生駒 忍

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えり好みする早大生とあつかいにくい東大卒

きょう、J-CASTに、「海外で働きたくない」大学生の割合 カンボジア人と日本人、多かったのは・・・という記事が出ました。

「あなたは卒業後、海外で働きたいですか?」に、「日本の大学生は「はい-17%、自分が希望する国なら-32%、いいえ-51%」と、過半数が海外で働きたくないという結果でした。」、カンボジアは「はい-27%、いいえ-73%」となったそうです。日本ではしばしば、若者が内向きになってしまったといわれますが、経済成長の目ざましいカンボジアも、このくらいです。ですが、選択肢のつくりが異なるので、「自分が希望する国なら」というつごうのよい条件を求める場合に、カンボジアの学生はどちらに入れたかがわからず、単純な比較には適しません。似たものとして、ICC Web Magazineという、早稲田大が運営する、もう1年以上更新されていないウェブサイトに出た、早大生のグローバル意識調査アンケート分析レポートがあります。ページの中ほどからの「学校法人産業能率大学「2010年7月第4回新入社員のグローバル意識調査」との比較」は、「海外で働きたいと思うか?」の問いへの回答を比較して、「世間一般の新入社員と比較して、若干ではあるが早大生の方が将来海外で働いてみたいと考えている、またグローバル意識が高まっている」とします。ですが、日本-カンボジア比較の日本側調査の選択肢ともおおむね対応する、「どんな国・地域でも働きたい」と「国・地域によっては働きたい」とを足すと、今回の日本側調査、産能大調査、早大調査とも、ほぼ一致します。むしろ、早稲田は「どんな国・地域でも働きたい」が少なく、えり好みする傾向が強いことがわかります。早稲田が多く見えるのは、ほかにはない「期間によっては働きたい」を選択肢に加えたからでしょう。基礎データのQ10の棒グラフを見ると、海外ではたらきたいと言いつつも、適当な期間は3年に満たないとする学生が6割を占めます。Q12にある、海外ではらたきたい理由の1位は、「海外で自分を成長させたいから」ですので、海外ではたらきたいというよりは、海外でもはたらいてみたい、海外でもはたらいておきたいという程度の学生が多いことがわかります。そういう程度でも、「働きたいとは思わない」ではなく、「期間によっては働きたい」としてカウントできたことで、「グローバル意識が高まって」見えるのです。

「いろんな仕事が有り、給料も高い。そのお金で家族をサポートできる」、日本の学生にはあまりない考え方のように思います。ゆたかな日本に、兄弟船(鳥羽一郎)のような感覚は、少なくなりました。また、ゆたかさは、内向きの問題とも関連します。大学の国際化と日本人学生の国際志向性(横田雅弘・小林明編、学文社)には、「日本がこれまでに築き上げた成熟した経済は誇るべきものであるが,それは同時に情報とモノであふれ返った社会,極度に便利で居心地の良すぎる社会になっている。その結果,皮肉なことであるが,若者はそのコンフォート・ゾーンから飛び出し,敢えて海外の異なった環境の下,多種多様な習慣や文化をもつ人々にもまれ,渡り合いながら,自分の力で状況を切り開いていくような苦労をすることに価値を見出せなくなってきている。」とあります。そういえば、政府にまで再三止められながらもふりきって、「イスラム国」へ入って殺害されたあのジャーナリストは、40代後半でした。週刊文春 2月5日号(文藝春秋)は、軍事企業の社長の救出を「入国」目的と考えるとつじつまが合わないことや、映像10分300万円とされる取材の相場を示しましたが、家族が総出ではたらいても返せないような金額の要求をまねき、自分が救出の対象になり、家族を悲しませる結末となりました。JBpressにきょう出た記事、イスラム国の「真の狙い」など存在しない 錯綜した人質事件の情報(前篇)にあるように、向こうはそれ以上に、お金目あてだったのです。「イスラム国の過去の行動を見れば、今回の人質事件は、これまでイスラム国が何度も繰り返してきた「外国人誘拐ビジネス」の延長にすぎない」のであって、「イスラム国は最初の脅迫動画において、イスラム国と敵対する陣営に巨額の援助を決めた日本政府を「十字軍に加わった」と非難しているが、要求していることはカネだ。日本政府に政策変更を求めているわけではない。」「あるいは日本政府がそもそも援助など行わなければ人質は解放されたか? と考えると、イスラム国に限って、その可能性はないと判断するしかない。」「例えば、日本は人道支援だけを行っていること等をイスラム国に伝え、いくら説得しようとしても、彼らは誘拐ビジネスの原則を曲げない集団であるから、結果は変わらなかったであろう。」とします。ここは、BLOGOSにきょう出た記事、「イスラーム国」は日本の支援が「非軍事的」であることを明確に認識しているとも整合します。

さて、「どんな仕事に就きたいですか?」に、カンボジアでは「会社 38%、公務員 27%、起業 35%」となりました。起業の多さにおどろかされます。「カンボジア最高学府の王立プノンペン大学をはじめとする大学生」であることも一因だと思いますが、日本の最高学府でも、こうはならないでしょう。我が闘争(堀江貴文著、幻冬舎)には、東大に行っておいてサラリーマンになるなど考えられなかったとあり、あのような人生に進んだのでしたが、そう口にする東大生の大半は口だけで、結局は他人がつくった会社の一番下に入りそうです。もちろん、入ってからその会社に適応できるかどうかは、また別です。そういえば、男の子の育て方 「結婚力」「学力」「仕事力」。0~12歳児の親が最低限しておくべきこと。(諸富祥彦著、WAVE出版)には、「地方出身で東大卒の男ほど、扱いにくいものはない」という、出版社社長の指摘がありました。

「「この国には何もない。だから自分が創るのだ」という力強い意見」、起業はこうあってほしいと思ってしまいます。一方で、日本はまったく異なります。希望の国のエクソダス(村上龍作、文藝春秋)でのポンちゃんの有名なせりふ、「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」を思い出します。ちなみに、その作者の村上は、震災を受けて、まるで正反対の考えを披露しました。New York Timesへの寄稿、Amid Shortages, a Surplus of Hopeには、「But for all we’ve lost, hope is in fact one thing we Japanese have regained.」「But we who were so intoxicated with our own prosperity have once again planted the seed of hope.」とあります。