婚生活」があるという、マグダレンの祈り(P. ミュラン監督)の主人公も上まわる波乱ですが、「でも、婚姻という形をとる限り男と女ではいられなくなってしまう。私は妻であり、母である前にひとりの女性として生きていきたいのです」と主張します。子どもぎらいの原因の記事の最後に取りあげた話題を思わせます。また、共感する人もいると思いますが、これは転倒した考えであることも指摘されています。片目を失って見えてきたもの(ピーコ著、文藝春秋)は、「私は母親である前に、女でありつづけたいのよ」という女性を、「ばかじゃないかと思います。」「女でありさえすれば誰だってできる」、「母であったり、妻であることは、その対象である子や夫が存在してはじめてなれるのです。」などと、きびしく指弾しました。

「2年ごとの機種変更でなくても、ある日突然、夫に嫌気をさして別の男性にチェンジしてしまうかも」という指摘も紹介されます。機種変のたとえが、批判的なイメージとつながらない材料であるところが絶妙なのですが、「ゲーム感覚」の人生の記事で取りあげた、テレビゲームのリセットの感覚のほうが、実は近いようにも思います。思うようにいかなくなったら、すっぱり捨てるのです。

それで思い出したのが、Hagex-day.infoにきょう出た記事、ステマ疑惑の「モデルプレス」釈明コメントが酷いです。Yahoo!にすっぱりと捨てられたマイナビとモデルプレスの、その後の反応を取りあげました。「マイナビは8月3日にまともなコメントを発表。」、一方でモデルプレスは、「デザイン面からだけでモデルプレスのの後ろ向きな気持ちがビンビン伝わってくる」上に、「Yahoo!が言ってるようなステマ記事なんか配信してねぇぇ! と真っ向から反論。」に出ました。「「記事広告配信が禁止されているサイトへの配信を確約する類のご案内」の文章がヒドスぎて」、同感です。単に、非常事態のために急いで書いた結果なのでしょうか。

それで思い出したのが、「まともなコメント」を出したマイナビニュースにきょう出た記事、きずものです。「去年くらいまでは10,000文字くらいの原稿ならば、1時間もあれば一気に書けた。」、これは急いで書くという程度ではない、大変なペースです。