生駒 忍

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「限界を超える読書」の効果と思考放棄タイプ

きょう、東洋経済ONLINEに、成長する人は大体「不親切な本」に挑んでいるという記事が出ました。1か月前に配信された、生きるための対話Vol.103からの一部公開です。

「「これを読めば私は自分の限界を超えられそうだ」と思える本」、「「限界を超える読書」というのにチャレンジ」をすすめるものです。ですが、チャレンジして超えられたら、それは結果的には限界ではなかったともいえそうです。そのつじつまを合わせるなら、ロシア的倒置法のようですが、限界が私たちを超えていったのだと考えたほうが、よいのかもしれません。

「書き手もわかりやすく書くし、編集やレイアウトもレベルが上がっているので、とにかく読みやすい」、「そういう親切な本を読んでいるだけでは、読書によって得られる効用というのは、大袈裟じゃなく、半減してしまうんじゃ」、同感です。やわらかいものだけ食べて、いつまでもやわらかいものしか受けつけないままでは、どうかと思います。ソーシャルメディアの罠(宮田穣著、彩流社)に登場する、絹ごし豆腐は食べられるものの、木綿になるとだめという女子大生のお話を思い出しました。日本人の9割に英語はいらない(成毛眞著、祥伝社)は、「日本人は読書量が世界でもっとも少ない。」「じっと本を読むことができない高校生は多い」といった実証データを示していますが、読む経験をあまり積まずにきてしまった人は、木綿からでもしかたがありませんので、リハビリのようなかたちで始めて、だんだんと歯ごたえのあるもの、「不親切な本」に近づいていくことが求められるでしょう。それでも、人を育てる会話術 会社を強くする若手育成のルール20(播摩早苗著、CLAP)の、「分からないのではなく、考えない」という「思考放棄タイプ」、「つべこべ言わずに教えてください」になってしまう人には、つらいリハビリかもしれません。読書百遍とはいっても、考える習慣が身についている人は、自然に考えるので自然に理解が近づきますし、わからないおかげで自分で考えるたのしみが得られるという過程もあって、何度も読めるのですが、テレビドラマのわくの減少の記事で取りあげた「愚民化装置」に、考えない姿勢をそだてられたような人には、苦しいでしょう。More Access! More Fun!の記事、テレビがつまらなくなった(裏側の)わけに、「お笑い芸人と馬鹿ドルがダラダラとトークしている番組も、パッシブな層にとっては心地良いのである。真剣に考えたりしないで済むからだ。」「いま、テレビで「しっかりとした人」が「しっかりとしたリソースを使い」「しっかりとした内容」の報道番組を作ったら、見ている人の大半は情報に対してパッシブだから、「なにこれ、難しい」「わかんないから〜」とチャンネルをあっさり変えて、お笑い芸人のトークを見るのであります。」とあります。そのような人は、一度わからなかっただけでも不快なのに、それを何度も読むなんてと言いそうですので、アサ芸プラスの記事、「たけし金言集」殿の読書にまつわる話(2)にある、「殿の独自な読書法」も紹介しておきます。お金はかかりますが、「また新しい本を読んでる気になって読む気がわく」ことを使って、何度も限界にぶつかって自分を理解に近づける点で、近いところがあります。

「ぜひ、自分がわからない本を読みましょう。」として、「カバンにはいつも、空海の本」、「そうやって空海に挑むことこそが、僕を成長させてくれるという確かな実感があるからです。」と締めます。文学を読む意味と恋愛にお金がかかる社会の記事で取りあげたように、読むことで人は成長しますが、手ごわいものとぶつかり合って勝つことで、より大きな経験値が得られるようなものです。それとも、アリアハンでレベルageがよいでしょうか。